それぞれの準備(1)
12月23日、今朝は中級学校・医学大学の学生と、職員の下宿予定の家を見て回る。
医学大学の寮は、朝・夕食付き個室で月額銀貨3枚(3万円)である。しかし、一般の家に下宿すると、同じ条件で月額銀貨2枚である。
学生にとって1ヶ月銀貨1枚(1万円)の差は大きい。銀貨1枚あれば昼食代や文具や小遣いが賄える。なので、貴族や商人の子息以外の学生は、基本的に下宿を選ぶ可能性が高いと思われる。
レガート国では学生が下宿する習慣がなかった。
下宿と言えば社会人がするものという概念があり、稼ぎのない学生は寮に入る。
しかしイツキは、先の戦争で夫を亡くした寡夫の家に、女学生や女性職員を下宿させ、夫婦で暮らしている家には男子学生を下宿させると決めた。
それにより、ロームズの領民と学生との結び付きが強くなる狙いもある。
イツキは11月に帰った時、下宿について家令のオールズに指示を出しておいた。
オールズは役場長(元町長のドーレン男爵57歳)と共に、11月末に住民説明会を開いて、下宿人受け入れの募集をかけた。
寡夫家庭には、家のリフォームに必要なお金を、領主が無利子で貸し出し、10年で返済すればよいと説明した。
家の大きさにもよるが、下宿人の個室は4畳以上あれば良いという規定を設け、食事の質やメニューにも一定の条件をつけた。
その結果、寡夫家庭の殆どが手を上げた。
ロームズ領民の家は元々大きく造ってあり、夫婦の寝室は大体10畳くらいだったので、そこを2部屋にリフォームし、2人の下宿人を受け入れると決めた者が多かった。折しもロームズは建設ラッシュであり、安く工事を頼むこともできた。
ただ、下宿に資材を回したので、研究棟の完成が遅れてしまった。
「準備は順調ですか?」
イツキは大学に近い所に建つ、寡夫家庭の家に来て、未亡人になってしまった36歳の女性に声を掛けた。
「これは領主様、はい、昨日完成しました。うちは早く完成したので、女性職員の方が2人下宿されると決まりました。明日にも領主屋敷から引っ越してこられるそうです。ひと月に銀貨4枚の収入があれば、子供を中級学校まで行かせることができます。領主様、本当にありがとうございます」
「始まったばかりの試みなので、困ったことや問題が起こったら、遠慮なく役場に相談してくださいね」
イツキはいつもの笑顔でそう言うと、教会にあった食器の一部を手渡した。それらは、5月にイツキ達がロームズ教会に滞在した時、レガート軍のお金で買った皿や椀等で、まだ新しかったので下宿人用に配ることにしたのである。
「ロームズ領の一般家庭の1ヶ月の収入はどのくらいだろう役場長?」
「はい領主様、男は金貨1枚(10万円)女は銀貨5枚(5万円)くらいですね」
今日のお供である役場長が、荷馬車の御者をしながら答えてくれた。
どうやら収入や物価は、レガート本国と変わりないようだとイツキは思った。
食料品はロームズ領の方が安く、家具や食器等は本国の方が安い。衣料品は綿が安いので本国より安いが、仕立ての技術は遅れていた。
午前中に下宿人を受け入れる全10戸を荷馬車で回る予定で、全戸に食器を配るために荷馬車での移動をしている。
途中でイツキに気付いた領民は、皆が笑顔で挨拶をしてくれた。
これがロームズ領の普通だが、本国では領民が気安く領主様に声を掛けることなど有り得ないことである。
午前中は問題もなく全ての下宿先を回り、これでなんとか学生と職員の住む場所を確保出来そうだと、イツキと役場長は安堵し、昼食は役場前の定食屋さんで食べた。
これもイツキ流であり、一般人と同じ定食屋で食事をする領主など、【王の目】を率いるキシ公爵くらいだろう。
午後からは、まだ行ったことのない東隣の町カラギに向かう。
カラギは、町と村の中間くらいの広さと人口を持つ町で、ロームズの直ぐ隣に在るのだが、教会の管轄で言うとカラギはハビルの街のハビル正教会に属していた。
それはロームズがレガート国の領地になるずっと前から決められており、隣の町なのにあまり交流が無かったらしい。
