新年の祈り
午後7時、ロームズ辺境伯屋敷に住んでいる家令のオールズやグライス、カイ領主の子息クスコと従者が、仕事を終え馬車で教会にやって来た。
屋敷で働くメイドさんや手伝いの者達は、午前中で仕事を終え2日の午前中まで休みに入った。
食事の世話をする者が居ないため、屋敷に住んでいる者は、交替で教会が振る舞うスープとパンを食べにやって来る。
教会の集会所では、領主様が作られたスープを有り難く食べている領民や、ロームズ辺境伯屋敷の警備隊の者達が、領主様を囲み楽しそうに賑わっていた。
家令のオールズとグライスは、家も持っていないが一応準男爵なので、領民が緊張するからとファリス様の執務室でスープとパンを食べていた。
執務室の中には、ファリスのシーバス様と医学大学の学長であるハキルや教授4人も居た。やはりこの5人も、領民が緊張するからと言われ、執務室に待機?させられていた。
ちなみにカイ領主の子息であるクスコとその従者は、応接室でスープとパンを食べている。
「領民達は私のことを貴族様という目で見ているので、緊張し畏まるのに、領主様だと普通に笑顔で接する……おかしいだろう!」
スープを半分食べたところで、執務室に隔離されたグライスは、領民達の態度に納得できないと文句を言う。
「そうなんですよグライスさん。私のことは家令様と呼びながら礼をとり深く頭を下げるのに、主には領主様~と気軽に手を振るんですよ。は~っ……知らない人が見たら、主より私の方が偉い人みたいなんです。主にはもう少し威厳ある態度とか、領主らしい振る舞いをして頂かねばなりません」
苦労人のオールズは、美味しいスープを堪能しながらも、グライスの愚痴に同意する。
「まあそれは……あの笑顔のせいでしょう。イツキ様のあの笑顔には、誰だって癒されるのです。どんな高価な薬より領民達を元気にさせてしまうのですから」
ハハハと笑いながら、ハキル学長は自分達と領主の違いを客観的に分析する。
「それと年齢もあるでしょうね。領民達にとったら、成人する前から領主様を知っているので、まるで自分達の子供のような孫のような兄弟のような感じなんでしょう。強くて強大な権力者というより、自分達が御守りしなくては……という思いを抱いているのでしょう」
ファリスのシーバスは、微笑みながら嬉しそうに言う。イツキ様が尊い神父様だと知っている領民達の気持ちは、シーバスにはよく理解できた。
領民達にとってイツキ様は、偉い貴族様ではなく、自分達を導いてくださる尊い神父様なのだ。1度そう思ったら平伏したい衝動にかられるが、イツキ様はそれを望まれないと分かっているので、改まった礼や挨拶より、イツキ様が喜ばれる接し方を心掛けて実践しているのである。
ロームズ領の領民である前に、彼らは敬虔なブルーノア教の信者だったのだ。
午後9時、本日2度目の感謝祭の祈りを捧げられたシーバス様は、午前3時の祈りまで休憩される。その間はモーリスのエクトさんが礼拝堂の番をする。
エクトはダルーン王国の出身で年齢は32歳。短い茶髪はクルクルとウエーブのかかった癖毛で、薄茶色の瞳は笑うと少しタレ目になる。雰囲気はとても温和そうだが、ガッシリ体型の武闘派である。
エクトは太股に【灰色で長方形の印】を持っており、武術の天才と称されるシーリスのマーサ様の弟子だった。教会警備の責任者として、マーサ様がイツキを守るためロームズに送り込んできたのだ。
午前零時が近付くと、領民達の姿は見えなくなり、教会に残っているのはフィリップ、ソウタ指揮官、ドグ、ガルロの4人と、ハキル学長率いる4人の教授、家令のオールズとグライスと警備隊のエイコム、屋敷の警備隊長のコウヤ、そしてカイ領主の長男であるクスコとその従者だけになった。
皆は、イツキが午前零時の祈りを捧げると聞き、一緒に祈ることにしたのだった。
「イツキ様、準備は出来ております」と、モーリスのエクトは神妙な面持ちでイツキに頭を下げた。
エクトはイツキがリース様だと知っている。だから畏れ多くて緊張していた。
本来ならイツキの後ろでひざまずいておかねばならないが、イツキの指示で一般神父のレンド22歳と共に、礼拝堂の一番後ろで皆に気付かれないようひざまずく。
