1
魔道学問所での試験が終わるや否や、私は教室を出て町外れの酒場に向かった。
ヘグレルの町はいつ活気に溢れている。目抜き通を行き交うのは、地元の商人や異国の剣士、あやしげな魔道士たち、一攫千金を夢見る冒険者たちである。
町の中心部から街道口の方へ進むにつれて地元民の割合が減ってゆく。見慣れない顔立ちが目につき、聞き慣れない言葉が耳につく。と同時に、危険な雰囲気が辺り一体を覆い始める。ほこりで顔が真っ黒になった旅人たちは目をぎらぎらさせて私の姿を睨みつける。旅の間、たまりにたまった彼らの欲求は、やっとこの町にたどり着いた今、最高潮に達しているはず。古ぼけた魔道士服を身につけ、渦巻模様の眼鏡をかけている私のような女にさえ好色そうな眼差しを向けてくるのだ。
私は酒場の扉を開いた。日没までまだ一時間もあると言うのに、中は客で一杯だ。旅人相手の酒場とはこういうものだ。旅人はみな、日没までに次の宿場に到着するよう歩を進める。そして宿場にたどりつくと、まず宿を取り、次に酒を求める。
カウンターの中で器に酒を注いでいた女の子――褐色の肌をし、黒髪をポニーテールにした娘――が、私が入って来たのに気づいて小さく手を振った。
「やっほー、リエーラ、お久しぶり」
私は軽く会釈をして、彼女の近くのストゥールに腰かけた。するとカウンターの中にいたもう一人の人物――背の高いがっしりした体格の男――も私に目を止めた。
「やあ、リエーラ。今、学校の帰りかい?」
もともと糸のように細い彼の目は、微笑むとほとんど消えてなくなる。
「うん」私は答えた。「今日でやっと試験が終わったの。だから久々にトトンやミラの顔を見ようと思ってここに来たんだけど……忙しそうね。迷惑だった?」
女の子は忙しく働かせていた手を一瞬止め、言った。
「ううん、これぐらい、いつものことだよ」
そしてまたてきぱきと手を動かし始めた。彼女は名をミラといい、私と同じ十七才。男の方は彼女の兄、トトンで二十才になったばかりである。半年前、父親が病に倒れてから、若い兄弟だけでこの酒場をきりもりしているのだ。
私は出されたホットミルクをすすりながら、すばらく兄妹の立ち働くさまを眺めていた。日が沈むころようやく客の入りも落ち着き、私と雑談する余裕が出てきた。
「そう言えば」ミラが言った。「フューンとガリュス、もうそろそろ帰って来るはずだよね」
それを聞いて、私は無言のまま目を伏せた。ミラは笑顔を作って私の肩を叩いた。
「大丈夫だって。あの二人のことだもの。きっと無事に帰って来るよ」
「だといいんだけど……」
私は小声で呟いた。
「リエーラが気にすることないって。あんたが良かれと思って言ったことなんだ。無駄骨だってわかっても、あんたのことを恨んだりはしないよ」
ミラは努めて明るく振る舞ってはいるが、やはりどことなく心配そうだった。そばにたたずんでいるトトンも不安げな表情で遠くを見つめていた。
フューンとガリュスは私たちの幼馴じみである。フューンは十八才で剣が得意、ガリュスは十九才、戦斧が得意で格闘技にも長けている。なのに、二人とも、団体行動は性に合わない、と言って、町の騎士隊に入るわけでもなく、酒場の用心棒をしたり、借金の取り立て引き受けたりのその日暮しをしていた。
フューンは軽くて女好き、ガリュスはクールでニヒルという、正反対の性格なのに、なぜかウマが合い、いつも一緒に行動していた。フューンはヘグレルの町の女を片っ端から口説き回り、遂にヘグレル中に悪名をとどろかせてしまった。そこで彼はターゲットを旅の女に切り替えた。毎日、夕方になると街道口に現れ、町に入る女という女に声をかけるのだ。ガリュスはその傍らで黙ってたたずんでいるだけ、かと思いきや、ちゃっかりフューンの口説き落とした女のつれの女をゲットしたりするのだった。
