第三話 スクランブル
管制塔内では、トーマが悲鳴にも似た声でマイクに向け叫び続けていた。
「ライトターン! ブレイク! そのままの進路では飛行場施設に激突する! すぐに姿勢を立て直せ! どうした! 返事をしろ!」
ヘッドフォンから聞こえてくるノイズに絶望感を味わいながら、それでも一縷の望みをかけてマイクに向け叫び続ける。そんな彼の隣で、エンフィーが悲鳴を上げて後ずさった。彼の背後にあった机に足がぶつかり、書類の束とボードゲームの駒がバラバラと盛大に床に撒き散らされる。だが、もはや誰一人としてそれを気にしている者はいなかった。
ジャービンはただ静かに椅子から立ち上がった。そして、すでにしっかりと像を結んだ攻撃機を見つめる。それは真っ直ぐに管制塔に向かっていた。
敵機胴体直下のハードポイントに吊るされた爆弾が目に入る。そのロックが外れ、宙に投げ出された。
巨大な葉巻のようなそれが、投げ出された勢いのままに直進する。管制塔のガラス越しに、それは真っ直ぐに向かって来ていた。
「なんで……」
ジャービンの口からそんな言葉が漏れる。しかし、彼がその答えを聞くことは叶わなかった。
爆弾は管制塔を直撃し、管制室は三人と共に盛大な爆音の中に四散した。
爆発の衝撃に、クロウザーは反射的にセシルを庇って彼女を抱き寄せた。その背後から襲った衝撃に吹き飛ばされ、芝生の上を転がる。次に顔を上げた時、二人の目に入ったのは燃え盛る基地の姿だった。
建物の中から命からがら逃げ出した人々が地面に倒れ込み、滑走路傍に待機していた消火班が慌てて引き返してくる。
何が起こったのかわからず呆けているセシルを抱き起こして、クロウザーは素早く視線を廻らせた。猛禽類のような眼差しで獲物を探す。そして空の一点にその姿を認めた。
管制塔を爆撃した攻撃機は一度基地上空をオーバーパスし、旋回して再び攻撃姿勢に戻るつもりだ。
セシルが、クロウザーの腕を掴む。その手から、彼女の震えがわかった。背後のアラートハンガーから、緊急事態を示すベルの音が鳴り響いていた。
カッコウは機体をバンクさせ旋回しながら首を上げた。火の手の上がる管制塔を一瞥し、最初の一撃が成功したことを確かめる。まずは第一目標完遂、次の標的は通信アンテナだ。それを壊せば、ラインベン飛行場は孤立する。しかし、第一撃が成功した時点で作戦の半分はすでに成功したといってよいのだが。
「カッコウよりフラック、卵は巣に産み落とした。繰り返す、卵は巣に産み落とした」
無線機から、二度のクリック音が響く。了解の合図だ。
カッコウは次の目標に向けて機体を爆撃コースに乗せた。
格納庫に駆け込んだクロウザーは壁に掛けてあったヘルメットを引っ掴むと、機体に向け走った。タラップを蹴りあがり、コクピットに体を滑り込ませる。セシルがその後を続き、ハーネスを閉めにかかった。その間に、クロウザーがヘルメットを被る。
タイヤが軋む音に顔を上げると、格納庫前に整備班のトラックが停車したところだった。運転席からファゴットが悪態吐きつつ飛び出してくる。
「ったく、冗談じゃねぇ! おらてめぇら、さっさと降りて離陸準備だ!」
ファゴットの指示に、整備員達が荷台から駆け出す。そのうちの一人がてこずっているのを見つけ、ファゴットの雷が落ちた。
「おい、パロマ、何ちんたらやってんだ! 生き残りたきゃさっさと動け!」
「は、はい!」
ひ弱そうな線の細い青年が駆け出していく。それを見送ってから、ファゴットがクロウザーとセシルの傍に駆け寄った。
「応援を連れてきた! すぐに出てくれ! 格納庫前に破片が飛んだりで向こうの機体を出すには時間がかかる、お前が先に出るんだ!」
