嵐の3日間(5)
救護室に到着すると、仲間の事務官達が5人ほど来ており、ご遺体にすがって涙を零していた。
「ああ、そのままでいいよ。これから祈りを捧げるので、君達も一緒に祈りなさい」
上官達の登場に驚いた5人が、慌てて立ち上がろうとするのを止め、イツキは先程までの厳しい口調から、優しい声でそう言った。
そして血濡れの治安部隊の制服の上着を脱ぎ、白いシャツ姿になると、置いてあった手荒い用の水で、顔や手に付着した血を出来るだけ洗い流した。
「名前を、3人の名前と近況を教えてください」
イツキは手を洗い終えてからは、神父モードになっていた。それは意識してなった訳ではなく、亡くなった3人の魂を安らかに送ろうという想いから、ごく自然に移行したものである。
1番若いエバンは19歳。恐らくユダに騙されて裏門を開け、直後に殺されたと思われる。平民の彼は、毎月給料の半分をキシ領の母親に仕送りする、親孝行な息子だった。
2番目に若いオーガスンは23歳。先月結婚したばかりだという。遺体の側で泣いていた同僚は、2人の結婚式にも参列し、今度の休みには新居にお邪魔する約束だった。
最後のモンドレは32歳。最近本部に異動になり、10歳の男の子と7歳の女の子の父親だった。家族は来月からラミルに来る予定で、まだカワノ領で暮らしていた。
イツキは蝋燭も聖杯も無い救護室で、置いてあった飲料用の水差しの水をコップに注ぐと、3人の頭の側に置いた。そして法務部の事務次官の1人に、祈りの言葉の書記を頼む。
家族が葬儀に間に合わない時、神父の捧げた祈りを、参列者が書き留め遺族に渡すことがある。突然書記を頼まれた事務次官は、怪訝な顔をしながらも、上官の命令だと思い仕方なく筆記用具を準備する。
「これより、死者に捧げる祈りを捧げます。皆礼をとりなさい」
突然祈りを捧げるとイツキに言われた上官と友人達は、『神父でもないお前が何故祈りを捧げるんだ?』と戸惑うが、逆らえない雰囲気に礼をとり従う。
イツキはひざまずき3人の遺体の顔を優しく撫でる。すると、それぞれの想いがイツキの中に流れ込んできた。
イツキの声は、指揮官補佐として発していた先程までの声と違い、透き通る高い声だった。
死者に捧げる祈りの始めは、神に霊を安らかに送りたまえと願う言葉から始まる。それは万人が同じであるが、その先は、故人の人生を物語にして綴っていく。仕事ぶりを綴ったり、人柄を綴ったり、物語は全ての人が違うのである。
本来なら遺族や友人が、故人について人柄や仕事ぶりを伝えて、神父が1時間くらい掛けて祈りの言葉を考える。
それなのにいきなり【死者に捧げる祈り】を捧げ始めたのである。
「母さん、僕が上級学校に入学が決まった時、泣いて喜んでくれたよね。就職が決まってラミルで働き始めて半年後、妹と一緒にラミルに来てレガート城を見学したね。楽しい思い出をありがとう。先に逝く不幸を許してください。シンシア、母さんを頼む。どうか2人とも幸せでいてください。・・・エミリン、愛しい僕の妻……君の笑顔は僕の太陽だった。ずっとずっと一生君を守ると約束したね。ごめん……でも、僕はずっと君を見守っているよ。カール、どうかエミリンを慰めてやってくれ。親友の君にこんなことを頼んですまない。・・・フィル、リリサ、母さんを頼むぞ。兄弟で助け合い頑張れ。父さんはずっと側にいてお前達を見守っている。テレサ……すまない。子供達を頼むぞ。俺に幸せな人生をくれてありがとう……」
それからイツキは、3人が真面目に働いている姿を物語にして綴った。
その物語の光景が、涙でぐちゃぐちゃになった参列者達の頭の中に、映像として写されると、堪えきれずに声に出して泣き始める者も居た。
「無慈悲に奪われた命を無駄にせず、我々は敵であるギラ新教に必ず勝利し、墓前にその報告をすると誓う。無念の思いを決して忘れはしない。そして残された遺族のために力を尽くすと誓う。霊よ、どうか安らかなれ」
