外伝:どうでもいい過去の夢の話。
ラトリナの目は色々なものを見ることができる。
近くも遠くも、一つも多数も、夢も現実も、この世界も異世界も。
正直なところ、ラトリナ自身も自分の目がどこまで世界を視れるのかわかっていない。
というか、自分の目に映るもの全てが真実なのかすら確信を持てない。
ずっと狭い城の中に閉じ込められ、わけのわからない秘術の道具にされているのだ。
夢であってほしい、現実なら最悪だ。
そして真実は、どうやら最悪の側である。
だから眠ることが幸せだった。
狭い世界に閉じ込められている、そんな現実から逃れられる唯一の方法。
眠った先には夢がある。
色んな夢を見れる。
人として平和に生きる夢、亜人となって勇ましく戦う夢、神に仕える者として声を聞く夢。
閉じた瞼の裏側に映る世界、そこが今のラトリナにとって唯一の理想郷なのだ。
★
ラトリナは竜の視界を得た。
その黒き魔竜の名をアジダハッカという。
黒い霧を纏う巨大な竜。人間すら噛み砕く怪物。
名づけたのは人間だ、異世界からやってきた男。
「何神話のだか忘れたが、確か悪いバケモノの名前だ」
人を殺して回る竜。悪党だ。
気に入らんと、男は吐き捨てる。
同様、アジダハッカも咆哮し、夕闇の中の世界を揺らす。
こちらもお前が気に入らないと言わんばかりに。
土壇場で救世主がやって来る。
死を前にしたゴミが、そんな奇跡が本気で起きると狂信し、結果世界が応えてしまった。
異世界から新たなゴミを引きずり込んでしまった。
気に入らないものばかりが存在し、気に入らないことばかりが起こる。
アジダハッカは駄々をこねる子供のように、大地に前足を連続で振り下ろす。
振動と共に地が割れる。
男はそれを軽々と回避し、軽く笑う。
「悪党の攻撃なんぞに当たるかよ。悪党じゃ、大悪党には勝てはしない」
男は自分が強いと狂信している。
自分より強い悪党はいない、と。
その狂信に世界が答えている。
この世界において、もはやアジダハッカは最強の悪ではない。
悪いヤツはもっと悪いヤツに倒される、悪いヤツを倒す最強最悪が自分であると男は宣言した。
「まあデカブツ相手だ、ジャイアントキリングに素手ではちょっとキツいからな」
そう語り、手にする刃は無銘の剣だ。
伝説の剣とは伝説を作るまでただの剣。
これから魔竜を殺すという伝説を作る剣。
「雷を切った伝説を持つ刀が雷切と呼ばれるんだ、ならこの剣の名は竜切か」
いや待て安直すぎると、戦いの最中だというのに男は首を傾げて考え始める。
アジダハッカの攻撃は軽々と回避しつつ、ぶつぶつと。
「剣だ、西洋風にいこう。ドラゴンキラー、いややはり安直。殺す、破滅、Bane、ベイン。ドラゴンベイン? 竜、ドラゴン。ドラン、いや、トランベイン。よし、これでいこう」
結局のところ竜を殺すという意味が原型。
適当に発音を変えただけ。
男としては、それが気に入ったからそれでいいのだ。
トランベイン。
剣にその名がつくのはこれからだ、目の前の竜を斬り殺した瞬間、初めてそれはトランベインとなる。
「女の前だ、格好つけなきゃな」
男は、手首のスナップを利かせ剣を頭上に放り投げた。
アジダハッカの目がその輝きにひきつけられる。
戦闘中に敵から目を逸らす。
それが許されるのは強者だけだと男は笑い、狂信により得た強靭な脚力で跳躍する。
アジダハッカの顎を下から殴りつけた。
首を仰け反らせ、巨体が傾ぐ。
かっこいいのはこれからだ、女も惚れる曲芸戦闘。
宙に浮いていた剣を手に取り、両手で構え、狙いをつける。
仰け反った竜の頭から首、上から下へと一直線。
可能か?