フューンは幼い頃母を亡くして父と二人暮し、ガリュスは天涯孤独だった。蛙の子は蛙、とはフューンのためにある言葉なのだろう、フューンの父はフューンに負けず劣らず女好きで、妻を亡くしたあとも再婚せず、四十を越えたのに特定の相手とつき合うということを知らない男だった。フューンと違うのは、以前は騎士隊に所属し、いくさで傷を負ってからは剣術道場を開いて、ちゃんと堅気の生活をしている、というところだった。
三ヶ月前、そんなフューンの父が一人の女性に恋をした。彼女は何年も戦場から帰らない夫を待っているような、ひたむきな女性だった。彼女の夫が戦死したのは間違いない。みんなそう言っているのに、信じようとしないのだった。
ところがある日、旅の魔道士と思われる男が、いやがる彼女を無理やりホテルに連れ込もうとしているところを、フューンの父は目撃した。彼女を助けようと、父は剣を抜いた。しかし、相手は魔法によっていとも簡単に彼を吹き飛ばした。フューンが駆けつけたとき、父は虫の息だった。
「無念だ……。せめて彼女に俺の想いを一言伝えたかった……」
「おやじ、死ぬな。まだ早すぎる。言ってたじゃねえか、死ぬまでに女をあと千人ゲットするんだ、って」
フューンは赤ん坊のとき以来初めて流す涙を拭いながら、息たえた父の肩をゆすった。
フューンは復讐を決意した。肌は土気色、白銀の髪をオールバックにした目つきの悪い中年男――目撃証言をもとに、フューンはなんとか、父を殺した男をわり出した。結果、ガスコインという名の暗黒魔道士だとわかった。フューンは早速、ガスコインを探すために旅支度を始めた。私は引き止めた。
「だめよ、フューン。あなたのお父さんを一撃で吹き飛ばしてしまうような凄腕の魔道士なのよ。あなたじゃ、とても太刀打ちできないわ」
フューンはムキになって言い返した。
「やってみなくちゃわからねえだろう、え?大体、俺よりおやじの方が剣の腕が上だ、なんて誰が決めたんだ?おやじはもう歳だった。俺ならきっとガスコインを倒せる」
「そんな……無理よ……」
私の意見に、トトンもミラも賛成した。ガリュスでさえフューンに異を唱えた。
「今のおまえではガスコインを倒すのは無理だ。特別なアイテムでもない限り……」
普段無口なガリュスがたまに口を開くとき、その言葉には絶対的な重みがある。フューンは二の句が告げられず、そのままうつ向いてしまった。その悲しげな表情を見ていると、私は胸が締めつけられるような気がして、つい、言うべきではないことを言ってしまった。
「そう言えば……西の砂漠を越えたところにエトモング遺跡っていう場所があって、その奥には邪悪な魔力を封じる聖剣、ヴィリーノが眠ってるって、本で読んだことがあるけど……」
フューンは旅の目的地をエトモング遺跡に定めた。私たちの協力を得て、数日間、エトモング遺跡について書かれた古文書を調べた上、遂に旅立ちの朝を迎えた。
旅にはガリュスが同行することになった。本当なら、私のような回復魔法が使える白魔道士を一行に加えるべきなのだが、私には魔道学問所の卒業試験があった。
「フューン、無理しないでね。回復魔法を使える人がいないんだから。回復アイテムはたっぷり用意した?」
私は心配ではちきれそうな胸を抑えながら尋ねた。
「ああ、ぬかりはねえ。……そんな顔するなよ、リエーラ。今までだって何度も死にそうな目に遭ったさ。遺跡の探検なんざ、借金の取り立てに比べりゃ屁みてえなもんだ」
そう言って、フューンはいつもの笑顔を私にくれた。私も笑って送り出してあげようと思って、ぎこちない笑顔を作って顔を上げた。いつの間にか、フューンの周りには女たちが群がっていた。
「フューン様、これ、ヘグレル大明神のお守りです。わたくしの作ったお守り袋に入れておきましたわ」
「フューン、生きて帰って来て。あたし、あなたなしでは生きていけない」
「フューン。あたい、あんたにゃいつも泣かされっぱなしだけど、あんたの亡き骸に向かって涙を流す、なんてのはごめんだからね」