至近距離で怒鳴られ、クロウザーとセシルがわずかに顔を顰める。
「ファゴット、何があったかわかるか!?」
「わからん! 突然管制塔が吹っ飛びやがった! 生憎中にいたんでな! お前は何か見たか!?」
「ああ、攻撃機がピンポイントで爆弾落としていったのをはっきり見た。ラトディアだ!」
「やつら、まだ殺し足りないってのか!?」
苦々しく吐き捨てるファゴットに、二人ともただ沈痛な面持ちでぐっと黙り込んだだけだった。
整備員が二人がかりでエンジン始動用のコンプレッサーを運んで来る。圧縮空気でエンジンを回すのだ。ホースを差し込むと、彼らは声を張り上げた。
「始動準備完了!」
「エンジン回せ!」
コンプレッサーが動き出し、騒音とともに圧縮空気を生み出す。回転を始めるエンジンブレード、グスタフJE3型ジェットエンジンが呼吸を開始する。
格納庫内に満ち溢れる甲高いジェットの咆哮が空気を振るわせた。
エンジン始動の間に、機銃用の弾帯を供給、同時にパイロンに空対空ミサイルを搭載していく。安全装置解除のファイアリングピンの抜き忘れに注意するよう、ファゴットの指示が飛んだ。
ジェットエンジンの騒音と整備員同士の怒声にさらに各種警報が入り乱れ、誰が何を言っているのかもはや意味を成していない。しかし、この混乱こそが彼らの身を置いていた日常であり、みなテキパキと己の職務をこなしていた。
計器を全てチェックし終えたクロウザーがふと顔を上げる。開け放たれた格納庫の扉の向こうにいくつもの銀の翼達が舞っていた。
護衛の戦闘機が一〇機に爆撃機が四機だ。ラインベルに向け真っ直ぐに低空侵入してくる。
再び基地のどこかで爆音があがった。
「今度は通信アンテナがやられた!」
誰かが外を見て叫ぶ。クロウザーの背をゾッと寒気が走った。
「さっさとしろ! 出るぞ!」
「待て! 今はまだダメだ! 滑走中に落とされるぞ!」
焦りに叫ぶクロウザーを、ファゴットが抑える。反論しようとしたクロウザーだったが、爆撃機はすでに攻撃コースに入っていた。尾翼の存在しない大型のデルタ翼機だ。計六つのターボプロップエンジンを持つ長距離爆撃機。おかしい、あれは五国同盟側の機体だ。
そんなクロウザーの疑問は、鳴り響く爆音と衝撃によって遮られた。爆撃機の進路に沿って一列に落ちてくる爆弾、その帯がクロウザー達のいる格納庫を掠める。地震のような大地の揺れと衝撃、耳を劈く爆音、天井を支える金属のいくつかが地面に落ち、盛大な音を立てた。
タラップに足を掛けていたセシルとファゴットが投げ出され、コンクリートの地面に強かに背を打ちつける。
飛行場は一瞬にして地獄絵図に書き換えられていた。炎上する基地施設、逃げ惑う人々の悲鳴と怒声、重傷者のうめき声。
それは格納庫の中も変わらず、クロウザー達の周囲でも火の手が上がり始めていた。
格納庫内に置かれていた棚や備品があちこちに吹き飛び、落ちてきた鉄材などが四散する。燃え上がる炎の向こうで、怪我をした整備員の悲鳴や消火を叫ぶ声だけが轟音に混じって聞こえてくる。
起き上がり、フラフラとした足取りで消火作業を手伝おうとするセシルを、ファゴットの大きな手が引き止める。
「え? きゃ!? ちょっと、軍曹!?」
彼は何も言わず、小柄な彼女の体を持ち上げると戦闘機の後部座席に彼女を押し込んだ。突然のことに慌てるセシルに、クロウザーがハーネスを外して立ち上がり、彼女の襟首を掴んで引き上げる。ファゴットを手助けしながらも、クロウザーは彼の意図が読めず声を張り上げた。
「ファゴット、どういうことだ!?」
「どうもこうもねぇ! ここにいるより、お前の後部座席にいた方が安全なんだよ! パロマ、ヘルメットをよこせ!」