可能だ、落下の勢いものせればいける。
というか失敗したら恥ずかしい。
男はその光景も少しだけ想像し、苦笑しつつ。
「これでこいつは――トランベインだ!」
両断。
予定通りに、狙った通りに、アジダハッカの頭を切り裂いた。
巨体が倒れる。
黒い霧は死に瀕する肉体から離れると、地面を這ってどこかへ行った。
残されたのはアジダハッカの血肉と骨。
逃がしたかと、男は息を吐く。
構うことはない、よくわからないがアレは小物だ。
世界が滅ぶことを望むが、世界を滅ぼす力など持っていない、その程度の存在。
アレは自分の力を信じきっていない。
だから他人の力を信じ、それを奪おうとする。
弱い悪。
アレが世界に与える影響など大したものではないだろう。
アレに影響を受けて滅びるような世界なら、自分が何をしようが結果は変わらない。
男はこの世界がそんなくだらないものではないと信じていた。
トランベインについた血を払い落とし、背後を振り返る。
「リジーナ、ご覧の通りだ、魔竜退治は完了だ」
リジーナ。
奇跡を願った女。
奇跡で現れた男の恋人。現地妻だが。
男は恋多きことを悪いこととは思わない。
英雄が色を好むように悪党も色を好む。
まあ元の世界の恋人にバレたら殺されるかもしれない。
男は少し恐怖するが、ようはバレなきゃいいのだ。
彼女は男に駆け寄り、口付けを交わす。
なにやら親しく言葉を交わしているが――どうやらこれ以上はダメらしいと、ラトリナは夢の中で悟る。
アジダハッカの肉体が完全なる死へ向かう。
その目が闇の中へと消える。
これ以上、夢の中に留まることは不可能だ。
この夢を離れたらどうなるか、まだあの現実の中か、あるいは別の夢の中か。
ラトリナにとっては夢も現実もどうでもいい、全てに価値を感じない。全てに意味を求めない。
目が覚めたら全て忘れて目から血だけを流しているんだろう。憂鬱だ。
ぼんやりと、薄れ行く意識の中、最期に聞いたのはリジーナの声。
彼女が奇跡の男の名を呼ぶ声。
ハザマギンシロウ。
★
自分の仕事場からこっそり抜け出し、墓地隣りの小屋に来て、自分の剣たる白金のインセクタとのんびり過ごす。
それが最近のラトリナの行動パターンだ。
ぐっすりと眠っている彼女の寝顔を見てキョウジは苦笑し、しかしそろそろ起きてルーフ村に戻らないとリザイアに怒られるのでは、と。
そんな思いやりから夢見るラトリナに声をかける。
「ラトリナ、君の姉のわりと本気の拳骨をその身に受けたくなければ起きた方がいい」
声に反応し、瞼を開く。
同時、涙のように零れ落ちる赤の血液。
「……また勝手に力が発動していたのか?」
心配するキョウジの言葉に、ラトリナは寝ぼけ眼で頷いた。
「そのようですね……ただ、最近は体が異常に慣れてきたようです。あまりダメージも受けませんし」
「……異常な状態に慣れる、か。大丈夫なのかそれは」
「ふふ、大丈夫な時は大丈夫ですし駄目な時は駄目でしょう」
それはそうだ、今のキョウジは回復系統の力を使えない。
心配するだけ無駄なのだが、しかし無駄だから心配せずというわけにもいかない。
「何かあったら早めに言ってくれ」
「ふふ、わかってますよ」
相変わらずの優しさに微笑みを返す。
まったく、世界は素晴らしい。
自分なんかには勿体無い、最高の剣が共にある。
優しい姉と兄、仲良き人々、楽しい町。
夢ではない、現実だ。
過去、城の中で軟禁されていた頃の自分にこんな未来があると話しても、彼女はきっと信じない。
かわいそうに、過去の私。
過去。そう、過去。
その単語に、ラトリナは夢の一部を思い出した。
「キョウジ。確かあなたの本名はハザマ・キョウジ、でしたよね?」
唐突な質問に首を傾げつつ、キョウジは頷く。
「ああ。前も言った通り、羽間キョウジが俺の名だ」
「……ハザマ。あなたの先祖にハザマ・ギンシロウという名の者がいませんでしたか?」
その名を聞いて、キョウジは驚いた様子で問い返す。
「俺は君にその名を語ったことがあったか?」
「いえ、夢の中で聞いた気がする名前なだけです。あなたと関係あるのかなと思ったのですが」
「関係あるも何も、俺の祖父――アルガントムの本来の持ち主たるクソジジイの名前だぞ」
「……なんと」
ぽかんと口を開けているラトリナに、キョウジは軽く過去を思い出しつつ。
「アルガントムの名の由来だが、俺の元いた世界の、どっかの神話にアガートラームって言葉があるんだ」
その意味は銀の腕。
「エンシェントにおける羽間銀四郎の腕――銀の腕でアガートラーム。それじゃ安直すぎるから文字を並べ替えたりしてアルガントム、だったか」
その由来を聞いてもはや原型がないと突っ込んだのも懐かしい記憶。
銀四郎の解答は自分がカッコいいと気に入ればいい、他人の感覚なんか知ったことかという実にらしいお答えだった。
それはともかく。
「……しかし、君の夢にその名が出たと? どういうことだ?」
「夢のことは私も記憶が断片的でして。詳しくはわかりませんし、聞き間違いだったのかもしれません。ただ……」
たぶん、古の時代の夢だった気がする。
トランベインが建国される以前、ずっと昔。
確かリジーナとはトランベインの初代王妃の名だったような、違ったような。
なにせ太古の文献の記録だ、正確な情報は殆ど残っていない。
トランベインの初代国王の真実の名前も不明である。王妃の名に関しても諸説ある。
キョウジの祖父が、そんな遥か過去にこの世界に呼び出されていた?
ありえないだろう、滅茶苦茶だ、時間の流れはどうなっている。
いや、異世界から人を呼ぶ奇跡があるのだ、時間の流れなんてものを細かく気にするのもおかしな話かもしれない。
色々と考えて、ラトリナは当事者がいなければ真実などわからないと答えを得るのを諦める。
ただ、もしもあの夢が過去の事実なのだとすると。
「キョウジ。アルガントムが――ハザマ・ギンシロウが強かったのは、古の時代から変わらないのかもしれません」
冗談めいて口にするラトリナに、キョウジは苦笑を返した。
「まあ子供の頃からバケモノじみて強かったらしいからな、あのジジイ。異世界で鍛えていた、なんて言われたら」
信じるに足る無茶苦茶だ。