その理由は、カラギはカルート国の男爵の領地で、ロームズの領主だった伯爵とは、とても仲が悪かったらしい。
カラギの領主である男爵はギラ新教徒だった。
その為、ハキ神国のオリ王子がカルート国に戦争を仕掛けた時、カラギの領主はオリ王子に便宜をはかった。
その代わり、カラギはハキ神国軍に攻められることはなかった。
ロームズの領主であった伯爵は、2年前の戦争の時にギラ新教徒であったミザリオ軍総司令官に暗殺されていた。
その殺された伯爵は、元々王都ヘサに近い場所が領地で、ロームズは先代が褒美として与えられた飛び地だった。その為、別荘地のような感じで統治されていたらしい。
カラギの領主は、ロームズ領を自分の物にしようとして、2度目の戦争でもハキ神国軍に協力し、その背任行為が国王の知るところとなり、男爵は斬首刑となり一族は平民となり国外追放になった。
カラギは現在、シルバ皇太子の直轄地になっており、町長という存在が居なかったので、役人が町を管理している。
イツキは役場長を連れて、カラギの仮役場になっている男爵の屋敷にやって来た。
屋敷と言っても大きさはロームズ屋敷の半分くらいしかない。
「これはロームズ辺境伯様、ようこそおいでくださいました。スニフスと申します。前の領主がロームズに多大なご迷惑をお掛けし、本当に申し訳ありませんでした。それなのにこの度は、医療や中級学校や医学大学で、国境の垣根を越え大きな恩恵を与えていただき、なんとお礼を申し上げればいいのか……」
カラギの役人スニフスは仮役場の入口で2人を出迎え、緊張しながら深く頭を下げ礼を述べる。
短い金髪にライトブルーの瞳、穏やかな顔つきをしている。だが、問題山積みのカラギを任せられただけあって、誠実で優秀そうだとイツキは感じた。
スニフスは超低姿勢で対応する。なんと言ってもレガート国は大国であり、ロームズの発展は目覚ましい。
目の前の領主が少年にしか見えなくても、その手腕や実力は、カラギの住民もスニフスもよく知っていた。
「いえいえ、シルバ皇太子とは面識もありますし、仲良くさせていただいています。ロームズ領こそ、これからお世話になりますので、そうかしこまらずに……。建設現場に働きに来ている住民も多いと聞きますし、中級学校の学生を受け入れていただき感謝しています」
イツキは緊張しているスニフスに笑顔を向け、右手を差し出し握手を求めた。
「前の領主は住民から搾取することはあっても、教育や医療に金をかけることなど無かった。病気をしてもハビルまで行かねばならず、ロームズに行くことを禁止していました。カラギの住民は、自分達もロームズ領民になりたいと言っていますが、流石にそれは不可能とあきらめていたのです。でも、ロームズ辺境伯様が、ロームズ領への立ち入りを特別に許可してくださり、病院や中級学校にも行けると知り、お祭り騒ぎになったほどです」
イツキと握手を交わしながら、スニフスは嬉しそうにカラギの様子を語った。
イツキと役場長は来客用の部屋に通され、豪華な応接セットに座った。
スニフスによると、屋敷は小さいが贅を尽くした家具や調度品、美術品が多数あり、殆どが国に没収されたそうだが、本棚や応接セットだけは必要品として残されたらしい。
イツキは早速1枚の紙を役人の前に差し出し、来訪の目的を話し始める。
「これは、シルバ皇太子と交わした条約書です」
*** 条 約 書 ***
* レガート国ロームズ領は、カルート国カラギ町及びウエノ村と、正式に友好関係を締結する。
* ロームズ辺境伯は、医療や教育に於いてカラギ・ウエノの住民に課税しない。
* お互いの通行は、身分証の提示により自由とする。
* ウエノ村は、ロームズ医学大学付属病院の建設に協力し、綿花の安定した供給に努める。
* カラギ町は、ロームズ中級学校に入学する、カルート国籍の学生の為に寮を提供する。また、カルート国籍のロームズ医学大学の学生に、下宿を斡旋する。
