ロームズの春(1)
新章スタートしました。
12日、イツキは従者のパルと一緒に、モンタンに乗ってロームズに帰ってきた。
昨日の昼に目覚めたイツキは、眠っていた間の報告をサイリスのハビテ、事務長のティーラとパルから受けて、翌日にロームズに戻る決定をした。
目覚めたイツキの体調は良好で、倒れた理由はイツキにもよく分からなかった。
結局イツキは、国王にも秘書官にもギニ司令官にも会わないまま、ちゃっかりと閉鎖されている上級学校のグラウンドの使用許可を取り、モンタンを呼び出し早朝に飛び立ったのである。
「イツキ様、お帰りなさいませ」
家令のオールズが、屋敷で働く者たちと一列に並んで門の前で挨拶をする。侍女長であるソルや事務官たちが、ピシッと揃って「お帰りなさいませご主人様」と言いながら、主に対して礼をとる。
「ただいまオールズ、皆も元気そうで何よりだ」
イツキは領主らしい雰囲気で言葉を掛けると、皆にいつもの笑顔を見せた。
どうやら教授たちや学生たちは、まだ大学から帰ってきていないようで、イツキは自分の執務室でオールズからゆっくりと留守中の報告を受けた。
「それでは、農業ギルドはなんとか機能していると考えていいのかな?」
「はいご主人様。近隣の村長が率先して農家を説得してくれました。どうやら、ハキ神国との戦争から守ってくれたのが、聖獣モンタンであったと知られたことが功を奏したようです」
モンタンの人気が、そのままイツキ様の人気に直結していますと付け加えながら、冬の備蓄がどれだけできるかが問題だと、次なる課題をオールズが提起する。
大まかな報告受けたイツキは、最近のカルート国の様子について質問を変えた。
「定期的にフィリップ様から報告が届いていますので、そちらを御覧になった方がよろしいでしょう。ロームズで得られる情報では、文官や軍、警備隊で働く者の給金が引き下げられたとか、無能な役人が免職されたとか、一般住民の生活が大きく変化するようなものはありません」
できる家令のオールズは、イツキの質問に合わせた資料を次々と執務机の上に置いていき、どんどんと書類が積み上げられていく。
イツキはちょっと嫌そうな表情をしながら、今晩中に確認しておくと伝えてオールズを下がらせた。
「パル、これから全ての書類に目を通すので、僕がチェックした部分だけ、滞在中に調べて補足してくれ」
「かしこまりました。ただし、お出掛けになる時は、必ず御供しますので勝手に出掛けないでください」
いつも勝手に動こうとするイツキに、パルはにっこりと微笑みながら、しっかり釘を刺しておくことを忘れない。
「う、う~ん、仕方ない……心配なら僕の執務室で仕事をすればいいよ」
渋々了承しながら、パルにはたくさん課題を与えておこうと思うイツキだった。
13日夜、疲れ果て少し痩せたフィリップがロームズに帰ってきた。
既にイツキは寝るためにベッドに入っており、鉱石ランプの灯も落とされていた。
フィリップは音をたてないようそっとイツキの寝室のドアを開けると、半身である主の姿をちらりと確認し、ほっと息を吐きドアを閉める。
屋敷の灯りの殆どが落とされた深夜、イツキはベッドから起き上がると、足音をたてないよう歩きながら自室のドアを開け、廊下を挟んだ向かいのフィリップの部屋のドアノブに手をかけた。
あれだけ用心深いフィリップが、自分の部屋に侵入する者に気付かないとは、余程疲れているのだろう。
イツキはフィリップのベッドの側にひざまずくと、声を出さずに神に感謝の祈りを捧げながら、癒しの能力【金色のオーラ】を放っていく。
【金色のオーラ】はフィリップの体を包み込むように、優しく広がっていく。
暫くフィリップの寝顔を眺めていたイツキは、フッと嬉しそうに微笑むと「おやすみ」と小さな声で囁いた。
翌朝目覚めたフィリップは、自分の体が信じられないくらいに軽く、カーテンを開けた窓の外の景色がくっきりと見えることから、悩まされていた目の疲れによるかすみが解消されたことに気付き驚いた。
