イツキ、ロームズに帰る(3)
久し振りの領主屋敷だったが、どこか自分の……という実感が湧かない・・・
そう思いながら、玄関の扉を開けたオールズに続き屋敷の中に入ると、侍女長のソルさんが満面の笑顔で「お帰りなさいませ、ご主人様」と迎えてくれた。
「ただいま。皆変わりない?シーラちゃんは元気に学校に行ってる?」
「はいご主人様。中級学校が出来たら12歳で入学すると言って、張り切って勉強しています。父の織物工場も順調ですし、夫のケガも良くなり・・・ああ、兄が、兄が帰って来ました。ご主人様の言われた通り、足をケガして引き摺っていますが、元気に父を手伝っています」
ソルは本当に嬉しそうに近況を報告すると、会釈してお茶と昼食の準備に向かう。
「オールズ、昼食後責任者会議を開く。至急召集を掛けてくれ」
「はいご主人様。13時の集合でよろしいでしょうか?」
「それでいいよ。責任者会議終了後は町を見て回るので同行してくれ。医学大学の教授達とは、夕食をとりながらの会食とし、要望や意見は食後ゆっくり聞くことにする」
イツキが直ぐに指示を出せば、オールズも直ぐに警備隊のセブルに召集を伝えるよう指示を出す。セブルは嬉々として飛び出していく。
イツキは昼食前にオールズの執務室で、重要案件や伝達事項の報告を受けることにした。
オールズからの報告を、来客用のソファーに座り黙って聞いていたイツキは、オールズの優秀さに思わずニヤリと笑ってしまう。
「如何されましたか?どこか不明な点でも有りましたでしょうか?」
「いや、オールズは本当に優秀だなぁ……て思ったら、嬉しくなって笑ってしまった」
「ま、また、そのような冗談は止めてください」
オールズは文句を言いながらも、ちょっと照れている。
「冗談なんかじゃない。報告は分かりやすく的確、書棚の書類は項目別に並べられ、きちんと整理されている。随分と苦労をさせていると思うと申し訳ないくらいだよ」
「これが私の仕事ですから。それにご主人様のご苦労は、事務長のティーラさんからの手紙で存じております。先日交代でやって来た軍の者からも、いろいろと聞いております。マサキ公爵様のご子息を殺し屋から助けられたとか、ロームズ辺境伯杯で大活躍されたとか。職員採用や入試のご準備など、寝る間もないくらいお忙しいことは分かっております。そのお言葉を頂けただけで、私は充分でございます」
イツキが働きを労おうとすると、逆にオールズから労われてしまった。それにしても、うちの家令は真面目過ぎる。仕事も出来るが23歳とは思えない優秀さである。いい人材に恵まれたことを、神と亡くなったオールズの前の主であるウルファー侯爵に感謝するイツキだった。
午後1時、責任者会議に出席するため、続々と主だった者達が集まってきた。
「お帰りなさいませロームズ辺境伯様。この度は私の力不足でご迷惑をお掛けします」
少し……いや、かなりやつれた感じのハキル学長は、イツキに会うなり謝罪する。
「いいえハキル学長。教授達の要望は当然のことであり、領主として不徳の致すところです。その件は夕食前に打合せしましょう」
イツキは恐縮しながらも、ハキルに笑顔で応えると、ここにも多大な苦労を強いている人が居たと、心から申し訳なく思うのだった。
他のメンバーは、レガート軍建設部隊のレン大佐(中佐から出世した)、元町長のドーレン男爵、ロームズ領の軍と警備隊を担当している事務官のグライス、新警備隊隊長のアキラ、カイ領の建設資材と職人を纏める領主の子息クスコ、アパートやホテルの建設をしているミノス領のマイス、そして家令のオールズ、合計8人である。
会議室の大きなテーブルに座り、イツキは順次近況報告を受けていく。思っていたより問題報告が少なかったので、会議は順調に進み予想より早い時間で終了した。
「はじめましてロームズ辺境伯様。クスコ・デル・ラシードです。この度は多大なるご迷惑をお掛けし、また、カイの木材や家具、職人に至るまで仕事を与えていただき、ありがとうございました」