* お互いの関係で、大きく不利益を与える事例(殺人、強盗、強姦、詐欺、窃盗、傷害、不敬、軍事的スパイ行為等)が発生した場合、両者の合議によって量刑を決定し、罪を裁くもとのする。
* ただし、全ての権利はギラ新教徒ではないと宣誓した者に限られる。
レガート国ロームズ領主 ロームズ辺境伯 キアフ・ルバ・イツキ・ロームズ
カルート国皇太子 シルバ・カルート・ルダ
イツキは条約書の内容を声に出して読み、質問等がないかスニフスに尋ねた。
「よく分かりました。ありがとうございます。早速内容を写し、町中の掲示板で住民に知らせます。ところで、初めてロームズに入る時、必ずブルーノア教の【祈りの3番】を唱える決まりがあると聞きましたが、それは何故なのでしょうか?」
「スニフスさん、ギラ新教徒は【祈りの3番】を唱えられないのです。自分はブルーノア教徒だと思っていても、ギラ新教に洗脳されている者は、どんなに【祈りの3番】を唱えようとしても、何故だか唱えることが出来ません。気になる者が居たら、ぜひスニフスさんも試してみてください。そして該当する者が居たら、至急シルバ皇太子に連絡してください。……ロームズ領に侵入したら国法で捕らえることが出来るのですが……」
イツキはそこまで言って言葉を濁した。国法が違うので、それ以上は踏み込めない。
それからイツキと役場長は、中級学校の学生のための寮に案内された。
ロームズ領、カラギ町、ウエノ村以外から来る中級学校の学生の寮が、全く建設開始されていない関係で、ロームズ辺境伯名で、カラギの小さなホテルを一括借り上げすることにしたのだ。
そのホテルは築30年と少し古いが、食堂や風呂は綺麗に使われており、収容人数的にもちょうど良い大きさだった。
前の領主が経営していたので、閉鎖されていたのだが、ロームズ領の建設ラッシュで、職人の宿泊先が確保できず、出来る家令のオールズが目を着けて、昨年まで働いていた従業員にお願いして、営業を再開して貰っていた。
寮は全室2人部屋になっていて、ベッドと机が設置してあった。クローゼットは共同で使用する。また、学生の家族が来ることを考慮し、一般の客室も5部屋は確保している。
今年の入学は1年生だけなので人数も少ないが、来年の入学者までは、この寮でカルート国の学生は全員対応できそうだった。
「入学試験は大変だったそうですね。定員100人なのに250人以上の応募があったとか……しかもダルーン王国からも受験者が来て、大混乱したと聞きました」
「そうなんですよスニフスさん。何処から情報を聞いたのか驚きました。親も来たのでロームズ領内は軽いパニックでした。ふ~っ。半数以上がカルート国立ヘサ上級学校狙いで、優秀な子供が多かったのですが、中には……中級学校に子供が入学したら、親もロームズ領に住めると勘違いした者も30組くらい居ましたね……」
役場長は入試の日を思い出して、特大の溜め息を吐いた。
今回は願書の提出日まで時間がなかったので、受験日に直接願書を持ってきた者もいた。きちんと情報が伝わっていなかったようで、噂やデマに惑わされた受験者もおり混乱したと、イツキは家令のオールズから聞いていた。
それもこれも、戦後のカルート国が混乱していることが原因だと思われる。
「成る程……来年の募集の時は、事前に入試説明会をして、きちんと書類選考しましょう。ロームズ、カラギ、ウエノの子供は、優先して入学させますが、基本的に、ロームズ中級学校は完全実力主義を掲げます」
イツキは何時ものようにニッコリと黒く微笑んだ。一緒に居た2人は、その微笑みの恐ろしさをまだ知らないが、本能的に何かを感じ取ったようで背中がゾクリとする。
その後イツキと役場長は、スニフスの部下を御者にして、カラギの町を馬車でゆっくりと案内してもらう。
その馬車はロームズ辺境伯がカラギに贈った幌馬車で、今後は学生の送り迎えに使用される予定である。
幌馬車は他に3台用意されており、ロームズ領内を循環し、中級学校と医学大学の学生の送り迎えに使用される予定である。
いつもお読みいただき、ありがとうございます。
次回の更新は26日(火)の予定です。