時間にして30分くらいだろうか、祈り終えたイツキが辺りを視ると、3人の霊が、イツキに向かって深く頭を下げていた。そして柔らかな光が何処からともなく射し込むと、3人は光に包まれて旅立っていった。
その場で祈っていた者達は、感動しながら涙に濡れた瞳でイツキを拝むように見る。
すると、きちんと落ちていなかった、顔や髪に付着していた返り血が綺麗に無くなり、イツキの顔は美しく輝いていた。
その時ドアが開き、涙に濡れたヨム指揮官とギニ司令官が入ってきた。
どうやらドアの外で、イツキの祈りが終わるのを待っていたらしい。何時から来ていたのか分からないが、拭いても拭いても零れる涙に戸惑っているようだった。
イツキに向かって深く頭を下げたギニ司令官は、掠れた声で命令を下した。
「今の神父様の祈りは、お前達の心の中だけで覚えていろ。書記は、必ず遺族に祈りの言葉を伝えるように」と。
まさかのギニ司令官の登場に、全員が驚き慌てて軍礼をとる。
「これから会議室に軽食の用意をして貰えるようだ。食事はロームズ辺境伯屋敷からの差し入れだ。上官達は30分の食事休憩の後、会議を始める」
「はいギニ司令官。承知しました」
その場に居た全員が、ピンと姿勢を正し、涙に濡れた顔で返事をした。
午後7時半、現状報告、明日からの警備体制や犯人の目的、今日の反省点や課題を話し合う会議が始まった。
指揮を執っているのはヨム指揮官で、ゴウテス中佐が補佐していた。
イツキは会議室に向かう前に、誰も居ない実践施設の2階の会議室で、ギニ司令官と少し話をすることにした。
「イツキ君、医学大学の試験中なのに呼び出して済まなかった。しかも、死者に祈りまで捧げて貰ってありがとう。イツキ君が到着してからの状況は聞いた。しかし、どうして他に犯人が残っていると分かったのかな?」
ギニ司令官は恐縮しながらも、イツキの行動の原点……他に犯人が居ると思った要因について、どうしても訊いてみたかった。
「それは、敵の作戦がずさんだったからです。ただ犬死にするために、わざわざ天下の警備隊本部を襲撃するでしょうか?本当に警備隊に打撃を与えるなら、武器を持ち多人数で襲撃すべきです。警備隊本部の襲撃の前に、カイ領主屋敷が襲われた……そこにも意図が感じられます。結局ヨム指揮官が居なくなったところを襲撃されたのですから」
イツキはそう言いながらも、敵の真の目的が何なのか分からず気持ちが落ち着かない。
「ところで、キシ領で何があったのですか?どうしてその情報は僕の耳に入って来ないのでしょう?」
今日のように指揮系統が混乱した原因は、有事に対応すべきキシ公爵や、警備隊の実質トップに近いフィリップ秘書官補佐が留守だったからである。
イツキはそこにこそ、今回の2つの事件の答えが有るような気がしてならなかった。
「今朝早くレガート軍キシ基地から、ハヤマ便で緊急連絡が来た。キシ領のマグダス伯爵の父上が、何者かに殺された。そして、母親は行方不明になっている」
「マグダス?それじゃあフィリップの・・・でも、それだけで警備隊の精鋭を10人連れていく必要はないはず……」
イツキはフィリップの父親が殺されたと聞き、大きなショックを受けた。しかも母親は行方不明だ。
でも……それは伯爵家個人の家のことである。いくらキシ領の古参であり名門の伯爵家でも、領主が警備隊の精鋭を連れて出る程のことではない。キシ領にも警備隊や優秀なレガート軍の部隊が居るのだから。
「イツキ君には隠し事は出来ないようです。実は、キシ領に潜入していた【王の目】からも、同じように連絡が来ました。それも今朝です。連絡によると、フィリップ、ソウタ、ヨム、シュノーの実家で、不審火が同時に発生しました。幸い大事には至らなかったようですが……キシ領役場が半焼しました」
