イツキ、医学大学の準備をする(3)
昼食後イツキとパルはレガート城に向かった。歩いて行ける距離だったが全員から馬車で行けと言われ、イツキはしぶしぶキラキラの馬車に乗って城へ行く。
イツキが事務処理をしていた間、従者パルは管理人のドッターさんの指導で、馬車の御者の練習をしていた。王都ラミルを色々なコースで走り、速度や安全に気を付けながらレガート城周辺を念入りに練習した。
「パル大丈夫か?」
「はいイツキ様、レガート城は初めてで緊張しますが、先程ドッターさんと馬車停めまでは行きましたから大丈夫です」
ロームズ辺境伯を乗せた馬車は通用門をすんなりと通り、城に入る通用口付近でイツキは馬車を降りた。パルは馬車を馬車停めに置いて、憧れの警備隊本部に顔を出し、午後5時には馬車で待機しておくらしい。
通用口で王宮警備隊に身分確認を受けたが、名前を告げたら丁寧な礼が返ってきた。どうやら先日の正門での連行未遂を王に叱られたのだろう。
イツキは医学大学の職員募集の求人を出す為に人事部に向かう。その後は教育大臣と大学運営について、大筋で入学要項を取り纏める予定だ。
今日の段取りは、5日前に通信鳥のミムを自分の屋敷に飛ばし、事務長からお城へ連絡済みである。
出来る事務長のティーラは、自分を堂々とロームズ辺境伯屋敷の事務長だと名乗り、各部署へ乗り込……訪問して段取りを終えていた。事務長の女学院時代のネットワークは、レガート城内でも健在だった。
元々王妃様付きの侍女だったが、その頃からの人脈が生きていたのだ。現在の侍女長は、女学院時代の先輩らしかった。今回その伝で嫁ぎ遅れた女官や侍女の縁談を、仲介することになったらしい。
「やあ、いらしゃいイツキ君、どうぞこちらへ」
最初に訪れた人事部の部長であるラシード伯爵は、満面の笑顔でイツキを来客用の応接セットまで案内してくれた。
周りの人事部の職員さんの視線が「誰だこのガキ?」的にイツキに注がれるが、全く気にも留めずスタスタ歩いて、上座の席に座らされた。当然、ますます皆の視線が厳しくなってしまう。
「御無沙汰してますラシード伯爵。ご子息ケン君はお元気ですか?夏休みは勉強を教えられなくて申し訳ありませんでした」
ロームズに行っていた為、リバード王子と従兄弟のケン君に勉強が教えられなかったことを、イツキは他の者に聞こえないよう小声で謝罪した。
「いえいえ、イツキ君はロームズで大変だったのですから……それに、前期の期末試験で順位を20番も上げ、なんと2位だったのです。全てはイツキ君と学友の皆さんのお陰です。イツキ君の数学は凄く分かり易いとケンが言っていました。いや、本当にありがとうございます」
ラシード伯爵は嬉しそうに小声でイツキに報告し、もう1度頭を下げた。
イツキも報告を聞き嬉しくなり、にっこりと極上の笑顔を返した。怪訝な表情でイツキを窺うように見ていた職員達は、その笑顔に驚き思わず視線を逸らした。
『なんだあの笑顔は!これだけの視線に晒されて、何故笑える?』と驚き、逆にドキドキしたりする己に戸惑ってしまった。
「それでは早速ですが、大学の職員募集について記入はこれで宜しかったでしょうか?うちの事務長が先日貰った用紙に、全て記入はしたのですが」
イツキは書類ケースから2枚の用紙を取り出し、ラシード伯爵の前に置き訊ねる。
「う~ん、きっちり記入されていますね。部下に確認させますので少しお待ちください。おーい事務次長、ロームズ辺境伯様の求人票を確認してくれ!」
ラシード部長の次長を呼ぶ大きな声で、なんだこのガキと思っていた少年が、ロームズ辺境伯様だったと分かり「ええーっ!」と驚きの声があちこちで上がった。
イツキがロームズ辺境伯であることは、領主会議の後で正式に紹介される予定なので、殆どの者がその正体を知らなかったのだ。
数多の噂は飛び交っていたものの、まさかこんなに若い子供……少年だったなんて、信じられないのも仕方なかったと言える。