甲高い声が不協和音を奏でる輪の中心で、フューンは気障な微笑みを浮かべていた。私はちょっと複雑な気持ちになって、彼から目を逸らした。傍らにはガリュスが立っていた。
「あの……ガリュス……フューンのことよろしくね」
私の言葉にガリュスは無愛想にうなずいた。そこへミラがやって来て、私の肩をポンと叩いた。
「大丈夫だよ。フューンのことだもの。殺したって死にはしないよ」
そして彼女はガリュスの方を見て、少しほおを赤らめ、言った。
「ガリュス、フューンはあんたの言うことなら聞くからさ。ヤバいって思ったら遠慮なく撤退するんだよ。おやじの仇なんていつだってとれるんだ」
「うむ……わかった」
ガリュスはやはり無表情だった。しかしミラは一層顔を赤くしてうつ向いた。
フューンとガリュスは旅立った。朝陽を受けて光る二人の背中を、見えなくなるまで見送っていたのは、私とミラだけだった。
と、ここまではある意味で順調だった。話がややこしくなったのは、彼らが旅立って一ヶ月後、私が学校の図書館で勉強中、古文書に聖剣ヴィリーノのことが詳しく書かれたページを発見した時だった。
聖剣ヴィリーノ――神話の時代、邪神ワルワノスに父を殺されたキュリーネという女剣士が父の仇を討つ時使ったとされる。もっとも、生身の人間が邪神を倒すのに剣の力だけでは不十分だった。彼女はワルワノスに近づいてその愛人となり、ベッドの上で油断したワルワノスの角を切り落として魔力を封じ、遂に父の仇を討ち果たしたのだ。この話には悲劇的な結末がついている。人間界に帰ったキュリーネは出発前の約束どおり、フィアンセのもとに嫁ぐつもりだった。しかしフィアンセはキュリーネの不在の間に別の女と親しくなっていた。怒ったキュリーネは相手の女を殺し、フィアンセを牢に閉じ込め、一生出さなかったという。
過去、何人もの男が、聖剣の力を得て世界一の剣士になるために、ヴィリーノを探し回った。一般には、誰一人見つけることができなかった、と言われている。しかし――私の読んだ古文書によると――実はみんなエトモング遺跡にあることをつきとめていたのだ。なのに彼らはその剣を持ち帰ろうとはしなかった。その理由は……――私は目を細めて、小さくて読みにくい古文書の文字を追った――……聖剣ヴィリーノは、神話が暗示する通り、女剣士が持たないと力を発揮しないのだ……――私は愕然となった。渦巻き模様の眼鏡を外し、息を吹きかけて布で擦ってから、もう一度眼鏡をかけてページを見直した。しかし何度見直しても書かれている内容に間違いはなかった。つまり、フューンが持っても意味をなさないのである。聖剣ヴィリーノのことを言い出したのは私だ。私はフューンたちに無駄骨を折らせてしまったのだ。
私はこのことをトトンとミラに話した。ミラは一瞬ムッとした表情になった。何も言わなかったが、私の無責任ぶりをなじりたい衝動をこらえているように見えた。今にして思えば、この時の態度と言い、旅立つ時ガリュスに見せた素振りと言い、ミラがガリュスに特別な感情を抱いていることの現れではないだろうか。ガリュスともミラとも幼いころからしょっちゅう顔を合わせていた。なのにミラの想いに私は今まで全く気づかなかった。わからないものだ。ミラみたいな賑やかな娘がどうしてあんな無口な男のことが気に入ったのだろう。それはともかく、その時、私は一番親しい友人に辛くあたられて、一層心の中が真っ黒になっていた。トトンは泣きそうな顔をしている私を一生懸命慰めてくれた。
でもミラは、翌日にはもう機嫌を直した。元々さっぱりした性格の娘なのだ。それどころか、余計なこと気にしないで卒業試験に専念しなよ、と励ましてくれる彼女の心遣いが、私にはたまらなく嬉しかった。お蔭で試験を無事乗り切ることができ、今日、すべての科目を終えたのだった。
