外伝:五年も経てば異世界は変わる。
五年という時の流れ。
後の世には『アルガントム』という最強最悪の災害によって三つの国家が滅ぼされたと記録される年、それから五年だ。
元・アルガントムにして、今はキョウジという名の最強の虫人。
彼の配下、忠義に厚い七十二体。
いつしか魔神と呼ばれるようになっていた存在たちの中に『ホムンクルス』という者がいる。
金属製の機械的、かつ巨大な手足に支えられたフラスコ。
その中に浮かぶ巨大な赤ん坊という、まあハッキリ言えばバケモノに分類されてしまうような外見の持ち主だ。
しかし、バケモノは見た目によらない、というべきか。
ホムンクルスの性質は穏やか、そして理知的、好奇心旺盛だ。
馬車が走り回り、剣や槍を持った兵士が町を守る、そんな時代が革新する様をこの目で見たい。
馬車は車や列車に、剣や槍は銃に、人々は技術の力で楽に生活できる、そんな世界への進歩に感動してみたい。
ホムンクルスが主への忠義の次に優先する行動目的である。
ルーフ独立自治領。
十三の領主がそれぞれ治める十三の領地、その同盟によって成り立つある種の国家。
色々あって『白金同盟』と名乗ることになった十三の領地、その権利は建前上平等なのだが、ルーフ独立自治領に関してはちょっと特別だ。
そもそも同盟が発足するきっかけを作った者たちが住む土地であるし、領主は陽光姫の異名で呼ばれる人気者、同盟の顔役。
だからルーフ独立自治領は、白金同盟においてなんとなく中心地的な役割を担っている。
領主が集まり会議をするのもこの土地にある『ルーフ村』だ。
ある意味で、今の世界の中心。
ゆえに、ホムンクルスが技術や文化を発信するにちょうど良いと、選んだ土地もルーフ村。
線路を引こう、この地を中心に広がるように。
汽車なる新時代の乗り物を扱うにはそれが必要だ。
道を整備しよう、草をむしり、巨大な岩は除去して、出来る限り平らに。
自動車の車輪はまだまだ悪路を走りきれるほど完璧ではない。
技術研究のための施設を、部品開発のための工場を、燃料確保のための炭鉱を、と。
知識人や鍛冶師、あるいは他の七十二の魔神の力も借りて、ルーフ村から少し外れたところに工業拠点を建設。
ホムンクルスと、その目的に協力する者たちの努力は、五年の時で世界をそこそこに進歩させている。
というわけで、列車に乗って新婚記念の旅行に行くことにした。
身内の惚気話である。
ルーフ村の集会所。
増築改築しつつそこそこ立派になった建築物の執務室は、五年経って書類やらなにやらの品々が増えた以外に大きな変化はない。
そこでいつも通り書類仕事をしていたリザイア・トランベインは、いきなり尋ねてきた兄の惚気話につきあわされていた。
「いやはや、風を切り風景が流れていくのを楽しむ。実に良いものだよ、きっと。アリアと一緒ならばなおさらに。はっはっは」
「そうですか」
ご機嫌に白い歯を見せて笑う兄に、リザイアはちょっとげんなりとした表情で返答する。
エルガル・アルドナート。旧姓エルガル・トランベイン。
前アルドナート家当主、アンドレイ・アルドナートは老いていた。
人は老いればやがて死ぬ、それは人々に好かれた元貴族とて変わらない。
自らの死期が近づいたことを悟った老人は、しかし特になにもしなかった。
普段通りに、人々の畑仕事を手伝い、釣りをしながら談笑し、変わらぬ毎日を過ごしていた。
歴史上、死を避けようとした権力者の伝説はいくらでも残っている。
権力も財力も武力もあるのだ。
不死の薬の研究を。
魔法の力でならば。
他者の命を吸えば。
結局のところ成功したという話はなく、数千年を生きたような人物は世界にいないのだから、不死とは叶わぬ夢なのだろう。
寿命が迫ると共にみっともなくうろたえ、挙句に他者に苦労をかける、老人はそれをよしとはしなかった。
アンドレイ・アルドナートという男が長年を生きた末に出した答えだ。
本人曰く、普段通りに暮らし眠るように潔く死にたい、と。
しかし、死の近い老人にとって唯一の心残り。
一人娘、アリア・アルドナートのこと。
アンドレイの妻はすでに死去していた。
他に頼れる身内もなし。
自分が死んだ後、娘は一人になってしまう。
