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000:過去の世界のプロローグ。

とある世界でインセクタと呼ばれる虫人の寿命だが、だいたい三十年と言われている。

 一般的に最低六十年くらいは生きるであろう人間からすれば半分の時間。


 たとえ異世界の廃課金アバターであっても、虫人の寿命が短いのは変わらなかった。

 全てがエンシェントと同じ法則の世界というわけではなかったが、魔法に硬貨を用いるのが同じなように、虫人の肉体の寿命も同じ。


 まあ約三十年、十二分に友達も作って楽しく生きた。

 最期を看取ってくれた人々もたくさんいた。


 だからこそ、黒木マユは現在を最悪だと表現する。

 前髪で目元に陰を落とす陰気な雰囲気、ついでにやたら長身の、学生服姿の少女。


 それはスコロペンドラ、あるいはスカラの名で呼ばれていた者の本来の姿。

 素材は悪くないが、環境的に化粧なんてものを覚えるほど精神的な余裕がない地味な女。


 その精神的な余裕を奪う環境とは、つまり現在の状況だ。



「ゲーム如きちょっとつえーからってなにナメたことしてくれてんの、アンタ」



 自分の通う高校の校舎の裏手、人の目に映らぬ場所。

 その壁際に追い詰められ、敵意剥き出しの同級生どもに包囲されている。


 敵は女が四人に男が五人。


 女の方はだいたいバカだ。

 二人は日焼けマシーンで自分から発がん性リスクを高めに行ってる自殺志願者、残る二人はまともそうな見た目だが運動部の底辺組、彼女らが問題を起こすと部の地区大会出場も危うくなるだろう。


 男の方も同様、二人は腕に刺青だの耳にピアスだのをした完全な社会からのドロップアウト組。

 残る三人は一応は運動部所属のスポーツマンだが、どうも健全な肉体に健全な精神が宿るとは限らないらしい。


 この状況に陥るまでの経緯。


 マユは『スコロペンドラ』というアバターの体で異世界に行き、死神だの凶虫だの色んな異名を欲しいがままにしつつそこで三十年ほど楽しく生きた。

 しかし、そちらの体が寿命で死んだ。


 死んだら終わりと思って安らかに眠ったが、数分後に目覚めると薄暗い自分の部屋。

 体を見れば虫の手足を持つ『スコロペンドラ』ではなく、黒木マユという陰気な女のソレ、マユの体感時間で三十年前に異世界に行った日、その当時のままの姿。


 時計の日付を見ればそこまで当時のままであり、テレビをつければ体感では三十年前の出来事が報道されている。

 あの世界は、輝くような日々は全て夢だった、そんな予感に泣きそうになりながら、震える指でダイブゲーム用のカチューシャ型コンソールのスイッチを入れて、エンシェントオンラインにログインしようとした。


 スコロペンドラというアバターが消滅していた。

 確かにあの世界は存在し、スコロペンドラはそちらで死んだと証明するかのように。


 一応は運営に問い合わせてみたが、適当な運営がクソゲーたる由縁の一つだ、返ってくるのはお問い合わせありがとうございます現在調査中のテンプレメールのみ。

 部屋に閉じこもり、答えを待って、そうして時間が過ぎるうちに、エンシェントオンラインというゲーム自体がサービス終了してしまった。


 もう答えは得られない、きっとあの世界は本物で、紡いだ縁は確かに残り、スコロペンドラは幸福に生き幸福に死んだと、そう自分を励ますことしかできない。

 死ぬ勇気もないので、黒木マユという人間は失意と共に三十年前の生活に戻ることにした。


 両親はマユにはほとんど干渉しない。

 小遣いは銀行口座に入れておいてくれるし、冷蔵庫を開ければちゃんと食材が買ってある。


 まあ母親は再婚相手の父と一緒に過ごせればどうでも良いらしく、一方で義理の父はマユの機嫌を損ねぬよう腫れ物扱い、といったところ。

 別に良い、下手にうるさくされるよりはマシだ。


 問題は学校っていうモノだ、久方ぶりに登校したら机の中はゴミ箱代わりにされているし、教師はお気に入りの生徒のやることを黙認、放課後になったら同級生の女の一人に呼び出されてごらんの有様。