エトモング遺跡まで片道一ヶ月余り、内部を探検して帰って来るのに三ヶ月ほどかかるだろう。さっきミラも言ったとおり、そろそろフューンたちが帰って来てもよさそうなものだ。エトモング遺跡までの道中に町はない。手紙を書いてよこすなどということはできない。何の前ぶれもなくひょっこり姿を見せるはずだ。それはいつのことなのか。今日かもしれず一週間後かもしれず、下手をすれば一ヶ月後、一年後、あるいは永久に……
そんなのいやだ――私は胸が苦しくなった。フューンに一言謝らなくては。私のせいで、彼とガリュスは危険な目に遭うことになったのだ。フューンに謝りたい。もし許してもらえるならばもう一度彼に笑顔を見せてほしい……
私もミラもトトンも目が自然と酒場の入り口の方に向いてしまう。しかし、日が沈んで一時間もたった今、酒場の扉を開けるのは中から外へ出てゆく客だけだ。旅人は朝が早い。もう宿に帰って明日の旅立ちに備えるのだろう。
と、その時。
珍しく、扉が外から開かれた。私とミラとトトンは、機械仕掛の人形のように、一斉にそちらを振り向いた。戸口に立っていたのは、ほこりで顔を真っ黒にし、ボサボサに伸びた黒髪を後ろで束ねたがっしりした体格の男だった。私は一瞬誰だかわからなかった。しかし、ミラはすぐ気づいた。
「ガリュス……」
彼女にそう言われて、私は驚いて、もう一度戸口の男の方を見た。確かにそうだ。ほおは少し痩け、目も落ち窪んでいるが、確かにあれはガリュスだ。
ガリュスはゆっくり店内に歩み入り、私の近くのストゥールに腰かけた。ミラは半ば目を潤ませながら、彼の浅黒い顔を見つめた。
「ガリュス……無事だったんだね……」
ガリュスはちらっとミラの方に目を上げたかと思うと、すぐまた下を向いた。その目の前に、トトンがグラスを置いた。
「蜂蜜入りのレモネードだ温まるぞ」
ガリュスはレモネードを少し飲んだだけで、すぐグラスを置いた。表情が冴えないようにも見えるが、元々ガリュスは感情を現さない人間だ。彼の態度からは旅の顛末など類推しようがない。私はおずおずと尋ねた。
「フューンは……フューンはどうしたの」
ガリュスは急に慌てたように咳こんだ。そして視線を泳がせ始めた。私は彼が狼狽しているところを、生まれて始めて見た。この様子だと、もしかしてフューンは……
「フューンは宿にいる」
ガリュスは、しかしぶっきらぼうにそう答えたのだった。私はほっと胸を撫で下ろした。が、すぐに頭に疑問符が浮かんだ。私が口にする前に、ミラが尋ねた。
「どうして宿なの?自分の家に帰ればいいじゃない。それ以前に、どうして一緒にここへ来なかったの?」
ミラはちらっと私の方を見た。私は唇を噛みしめ、肩を震わせた。きっとフューンは、無駄骨を折らせた私に腹を立て、顔を合わせたくないのだ。そうだ、そうにちがいない。ああ、どういよう。フューンに嫌われてしまった……
「実は」ガリュスは重々しい口調で言った。「あいつはここに来られない事情がある」
「事情?」
トトンとミラは顔を見合わせた。私も顔を上げ、ガリュスの方を見た。いまだ動揺を隠せない彼の素振りからして、フューンがここに来られないのは何か別の理由があるようだ。
ガリュスは話し始めた。私たちは彼の低い声に耳を傾けた。口下手な彼から脈絡のある話を聞き出すのは困難だった。それでも、私たちは何とかして話の筋道を見つけようと努力した。
いくつかの部族の集落を通って西の砂漠を越え、エトモングへ至る道のりの険しさ、エトモング遺跡内でガリュスたちを襲ったモンスターやトラップの恐ろしさについて、彼はほとんど語らなかった。彼はただ、巨大蜘蛛に頭を吹き飛ばされそうになったとか、殺人こうもりに心臓をえぐられそうになったとか、淡々と述べるだけだった。
遺跡の一番奥深くに巨大な部屋があり、床には魔法陣が描かれていたという。そして、その中心点には剣が突き立てられていた。古文書の記述を思い出し、それが聖剣ヴィリーノに間違いないことを確認し合うと、フューンは喜び勇んで魔法陣の中に足を踏み入れた。その途端、魔法陣が自動的に魔獣を召喚した。フューンとガリュスは首の三つある巨大な狼と二時間以上も死闘をくり広げた末、遂にそれを打ち負かし、魔法陣の中心へと進む権利を得ることができた。彼らのリュックサックの中には、もう体力回復アイテムは一つも残っていなかった。