あれほど帰りたいと思っていた第2の故郷とも呼べるロームズの町が、角部屋であるフィリップの部屋からはよく見える。
登り始めた朝日に照らされて、西側にあるランドル山脈の高い部分が、徐々に明るくなっていく。
こんな風に朝焼けの景色を美しいと思ったのは何時ぶりだろうかと考えながら、帰ってきたのだと実感する。
カルート城に到着してからというもの、ぐっすりと熟睡できたことなどなかった。
何度か刺客に襲われたし、布団の中に毒蛇が入れられていたこともあった。
眠るために神経を使いたくはなかったが、生きて与えられた任務を果たす為、寝室に侵入者を知らせる確認装置やいくつかの罠を仕掛けることが、いつの間にか通常となっていた。
ロームズに帰ったことで、安心して眠れたのだろうかと首を捻りながら、いつもの癖で設置した確認装置に目を遣ると、フィリップは眉を寄せてドアに近付いていく。
ドアの上部とドアの縁の間に糊で貼り付けておいた糸が無かった。
視線を床に落とすと、そこには僅か5センチ程の白い糸が落ちていた。
「何時の間に・・・」と呟いて、侵入者であると思われる主を思い浮かべ、ドアの方を向いてひざまずくと「ありがとうございますイツキ様」と頭を下げた。
ロームズ屋敷の朝は忙しい。
医学大学に出掛ける教授やイツキの側近でもある講師のベルガや、学生たちが先を争うように朝食を食べる。
次に食堂にやって来るのは中級学校に通うハルトと、町で働くハモンドと車椅子に乗ったソウタ、屋敷で働くオールズや事務官たちである。
いつもの住人たちとは、既にあれこれと語り合っていたイツキは、朝の祈りを捧げるため、久し振りにロームズ正教会へと向かっていた。
イツキが留守をしていた間に、ロームズ正教会の隣に宿舎が完成していた。
「おはようございます領主様」
ファリスのシーバス53歳が、モーリスのエクト32歳と一般神父のレンド22歳と一緒に、領主の馬車から降りてきたイツキに挨拶をする。
これが本教会であればひざまずくところであるが、ロームズではリース様ではなく、領主様としての対応をとるようにと決められていた。
「おはようございますシーバス様、皆さん。朝の祈りに参加しても宜しいでしょうか?」
「もちろんでございます領主様。本日は住民の祈りを、午前9時以降からと決めて知らせておりますので、この時間であれば誰も礼拝堂に来る者はおりません」
リースであるイツキを眩しそうに見上げながら、ファリスのシーバスはひざまずいたまま嬉しそうに答える。
久し振りのロームズ正教会の礼拝堂の空気を胸いっぱいに吸い込んだイツキは、ふと3年前のことを思い出した。
ハキ神国の投石機の攻撃により、ロームズ教会の多くは破壊され、礼拝堂にも大きな穴が幾つか開いていた。
「いつの間にか3年……3年連続で戦地になってしまったが、この新しい礼拝堂だけは、何があっても守り抜かねばなりません。今年も、そしてこれからもロームズが平和であり続けられるよう、神に、ブルーノア様に祈りましょう」
イツキは3人の神父とパルにそう言いながら、決意を新たにしながら礼拝堂の中央の通路を祭壇へと歩いていく。
東の窓から朝日が差し込み、イツキが通る場所から、礼拝堂内の空気が清み渡っていく。キラキラと光の粒が飛び始め、感動のあまり一般神父のレンドはその場で動けなくなった。
パルはポカンと口を開け光の乱舞を眺めていたが、イツキが祭壇に到着したのを見て、慌てて近くの椅子に座った。
モーリスのエクトは震える手で蝋燭に火を付けると、祭壇の後でひざまずいた。
ファリスのシーバスは聖杯に水を注ぎ、イツキに向かって深く頭を下げて、エクトの隣でひざまずいた。
それでは、神に捧げる祈りを捧げましょうとイツキは言って、両手で聖杯を額の高さまで持ち上る。ブルーノア語で何やら呟いた後、聖杯を戻すと呼吸を整える。
すぅっと大きく息を吸い込むと、高く透き通る声で祈り始めた。