噂の殆どが、ハキ神国を完膚なきまでに叩き潰した英雄とか、治安部隊の天才軍師とか、ロームズを才知で奪還した切れ者とか、レガート軍ソウタ指揮官が認めた剣の天才とか、それはもう有ること無いこと色々な内容だった。
皆あんぐりと口を開け、現実を受け入れられないでいる。事務次長も同じように驚いたが、仕事なので顔には出さず噂のロームズ辺境伯様と対面するように座った。
「大変きっちりとご記入いただいております。この特別手当とは何でしょうか?」
「ああ、それは本国に帰郷する際の交通費です。何分ロームズは辺境にあり道中が長いので、ラミルに帰るだけでも馬車を使ったとしても1週間以上は掛かります。往復するだけでも大金が必要になりますから、その手当ですね」
イツキは淡々と説明するが、それを聞いていたラシード伯爵や事務次長、聞き耳を立てていた職員の皆さんの視線が、急に気の毒な人を見るような視線に変わる。そうだった、ロームズって大変な場所に在ったんだと、改めて実感し不憫な少年……いや若き領主に同情する。
「それでは大学職員の採用試験は11月10日で決定ですね。他の採用試験に比べて少し早いように思いますが、日程はこれで間違いないでしょうか?」
「はい事務次長、11月15・16は上級学校の武術大会ですし、11月の後半から医学大学の奨学生選抜入学試験が始まります。試験問題を作らねばならないので、どうしても早目になりました」
イツキは然り気無くスケジュール表の束?を取り出し、日程を確認しこれ以上遅く出来ないと言う。
びっしりと隙間なくかかれた医学大学のスケジュールを見たラシード伯爵と事務次長は、茫然としながらも11月に試験問題作成と書かれているのを確認する。
そしてイツキは医学大学のスケジュール表の他に、レガート国特産品販売スケジュール表と、ロームズ辺境伯領主スケジュール表と、治安部隊行動スケジュール表の3枚も持参していた。それをチラリと見てしまった2人は、もう何も言えなかった。
「それではよろしくお願いします」と頭こそ殆ど下げてはいないが、イツキは丁寧にお願いして人事部を出ていった。
「部長……何なんですかあれ?俺、ちらっと見えたんですが、治安部隊行動スケジュールの横に、上級学校のスケジュールが書いてありました。ほ、本当に学生なんですね……あのスケジュールを本当にこなせるんでしょうか?俺なら死にます……」
イツキが去った途端、事務次長が信じられないという顔をして質問する。
「俺だって死ぬわ!でも、入学試験問題まで作成するなんて……」
「部長、さすがにそれは無いでしょう?だって医学大学の入学試験問題ですよ?」
「お前知らなかったのか?ロームズ辺境伯は、医師資格と薬剤師資格を持っている天才だぞ。それも、ブルーノア本教会発行の免許だ」
「「「エエェーッ!!!」」」
人事部全員の叫び声が、廊下まで響き渡った。皆、常識外の若き領主に驚くことしか出来ない。そして死にそうな程の仕事量をこなしているらしいイツキが去ったドアに向かって、今更だがご苦労様ですと頭を下げた。
「いかん。これは極秘事項だった。皆、今の話は他言禁止だ!人事部だけの秘密とする。分かったな?」
「はい部長!承知しました」
◇ ◇ ◇
次にイツキが訪れたのは教育部だった。
「いらっしゃいイツキ君」
「御無沙汰してます教育大臣。ようやく要項が出来上がりました。これはあくまでも草案ですので、ダメな箇所はどんどん訂正してください」
イツキとは学校が始まる前に1度会っている教育大臣は、イツキに握手を求めながら笑顔で対応してくれる。
教育部の職員の皆さんは、チラチラと視線をイツキに向けるが、その視線はどこか好意的な感じだ。座って3分もしない内にお茶が出てきた。
「凄いなぁ、想像していた入学要項よりも枚数が多いですね」
「はい教育大臣、ラミル上級学校の入学要項を参考にしました。学生寮は間に合わないので、その分の枚数は少ないです。表紙の校訓だけは、これでお願いします」
「命を尊ぶ心・真実を見極める目・全力で戦う精神……う~んイツキ君らしいですな」
大臣はそう言いながら、イツキの作った要項を確認するようにパラパラと用紙を捲る。そして待ち構えていた部下に要項を渡した。
