報告と信頼と不安
イツキがケガをしたと聞いたバルファー王は動転し、思わず会議室を出ていこうとする。キシ公爵は慌てて王を止め冷静になるようお願いする。
「王様、ギニ司令官の話を聞かれなかったのですか?イツキ君は現場で指揮を執っているんです。大ケガをしていたら、フィリップが許す訳がありません」
「それでは、エントン秘書官はどうしたのだ?ヨム指揮官は何をしているのだ?」
バルファー王は声を荒らげながら、イツキが指揮を執ることに納得がいかず、他の者は何をしているのかとキシ公爵に問う。
「王様、それは私が説明いたしましょう」
そう言いながら会議室に入室して来たのはホン領主である。その後ろをマキ公爵とヤマノ侯爵が続いて入室してくる。
ホン領主は、自分が現場に到着してから見たことと、イツキについて語り始める。
時折マキ公爵が「いや、イツキ君は本当に凄い」と、興奮したように言い、ヤマノ侯爵はマサキ公爵と子息や従者の様子を伝えた。
「イツキ君がどうして秘書官や指揮官に指示を出し、2人がそれに従ったのか不思議でしたが、それはイツキ君が医者としてその場に居たからだと納得しました」
「そうですな。今回のように多数のケガ人が居て、犯人が逃げた後なら、医者が指示を出すのが最良だと私も思いました」
ホン領主に続いてマキ公爵が、頷きながらそう付け加える。
3人の領主の話を聞いたバルファー王は、は~っと安堵の息を吐き、自分の席に戻り座った。どうやら大したケガではなかったようだと。
この時、報告をした3人の領主達は、イツキの左腕が血で染まっていたことは報告しなかった。
もしも報告をしてイツキ君を連れ戻す、又は治療のために病院に向かわせようとしても、彼は決して動かないだろうと確信していた。だから意図して報告を避けていたのだ。
ケガ人の治療をするイツキに、軍の上官も警備隊の上官も、どうかご自分のケガの治療をしてくださいと何度も懇願していたが、イツキはそれを受け入れることはなかったのだ。
その頃、現場に到着した軍の医官に向かって、イツキは細かい指示を与えていた。
医官はイツキの正体を知らず怪訝な顔をしたが、イツキの隣に怖い顔をして立っていたフィリップ秘書官補佐に気付くと、逆らわず直ぐ仕事に取り掛かった。
重傷者を荷馬車に乗せ病院に運ばせると、イツキは軽傷者の手当てを始めた。
「イツキ先生、そんな血濡れのシャツを着ていては患者が怖がります。シャツを脱いでください。後は軽傷者ばかりです。他の者を信じて任せてください」
イツキの教え子であり軍の中尉であるハモンドは、疲れた表情になっているイツキに気付き、フィリップ秘書官補佐にこれ以上は無理だと首を振って合図をした。
「イツキ先生、こんなケガをして何をしているんです?治療しますから腕を出してください。レクス、ハモンド、早く服を脱がせろ!」
救急箱のような治療道具一式を携えて、同じくイツキの教え子である軍医のベルガがやって来て、呆れたように言う。
本当は心配でならないレクスが、誰の言うことも聞かず手当てを続けるイツキに治療を受けさせるため、重傷者の応急手当が終ったベルガを引き摺って来たのだ。
ベルガはイツキのシャツに染み込んだ血の量や、かなり青い顔になっている様子から、一刻も早く治療しなければ危ないと一目で分かったが、あえて大騒ぎせずイツキを取り囲んだ。
「分かった分かった。治療を受けるよ。病院はいっぱいで大変だろうから、僕の屋敷に行こう。フィリップさん、そのことをヨム指揮官に伝えて手伝ってください。それから最後まで指揮出来ず申し訳ないと伝えてくださいね」
忙しそうに動き回っているヨム指揮官の方に視線を向けて、イツキはフィリップに明るい声で伝言を頼んだ。
フィリップは心配そうに何度も振り返るが、イツキがさっさと行けと右手を振るので、仕方なくヨム指揮官の元へと向かう。
「どっこいしょ」と言いながらイツキは立ち上がると、体がゆらりと揺れて、ハモンドの肩に倒れかかった。
「「「イツキ先生!!!」」」
「大丈夫だ騒ぐな……あの……通りの右側に……右側のパトモス衣装店の……裏に……や、屋敷がある……ベルガ、頼ん……」
イツキはそこまで言うと意識を失い崩れ落ちた。
レクスは急いでイツキを背負い、イツキの屋敷に向かって走る。ベルガはイツキが落ちないように後ろから支えながら走る。
ハモンドは迷ったが、フィリップにイツキが倒れたことを伝えに走った。
ハモンドもレクスも、自分はイツキ様を守るよう神に使命を与えられた者だと、前回のロームズ行きの道中でフィリップから聞いていたのだ。
◇ ◇ ◇
午後5時半、レガート城の会議室にエントン秘書官が戻ってきて、これまでに分かったことを、警備隊の副指揮官から纏めて報告させていた。
「マサキ公爵のご子息は、意識もあり命に別状はなく、安心されたしとのことです。残念ながら従者の方は亡くなりました。それから分かった範囲で犯人は3人、1人は御者で死亡し、1人は馬車に乗っていたマサキ領の元貴族で、逃げたギラ新教徒でした。重体ですが息はあります。首謀者とみられる男は事故直後、警備隊の制服を着て現場に駆け付けたようです」
「な、何だと!では警備隊の人間が襲撃したのか?」
キシ公爵は驚いたように声を上げ、信じられないという表情で副指揮官を見た。