この場合、アンドレイ・アルドナートという男のある意味の欠点となってしまった性質。
彼は娘を愛するがゆえに、彼女を政治的に利用しようとはしなかった。
例えば、アンドレイが位の高い貴族と交渉し、その息子との見合い話でも持ってくれば、アリアはそれを受け入れるだろう。
相手が性格の悪く顔も醜い男であったとしても、アルドナートの血を絶やさぬためならと自分を殺して嫁ぐ。
下級貴族の家には勿体無いくらいの出来た娘なのだ、望まぬ結婚であろうと家のためなら頷く乙女がアリア・アルドナートなのだ。
そんな娘を政治的に利用する、アンドレイは父としてそんなことは出来ぬ、と。
好きな相手を見つけ、人並みに恋して、幸せな結婚をしてほしい。
貴族以前に親たることを優先する。
アルドナート家は先祖代々そんな家系だ、高貴な貴族からの見合い話が来ても恋なければ応じず、自由な恋愛の末に結婚して子を授かってきた。
そんなんだから政治的に弱く没落していったとも言える。
ちなみにアンドレイの妻、アリアの母は農民だ。アンドレイとは収穫祭の時に出会って恋して結婚した。
自分と同じように、アリアもやがては恋の果てに家庭を持つだろう、とは理解しつつ。
しかしそれまで一人で過ごす娘の寂しさを考えて、何より娘の晴れ姿を見たかったという父としての願望があって、それがアンドレイの心に引っかかっていた。
さて、一方でエルガル・トランベイン。
アンドレイ・アルドナートには――アルドナート家には、トランベイン滅亡以前から何かとご厄介になっていた。
人として恩がある。
そして、アリア・アルドナートという女性をどう思うか。
エルガルは様々な女性と過ごしてきた。
顔が良い、スタイルが良い、性格が良い、それ以外にもエルガルが女性を評価するポイントは様々だ。
アリアより美人な女はたくさんいる。
アリアよりスタイルが良い女はたくさんいる。
アリアより優れた女性はたくさんいる。
社交辞令、お世辞、口説き文句、そういうものを抜きで考え、答えとするならそうなるだろう。
アリアは完璧な女ではない。まあエルガル自身、完璧な女というものを見たことがないのだが。
それをある種の答えとした上で、エルガルはさらに考える。
女性の劣る点だけを見て評価するのは愚か者だ。
アリアの穏やかな性格は共にいると安心できる。
アリアの淹れる紅茶と手製の料理は絶品だ。
アリアの健康的な体は良い子を産んでくれるだろう。
他にも彼女の長所を述べよ。
そう言われれば幾千の言葉を尽くして語れる。
つまり、エルガルが彼女を好く理由は幾千とあるのだ。
生涯の伴侶として、今までに出会った女性の中から一人を選ぶならアリアが良い。
無論、結婚はアリアが首を縦に振ってくれるならば、だが。
そしてエルガルはアルドナート家の父娘を前に結婚を申し込んだ。
アリアは顔を赤くしながらも了承してくれた。
あとはアンドレイを納得させるだけ。
エルガル・トランベインとは娘を託すに相応しい男であるか。
死期を悟った老人とは思えぬ、逞しき武人の豪腕と本気で殴りあった末、辛勝。
エルガルはアンドレイに自らの力と覚悟を証明してみせた。
そして、アンドレイに娘を頼むと言葉を貰い、結婚。
結婚式中に出席した妹二人に過去のナンパ経験を暴露されて慌てていたが、ぶっちゃけアンドレイもアリアもエルガルがそういう色男だと知っている。
エルガルがそういう男であると知ってもいるが、その上で結婚することを認めたのだ。
慌てふためく美形の新郎の姿は良い見世物であったというのは、新婦やご家族含めた出席者全員の言葉。
そんな、新郎の冷や汗と笑顔溢れる結婚式の数日後。
全てを見届けたアンドレイ・アルドナートは安らかに眠る。
最期の瞬間にやっていたことは、娘夫妻とのティータイムだった。
暖かな日差しの中、昼寝をするように永眠したというのだから、本当に死の瞬間まで普段通りに生きた男である。
その後、アンドレイの葬儀を終え、しばらくの鎮魂の時間を妻と共に過ごしたエルガル。
哀しみが時間と共に癒えた後、エルガルはアルドナート家の後継者として名を変えたり各所に挨拶回りをしたりと忙しく動き回っていた。
それも落ち着いたところで、妻の淹れた紅茶を飲みつつ思いついたらしい。
新婚の記念に旅行に行こう、と。