 どうやらエンシェントで彼女らをボコボコにしたスコロペンドラの中身がマユだとバレて、その恨みを晴らすために登校してくるのを待っていたらしい。


 そういえばエンシェントオンラインはちょくちょく顧客情報が流出してると、掲示板にそんな書き込みがあったこと思い出す。

 三十年前は他人事と思っていたし、この世界に戻ってからは異世界の情報を得るため必死で気にしていなかったが、この場に来て致命傷。


 泣きたくなる、どれだけダメなのだあの運営は。どれだけくだらないのだこの世界は。

 頭の中で愚痴を吐き続けることも許されない。



「なんとか言えよこっちがいじめてるみてーじゃねーか!」

「ひっ!?」



 マユの頬を乱暴にひっぱたく日焼け女。

 痛い、涙が出る。


 スコロペンドラという違う自分ならば、腕を切り落とされた痛みにだって虚勢を張って、相手に毒を吐き返せるくらい強くいられるのだ。

 しかし、黒木マユはそうではない。


 弱い自分に何ができる、にやにやと悪意の視線で自分を見る敵に対して何ができる。

 何も出来ない、ただ耐えるだけ。


 それが『マユ』の限界なのだ。


 肩を震わせながら、相手に見えないところで人差し指をくるくると回す。

 回れ、時計の針よさっさと回れ、時間でこの場を終わらせろ。


 そのおまじないが本来の自分のクセ。

 思考を回すスコロペンドラのそれとは違う。


 黙り込む無抵抗を嬲るため、別の女がマユのもう片側の頬を張る。

 痛みに泣きつつ、マユはしばらく口にしていなかった言葉を小さく呟く。



「……助けて」



 来るわけがない、親も教師も同級生も、誰もここにはきやしない。

 強い自分、スコロペンドラもすでにない。


 絶望だけが世界を満たし。



「君は助けを呼ぶような女じゃないだろう、スカラ。……じゃなかった、黒木マユ」



 聞いたことのない声だった。

 親でも教師でも同級生でも、勿論自分を囲んで嬲る連中のものでもない。


 ただ、男の子のものだ、と。


 マユが声の方を見れば、そこには見覚えのない少年が立っていた。

 それほど背は高くない、ただやけに自信あり気な薄い笑顔と、子供とは思えぬ鋭い目つきでマユを見つめる男の子。

 服は白のYシャツに黒のズボン、子供らしくないというか、どこかビジネスマンチックだ。


 見覚えのない少年だった。

 しかしなんとなく、彼がそうなんじゃないかと思った。



「……キョウ、じ?」



 異世界で、同名を持つ白金の虫人の体を持っていた存在。

 奪われた銀色のアバターを気に入らない相手ごと叩き潰し、その後も七十二を変わらず従え、人々と共に変わらず過ごし、そして一人の姫に変わらず仕え続けた、そんな異世界最強の守護の剣。