「了解!」
いつになく機敏な仕草でパロマがヘルメットをファゴットに放ってよこす。それを受け取ると、彼は乱暴にそれをセシルの頭に被せ、上から後部座席のシートに押さえつけた。
「ここの後始末は俺がやっといてやる! クロウザー、おめぇは上の糞野朗どもを倒して来い!」
「しかし!」
「行け! そして生き残れ! いいな、くそったれ!」
ファゴットの真剣な眼差しに、クロウザーがぐっと歯をかみ締めると、シートに座りなおしてハーネスを締めた。酸素マスクをはめ、バイザーを下げる。エンジン回転数、出力正常、その他離陸前の二百近いチェック項目をスクランブルの手順に従ってその八割を省略する。機内の通信機を作動させる。
「セシル、準備はいいか? 出るぞ!」
「は、はい!」
緊張している。それはそうだろう、機付長として何度か後部座席に乗せたことはあるが、実戦経験は皆無だ。激しい空戦機動に彼女が耐えられるかどうかも定かではない。それでも、もうどうしようもなかった。車輪のブレーキはすでに外している。機体が徐々に前進を始めていた。キャノピーを閉める。どたばたと走り回る整備員達の中にあって、ただ一人ファゴットだけが彼らを見送っていた。彼が、いつに無く真剣な眼差しで敬礼を送る。その姿に、クロウザーはバイザーに手を当てて答礼を返すと正面を向いた。
機体が格納庫を出る。正面十二時の方向上四五度に敵編隊の姿が確認できた。ちょうど敵第一波が通過した直後だ。今ならいける。
無線機をどの周波数に合わせたところで拾うのはノイズばかりだ。それもそうだろう、管制塔は真っ先に破壊され、通信アンテナも壊されている。誰に許可を取る必要も無い。生き抜く為、守るためには飛ぶしかないのだから。
クロウザーはスロットルレバーを全開まで入れると機体を加速させた。タクシーウェイから滑走路へ。滑走路に数箇所破損があるようだが、気にしている場合ではない。
ファルシオン戦闘機が滑走路を加速していく。タイヤが地面をなぞる振動に機体が震える。エンジン音の甲高い音に、徐々に機体が空気を切り裂く轟音が混じり始めた。速度計が二〇〇ノットを超える。クロウザーはそっと操縦桿を引いた。機首を一〇度持ち上げる。ふわりと浮き上がる感覚、あれだけ激しかった振動がウソのように安定する。大地から離れた開放感だ。
クロウザーはスロットル全開のまま機体を上昇に入れたが、一瞬目の端を掠めた気配に、間髪いれずに反射的にラダーを踏み込み操縦桿を左に倒した。そして自らの体に引き寄せる。機体右舷の切り裂く曳航弾の帯、旋回のGに耐えながらぐっと背後を振り返ると一機の戦闘機が背後を取っていた。
車輪を格納し、フラップを閉じる。離陸直後のために機速が足りず高度が取れない。背後を取られたままではいずれ回避にも限界が来るのは明らかだった。
計器に一瞥加え、加速が十分なのを確認する。クロウザーは反転を止めて素早く操縦桿を引くと機体を宙返りに入れた。スロットルレバーを調整して大きく膨らまないように注意し相手のオーバーシュートを狙う。
遠心力によるGで血液が足に持っていかれ、視界が霞む。マスク越しのくぐもった自分の呼吸が煩い。操縦桿をもとに戻したい衝動を必死にこらえる。
一八〇度進路を反転させ、背面飛行の状態で操縦桿を左に倒し、ロール九〇度ロールを打つ。インメルマン・ターン、上昇反転だ。飛行速度をそのまま位置エネルギーに変換し、機速を落としつつ高度を稼ぐことが出来る。クロウザーはそこから更にスロットルレバーを下げ失速ギリギリまで機速を絞ると急横転に入れる。切れ込むような鋭い機動について行けず、敵機が前に出る。相手の背後を取った、チャンスだ!
