5-22 遭遇 (2)
滑雪巨蟲が私たちに攻撃目標を変えたことで、周囲にいた人たちはアイリスさんの警告通りに左右に逃げ出したり、逃げ遅れて撥ね飛ばされたりしているが、今はそれを気にしている場合ではないだろう。
「行くぞ!」
「はい!」
ケイトさんとロレアちゃんをその場に残し、私とアイリスさんは走り出す。
狙うのは脚。
滑雪巨蟲の厄介な点は、普通なら足を取られるような深い雪の上でも、素早く移動ができること。
その速度を奪うことができれば、雪山靴がある私たちの方が確実に有利になる。
ケイトさんが損傷させた触角の側を目掛けて走れば、これまで相手をしていた人たちとは違う私たちの速度に驚いたのか滑雪巨蟲はブレーキをかけ、大きく振り上げた触角をこちらに向かって叩きつけてきた。
だが予備動作の大きいその攻撃は、雪に足を取られさえしなければ、避けることも難しくない。
先を走るアイリスさんは更に速度を上げ、斜め前方に跳ねるようにしてそれを避け、私は少し速度を落とし、目の前を通過する触角を見送る。
触角が雪の中にめり込み、粉雪が白く舞い上がる。
その中に飛び込むように踏み出した私は、抜き放っていた剣を振り抜いた。
感じられたのは、カツンという僅かな手応え。
それだけで私の脚よりも太い触角が半ばほどで断ちきられ、地面に倒れる。
同時に先ほどよりも大きな鳴き声が耳を打つ。
そして、触角を失ったことが原因なのか、ぐらりと崩れる滑雪巨蟲の体勢。
「さすが店長殿!」
そう賞賛を口にしたアイリスさんの動きも素早かった。
敵の動きに戸惑うこともなく踏み込み、剣を叩きつけるように振り下ろす。
ガツン!
硬い音と共に破壊されたのは、左前足先端の関節部分。
それにより、雪面を滑るために使用している平らな部位がポロリと取れた。
「ナイスです、アイリスさん!」
滑雪巨蟲が柔らかい雪の上でも身体を支えられるのは、その足先があるからこそ。
それがなくなればどうなるか。
脚が雪の中に沈み込み、更に体勢が崩れることになる。
「この調子で、左側の足を奪ってしまいましょう」
「そうだな!」
滑雪巨蟲の攻撃方法は、雪上での速度を生かした体当たりと、触角での攻撃、それに丈夫な顎による噛みつき。
だが実際のところ、雪上で相手の動きが鈍いことに依存した攻撃方法でもある。
普通に走ることができるなら体当たりを避けることは難しくないし、顎による噛みつきも、体当たりや触角による攻撃で動けなくなった相手にこそ有効な攻撃手段。
つまり、もう一本の触角も切ってしまえば、滑雪巨蟲なんてただ大きいだけの虫である。
――いや、十分脅威だけどね、大っきい虫って。
「アイリスさんは脚を!」
私が無事な右の触角側に走り出せば、アイリスさんは逆側に走り出した。
左右に分かれた私たちに滑雪巨蟲は一瞬迷った様子を見せたが、さほど頭は良くないのか、より近い私に向かって右の触角を振り下ろしてきた。
さっきのことを覚えていれば、警戒すると思うんだけどね?
当然私は、その触角を避けて剣を振る。
軽い手応えと共に、再び切り落とされる触角。
返す刀で目も狙えば、滑雪巨蟲は戦くように身体を引いたが、その時には既にアイリスさんが左側へと回り込んでいた。
「やあっ!」
気合いと共に振り抜いたアイリスさんの剣は、滑雪巨蟲の二本目の脚からも足先を奪う。
それによって体重を支えきれなくなった滑雪巨蟲は大きく身体を傾がせ、私の方へと倒れ込んできた。
私はその横をすり抜けるように一歩踏み込むと、右前脚に向かって剣を一閃。
触角よりも僅かに硬い感触。
しかし私の持つ剣を防ぐほどの硬さはなく、その脚は根元から切断され、滑雪巨蟲は完全にバランスを崩した。
バスンッ!
深い雪の所為だろうか。
その巨体からは想像するよりは遙かに軽い音と共に、滑雪巨蟲は雪の中に上半身を沈め、粉雪を舞い上げた。
こうなると後は半ば作業である。
バタバタと振り回される脚を避けつつ切断、動けなくなったところで頭を切り落とし、初めての巨蟲との戦闘は終わったのだった。
◇ ◇ ◇
「お疲れ様でした。思ったよりもあっさり終わりましたね。……私は見ていただけですけど」
「そうよね。巨蟲って、もっと危険だと思ってたわ」
滑雪巨蟲が動きを止めたのを見て、近付いてきたロレアちゃんとケイトさん。
二人が宣ったそんな言葉に、アイリスさんが少し複雑そうな表情になって、切断された滑雪巨蟲の頭部を指さす。
「いや、十分危険だろう? 二人ともあの鋭い顎を見ろ。雪の上をもたもたと移動していたら、あれでガブリだぞ? 店長さんの用意してくれた雪山靴のおかげで、なんとかなったが……」
「雪上で素早く動けるからこそ危険視されている巨蟲ですからね、滑雪巨蟲は。それをなんとかできれば、そこまで怖くありません」
「それもそうね。――できなければ、彼らみたいになるわけね」
そう言いながらケイトさんが目を向けたのは、何処か所在なさげに私たちを遠巻きに見ている数人の――具体的には三人の男たち。
最初に見つけた時には一〇人ほどいた彼らは、その大半が滑雪巨蟲にやられ、雪原のあちらこちらにポツポツと転がっている。
よろよろと立ち上がっている人もいるけれど、まったく動かない人も存在する。
どう見ても救護が必要な状況。
そんな彼らを見て、ロレアちゃんが不安そうに私の顔を窺う。
「どうするんですか? こういう場合って、救助するべき、なんですよね?」
「余裕があれば、ね」
同じ採集者同士であれば、助け合いの精神も必要だし。
とはいえ、こういう状況で要救助者に遭遇した場合、実際に助けるかどうかは、なかなかに難しい。
通常採集者は、自分たちが活動するのに困らないだけの物資しか持ち合わせていない。
防寒具、燃料、食料。
特に冬山のように準備もなく入れば命に関わるような場所では、必要以上の物資を持ち運ぶこと自体が困難であるし、無理して助けても、下手をすれば共倒れ。
私たちにできるのは、負担がない範囲で救助や応急処置をするぐらいである。
――ただし、相手が普通の採集者であるならば、だけど。
「おそらく、採集者じゃないだろうな」
「はい。それに……何か臭いがするの、気付きませんか?」
戦っている途中で気付いたその臭い。
私が視線を宙に向けて人差し指を振ると、スンスンと鼻をひくつかせたケイトさんが鼻の頭に皺を寄せた。
「――そういえば、何か臭うわね。これがどうかしたの?」
「これって、虫を引き寄せる錬成薬なんですよ。錬金素材となる虫を集めるときなんかに使うんですが……もちろん、巨蟲にも効果はあります」
「え、そんな物があるの? ちょっと使いたくないわね」
「少しなら大丈夫ですけど、大量の虫は……」
虫がワラワラと寄ってくる光景を想像したのか、三人が揃って顔を顰める。
うん、私も極力使いたくないし、作っただけで厳重に封をして倉庫に保存している。
まかり間違って家でこぼしたりしたら、大惨事極まりないからね。
下手な毒薬なんかより、取扱注意である。