 もしそうならば、もし彼がスコロペンドラという自分を知っていれば、それはあの世界は確かにあって、その縁は失われていないという証明となる。

 泣き出しそうな顔で見つめてくるマユに対し、彼は苦笑を返す。



「なんてツラだ、君はレグレスの主要五種族の長に決闘挑んで片っ端から叩き潰し、力尽くで同盟に加入させた凶虫スコロペンドラだろう」



 マユは泣きながら笑う、思い出す。


 確かにやった、リザイアの元にレグレスの穏健派がやって来て同盟を結びたいと言ってきたのだ。

 しかし強行派の長が首を縦に振らないから、なんとか力の差を理解させて欲しいと頼まれて、暇だから派遣されたのがスカラ。


 ライオンみたいな髪型のルガルの長も、カマキリっぽい色のインセクタの長も、カエルみたいな顔のドラゴニュートの長も。

 あるいはいかにもという外見の長身長髪のエルフの長も、毛深く屈強な小柄のドワーフの長も。


 五人纏めて素手で殴り倒した。

 力の差をわからせて、強者に従うという連中の方針通りに従わせてやった。


 ぼそぼそと、マユは懐かしい思い出から会話を紡ぎだす。



「懐かしい、な。何年前、だっけ」

「乗っ取られたアルガントムを俺が撃退した、その二年くらい後だ。俺もスカラの後に三十年ほどで死んだから……」



 体感時間では二十八年ほど前、と。

 三十年前の過去の世界において、三十年の時を共に生きた話が出来る。


 ならばあの世界は嘘ではなかった。

 マユの口は少しずつ軽くなっていく。



「あは、は。どうして、ここに、私、いるって、わかったの?」

「ちょっと腕のいい、コンピューター関連のお仕事をしている方にお願いしてな。スコロペンドラというアバターの接続情報から辿って行って、どうにか君に辿りついた」

「……それ、犯罪じゃ」

「まあ、あまり大声では話せん。最近の犯罪はハイテクだなとだけ言っておく」

「……そこまでして、なんで私に会いに?」

「オフ会をしようと思ってな。いざ会ったら君はあの世界の全てを忘れていた、なんてなっていたら骨折り損だったが」



 そうはなっていない、ゆえに楽しいオフ会になりそうだとキョウジは軽く笑った。


 しかしこの場には、少し邪魔なものがある。

 旧知の仲と会話をしているというのに、マユを囲んでいた連中の彼氏二人、タトゥーにピアスの大男がしゃしゃりでて来た。



「おうおうなんだ電波おぼっちゃん? あの女のカレシ? なに、あの根暗女ショタコン?」

「彼氏でもないし彼女の性癖までは知らん」

「は? なに生意気に喋ってんの? ここはオメーみたいなガキの来るところじゃねえぞ?」

「ここの校長に話は通してある。あと、お前が心配することでもないだろう」

「おいおい年上に対して口の利き方がなってないんじゃないかなー?」



 こういうクソ生意気な子供には教育が必要だと、二人の大男はにやにや笑いつつ、指をポキポキと鳴らす。

 そこでマユは、本来の自分に戻ってしまう。


 小柄なキョウジと二人の社会ドロップアウト男、どっちが強いかなんて言うまでもない。

 マユは逃げてと思わず叫んだ。


 一方で、キョウジは白金の虫人の戦闘スタイルを思い出させる構えを取って。



「ボクシングごっこならお家でやりなちびっこ!」



 男の片方、その拳がキョウジの顔を目掛けて突き出される。

 その拳を横に回避し、伸びきった豪腕の手首と二の腕をキョウジは両手で掴んで。



「ふんっ」



 肘に向かって膝蹴りを叩き込んだ。

 前後二箇所を固定された上で、本来曲がらないはずの方向に強い力をぶつけられた間接はどうなるか。


 ゴキリと、人体の壊れる嫌な音が響いた。

 何の音だと、肘から先に力が入らず、あらぬ方向に折れた自分の腕を見て、先に攻撃した側が脂汗を顔に滲ませて。



「ぎ、ぎゃああああああッ!? お、俺の腕っ、腕!」



 やかましいとキョウジは音量の発生源を蹴り飛ばし、地面に転がす。



「まったく、彼女が逃げろと警告してくれていたのに気づかなかったのか。もう一度、俺から直々に警告するが、逃げるなら今のうちだぞ?」



 キョウジはもう片方、大男を下から見下し言い放つ。



「ふ、ざけんなまぐれで!」



 動揺しつつも顔を真っ赤にして殴りかかってくる相手を、キョウジは今度はするりと回避して、その耳についたピアスに指を引っ掛けた。



「格闘技がしたいならリング状のピアスはやめた方がいい」



 あとはキョウジが何もせずとも、殴りかかった勢いを殺しきれない男は耳を引っ張られ、ぶちり、と。



「ぎゃああああああっ!」



 片耳を押さえて地面を転がり情けなく悲鳴を上げる大男。

 逆に教育されてどうする年長者、キョウジはそんな言葉を残して、二人組みを意識から外す。


 キョウジが見ているのはマユなのだが、睨まれたと錯覚した日焼け女が唾を飛ばして威嚇する。



「な、なんなんだよテメー!」

「黒木マユの三十年来の友人だ。わかったらよそへ行け、俺は彼女に会いに来たんだ」



 平然と答えると、キョウジはマユに問う。



「……いまさら聞くがこいつらは君の友人か何かか? それだったらすまん、正当防衛とはいえ腕と耳をやってしまった」