クロウザーが敵機の背後をきっちりと押さえる。HUDの設定を機銃に変更、円形の射撃照準とピパーの光点が映し出される。ガラス面の照準器の向こうで、敵機が射線から逃れようとラダーを使って機体を左右に振り、更にロールを打つ。その後に必死に喰らい付きながら、クロウザーは更に機体を近づけた。
照準が敵機を捕らえる。ここで引き金を引けば撃墜出来るだろう。だが、クロウザーは引かなかった。撃墜出来るだろうというのは、あくまで訓練時の射撃距離だ。実戦ではこの距離が一桁近く違ってくる。確実に敵機を倒すには、どれだけ近づけるかが勝負の鍵だ。それをクロウザーは実戦の中で学んでいた。逆に言えば、クロウザーが生き残れたのはそのおかげといっても過言ではない。
距離が詰まる。敵機の後姿が眼前に迫る。FOX3、このコールと共に引き金を引けば撃墜数に一が加えられることだろう。だが、クロウザーは引き金を引くことが出来なかった。
ヘッドフォン越しに、セシルの苦しげなうめき声が聞こえたのだ。クロウザーはハッと我に返ると敵機を追うのを止めて離脱させると機体を上昇にいれた。
「セシル、大丈夫か!?」
「……は、はい……」
苦しげながらも気丈に返事を返す彼女に、クロウザーの表情が曇る。今すぐ彼女を地上に降ろしてやりたい。しかし、それは叶わないのだ。今は、苦しくても耐えてもらうしかない。
そんなクロウザーの葛藤を知ってか知らずか、ヘッドフォン越しにセシルの健気な声が響く。
「大尉、私のことは気にしないで思いっきりやってください……みんなを助けなきゃ……私に出来ることがあったら何でもやります」
長い付き合いだ、彼女が半端な気持ちで言っていないことくらいすぐにわかる。そして、今はやるしかないことも……。
「……よし、レーダーの使い方はわかるか?」
「はい」
「なら、敵機の位置の監視と後方警戒を頼む! 地上からの指示が無い以上、俺たちでやるしかない!」
「了解!」
後部座席でセシルが作業に取り掛かるのがわかる。その間に、クロウザーは機体を軽くバンクさせつつ戦闘高度を稼いだ。
「大尉、一時の方向低空に敵編隊」
「よし、行くぞ!」
操縦桿を軽く右に倒す。傾く機体。視線の先で大きく翼を広げ悠々と地上を蹂躙する悪魔の姿が昼下がりの日差しに光を放つ。クロウザーはスロットルを開くと機体を加速させた。
急降下、敵機後方上空からの一撃離脱方式は動きの遅い爆撃機相手には有効な一打だ。
照準器の光点の中心に敵機の背中を捕らえる。軽くロールを打って機体の姿勢を整える。クロウザーは操縦桿のトリガーを引いた。
機首に取り付けられた二門の二〇mm機銃が火を噴き、発射音が機内にあふれかえる。トリガーを引く時間は1秒も無い。その間に、ファルシオンに搭載された約一〇〇発の弾丸を消費する。もしトリガーを引き続けたりしたら、二〇〇〇発の搭載数はあっという間に撃ちつくしてしまうのだ。
曳光弾の帯が敵爆撃機の背を抉る。それを視界に留める間も無く、クロウがーはスロットルを更に叩き込むとバレル・ロールを打った。そのまま火を噴く敵爆撃機の脇をすり抜け離脱に入る。
一撃離脱、空中戦の基本戦法だ。空中戦では相手に気取られずに背後に回り、一瞬で攻撃を済ませて逃げるのが鉄則だ。そこで仕損じれば、長いドッグ・ファイトが待っている。
身を乗り出して背後を窺っていたセシルが歓声を上げる。
「大尉、一機撃墜!」
その声に、クロウザーがわずかに視線を上げてバックミラーを見つめる。だが、それだけだ。覚めた瞳がフッと流れる。
「セシル、掴まれ。レフト・ターン」
一言そう言って、クロウザーが機体を緩いハーフループに入れる。彼の視線の先に、爆撃機をやられた敵の護衛機が二機追いすがってくるのが見えた。
ハーフループのまま徐々に高度を上げていく。速度を高度に変えることで運動エネルギーを有効に温存しながら減速できる。