「午前零時、1月1日になりました。これより、ブルーノア様とランドル大帝に感謝の気持ちを込めて、神に捧げる祈りと感謝の祈りを捧げます」
イツキは聖杯に水を注ぎ1度頭上まで持ち上げると、ブルーノア語で何か囁いてから演台の上に戻した。
いつものようにイツキの透き通る声が礼拝堂の中に響いていく。
初めてイツキの祈りを聞く者は、誰でもその美しく清んだ声に驚く。
そして心洗われ暖かい気持ちになり、無意識のうちに涙を流し始める。
『な、なんだこの祈りは・・・』と、教授やクスコ達は感動しながらも、溢れる涙に動揺する。
イツキの祈りを聞いたことある者も、やはり感動し涙を流す。
特にソウタ指揮官は、全く温度を感じなかった足が、暖かくなっていくのを感じて驚いた。そして感謝の祈りに変わった頃に、右足の親指が突然ピクリと動いた気がした。
ソウタはイツキの祈りに涙を流しながら、今度は自分の意思で親指を動かしてみる。おそるおそる……動け!と祈りを込めて。
イツキの祈りが終わっても、暫く誰も席を立たなかった。
別に何か特別な奇跡が起こった訳でもない……ただ、感動の余韻に浸っていたのだ。
何かと忙しいメンバーばかりである。疲れもそうとう溜まっていたのだが、間違いなく体は軽くなっていた。
イツキの祈りを聞き涙を流すだけで、余程の重病人でもない限り疲れは取れる。
イツキは【金色のオーラ】を使った訳ではない。単にイツキのリースとしての能力が、強くなってきているのだが、本人は気付いていなかった。
今夜はフィリップ達4人も、ロームズ辺境伯屋敷に泊まることになっている。
カイ領主の子息であるクスコには、真実を伝え協力して貰う必要があったし、感謝祭の日は家族と過ごすものである。イツキにとって4人は家族同然だった。
ロームズ辺境伯の馬車にイツキと学長と教授達が乗る。御者はロームズ辺境伯屋敷の警備隊長になった、教会警備隊のコウタである。
オールズ、グライス、フィリップ達とクスコ達8人は、警備隊のエイコムを御者にして、のんびりと月を見ながら荷馬車で帰る。ソウタ指揮官を椅子に座らせたまま運ぶのに、荷馬車の方が便利だったのだ。
屋敷に到着した教授達は「素晴らしい祈りをありがとうございます」とイツキに礼を言ってから、ある準備をするために部屋に戻っていった。
この日のために用意しておいた酒やつまみを持ち寄って、皆で朝まで呑み明かすのである。先に戻っていた事務官達が、楽しそうにリビングで酒盛りを始めていた。
遅れて戻ってきたフィリップ達8人とエイコムは、1階の会議室に集合する。
帰る道すがら、フィリップ達は自分の身分をクスコに告げてはいなかった。
イツキは乾杯用のグラスとワインとつまみをワゴンに載せて、会議室に入ってきた。メイドが居ない時は、なんでもこなす領主である。
「さあ、まずは乾杯しよう。自己紹介はその後で」
イツキはご機嫌な顔で、全員のグラスにワインを注いでいく。そしてフィリップに視線を向けて、乾杯の音頭をとれと指示を出す。
「それでは、ブルーノア様とランドル大帝の偉業に感謝し、大陸の平和と安寧を祈って乾杯!」
突然のご指名にフッと短く息を吐き、仕方ないなという顔をして、フィリップは乾杯の音頭をとった。
「「乾杯!」」と全員がグラスを掲げ、おめでとうと新年を祝う。
ワインを一杯飲み干してから、ドグ、ガルロ、ソウタ、フィリップの順に自己紹介をしていく。
当然4人の正体を知ったカイ領の2人は驚き、ソウタ指揮官と初めて対面したオールズとグライスも驚いた。
そしてフィリップが、12月に起きたキシ領の悲劇や警備隊本部襲撃、軍本部襲撃でソウタが後ろから刺された事件を語り、再び衝撃を受けた。
「益々ギラ新教徒との戦いは激しくなるだろう。これから話すことは、この中の誰も知らない情報だが、当然極秘事項なので口外禁止だ。先日行われた僕の領主任命式の日、ミノス領主であるヘーデル侯爵が、ギラ新教に洗脳されていることが発覚した。就任式にやって来たミノスの貴族2人も洗脳され、1人は半分洗脳されていた。今頃ミノス領は大変なことになっているだろう。当然領主は交替する」
イツキは全員に領主任命式の日の出来事を教えた。全員がショックのあまり固まった。
