旅立ちの日
次話から新章がスタートします。
いよいよロームズ医学大学編が始まります。
イツキが貴賓館を途中退席した30分後、ヨム指揮官が再び壇上に上がり挨拶をする。
「ご歓談中の皆様、本日の領主就任パーティーは午後9時までの予定でございますが、先程より雪が降り始めました。積もることはなかろうかと思われますが、ロームズ辺境伯様も退席されましたので、安全を考慮しこれにて一旦お開きといたします」
これまた異例のお開き宣言である。
本来国事であるパーティーの時は、余程の事情がなければ途中でお開きになることはない。しかもその理由が雪である。王都ラミルに雪が降ること自体が珍しいので、参列者達は迷う。
自分の子供の良縁を考えている者や、政治的駆け引きを考えている者以外は、石畳の王都の道は雪で滑りやすいと知っているので、正直なところ早目に帰りたい。
ほぼ全員が馬車で来ており、最後まで残ると高位貴族から順に馬車に乗り込むので、下位の貴族は1時間近く待つことになる。
「皆さん、アルダス・グ・キシです。本日は我がキシ領の子爵でもあるロームズ辺境伯の為にお集まり頂きありがとう。ラミルに雪が降るのは何年ぶりでしょうか……雪と言えば、私は王様が王座を奪還し、このレガート城に御戻りになられた日を思い出します。レガート国にとって雪は、吉兆であり新しい時代の幕開けを告げる現れでもあります。急な領主就任式でしたが、もしかして王様は、今夜雪が降るとご存じだったのではないでしょうか。今宵レガート城内の宿泊棟にお泊まりになられる方は、どうぞ最後までお楽しみください」
アルダスは上機嫌を装いながら、用のないものはとっとと帰れと笑顔で挨拶した。
その真意を汲んだ利口な貴族は、帰り仕度を始める。
特にミノス領から来ていた貴族は、絶対に何か起こっていると案じ、早目に宿泊棟に戻ろうと目配せをしていた。
早目に帰ると決めた参列者達が、ポツポツと受付の前にやって来た。
返礼品など期待はしていなかったが、王宮で働いている者達は知っていた。
今日、お祝品を持ってくれば、返礼品にあの話題のペンが貰えることを。
「これはエザック教育部長様、本日はありがとうございます。これは心ばかりの返礼品でございます。主の発明品のペンと、奥方様にはロームズ領特産のシルクのスカーフでございます。どうぞこれからも宜しくお願いいたします」
「これはこれは事務長、このような高価な返礼品を二品も頂いては申し訳ない。先日うちの息子に見せびらかしたら、ぜひ自分も新型ペンが欲しいとせがまれました。購入する手立てはないものかと思案していたところです。大事に使わせて頂こう」
最初に受付に来たのは、事務長のティーラがよく知る教育部の部長だった。エザック部長は、ロームズ領の職員採用者検討会で屋敷を訪れた際、既にペンをお礼として受け取っていた。そしてそのペンを、王宮のあちこちで自慢していたので、王宮勤務の者は、喉から手が出る程に欲しがっていたのである。
次に受付に来たのはラミルに住む伯爵夫妻だった。
「本日はありがとうございます○○伯爵様。心ばかりの返礼品でございます。申し訳ありませんが伯爵様には、こちらの発明品のペンか、スカーフのどちらかをお選び頂きたいのですが……」
ティーラは少し申し訳なさそうに言いながら、実物の見本をテーブルの上に置き、直接ペンの書き味や、シルクのスカーフの手触りを試して貰う。
「あの~、これはシルクですの?」
見たこともない美しい柄のシルクのスカーフを手に取り、夫人は夢見心地で質問する。
「はい、伯爵夫人。今日の日のため限定で50枚だけ、特に高級なシルクを使いました。ロームズ領の特産品ですが、同じ柄の物はもう作れないと思います」