会議ギリギリの時間でやって来たクスコは、領主にきちんと挨拶しておらず、終わって直ぐにイツキの元に来て頭を下げた。領主の子息なのに頭が低い。
「クスコ様、どうぞお顔を上げてください。こちらこそお陰さまで順調に工事を進められ、来年医学大学を開校出来ます。何より、カイ領のギラ新教徒を一掃出来たことは、僕にとっても国にとっても好運でした。どうかこれからもよろしくお願いいたします。不都合や困ったことがあれば、明日まで滞在していますので、遠慮なく言ってください。これから建設現場に行きますので、一緒に馬車でどうぞ」
インカ先輩とよく似た顔立ちのクスコに、イツキは親近感を覚える。そしてインカ先輩同様、真面目で正義感が強く、将来のカイ領主としての資質を充分に持っているようだとイツキは嬉しく思った。
◇ ◇ ◇
イツキ達が代表者会議をしていた同時刻、医学大学の本校舎3階の会議室では教授会が行われていた。
「学長の言っていたことは本当だった。私が調べた結果、ロームズ医学大学は、レガート国とロームズ辺境伯が半分ずつ資金を出し、運営はロームズ辺境伯に任されているようだ」
怒りの形相で話しているのは、内科医の教授デローム38歳で、赤い前髪を掻き上げながら口をへの字に曲げる。
「レガート王は何を考えているんだ!医学をなめているとしか考えられない。これでは働いても給料が貰える保証がない。俺は今まで以上の給料が貰えなければ帰る!」
ドンっとテーブルを叩きながら立ち上がったのは、外科医のヴァンド42歳。プライドが高く外科医こそが最高の医者であると考えている。
「上級学校の学生が領主では、ハキル学長もご苦労が多いのだろう。いくら学長が領主は医学を修めていると説明しても、イントラ高学院を卒業していない者が、どうやって医学を修めたと言うんだ?私はハキル学長を尊敬している。だからロームズに来ようと思ったが、学長が嘘を言うのであれば帰るしかない」
薬学部の教授ムッター50歳は、医師と薬剤師の資格を持っているハキル学長を尊敬していた。だが、どうしてもハキル学長の説明を信じることが出来ない。それは他の教授達も同じで、とにかくロームズ辺境伯に会うまで帰らないで欲しいと説得され、今月末迄しか滞在出来ないと学長には伝えてあった。
「しかしハキル学長から、ロームズ辺境伯はブルーノア教会病院のパル医師の弟子だと聞きました。もしも本当なら、会って質問すれば真実は分かりますよ。パル医師は間違いなく天才です。そして、次期ブルーノア本教会病院の院長と成られる方ですから」
内科と外科の両方の勉強をし、今年から教授になった基礎医学を教えるマーベリック28歳は、パル医師の元で2年間勉強しており、昨年ブルーノア教会発行の医師資格を取得していた。まだ若いが遣る気もあり体力もあった。
「皆さん甘いですよ。そもそも入学してくる学生の学力だって不明なんですから。試験問題はロームズ辺境伯が担当するそうじゃないですか……フッ、イントラ高学院と同じレベルは期待出来ないでしょうが、金にものを言わせたバカ貴族とか、ロームズ辺境伯の身内とか……考えただけで溜め息が出る」
疫病や特殊な病気を研究しているユリウス教授52歳は、イントラ高学院至上主義である。彼は病気の原因を調べることにかけては一流だったが、変わり者の変人としても有名で、今回のロームズ行きはイントラ高学院の学長命令だった。ハキルの望んだ人選ではなく、押し付けられたといった感じだった。
「まあ僕はどうでもいいですけど。医者になりたいという学生が居て本気で勉強するのなら、結構なことじゃあないですか?医者不足は深刻だし、レガート国立病院は建設中ですよ。うちの(イントラ高学院)学長は、レガート国立病院が完成したら、自分の派閥の医師を派遣するつもりでしょうから、皆さんが帰っても他の教授が選ばれて、ロームズ医学大学に来るだけです。文句を言わず真面目で正義感が強い、若い助教授辺りを教授にしてね」
面倒臭そうに話すのは、ハキル学長の同期生であり、ラミル教会病院のパル院長とも親しい、内科医のノーテス34歳である。パル、ハキル、ノーテスの3人は、イントラ高学院卒業生の中でも群を抜いて優秀だった。その為、学長はノーテスがロームズ医学大学に行きたいと申し出た時、絶対にダメだと許さなかった。