「それでは同時テロということですか?」
イツキは椅子から立ち上がり、言い知れぬ不安が込み上げてくるのを感じた。
でも、何故か今聞いた話の内容が原因だとは思えない。
何だ?……何なんだ?……何がこんなに自分を不安にさせるんだ!と、イツキは居ても立ってもいられなくなった。
ふと、捕らえていた暗殺者の顔が思い浮かび、この不安の原因が何なのかを知るため、ギニ司令官を連れて急いで教育棟の会議室に向かう。
教育棟の2階には会議室が2つあり、イツキ達が向かったのは小会議室の方だった。
ドアを開けると、ハモンド、レクス、パル、そして今日活躍したリブルスが、軽食の準備をして待っていた。
「イツキ様、そんな軽装で……今は冬なんですよ」
パルは慌てて自分が脱いでいたコートをイツキに着せながら、心配して文句を言う。
イツキは直ぐにでも尋問を開始したかったが、捕らえた暗殺者は気を失っていたし、自分の屋敷の者達もリブルスも食べずに待っていたようなので、先に食事をすることにした。
しかしイツキ以外は、ギニ司令官という超雲の上の上官との同席にびびり、用意された軽食が殆ど喉を通らなかった。
ハモンドは気付け薬の代わりに、縛られていた暗殺者の足の縄だけを解いていく。勿論「おい、起きろ!」と顔をペチペチ叩きながらである。
取り合えずの止血はしてあるが、ケガの状況を考えれば重傷である。かなり貧血のはずだが、目覚めた男は悪態をつく元気?は残っていた。
「このガキ、俺はお前を許さない!絶対に殺してやる!」と叫ぶ気力があった。
「ふーん元気だね……スープでも飲む?……それとも命乞いをする?……足の神経が切れてるから、囚人として鉱山で働くのは難しい……誰か殺していたら島流し、殺してなければ鉱石の選別作業を2年くらいかなぁ……」
イツキはスープ入りのカップを持ち、リンダの作ったスープの美味しそうな匂いを、暗殺者の鼻先でわざと嗅がせる。
この男が警備隊本部では誰も人を殺していないことは、イツキにも分かっていた。
この男の役目は情報収集である。
「お前の役割は、あわよくば重要な書類の一つでも盗み取り、治安部隊で働く者を割り出せれば上々、上官の個人情報でも入手出来れば大手柄……ってところだろう?」
イツキは美味しそうにスープを飲みながら、サンドイッチまで食べ始めた。
頭に来た男は、イツキを襲おうとして足を動かし激痛に身悶える。
「どうして縄を解いたと思うレクス?」
「えっ?は、はい、それはより痛みを激しくするためでしょうか……」
急に質問されたレクスは、慌てて思い付く答えを言う。
「それじゃあハモンド、縄を解いてコイツが動こうとするとどうなる?」
「はい、どんどん出血します」
やっぱり自分にも質問が来たかと、答えられる質問だったことに安堵する。
「パル、どんどん出血したら、コイツはどうなるだろう?」
「はい、死にます。きちんと手当てをせず、動けば動くほど死に近付きます」
パルはそう答えながら、今夜の主は何処か変だと気付いた。
イツキをよく知るハモンドやレクスも、イツキの様子が変だと強く感じていた。
いつもだったら、神の能力を使って、息を出来なくして自白させるのに、どうして今夜は回りくどいことをするのだろう?しかも、視線は暗殺者に全く向けられていない。
もしも此処にフィリップが居たら、これはイツキが怒っている……しかも、とてつもなく怒っていると分かっただろう。または、作戦や解決策を考えながら他のことをしているので、目の前のことに集中出来ていないだけだと分かっただろう。
居ないけど・・・
居ないからこそ、イツキはギラ新教徒に腹が立った。
そして自分の不安の原因が何なのか、スープを飲み終えたイツキは判ってしまった。
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