「いや、どうやら首謀者は制服を奪って警備隊員に成り済ましていたようだ。現場でイツキ君と戦っている男を見た隊員達は、誰もその男を見たことがなかった。それに……天才と言われた剣の腕を持つイツキ君と互角に、いや、犯人はイツキ君よりも強かった。凄腕の殺し屋の可能性が高い」
「・・・・・」(領主の皆さん)
エントン秘書官の話に、領主達は言葉を失う。
凄腕の殺し屋・・・つい先程ギニ司令官から、ギラ新教の新しい動きを聞いて、まさか……と思っていたことが、本当に現実のこととなって起こってしまったのだ。
不気味な不安感が領主達を覆い、空気が重く感じ始める。
「成る程、こうやって不安を煽り、我々が恐怖に戦くとでも思っているのだろうな。そしてギラ新教がこの国を操れると、そう勘違いをしているのだろう」
バルファー王はクックックと笑いながら、ギニ司令官に視線を向ける。
「戦いというものは、弱気になった方が負ける。確かにギラ新教は莫大な資金を持ち、貴族や王族を洗脳し、大陸を戦乱と混乱に陥れている。が、しかし、ギラ新教の大師は2人だ。奴等は洗脳した王子を使って3度も戦争を仕掛けたが、結果はどうだ?1度も勝てていない」
ギニ司令官はそう言いながら新たな話を領主達にしていく。
それはギラ新教と戦っているカルート国の若き皇太子の話だった。
皇太子は1度目の戦争の時、腐った大臣や臣下達が、誰もロームズに手を差し伸べようとしなかった為、自らが疫病で封鎖されたロームズへ、レガート軍と共に食料や薬剤を持って赴いた。
2度目の戦争の時、皇太子はギラ新教徒の大臣に殺されかけた。しかし生き残り、戦後その大臣を排除し、国政を立て直している。今、皇太子を支えているのは、腐った上官や大臣に怒りを抱いていた若き貴族達である。
そして、皇太子とその新たな臣下を見守り支えているのは、ブルーノア教会であると。
「ブルーノア教会?」(マキ公爵)
「そうだ、我が国も同じだ。ロームズの危機を知らせてくれたのはブルーノア教会だ。薬草不足に気付き知らせてくれたのもブルーノア教会だ。俺はサイリス様と連絡を取り合い、ブルーノア教会が掴んでいるギラ新教の情報を共有している。幸運なことに我が国の大臣や上官は腐っていない。そんな我が国が隣国の若き皇太子に負けるわけにはいかないだろう?」
バルファー王は、含みのある表情でニヤリと笑いながら領主達に問う。
「勿論負けるわけにはいきませんが……薬草不足を調べたのはイツキ君では?治安部隊ではなかったのですか?」
ホン領主は昨日イツキから聞いた話と違うではないかと疑問に思い、バルファー王に尋ねた。
「ああ、イツキ君だよ。イツキ君は教会の養い子で、今でも教会の人間だから」
◇ ◇ ◇
時刻は午後6時、教え子の3人は初めて訪れたロームズ辺境伯邸の豪華さに驚きながらも、イツキの広い寝室に置かれた応接セットに座り、沈痛な面持ちでイツキが目覚めるのを待っていた。
フィリップはイツキのベッドの横に椅子を置き、心配そうにイツキの顔を見ながら手を握っている。
ロームズ辺境伯邸を警備していたラミル正教会のモーリスのハーベーは、騒ぎを聞き急いで馬車で戻ってきた従者のパルと一緒に、軍医のベルガが指示した薬草を受け取りに、ラミル正教会病院に行っていた。
「それでどうなんだベルガ?イツキ先生はまだ目覚めないが本当に大丈夫なのか?」
ハモンドは立ち上がり、イツキの顔を心配そうに覗き込んで親友に問う。
「ああ、出血量が思ったより多かった。でも、それは薬と静養で治るだろう。だが、どうやら過労が加わっているようで・・・秘書官補佐様、イツキ先生は何故こんなに疲れていたのですか?」
「昨日と今日は領主会議だった。イツキ君はその準備のため、ずっと寝ていなかったようだ。上級学校の教頭が1日2時間も寝ていないと言っていた」
フィリップは、イツキがケガをしたことも、寝る時間もなく働いていたことも、自分のせいだと落ち込んでいた。何故もっと気を付けなかったのだろうかと自分を責める。
レクスは思う。まだ14歳なんだよ……イツキ先生、もっと周りに頼ってくれよと。確かに全ての能力に於いて、自分達よりイツキ先生の方が優れている。いまだに何も勝てない。だけど、少しくらい役に立てるはずだと。
ロームズに行った時の無茶振りを思い出したレクスとハモンドは、は~っと深く息を吐く。
このままでは本当に命を縮めてしまう。なんとかしなくては……殺し屋の顔を見たイツキ先生は、必ず命を狙われるだろう。学校を出る時は、自分達が警護出来ないだろうかと考える。
そこにパルが薬草を持って帰ってきた。教会病院の看護師長も一緒である。
看護師長は、イツキの無茶振りに特大の溜め息を吐き、脈や顔色、左腕のケガの様子を診ながら、ベルガにケガの度合いを聴いた。そして必要な量の薬草を煎じる為にキッチンへと向かった。
心配したエントン秘書官が午後9時頃やって来たが、目覚めないイツキを心配しつつも帰っていった。
レクスとハモンドには、イツキが上級学校に戻れるまで、屋敷の警備をするよう指示を出し、軍医ベルガにも同じようにイツキの看病をするよう指示を出した。
当然フィリップは、イツキの側を離れようとはしない。
いつもお読みいただき、ありがとうございます。