侍女長、涙の誓い(1)
イツキがロームズ領に旅立った2日後、王宮の侍女長45歳と事務長のティーラ43歳は、エントン秘書官の家に向かっていた。
エントン秘書官の屋敷に送り込んでいた女性から、相談に乗って欲しいと頼まれたからだった。
その女性の名はサエリナなといい、ちょっと濃い目のグレーの髪を無造作に後ろで束ね、薄いグレーの瞳はどこか勝気そうではあるが、笑うとえくぼが可愛くて、実年齢の28歳よりも若く見える。王都ラミルの伯爵家の令嬢で、王宮の商業部で事務官として働いていた才女である。
イツキとリンダ(元エントン秘書官の家の管理人)が、独身のエントンを結婚させようと手を組み、侍女長とティーラが人選して送り込んでいた女性である。
王宮で働き始めた時から10年、ずっと一途に秘書官だけを想い、数多のお見合いを断り、結婚を逃していた残念な女性の一人だった。
お見合い相手だと気付かれないよう、リンダの代わりに食事を作ったり掃除を担当し、然り気無くエントン秘書官の身の回りの世話をしてもらっていた。
決してエントン秘書官を好きだと悟られないよう細心の注意を払い、侍女のような立ち位置を崩さないで頑張っていたはずなのだが、これ以上はもう無理だと書いた手紙が、リンダに届いたのは昨日のことだった。
何があったのかを聴くため、エントン秘書官が留守にしている昼間を狙って、リンダが2人を招いたのである。
「それで、何があったのサエリナさん?最近は名前で呼んで貰えるようになり、いい雰囲気で一緒にお茶を飲むことも増えたと言っていたのに」
エントン秘書官屋敷のダイニングテーブルに座って、ティーラは泣いているサエリナに問い掛ける。
「そ、それが、5日前の夜、エントン様が……すまない、私には幸せになる資格がないと……お、仰って……うぅ……先日の結婚の話は、な、なかったことに、あぅっ……なかったことにして欲しいって・・・うぅっ」
我慢できずに泣き出したサエリナによると、5日前の夜、とても暗い顔をして帰ってきた秘書官は、疲れ切った表情で、突然結婚の話を白紙に戻して欲しいと言い出したらしい。
「それでは、結婚して欲しいとプロポーズされていたのですね?」
「ううっ……はい、そうです侍女長様。10日前でした」
「それなのに何故・・・?」
「ああ……5日前……うちの主がラミルを去ると断言された日ですね」
「まあ!イツキ様はエントン様にラミルを去ると言われたのですか?もしかして王様にも?」
驚いた顔をしてティーラに質問したのはリンダである。
「ええ、暫く本来の……ロームズでの仕事が忙しくなるのでと・・・」
ティーラの含みのある言い方に、夏休みだけロームズに帰ったのだと思っていたリンダは、とうとうイツキが本格的にリースの使命を果たすために動き出したのだと理解した。そして、ここに居る他の者は知らない、イツキとエントンとバルファー王との関係から察して、イツキがエントンに別れに近い言葉を言ったのではないかと思った。
「なるほど、そういうことでしたら私に任せてください。
誰よりもエントン様の結婚と幸せを望んでいらしたイツキ様のためにも、このリンダが、絶対にサエリナさんとの結婚を纏めてみせます。
サエリナさん、イツキ様は、秋に行われるファッションショーのウエディングドレスを、貴女のために作らせると仰っていました。
キシ公爵様に続き、ファッションショーのラストで、必ずエントン様に跪いてプロポーズさせましょう。
ここで逃げたら、二度とイツキ様はレガート国に戻ってこないと脅しましょう。フフフ……カシア様のためにも私はやります!