フューンは今度こそ魔法陣の干渉なしに剣のところまで歩み寄った。万感の想いを込めて剣の柄を握り、とうとうそれを床から引き抜いた。
その時、信じられないことが起こった――ガリュスは珍しく興奮気味に語った――フューンの体が白い光に包まれたのだ。眩しさに目を細めながら、ガリュスは相棒の安否を確かめようとした。光のベールの中で、フューンの後ろ姿が縮んでゆくように見えた。ガリュスは驚いてフューンのところに駆け寄った。その間にも光の中の人影は徐々に小さくなっていった。ガリュスがそばまで近づいた時、光は消えてなくなった。
ガリュスはそこに立っている人物の後ろ姿を見て、再び驚くこととなった。フューンの体格とは似ても似つかない。フューンはもともとそれほどがっしりした体格ではない。男にしては華奢なほうだろう。しかし、今やその後ろ姿は以前より肩幅が狭く、尻幅が大きいのである。その上身長が十二、三センチも低くなっている。ガリュスは、こいつは本当にフューンなのだろうか、と思いながら、恐る恐る声をかけた。
振り返ったその人物の顔を見た時の驚きがいかに大きいものだったか、うまく表現することは不可能だ――ガリュスは言った――その顔は色白で、ほおがふっくらとしていて、一ヶ月以上伸ばしたはずの無精ひげも見あたらなかった。しかし、目鼻立ちや口の形などはどう見てもフューンのものだった。もっと驚いたのはその人物の胸を見た時だった。はちきれんばかりの二つのふくらみが服の胸の布地を押し上げていたのだ。
ガリュスは何か言おうとしたが言葉にならず、ただ顎をガクガクさせるだけだった。目の前の人物は、ガリュスが余りにも胸に注目するので、不思議に思って視線を下に向けた。
「何だ、こりゃあ」
という甲高い叫び声が部屋の石壁や天井にこだまして響き続けた。
「それって、もしかしてフューンが女になっちゃったってこと?」
ミラが尋ねた。ガリュスは無言のままうなずいた。
「ぶぁははははははははは」ミラは笑い出した。「フューンが?女になっただって?あのフューンが?ぶぁははははははははは、こりゃケッサクだ」
彼女はしばらく笑い続けたが、私やトトンやガリュスの視線に咎められて、笑いを噛み殺した。
「そんなことがあり得るなんて、信じられない」
トトンが首を傾げた。
「ううん、あり得ないことじゃないわ」私は説明した。「きっと聖剣ヴィリーノに宿る女剣士キュリーネの魂が、父の仇を取りたいというフューンの願いに共鳴したんだと思う。でもヴィリーノは女でないと扱えない。だからフューンを女にして、剣を使わせようとしているのよ」
ミラはあっけらかんと言った。
「そっか。じゃあ好都合じゃない。おやじさんの仇が討てるんだから」
私は少しムッとなった。
「何を言ってるの、ミラ。フューンが女になってしまったら意味ないじゃない」
ミラは不思議そうな顔をした。
「何の意味がないのよ」
「それは……」
私は言葉に詰まった。確かにミラの言う通りだ。私はどうして「意味がない」などと口走ったのだろう。どう意味がないというのだろう。
「まあ、フューンは今まで何人もの女を泣かせてきたからね。きっとバチが当たったんだよ」
ミラの口のきき方に、さすがの私もカチンと来た。しかし、彼女の兄が先に口を出した。
「何て言い方するんだ、ミラ。フューンがどんな気持ちか考えてもみろ。突然女になんかされたんだ、それはそれはショックを受けているにちがいない。そうだろう?ガリュス。……ところで、ガリュス、今、フューンはどうしてる?ここに来なかったのも、俺たちに女になった姿を見られたくないからなんだろう?」
ガリュスの視線はまた宙をさまよい始めた。
