イツキ、ロームズに帰る(5)
「マーベリック28歳、基礎医学を教える予定です。昨年ブルーノア教会病院発行の医師免許を取得しました。領主様は教会病院のパル医師をご存知だとか……私は2年間パル医師からご指導いただきました」
ラミル教会病院の院長をしているパルを尊敬しているマーベリックは、イツキは本当にパル医師から指導を受けたのかとは質問せず、自分の経歴の中にパル医師の話を盛り込み、領主の反応をみることにした。
「パル医師は現在ラミル正教会病院の院長をされています。私も度々お世話になっていますが、マーベリック教授はパル医師に医術の何処を褒められて、何について叱られましたか?」
イツキは持っていたパンを皿に戻し、にっこりといい笑顔でマーベリックに質問した。
「褒められたことと叱られたことですか?……そうですねぇ……叱られたことはたくさんあり過ぎて答えに困りますが、もう少し丁寧に患者の話を聴くように注意されました。褒められたことは……字が綺麗なところくらいでした」
マーベリックは記憶を辿りながら、懐かしそうに答えていった。
「マーベリック、それは医学とは関係ないだろう」
リーダー的な存在である外科医のヴァンドが、笑いながら茶々を入れる。
「いえいえマーベリックさん。字が綺麗なことは大切なことです。ロームズ医学大学は、1年に1つ以上の論文を教授に出していただきますので、読めない字では困りますから」
イツキは再びにっこりと微笑みながら視線をマーベリックに向けた。
「ノーテス34歳、内科医です。論文ですか?それは何のためでしょうロームズ辺境伯?」
次に自己紹介をしたのは学長の友人ノーテスである。ノーテスは教授に論文を提出させる意図が分からず、いきなり質問をしてきた。
「勿論学会で発表する為です。私はブルーノア本教会病院、イントラ高学院、ロームズ医学大学で、年に1度学会を開催することを提案しようと思っていますノーテス教授」
イツキはノーテスの瞳を真っ直ぐ見て、不敵にニヤリと笑ってみせた。
「具体的にはどういう学会なのでしょうか?」
「個人面談を希望されれば、詳しくお話いたします。それでノーテス教授は、1年に何本くらい論文が書けそうですか?ああ、内容によりますが、最低でも10万字は欲しいところですね」
「フフ、そうですね、初年度は学生も少ないようですから、2本は書いてみたいですが、論文を書けば手当てでも貰えるのでしょうか?」
ノーテスはイツキ同様不敵に微笑みながら、手当てなど興味もないくせに質問する。
「そうですね、イントラ高学院にもブルーノア本教会病院にも負けない内容だったら、特別手当てを出しましょう」
イツキはそう言うと、新しく教科書を作成したら、その内容によっても特別手当てを出しますよと付け加えた。
教科書の話を聞いたノーテスは、一瞬驚いた顔をした。ノーテスはイントラ高学院で使っている教科書の内容には不満があり、新しい知識や発見に則した内容にすべきであると、イントラ高学院の学長に何度も意見していた。しかし、時間と金がないと言って取り合って貰えなかった。
「デローム38歳、内科医です。教科書を作成するということは、ロームズ医学大学発行の教科書に成ると言うことでしょうか?」
「そうですデローム教授。医学は日々進歩していきます。学生に古い情報を教えるのは意味の無いことです。新しいことが分かれば、教科書の内容を差し替え、常に最新の医学を教える。それが大学であり教授としての務めだと思います」
イツキはデロームの問いに、当たり前だと思うことを言ったつもりだった。しかし、この場に居た6人には衝撃的な内容だった。
イントラ高学院では、先人の知恵や知識を重んじ、古い教科書の内容を覚えるところから勉強が始まる。新しい知識は医者になってから病院で研修する時に習えばいいと教えていたのである。
その教え方に異議を唱えていた若い(20代~30代)内科医達は、間違った知識や古い知識を教えることを苦痛に感じていたのだ。
「では、教科書作りから取り掛からねばなりませんね。開校まで2ヶ月しかない……どう考えても時間が足りない!」
新しい教科書が作れる喜びと、その作業の大変さを考え、デロームは悲鳴に近い叫び声を上げてしまう。しかし、その顔は嬉しそうである。
「やれやれ、内科医は教科書がそんなに大事なのですか?ああ、ヴァンド42歳外科医ですロームズ辺境伯。先程から聞いていると、論文を書けとか教科書を作れとか、忙しい外科医には難しい気がしますが、ロームズ辺境伯は、外科医の忙しさをご存知ではないようだ」
やっと自分の番が回ってきたヴァンドは、始めから上から目線で領主に意見する。
「ヴァンド教授は大変腕の良い外科医でいらっしゃるとか……こんな田舎の患者数も少ない医学大学では、ご自慢の腕を振るう機会も無いように思いますが……暇にさせては申し訳ないですね」
イツキは完全にケンカを買っていた。ああ言えばこう言う作戦に出る。
「そうですな。私ほどの実力を持った医者が腕を振るうには、最低でも医学大学病院が無くては話になりません。ロームズ医学大学は、当然附属病院を建設しますよね?まさか……病院建設の予定が無い等とは言われませんよね?」
「ヴァンド教授、領主様に向かって失礼じゃあないかな!」
見兼ねたハキル学長が、ヴァンド教授に注意する。