「そ、それは一大事です。うちは隣の領地だから……帰らなくても大丈夫だろうか?」
カイ領主の子息クスコは、青い顔をして立ち上がった。
「クスコ様、ミノスの大掃除は、ギニ司令官が自ら大隊を率いて向かわれたはずです。ラシード侯爵(カイ領主)様にも抜かりはないでしょう。大丈夫です」
イツキはにっこりと微笑み大きく頷いて、クスコと従者を落ち着かせる。
「なんだか暗い話になりましたね。さあ、次のワインを開けますよ。ここからは、新年を祝って楽しく呑みましょう」
イツキがそう言うと、家令のオールズが「では1番高いワインを開けましょう」と言って、勢いよく詮を抜いた。
ちょうど3杯目のワインを飲み干した頃、リビングで酒盛りをしていたメンバーが、上機嫌で乱入してきた。
会議室に居たメンバーは、全員リビングへと引き摺られていく。
リビングでは、皆すっかり出来上がっていて、事務官のビンツ26歳(領主様をお守りする会No.3)が、特技である歌を披露していた。
新年の感謝祭は、どこの国でも無礼講である。
領主様も歌ってくださいと、ビンツとエイコム(領主様をお守りする会No.2)が、お願いではなく命令してきた。
顔をしかめるフィリップに、「無礼講だぞ」とイツキは言って立ち上がると、ラミル上級学校の校歌を歌い出した。当然フィリップも立たされ、グライスも立ち上がる。
ラミル上級学校出身のソウタ指揮官も、久し振りに飲ませて貰った酒で気分もよくなり、大声で一緒に校歌を歌う。
続いてイツキは、軍学校の校歌を歌い始めた。これにはドグとガルロも参加し、ソプラノのイツキがいることで、まるで混声合唱のようになっていた。
次はハキル学長が立ち上がり、負けられないとばかりに教授達と、イントラ高学院の校歌を歌い出す。
「あーっ!ロームズ医学大学の校歌を考えてなかった!」と、イツキが大声で叫ぶと、ムフフと笑いながら、マーベリック教授28歳が、作曲は自分に任せてくださいと手を上げた。なんでも学生時代に楽器の演奏をしていたとか……人は見掛けによらないなとハキル学長が感心し、それでは歌いますと言って歌いだしたマーベリックの歌は、あまり上手ではなかった。
午前2時半、イツキはワイン4杯ですっかり酔っていた。
日頃お酒を飲むこともないので、楽しくて楽しくて……えへへと笑いながら嬉しそうに眠ってしまった。イツキどうやら笑い上戸のようである。
「ちょっと領主様、宴は始まったばかりですよ!おきてくらはい……」と、酔っぱらいの家令オールズがイツキにからむ。オールズはからむタイプだった。
「部屋に連れていく」と言ってフィリップは立ち上がり、全く酔っていなさそうな足取りで、イツキをお姫様だっこしながら寝室へと運んでいく。
フィリップは久し振りにイツキの世話が出来て上機嫌だった。
「イツキ様、着替えてください。仕方ないなぁ……」とか言いながら、ベッドの上にたたんであった寝間着に着替えさせる。
いつものように甲斐甲斐しい執事アンド従者振りである。
「フィリップ、お前も一緒に寝ろ!」と言いながら、イツキはベッドの上に座って、フィリップの上着の裾を引っ張り命令する。
「はいはい、酔っぱらいの命令は聞けませんよ。おやすみなさいイツキ様」
フィリップは少し嬉しそうに笑って、イツキを寝かし付けようとする。完全にオカンである。
「お前は寂しくなかったのか?……僕は……フィリップ……何処にも行くな」
イツキは切なそうにそう言うと、フィリップの服を掴んだまま眠ってしまった。
「……イツキ様……は~っ……俺も寂しかったですよ……まいったな……」
イツキの寝息を確かめながら、フィリップはイツキのベッドに腰掛ける。そして愛しい人の寝顔を暫く見つめて、大きな溜め息をついた。
自分の服を握っていたイツキの手を布団に入れて、フィリップはそっとイツキの額にキスをした。
「おやすみなさい」と呟き、フィリップは困ったような顔をして部屋を出ていった。
1099年1月1日、これまで以上に忙しい年が明けていく。
いつもお読みいただき、ありがとうございます。
ちょっとBL風な箇所がありますが、この物語はBL小説ではありません。