敵機がクロウザーの背後を取ろうと躍起になる。こうなっては根比べだ。どちらが相手の背後を取れるか、飛行技術とパイロットの精神、そして機体性能の勝負となる。
クロウザーが急旋回を切る。相手もそれに負けじと更にまとわり付く。
上下左右から来る急激がG、白刃の上を素足で歩くような恐怖、滲む汗、全身の筋肉が軋む。
いくつもの急激な戦闘機動の繰り返しにより天地が何度も入れ替わり、太陽の輝きを気にする余裕も無く、窄む視界の中で敵機の背だけを追い続ける。
敵機が照準器に飛び込む。
「FOX3」
クロウザーは瞳を揺らすことなく、自然な仕草で軽くトリガーを引いた。
銃弾が敵機に迫る。射線が敵機を一閃し、翼が破片を撒き散らしながら吹き飛ぶ。錐揉みに入りながら炎上し、墜落する敵機を、クロウザーは撃墜の勝利を告げることなく覚めた瞳で見送った。
「大尉、六時の方向に敵機(チェック6)!」
セシルの声にハッと我に返る。敵の僚機がいつの間にかこちらの背後を取っていたのだ。スロットルを全開に、操縦桿を引き機体を上昇させる。
加速のGで酸素マスクが重く顔にのしかかる。シートに体が抑えられ、キャノピーの向こうに空が流れた。
敵の銃弾が一瞬前まで彼らのいた空を切り裂く。バックミラー越しに敵機が後を追って上昇に入ったのがわかった。
ループ頂上でスロットルレバーをアイドリングに入れ更にエアブレーキも作動させる。急激な原則に体が飛び出しハーネスに締め付けられる。ラダーペダルを踏み込み、操縦桿をひねる。急激な横滑り横転。敵機も負けじと戦闘機動を取るが、クロウザーの方が鋭く、動きに一日の長があった。
わずかに敵機が前に出る。その隙を見逃さず、クロウザーが背後を取った。形勢逆転。
その時、通信機が音を立てた。
『クロウザー、聞こえるか?』
ファゴットの声だ。セシルに代わりに出るように言う。返答したセシルに、ファゴットは怒鳴りようにして言った。
『他の奴らの準備が出来た。今からメイトとミゲルが上がる』
視線を巡らすと、滑走路を走り出す二機の戦闘機の姿が目に入った。クロウザーが送信スイッチを入れて答える。
「わかった。上がったらこちらの指揮下に入れる」
『頼んだぞ』
ファゴットの返事を最後に、無線が切れようとする。だが、それをセシルの声が遮った。
「飛行場西方より敵爆撃機第二波接近! 大尉、このままじゃ……」
彼女の言わんとすることを察し、いつに無くクロウザーが焦りの滲んだ声で無線に向かって叫ぶ。
「ファゴット! 今すぐ離陸を中止させろ!」
『無理だ! もう止められん!』
先発の敵戦闘機が低空から格納庫上空を飛び越え、滑走中の二機に向けて牙を向いた。
逃げろ! 心の中でそう叫ぶが、声が届くことは無い。味方機の脚がわずかに大地の呪縛から解き放たれ、空に舞い上がろうと機首を空に向ける。それと、敵機の銃口が火を噴くのは同時だった。
弾丸が二機を飲み込み、ズタズタに切り裂く。魔法の解けた二機は重力という大地が出来てから存在し続ける普遍の法則に従って地上へと落ちた。
一機は横に流れ、滑走路脇の草地に炎の泉を作り、もう一機は滑走路上で爆散した。
「クソ!」
クロウザーの口から珍しく悪態が漏れる。彼は悔しげに顔を顰めながら敵機に向けて機首を向けた。しかし、その視界の向こうに、悪魔の群が立ちふさがる。
五機からなる敵戦闘機の群が獲物を見つけて飛び掛ってきたのだ。
クロウザーは急いで回避行動に入った。たった一度でも判断を誤れば撃墜される。戦闘機乗りの本能が針の一点のように小さな生存の隙間に機体を潜り込ませる。
背後から、セシルの声が聞こえる。彼女の声だけが、麻痺した脳に響いた。敵の位置が、手に取るようにわかる。背中に感じる温もりがクロウザーを支えていた。ハリー、お前ともこうして飛んでいたな……。