「いえいえハキル学長、ヴァンド教授の仰ることは尤もなことばかりです。大学病院は建設しますが、着工は来年の5月以降になります」
「ほう、計画は有るのですな。それで病院長は決まっているのですかな?勿論建設するのはレガート国と考えても良いのでしょうか?患者も少ないようですから、要請があれば私が大学病院の世話をしても構わないが」
ヴァンドは待ってましたとばかりに口調が明るくなる。医学大学の学長に成れないなら、せめて病院長の座には就きたいという思惑が、恥ずかし気もなく語られていく。
「ロームズ医学大学附属病院は、カルート国とロームズ辺境伯が建設するので、レガート国の資金は入っていませんよ。それに、医師も足りませんから3年間は建物も2階建てが精一杯ですね。場所はロームズ領の真ん前の村ですから、カルート国の領土内になります。病院長は決めていませんが、貧乏な病院ですから資金が集められる人に任せたいと思っています」
イツキはにっこりと黒く微笑んだ。その微笑みは、お前なんか要らないけど……という微笑みであると気付いたのは、ハキル学長、ノーテス、デローム、薬草学のムッターだけだった。ノーテスは食えない領主だと可笑しくなる。
ヴァンドは返す言葉が見付からず、こんな条件の悪い大学や大学病院で働くのは御免だと判断する。ヴァンドは論文を書くのは苦手だし、外科医は教科書よりも見て覚えればいいと考えるタイプだった。
「ムッター50歳、薬草学を教えます。ロームズ辺境伯は大学に薬草園を作られるのでしょうか?」
ムッターはこれまでの領主と教授達のやり取りを聞いていて、この領主はいい意味で普通ではないと感じていた。少なくとも学ぶ側のことも考えているし、教える側についても革新的だ。
「薬草園は、私が最も力を入れたい部分です。毎年3人ロームズ辺境伯枠という授業料免除の学生を薬学部に入学させ、薬草園作りや薬草採取を手伝わせます。薬草園専門の助手も雇う予定です」
「なんと!ロームズ辺境伯は薬草園に力を入れてくださるのですか?」
イントラ高学院では、医師の養成に大部分の資金が投入されるため、薬学の研究は後回しにされ、教授になっても医師より地位が低くみられていた。
「そんな薬草園や薬学に力を入れるより、疫病研究にこそ力を入れるべきではないかなロームズ辺境伯。その方が多くの人間を救えることになる。ああ、申し遅れたが、ワシはユリウス52歳、疫病研究の第一人者じゃ」
自分の研究室は無いというのに、薬草園は作るという領主に、ユリウスは益々腹が立ってっくる。八つ当たりで喜んでいる薬草学のムッターを睨み付ける。
「疫病研究……素晴らしい研究ですね。でも、残念ながらロームズ医学大学は貧乏なので、研究に回せる資金が無いのです・・・その素晴らしい研究は、伝統と誇り高きイントラ高学院でこそ、成し遂げられる研究だと思います」
イツキはバッサリとユリウスを切って捨てた。イツキにとって薬草研究こそ、最も大切な夢でもあったのだ。
勿論疫病研究は重要な研究であると分かっている。しかし、ユリウスのように片寄った考え方の教授は、ロームズ医学大学には必要ないと考えた。
「残念じゃが、まだ若いロームズ辺境伯には、疫病研究の重要さが分からないようじゃ。研究室も無いような大学で働くことは出来ん。ワシは明日帰らせて貰おう」
ユリウスは不機嫌そうに断言し、デザートを待たずに席を立ち部屋を出ていった。
その様子を見たヴァンドも席を立とうとしたが止めた。もう一つだけ質問するのを忘れていたことを思い出したのだ。
「ロームズ辺境伯、ロームズ医学大学の副学長は決まっているのかな?」
「副学長ですか?はい決まっていますよ。ソデブ医師に頼もうと思っています」
「ソデブ?それは何処の医者だろうか?外科医なのかな?ハキル学長はどちらかと言うと内科寄りだから、副学長は外科医の方がいいと思うが」
懲りない人だなあ……という皆の視線など全く意に介することもなく、ヴァンドは再び自分を売り込もうとする。
「そうなんですよね。副学長は外科医の教授が相応しいと私も思います」
「だったらこの私が、その責務を負っても構いませんが?」
ヴァンドはイツキの話にピクリと眉を上げ、先程よりも少しだけ下手に出た話し方で食い下がろうとする。
「いえいえヴァンド教授、一流の外科医としての腕を、事務仕事の多い副学長に就けることなど、私には畏れ多くて出来ません。ですから、ブルーノア本教会病院の外科副部長である、ニグル・ソデブ医師にお願いしました」
「「「何だって!ブルーノア本教会病院のニグル副部長?」」」
驚きの声を上げたのは、外科医のヴァンド、昨年まで本教会病院に居たマーベリック、そして内科医のノーテスだった。
途端にヴァンドの顔色が悪くなる。本教会病院のニグル(ソデブ)外科副部長と言えば、年に数回イントラ高学院に医師の指導にやって来る大物だった。
「そ、それなら……あ、安心だな。私は多くの患者を救う方がいいので、申し訳ないが、今回の話は断らせてくれたまえ。それでは失礼する」
ヴァンドは顔を引きつらせたまま、形だけは自分から断ったことにして席を立った。
ヴァンドの去り方を見て、ある意味期待を裏切らない人だと、ハキル学長は感心しながら笑ってしまう。
そして領主であるイツキの手腕には、感服して首を振ったり、何度も頷いたりしたのである。
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