そうなのですね。ちゃんとプロポーズしていたのですね。ホホホ」
いつもは優しく控え目なリンダが、別人のように黒く微笑みながら、問題ないと自分の胸をたたいて自信たっぷりに言い切った。
ティーラも侍女長もサエリナも、どうしてそこまで自信が持てるのかは分からなかったが、長年秘書官の屋敷で仕えてきたリンダが言うのだから、任せるのがベストだと考えることにした。
サエリナには、酷いことを言った秘書官を懲らしめるために、1週間ほど休んでゆっくりするようにアドバイスし、その間は自分がエントンの世話をするからと言って帰らせた。
「それにしても、どうしてイツキ様は、秘書官のためにそこまでなさるのでしょう?それに、どうしてイツキ様がラミルを去ることで、秘書官はご自分の結婚を取り止めようとなさったのでしょう?」
先程からのティーラとリンダのやり取りを聞いていた侍女長は、首を捻りながら2人に視線を向けて質問した。
「私もずっと疑問に思っていたことがあります。秘書官様は昔からイツキ様とお付き合いがあったようですが、イツキ様が倒れられたりした時は、まるで親のように心配され駆け付けられますよね」
事務長のティーラも、常々疑問に思っていたことを口にした。
「イツキ様とエントン様が始めてお会いになったのは、イツキ様が軍学校で働くため、ラミルに試験を受けに来られた9歳の時でした。
偶然にも、親友であるエルビス様とヤンくんと出会ったのも同じ日でした。
その後イツキ様は無事に合格され、軍学校で研究者として働き始められました。
その頃からずっと、エントン様と私は、イツキ様を見守りながら、ある夢を……あり得ないはずの夢を、イツキ様に重ねて見ていたのです」
「リ、リンダさん・・・それって、それってまさか……でも、何故そう思われたのですか?」
リンダの話を聞いた侍女長メリディアは、急に立ち上がって半分泣きそうな顔をした。
16年前侍女長は、イツキの母親であるカシアを守るように、当時王妃だったバルファー王の母から命令を受けていた。
王妃付きの侍女だったメリディアは、バルファー皇太子の婚約者カシアを守るため、カイ領の【教会の離れ】にカシアを避難させ、ずっと見守っていたが、バルファーが城を奪還するためラミルに戻ってから、ラミルでバルファーを手伝っていた。
その間にカシアは、予定日より早くイツキを産み、そして何者かに殺されてしまった。
カシアの兄であるエントンも、バルファー王も、侍女だったメリディアも、その事実が受け入れられず、ずっと長い間、産まれた子どもは生きているのではと探し続けていた。
そして侍女長とエントンは、カシアの死の真相を探ろうと、現王妃カスミラの動向を探っていた。
バルファー王とエントン秘書官が、イツキはカシアの子であると知った後も、エントンは侍女長に真実を告げていなかった。
ずっと自分のせいで……と苦しんできた侍女長に真実を伝えなかったのは、エントン秘書官の欲からだった。エントンは、後宮と王妃カスミラの動向を知るため、侍女長を利用していたのだ。
ある意味それは、策士エントンらしいと言えばそうなのだが、リンダはずっと申し訳ないと思っていた。
だからリンダは、侍女長が母カシアを守っていたこと、今も自分を責めながら、犯人を探すため結婚もしないまま、エントンの命を受け王宮で侍女長をしていることを、イツキに打ち明けてしまった。
その話を聞いたイツキは、静かに怒りながら、真実を伝えるようリンダにお願いし、侍女長宛の手紙を書いて、リンダに預けてからロームズに帰っていた。
「侍女長、ティーラさん、部屋を変わりましょう。今日のお二人はお客様ですから、どうぞ客間でお待ちください。新しいお茶をお持ちします」
そう言ってリンダは、カシアの肖像画が飾ってある客間へと二人を案内し、自分はお茶の準備をするためキッチンへと戻った。
客間に通された侍女長は、壁にカシアの肖像画が掛けてあるのを見つけて、すっかりカシアの顔を忘れていた自分に気付き、申し訳なさに胸が押し潰されそうになる。
絨毯の上に崩れるように座り込むと「ごめんなさいカシアさん」と何度も謝りながら、守れなかった自分を責め、大粒の涙を零しながら泣き始めた。