ティーラはそう言いながら、夫人の首に然り気無くスカーフを巻く。折しも外は雪である。その滑らかさと温かさに、絶対にスカーフが欲しいと夫に目で訴える。
しかし先程の教育部長の話を聞いていた伯爵は、なんとしてもペンを手に入れたい。
王都で暮らす貴族は、新しい話題の物を持っていないと、持っている者にバカにされてしまうのだ。
「このペンは、ロームズ辺境伯の発明品なのだな?それで、買えばどちらが高いのだろうか?」
伯爵はティーラにだけ聞こえる小声で、恥ずかしそうに質問する。
「ペンはこれからラミルで売り出されます。まだ正式な値段は決まっていませんが、銀貨3枚(約3万円)以上になると思います。しかし入手は困難かと・・・ご予約頂ければ、特別にお取り置きも出来ると思います。……シルクのスカーフは、もっと値打ちがあると思います。ですからここは、奥様を喜ばせて差し上げるのがよろしいかと・・・」
ティーラは伯爵の耳元で囁き、にっこりと極上の笑顔で微笑んだ。
「オホン、それではスカーフを頂こう。外は雪だ。大事な妻が風邪でもひいては大変だ」
「まあ、あなた!嬉しいわ」
喜ぶ伯爵夫人に向かってティーラはウインクをした。
伯爵夫人は、満面の笑顔でティーラからスカーフの入った箱を受け取った。
当然伯爵からは、ペンの予約を3本も頂いた。
貧乏男爵家の妻であるティーラは、とても商売上手だった。
この伯爵夫妻のやり取りを後ろで見ていた返礼品Bの参列者は、夫人の顔をたててシルクのスカーフを選ぶ者が多かった。
中には夫がペンを選び、喧嘩になりかけた夫婦や父娘がいたが、涙を浮かべていた夫人や令嬢には、そっとパトモス衣装店の名前と住所を書いたメモを渡しておいた。
出来る事務長のティーラは、『お買い上げお待ちしております』と心の中で囁き、お客様を笑顔で見送った。
受付で順番待ちをしていた参列者は、どうやら返礼品にはパターンが4つあるようだと気付いた。
「いやーお祝いの品も用意できなかったのに、申し訳ないな」と、ホクホク顔で返礼品を受け取ったラミルの子爵が、つい自分は祝いを持ってこなかったと口に出してしまったのだ。
急に決まった領主就任式だし、噂では成人したばかりの領主だと聞いていた。どうせ大した返礼品も用意できないだろうと高を括り、お祝品を持って来なかった。
返礼品の4つのパターンは、どうやらお祝い品のランクによって分けられているようだと判ると、嫌な顔をする者も居た。
特に返礼品ランクDである皿を貰った者は、1番大きな箱の返礼品なのに、お祝いも用意できなかったケチ、または礼儀知らずであると一目で分かってしまったのだ。
そして、予想の上の上をいく返礼品の豪華さを見て、何故祝い品をケチってしまったのかと、後悔する者(グラスか皿を貰った者)が続出した。
午後10時半、招待客全員に返礼品を渡し終え、お祝品を荷馬車に積み込んだティーラ、ハモンド、パルは、緊張と忙しさでくたくたになっていた。
「お疲れさま。イツキ様のことが心配だけど、私たちも撤収しましょう」
ティーラはハモンドとパルに撤収を告げると、後片付けをしていた大勢の侍女やメイド達にお礼を言うため、侍女長にプレゼントを手渡した。
通例では、主催者や主賓や領主から、礼の品を渡されることなどない。
侍女長が渡された大きな箱を開けると、そこにはスカーフと同じシルクのハンカチが入っていた。
「あらティーラ、これは?」
「侍女長、柄も大きさもバラバラですが、正真正銘のロームズ領産のシルクのハンカチですわ。主からの心付けです。100枚ですが足りるかしら?」
ティーラはそう言いながら、会場内で働いている侍女やメイドの人数が気になった。
「皆さん手を止めて集合。ロームズ辺境伯様より、私達に心付けを頂きました。シルクのハンカチですよ」
侍女長はパンパンを大きな音で手を叩き、部下達に指示を出す。