従者であるパルは、イツキがリース様であると知っているが、きちんとイツキの祈りを聞くのは、マサキ公爵家の長男タスクの従者ノランの葬儀以来であった。
あの時は、高熱で倒れそうな主を心配して、きちんと祈りの言葉を聞く余裕が全くなかった。
いつの間にか流れ始めた涙に戸惑いながらも、尊いリース様の従者として、お側にいられる幸せを噛み締めながら、心から神様に感謝し胸の前で自然と手を組んだ。
イツキは祈りを捧げ終えると、新しく完成した宿舎や【教会の離れ】を見学した。
本来であれば【教会の離れ】は、教会から少し離れた場所に建てられるのだが、ロームズの町は小さい上に建設ラッシュで資材も足りなかったので、特例として宿舎の2階の半分を【教会の離れ】としていた。
自分の母親であるカシアも、出産前後はカイ正教会の【教会の離れ】で生活をしていた。エルビス(エンター先輩)の母親サクラも、ハキ神国の本教会の近くにある【教会の離れ】で生活しながら、エルビスの妹メルダを産んだ。
正教会の【教会の離れ】が果たす役割は、これからも変わらず大きいと思われる。
屋敷に戻ったイツキは、従者のパルに薬草園の様子を見に行かせ、フィリップからの報告を受けることにした。
フィリップが嬉しそうにイツキの好きなハーブティーを淹れると、爽やかな香りが部屋中に広がっていく。
「お帰りフィリップ。さあ、報告を聞こう」
イツキはハーブティーを一口飲むと、いつもの味が嬉しくて、つい口元を綻ばせながらフィリップに指示を出す。
「昨夜はありがとうございました。それではカルート国の改革を、時系列でご報告いたします。先ず始めに、必要のない人材を一掃いたしました」
フィリップはイツキの執務机の前に立ち、右手に書類の束を持って報告を始めた。
時間にして10分が経過した頃、クスクスとイツキが笑いだした。
「フィリップ、座って報告を頼む。それに、手に持った書類は必要ないだろう。全く書面も見ずに報告するなら、テーブルの上に置いておけばいいと思うが……はぁ、仕方ない、僕が向かいに座ることにしよう」
きっと自分の正面で顔を見ながら報告したいのだろうと気付いたイツキは、カップを手に持って応接セットに移動する。
フィリップは「えっ?そのままで結構です」と慌てるが、結局恥ずかしそうにイツキの向かいに座り、書類を置いて報告を続けることにした。
「成る程、さすがフィリップ。この短期間でよくそこまで改革できたものだ。それで、レガート国から向かった一団は、きちんと稼働しているかな?」
レガート国からの一団が到着するまでの様子を聞いたイツキは、フィリップにお茶のお代わりを淹れてもらい、新しい応援が入った後の説明を求めた。
「そうですね・・・カワノ領主が少し足を引っ張っていましたが、優秀なメンバーに仕事をバシバシ押し付けられ、涙目で働き始めた時は、溜飲が下がりました。アルダスからの定期便に、カワノ領主のイツキ様に対する不遜な態度が記されておりましたので、私からも少し仕事を差し上げておきました」
「それはそれは……カワノ領主も災難でしたね。きっと帰国後には、前に出始めていたお腹が、少しは引っ込んでいることでしょう」
イツキはフフフと笑いながら、少しカワノ領主に同情した。目に前の男が少し……と言うからには、机の上にはうづたかく書類が置かれていたことだろう。
2人の楽しそうな笑い声は、昼食時間まで続くのであった。
フィリップは眩しそうに主の笑顔を見ながら、主の話し方が大きく変わったことに気付いた。
これ迄はどちらかというと、他者に対して敬語を使うことが多かったのだが、口調がすっかりと領主らしく、人を従える者の話し方になっていた。
いつもお読みいただきありがとうございます。
物語後半に突入した疾風の時も、終わりが近付いてきました。
ラストまでのストーリーを組み替えたりしていたら、更新が遅くなってしまいました。
これからも、イツキの応援をよろしくお願いいたします。