いったいどうしたのだろうかと駆け寄ったティーラは、侍女長が泣き崩れている場所の真ん前にあった肖像画を見て息を呑んだ。
その肖像画の女性は、長い黒髪の上部だけを濃い緑のリボンで後ろに結い、瞳は濃いグレーで大きく、とても整った顔で美しかった。ドレスは若草色で胸元に白いレースをあしらい、全体的な印象は、聡明そうで明るい感じだった。
この方はどなたかしら?どうして、どうしてこれ程、イツキ様に似ているのかしら? と疑問に思いながら、ティーラは侍女長に話し掛けた。
「大丈夫ですか侍女長?この絵の女性は、いったい誰なのですか?」
「ううっ、ティ、ティーラさん、私は、私は・・・」
知り合った頃そのままのカシアの笑顔を16年振りに見て、侍女長は言葉が続けられない。
「ティーラさん、その方はカシア様です。エントン様の妹で、バルファー王の婚約者でした。15年前にバルファー王が王座を奪還された時に、何者かに暗殺されたんです」
リンダはお茶のセットをワゴンに載せて、ゴロゴロと運びながら客間に入って来て、驚いた顔のティーラに説明する。
「侍女長、私は今日、貴女に謝らねばならないことがあります。どうぞ泣くのを止めてお座りください。ティーラさんもお座りください」
リンダは覚悟を決め、大切なイツキからの伝言を伝えるため、カップをテーブルにセットし、イツキの好きなハーブティーを注いでいく。
「確かティーラさんも、バルファー王の母君、先代の王妃様にお仕えされていたんですよね?」
「ええリンダさん。でも私は結婚するため20歳で王宮を辞めたので、侍女長と一緒に働いていたのは3年間くらいです」
「そうですか。クーデターの時は既に侍女の仕事を辞められていたのですね。
侍女長は、王妃様のご命令で、婚約者だったカシア様をずっと守ってくださっていたんです。
カシア様は、バルファー王のお子様を身籠られていました。そして予定日よりも早い1084年1月11日、男の子をお産みになりました。
しかし、何者かがカシア様と王子の命を狙い、カシア様は逃げる途中……背中を矢で射られ、生まれたばかりの王子を守るため……か、川に飛び込み、王子を残して亡くなったのです」
零れる涙をハンカチで拭きながら、リンダは真実を語っていく。その真実の話は、カシアを助けたサイリスのハビテから直接聞いたものだった。ハビテはリンダに、イツキの命を守るため、秘書官にも国王にも真実を語ることを禁じていた。
「えっ? リンダさん、王子さまは、王子さまは生きていらしたのですか?」
「はいそうです侍女長。神のお導きでファリス様に助けられました」
「そ、それで、リンダさんは、秘書官様や王様は、王子さまと、もうお会いになられたのですか?」
「はい、それはそれは、カシア様にそっくりで……」
ガターンと椅子を倒して立ち上がったティーラは、後ろを振り返りカシアの肖像画をもう一度見て、全てを理解しリンダを見た。
主イツキ様の誕生日は1月11日である。もう間違いないと確信したが、右手で自分の口を塞ぎ、叫びたい衝動を懸命にこらえた。
「どうしたのティーラ?・・・えっ!・・・ええっ! まさか……本当に?」
ティーラの驚いた顔を見た侍女長は、ティーラの視線の先のカシアの肖像画をゆっくりと見て、同じように立ち上がった。震える手をテーブルにつきながら。
「イツキ様は、ご自分を王子だとは認めておられません。決して王族に入ることも、皇太子になることも望んではおられません」
「でも、でも、ずっと探していた王子さまなのですよね?どうしてですか?既に2人も王子が居るからですか? 王様や秘書官様は、どうして・・・何故領主に任命されたのですか? どうして秘書官様は、私に教えてくださらなかったのですか?」
侍女長は、絞り出すように納得できない感情を言葉にする。体の力が抜けストンと椅子に座ると、我慢できずテーブルに伏せて泣き出してしまった。
あれだけ聡明で素晴らしい人格の王子様を、何故皇太子として迎えないのか、何故自分には知らされなかったのか……納得できないことばかりだ。
だが数分後、いやそうじゃない!王子さまは生きていた!生きていてくださったのだと思い直し、侍女長は涙を拭いて姿勢を正した。
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