「きゃーっ!侍女長さま本当ですか?」と叫びながら、全員が嬉しそうにティーラの前に整列する。
王宮で働く侍女やメイドである。決して箱に飛び付いたりはしないが、飛び付きたい気持ちで一杯だった。
ほぼ全員が、受付に展示されていたシルクのスカーフを見ていた。
あぁ、なんて素敵なスカーフなのかしら……と、自分には決して手に入らないだろう高級品に、そっと溜め息をついていたので、その喜びたるや、今夜の疲れは一瞬で吹っ飛び、嫁入り道具が増えたと涙する程だった。
高級シルクのハンカチ。金額にして小銀貨5枚(5千円)は下らない。メイドや侍女の給金は、銀貨3枚~金貨1枚(3万円~10万円)で高給取りである。しかしシルクは高級品で品物が少ないので、庶民には高嶺の花だった。
この時代、綿のドレスは銀貨1枚(1万円)以上、綿やレースの組み合わせのドレスで銀貨5枚(5万円)、ほぼシルクのドレスとなると金貨4枚(40万円)は下らない。それにレースや飾りボタンが付くと、金貨5枚以上は当然だった。
物の価値が今ひとつ分かっていないロームズ辺境伯だからこそ出来た、大盤振る舞いの心付け?だった。
しかしティーラは、侍女やメイドから得られる情報料と思うことにして、今回の大盤振る舞いを許可した。
◇ ◇ ◇
明け方までうっすらと積もっていた雪も、日ノ出と共に溶けてゆき、従者のパルがラミル正教会病院に到着する頃には、すっかり溶けていた。
教会病院の最上階にある屋根裏部屋に向かったパルは、昨夜の主の青白い顔を思い出し、祈る気持ちでドアをノックした。
本来なら必ず居るフィリップの姿はなく、心配そうな表情でイツキの顔を見ていたレクスが「どうぞ」と返事を返した。
「あれから1度も目覚められてはいない・・・昨夜サイリス様から聞いたんだが、禁忌の祈りを唱えて、生きていられた者は居ないそうだ」
「えっ?生きていられない……ですか……?」
パルはなんとも言えない顔をして、レクスに聞き返した。
そしてパルは、レクスから昨日の領主会議での顛末を聞き絶句した。
「それではイツキ様は、ミノス領主ヘーデル侯爵の3年分の記憶を全て消し、自ら領主の任を降りると言わせたのですか?」
「そうらしい……ヘーデル侯爵は、ほぼギラ新教に洗脳されていた。本来なら爵位没収の上、家族諸とも厳罰に処されるところだ。しかし、ヘーデル侯爵は、自らギラ新教徒になろうとしたのではなく、いつの間にか洗脳されていた。だからイツキ先生は記憶を消し、厳罰を回避出来るようにされた。これからミノス領は嵐が吹き荒れるだろう」
レクスはミノス出身のパルに同情しながら、ミノスは確実に領主が代わることになると教えた。
午前7時半、本日ハキ神国の本教会に向かう予定のエンターが、イツキの様子を見にやって来た。
しかしイツキがまだ目覚めていないと分かると、エンターはイツキの手を握り「行ってきます」と挨拶をして旅立っていった。
パルもまた、上級学校の修了式に出席するため、馬車で学校に戻っていった。
結局イツキが目覚めたのは、昼に近い時間だった。
目覚めたイツキは意外にも元気で、心配していたサイリスのハビテや院長は安堵の息を吐いた。癒しの能力を使った時とは違い、直ぐに歩けたし食事もとれた。
唯一違っていたのは、イツキに新たな能力が加わっていたのだが、本人は全く気付いていなかった。
そして午後2時、屋敷に戻ったイツキは、引き留める全員に向かって「もう大丈夫」と笑顔で言って、予定通りロームズ領に戻るため出発した。
いつもお読みいただき、ありがとうございます。
何故か今月も仕事が忙しく1日しか休めてない・・・その上花粉症の薬が変わり、1日中眠い。
過労?と花粉症のダブルでパンチで、更新が遅れています。すみません。