ノーテスは人気のエリート教授であり、彼の元で学びたいと希望する学生は多く、高学院病院でも次期内科部長の呼び声が高かった。
しかし学長が引き留めると、ノーテスは迷わず辞表を提出した。このままでは優秀なノーテスを失うことになると考えた学長は、イントラ高学院所属の医師として派遣することを渋々許可したのである。
今回イントラ高学院からロームズに来た教授は6人居た。
ハキル学長が要請したのは4人で、初年度は基礎的な学習となるので、内科医を中心に派遣をお願いしていた。予算も4人分がギリギリ限界で、6人は引き受けられない。
要請した側のハキル学長からは断り難いので、採用する4人はロームズ辺境伯が決定すると、6人の教授にもイントラ高学院の学長にも伝えてある。
しかしイントラ高学院の学長と、6人の教授の内5人は、わざわざ来てやったのに断られる(帰される)ことなどないだろうと思っていた。
むしろ、ロームズ辺境伯が気に入らないので、自分から断って戻るつもりである。
「大国レガートが設立する医学大学だと思って期待したが、そもそもこんな辺境の領地を、学生に任せるとはどういうことだ?親は余程の金持なのか?」
外科医のヴァンドは、大国レガートの医学大学で副学長に成るのも悪くないと考えていた。しかし、自分の能力に見合った給料も出せないような大学で働くなど、伯爵家出身の自分には堪えられないことだった。
「いやいやヴァンド教授、ロームズ辺境伯は自分の服を買う金も無かったと町の者から聞いたぞ。住民には好かれているようだが、それはたまたま戦争に勝ったからだ。レガート国の武器が優れていただけのことであり、学生の領主など飾りに過ぎない。レガート軍はまあまあ優秀らしいからな」
変人ユリウスは、ロームズ辺境伯のことを完全にバカにしていた。戦争のことなど興味もなかったし、そもそも軍人は頭の悪い者がなるものだと思っていた。
「それじゃあヴァンド教授とユリウス教授は、イントラ高学院に戻られるのですね?どの道4人しか枠が無いようですから、これで決まりですね。優秀なお2人には、田舎で設備も整わない医学大学なんて似合わないでしょうから。それに学生の領主が余程お気に召さないようですし。給料も期待できないでしょうね」
相変わらず面倒臭そうに発言するノーテスは、友人であるハキル学長から、ロームズ辺境伯のことをしっかりと聞いていた。どれ程優秀で、どれ程素晴らしい領主であるかを。そしてロームズ辺境伯の為に、命を懸けて学長としての責務を果たしたいと言っていることも。
ノーテスは、優秀なハキルにそこまで言わせる学生とは、どのような人物なのか興味が湧いたし、是非会ってみたいと思っていた。
「そ、そうだな。私は自分から断る。研究設備も完成していないから、私の望む研究は出来ないだろう。まあ、どうしてもと懇願されたら条件次第では考えてもいいがな」
「そうですな。最低でも倍の給料と住居の提供くらいなくては、やってられませんな」
変人ユリウスと腕に自信のあるヴァンドは、ロームズ辺境伯は自分を絶対に必要とするはずだから、こちらの望む条件をのむだろうと考えていた。相手は世間知らずな学生なのだからと高を括っていた。
そして全員の意見として、大学病院を建設すべきだと領主に進言するつもりである。
病院が無いのでは実習すら出来ない。いくら貧乏でも必要なものは作って貰わねばならない。その時は自分達の望む病院を建てたいと考えていた。
素人では病院建設や運営は出来ないだろうから、自分達がレガート国王に直接依頼して、教会前の広場にでも建てればいいだろうと、町を見て回った時に勝手に候補地も決めておいた。
そして病院は、レガート国立でなければならない。貧乏なロームズ辺境伯に任せるのではなく、潤沢な資金のあるレガート国に建設して貰う。そうでなければ遣っていられないと言ったのは、外科医のヴァンドだった。
いつもお読みいただき、ありがとうございます。