要項を受け取った部下は、表紙以外の用紙25枚を、切りの良いページ内容に合わせて、5人の部下に配っていく。そして一斉にチェックをする為に読み始めた。
「先日王様に提出された草案を拝見しましたが、本当によく考えられていて感心しました。奨学制度は勿論ですが奨学金制度には驚きました。これまでの我が国には無かった制度です。確かにレガート国立病院で働かせれば、給料から確実に回収できますし、医師も確実に確保出来ます。いやーあれを見たうちの職員全員が、教育熱心な領主で良かったと喜んでいましたよ」
大臣の話に合わせるように、職員の皆さんがウンウンと頷いてる。全員が教育に情熱を注いでいる人達のようで、イツキは嬉しくなり極上の笑顔で微笑んだ。
その笑顔を見た数人の職員は、すっかりイツキの笑顔にヤられてしまった。教育部には珍しく女性の文官が数名居たし、イツキの笑顔はおじさんや、お兄さん達にも癒しを与えたようだった。
それから10分、イツキは入学試験会場について大臣と話し合った。
会場はイツキの負担を考えて、ラミル上級学校に協力して貰うよう、大臣が直接校長と交渉する旨約束してくれた。合格発表は試験の翌日の午後、レガート城の外堀内に張り出されると決まった。遠くからやって来る者のことを考えて、翌日としたのだった。
「大臣お願いがあります。是非試験の採点を私達に協力させてください」
「ロームズ辺境伯様は面接もなさるので、採点くらいは手伝わせてください。お願いします大臣、お願いしますロームズ辺境伯様」
そう言いながら、先程の要項をチェックし終えた男性2名、女性3名がずらりとイツキの前に並んでお願いする。
「それで、要項はどうだったんだ?」
「はい大臣。思っていた以上に完璧です。私達が作成していた要項の上の上をいってました。1つだけ言わせていただければ、入学式の予定が記入されていなかったので、決定次第お知らせください。カリキュラムや単位については、入学時の要項に記入してあれば充分だと思います」
女性の歳を言うのも失礼だが、30代前半くらいの女性職員の方が、にっこり笑顔で要項を大臣に手渡しながら、イツキに向かって軽く礼をとった。
「それでは要項は教育部で作成して頂けるのですか?それに採点までお願いしても良いのでしょうか?」
イツキは少し驚いたように5人を見て、嬉しそうに再び満面の笑顔になった。
「「勿論です!どうか手伝わせてください!!」」
5人は上手くハモりながら、イツキの笑顔にすっかり心を奪われていた。
入学試験までに何度かまたお邪魔しますと告げて、イツキは大臣や皆に礼を言って教育部の部屋をあとにした。
「あ~っ、ロームズ辺境伯様、何処までも付いていきます。なんて可愛い、いえ、カッコいいのかしら」
「女性にも医師の門戸を開き、薬学部も成績優先なんて、素晴らしいわ!」
「ええ、何がなんでも入試を成功させましょう!私、医学大学で働こうかしら?」
3人の女性達は、ランドル大陸で初めて女医が誕生することを心から歓迎していた。まだまだ女性の教育に関しては、男性より遅れていたのである。だから、イツキが先日提出した草案を目にした時、涙を流して喜んだのだった。
「俺は是非、奨学制度と奨学金制度の担当をしたいです。上級学校で優秀だったけど、お金がなくてイントラ高学院に進学できなかった友の分まで、応援したいんです」
自分だって上級学校卒業時にレガート国立医学大学があれば、そしてロームズ辺境伯様が考えられた制度があれば、是非医者に成ってみたかったと残念に思いながらも、後進の為に道を開く手伝いがしたいと、心から願う優しき先輩が大臣に願い出た。
教育部の職員は、大臣が初めてイツキに会った時の話を何度も聞いていた。医師資格に薬剤師資格を持ち、賠償金を敵国から取り、予算書も完璧、そして何より、上級学校の春大会の筆記試験で満点を叩き出した天才……しかもまだ学生……どんな領主様なのだろうかと会うのを楽しみにしていたのだった。
いつもお読みいただき、ありがとうございます。