「あ?ああ、そ、そうなんだ。彼女、いや彼は恥ずかしいのでみんなには会いたくないと言っている。このまま……そう、王都ロス・クインの魔道図書館へでも出向いて男に戻る方法を探すつもりなんじゃないのかな……」
ガリュスは一気にまくしたてた。そして、そそくさと立ち上がり、レモネードの代金をテーブルに置いた。もう宿へ帰るつもりらしい。
トトンは首を振った。
「代金は結構。俺のおごりだ。それより、ガリュス、フューンの気持ちもわからんではないが、やはり一度会わせてくれないか。俺たち、幼馴染みじゃないか。今までだって、困った時にはお互いに相談に乗ってあげたり助け合ったりしてきた仲だろう。フューンの姿がどうなろうと、俺たちは奴の仲間だということに変わりはない。なあ、フューンはどこの宿にいる?ぜひ会いに行きたい」
ミラもさかしげにうなずいた。
「そうだよ。フューンの女になった姿がどんなに気持ち悪くたって、どんなにおかしくたって、あたしたち、嫌ったりも笑ったりもしないよ」
しかし、ガリュスは更に動揺を強めた。
「い、いや……その……フューンはいやだと言って……」
と、その時、、入り口の扉が開いた。
店の中に客はあと二人しか残っていない。そのどちらも席を立った様子はない。こんな時間にここへやって来るのは誰?私たちは戸口に注目した。
戸口に立っている人物は、風になびく長い髪を手でおさえながら、中に足を踏み入れた。肌の色は白く、ランプの光をてらてらと反射している。簡単な上衣と半ズボンを身につけ、きれいな白い脚をすねまで革のブーツで覆っている。ふくよかな胸を強調するかのように肩をそびやかして、つかつかと私たちの方へ歩み寄り、微笑んだ。
美しい。女の私でさえどきっとしてしまうような笑顔だった。
でもよく見ると、あの目の感じ、鼻の形、口の雰囲気、どこかで見たことがある――私はそう思った。トトンもミラもそういう目で彼女を眺めている。ところがガリュスは壊れたおもちゃのようにガクガクとぎこちなく視線を泳がせた――まさか……彼女がフューン?
「退屈だから来ちゃったよ」彼女は言った。「別にいいだろ、ガリュス。トトンたちに知られて困るようなことじゃねえんだから」
彼女の声はどう聞いても女の声だ。が、喋り方はフューンそっくり。私もトトンもミラも、驚きのあまり言葉が出なかった。ただ金魚のように口をパクパク動かすだけだった。
一分も経つとようやくトトンが声を搾り出した。
「フュ、フューンなのか?」
彼女?は世にも美しい笑顔で私たちに微笑みかけた。
「驚いただろ。でも一番驚いてるのはこの俺なんだぜ。見ろよ、この胸」彼女は両手で二つのふくらみを下から持ち上げた。「腕を動かすたびにこいつにぶつかって、邪魔で邪魔でしょうがねえ」
その色っぽいしぐさに、トトンは思わず生唾を飲み込んだ。
「へえ、ほんとでっかい」ミラは感心した様子で、目をそのふくらみに近づけた。「これって、ブラのカップサイズでいうと、JとかKとかになるんじゃないかな。羨ましいなあ、こんな立派な胸」
フューンは得意顔になって、更に胸を張って見せた。
「へへへ、いや、さっきこの町に帰って来て通りを歩き始めたら、男どもが一斉に俺の胸に注目しやがるんだ。最初、何が起こったのか、って、ちょっとびっくりしたけどな」フューンは照れ臭そうにうつ向いた。「男にじろじろ見られるのって……結構気持ちいもんだな」
私は、今度はその恥じらいのしぐさにどきっとなった。
「男に戻る方法は……ないの?」
私は小声で尋ねた。フューンは悲しげな表情で首を振った。
「上手く言えねえけど、戻ることはできねえような気がする。わかるんだ。この体は完全に俺の体だ。一時的に女になってる、って感じじゃねえ。たぶん。髪の毛の一本、血の一滴まで女になっちまったんだと思う」
染色体レベルで性転換が行われた、ということなのだろう。もっとも、学校にろくに行っていないフューンにこんな難しい話をしても仕方がない。そう思って、私は黙っていた。