基本、旅とは危険なものだ。
街道を歩けば賊に襲われる可能性がある、馬車に乗っていようと森から出てきた魔物に追い回されるかもしれない。
女性と共に楽しく旅をする、なんて発想はありえないのだ。
以前ならば。
五年で世界は変化していた。
馬車に変わる交通の手段が整備され、白金同盟は兵士や冒険者に各地の治安維持を任せ、世界は少しずつ穏やかに。
気楽な旅をする余裕もあるというもの。
何より、ホムンクルスたちが開発した列車と鉄道網がある。
馬で数日かかるような距離を半日ほどで走破する乗り物だ。
しかも一度に輸送できる重量はその辺の馬車の十倍以上。
結婚の記念に世界を楽しく旅する。
今の世ならばそれが可能であるとエルガルは考えた。
だから新婚旅行。
計画も準備も完璧で、明日には出発である。
「……で、なぜわざわざ今度のレグレス五星自治区やセントクルス正教地区との会議の準備で忙しい私のところに? エルガル兄さん」
「はっはっは、忙しい妹にこの幸せの片鱗を分けてやろうと思ってね」
ようは自慢で惚気。
エルガルは白い歯見せつつ、それでは、と。
「僕は楽しんでくるので君は頑張れ領主殿! はっはっは!」
「妹に喧嘩売ってませんかこの野郎!?」
四属性の力を宿すフランベルジュを手に取るリザイア。
それはさすがに死ぬと全力で逃走するエルガル。
兄と妹の微笑ましい交流風景である。
★
白金鉄道ルーフ村横駅。
三年前、この世界にはじめて建築された駅である。
乗り降りのためのホームと、地名を記す看板。
みやげ物なんかを売る商人が店を出し、旅人は列車が来るまでの暇つぶしにそれを見て回る。
車両に貨物を積み下ろしする準備のため、汗を流して働く者の姿も多い。
わりと賑やかだ、新時代の交通機関はすでに世界の一部として浸透し始めている。
この急速な発展は魔法含めた超常技術や現代日本という世界の知識があるからこそ成し得たものであり、本来は技術の実用化や環境整備にもっと時間がかかるもの。
ホムンクルスの言葉だ、彼の想定よりも遥かに早く世界の針は進んでいた。
まあ悪いことではない。
現に、この技術のお陰で自分たちは新婚旅行ができるのだからと、エルガルはご機嫌に笑う。
灰色のコートを着込み、右手には荷物を詰め込んだバック。
そして隣りには白のワンピース、肩から外套を羽織り、頭には帽子をのせた最愛の妻。
慣れない衣装、恥ずかしそうに俯くアリアは、おずおずとエルガルに問う。
「あの、エルガル。変じゃないですよね、この格好」
「よく似合っている。かわいいよ、アリア」
真正面から褒められて、アリアはさらに顔を赤くする。
本当にかわいい、良い妻だ。
そんな乙女と手を繋ぎ、他愛もない会話をしながら待つこと少々。
地面から伝わってくる微かな振動。
汽笛の音に視線を横へと動かせば、線路上を駆ける鉄の大蛇の姿が見えた。
蒸気機関車。
石炭を燃料に。
熱で水を蒸気に。
機構を動かし車輪を回す力と変えて線路の上を走る先頭車両。
連結された車輪つきの巨大なコンテナは貨物を積むためのもの。
人を運ぶための客車は後方の二両、内から外の景色を眺めることができる窓つきだ。
四両編成の列車、それがエルガルたちを楽しい旅行に連れて行ってくれる乗り物である。
甲高いブレーキの音を鳴らしつつ、停止。
貨物の積み込みや乗客の乗車が始まる中、エルガルはアリアの手が少し震えていることに気がつく。
「どうしたんだい?」
「……その、馬車なら乗ったことがあるのですが」
これに乗るのは初めてである、と。
乗ったことのない乗り物に、自分の命を預ける不安。
エルガルはその手を強く握り、大丈夫と歯を見せ微笑む。
「僕は何度か乗ったことがある。その僕が保証しよう、これは馬車より乗り心地が良い」
事故を起こすこともないだろうし、もしもがあればアリアを抱きかかえて飛び降りる。
妻を守るという強い意思を秘めた言葉は、アリアに勇気を与えた。
彼女はエルガルの手を強く握り返し、最愛の夫に笑顔を向ける。
「大丈夫かい、アリア?」
「……はい! 勿論です、エルガル!」
彼と一緒なら何も怖くない。
父が信じ、自分が愛した男である。
手を引かれ、客車に乗り込むアリアの足取りに迷いなし。