「つまり、赤ちゃんも産めるってこと?」
ミラが尋ねた。
「ああ、間違いねえ。ここへ帰って来る途中、ちゃんとせーりってのもあったし」
私は顔を赤らめた。そういうことは男の前で声を大にして言うべきではない。
「だ、だけど男から女になることができたんだから、その逆もきっとできるわ。何か方法があるはず」
私はそう言って、フューンの美しい瞳を覗きこんだ。しかしフューンは目を逸らした。
「もういいよ、リエーラ。こうなっちまったものは仕方ねえ。俺はこれから女として生きて行くよ。まあ、ちょっと不自由なことが多いけどな。でも俺には剣の腕とヴィリーノからもらった力がある。夜道で男に襲われそうになったって、ぶっとばすことができるんだ。恐くはねえ」
フューンは女っぽい笑みを浮かべた。
「それに、女ってのもそれほど悪くはねえんだぜ。男では味わえないイイことだってあるし」
そう言いながら、フューンはちらっとガリュスの方に目をやった。ガリュスは、私たちがフューンの話を聞いて驚いたり感心したりしている間、ずっとそっぽを向いてフューンと目を合わせないようにしていたのだが、今フューンに見つめられて、またそわそわし始めた。フューンの方はガリュスをなめるような艶っぽい眼差しで見つめている。二人の間にただならぬ空気が流れている……
「と、とにかくだ」ガリュスは再びそっぽを向いた。「俺は風呂に入って汚れを落としたい。家はほこりがたまっているだろうから、とりあえず今日は宿に帰る」
そう言って、ガリュスは店を出て行こうとした。
「おい、待てよ、ガリュス」
フューンはガリュスを引き止めておいて、私たちの方を振り向いた。
「俺も宿に帰るよ。これからのこととか、また明日、話をしよう。じゃあな」
そしてフューンは扉を開き、ガリュスと共に出て行った。
私とトトンとミラはしばらく呆然と扉を見つめていた。
「もしかして」ミラが口を開いた。「あの二人、できてるんじゃないの」
私はそれを聞いて、顔を真っ赤にしながら反論した。
「まさか。男同士なのよ。ミラだって知ってるでしょ。フューンもガリュスも女の子にちょっかい出すのを生きがいにしているような人間だったじゃない。男同士でそんなこと、あるわけが……」
トトンが首を振った。
「いや、フューンのあの美しさなら、そういうことがあったとしても不思議ではない。まして、エトモング遺跡からこのヘグレルまでずっと二人きりだったんだ。ガリュスのやつ、ついむらむらっときてしまったのかもしれない」
私は否定の試みを続けた。
「でもフューンが抵抗するわ。フューンは、男とそんなことするのは嫌なはず」
ミラはつき放したように言った。
「フューン、さっき言ってたじゃない、肉体が完全に女になってる、って。体が女になってしまったのなら、男に対して性欲が起きてもおかしくない。第一、ガリュスの態度はどう見ても普通じゃなかった。フューンと私たちを会わせないようにしてたでしょ、『フューンが会いたくないと言っている』なんて嘘ついて。きと、フューンの口から二人の関係をばらされるのが嫌だったんだよ」
トトンは腕組みしながら言った。
「しかし、フューンもガリュスも、フューンのおやじさんの仇討ちの話を一言もしなかったな。もう諦めたのかな」
「ガリュスが引き止めたんじゃないの。惚れた女に危ない真似をさせるわけにはいかないでしょ……」
ミラはそう言って、うつ向いた。やはり、ガリュスをフューンにとられたことにショックを受けているようだ。
私も胸が締めつけられる思いだった。でも、どうしてこんなに胸が苦しいのだろう?私は自問した。これはたぶん……幼い時からの友達がいきなり恋人同士になってしまったことへの驚きのせいだろう。きっとそうだ。そうに違いない。私はそうやって自分自身を納得させようとした。
更新履歴
2018-01-22 16:04 初版アップロード時に誤って同じ内容を二度貼り付けていたことに気づいたので、修正しました。