 マユはちょっと冷や汗しつつ首をふるふると横に。



「ち、がう。私を、いじめてた、連中」

「君をいじめるとは随分と剛の者だなそれは。あの世界での君を知っていたらまず喧嘩を売ろうとは思わん」

「……スコロペンドラは、もう、いない。彼女と、私は、別人」

「変わらぬだろう、君はスカラであり、黒木マユだ」



 理屈。

 ダイブゲームやアバターのシステムから考えればそうだ。

 だが精神的なモノ、それが違うとマユは弱々しい声で言う。



「だめ、なの。現実の私、強くない。見ての通り、暗くて、陰気で、惨めな女」



 それを聞き、キョウジはなるほど、と頷く。

 そしてツカツカと、他の連中を無視してマユへと歩み寄って。



「このお馬鹿さんがッ!」

「ぎゃっ!?」



 グーで殴った。年上の女の顔面を。

 それもわりと手加減なしで。


 吹っ飛ぶマユ、呆然とするその他、仁王立ちするキョウジ。

 しばらく痛みに震えた後、マユは我を忘れて叫ぶのだ。



「一言物申すけどいきなり女の顔を狙う普通!?」



 そのちょっと荒っぽい声色、口調は、確かに異世界でスコロペンドラと呼ばれていた女のものだった。

 それを口にした自分に、マユは驚く。


 こんな声が出せたんだ、と。

 その驚き顔に、キョウジは快活に笑う。



「前に言っただろう、女の顔は殴らない主義だが例外もあると」



 確かにスコロペンドラとして聞いた、キョウジがまだアルガントムだった時期だ。

 懐かしいと、思い出と共にマユは頬をさすりつつ立ち上がる。


 スイッチが入ってしまった。

 この世で生きていくにはだいぶ不適切な、異世界で好き勝手に暴れまわっていた女の精神。


 それが解放される。

 マユは、くすくすと笑って。



「あー、おかげさまで目が覚めたわ、確かに私はスコロペンドラだわありがとう。そんで、――現実世界でも顔を狙うなクソッタレッ!」

「げふぉ!?」



 あまり体を鍛えていない女の、三十年分の戦闘経験が詰め込まれたわりと本気のパンチ。

 キョウジはそれを真正面から食らって吹っ飛ぶ。


 地面に大の字に寝転がったキョウジは、鼻から流れる赤い液体を拭いつつ、ふらふらと立ち上がる。



「くくっ、年下を全力で殴るなよ大人気ない」

「あはは、実質お互い四十代オーバーじゃない。数歳程度は誤差よ誤差。……何歳?」

「14だ」

「え、うそ、私より4歳下なの」

「……驚くなよ、数歳程度誤差と言ったのはそっちだぞ」



 表情豊かに話す二人。

 そんな姿が気に入らない者がいる。



「シカトしてんじゃねえぞ!」



 男三人と女四人。

 地面に転がって戦意喪失している男二人は放っておいても勝手に病院に行くだろう。


 そして、二人の会話を邪魔するそいつらが、キョウジとマユは気に入らない。



「黒木さぁ、ちょっとうちらのことナメす」



 マユは近づいてきた女の顔面をぶん殴る。



「ぎっ!?」

「わめいてんじゃないわよメスゴブリン。ブスって先天性ステータス異常は化粧じゃ治らないわよ」

「こ、こんなことしてただでふっ!」

「こっちもうるさいメスオーク。オークが日焼けしてもダークエルフにはならないの。あ、嫉妬? かわいい私に対する嫉妬?」



 キョウジは呟く。



「君、そんなキャラだったか」



 マユは答える。



「どっかの美形の口調の影響かもね。楽しかったわ、エルガルの結婚式」

「これまでのナンパ経験を妹二人に暴露されて慌てる姿は腹を抱えて笑ったもんだ」



 笑いあいつつ、キョウジは運動部の男の直線的なパンチをしゃがんで回避し、相手の膝を足裏で踏み砕く。

 逆方向に曲がった足は二度とボールを蹴れないだろうが、リハビリ次第で歩ける程度に回復はするはず。


 残る敵勢力、男二人と女二人。

 ここに至って彼ら彼女らはようやく気がつく。


 こいつらは異常だ、何かが壊れてる、狂ってる、と。

 自分たちの常識から外れた何かを前にして。



「きょ、教師! それと警察! 警察呼べ!」



 助けを呼ぶ、それは正しい選択だろう。

 無論、そんなことは想定している。


 四人揃って携帯電話を取り出した、次の瞬間。

 その液晶画面に穴が空き、砕け散った。


 何が起こったと、呆然とする四人。

 それを見て、キョウジは慌ててすまんと謝る。



「敵が外部に連絡しようとしたら撃つように頼んだままだった。もう必要なさそうだな、どっかに連絡したいならちょっと待て」



 キョウジがポケットから携帯を取り出すと、特に何も起こらない。

 普通に通話し。



「俺だ、相手は雑魚だった、もうそのオモチャ仕舞って撤収してかまわん。警察の方々に目を瞑ってもらってはいるが、さすがに撃ちすぎるのはよくないだろう。ましてや日本で銃殺体はマズい。……前も言ったが、二代目呼びはやめてくれ、俺はクソジジイとは別だ」



 気に入らない人間を殺すのは構わない。

 しかし色々と処理が面倒なのだ、面倒くさいことは可能な限り避けるに限る。


 そう支持を出してキョウジが通話を切ると同時、マユは危なく輝いた目をして聞くのだ。



「ねえ、もしかしておハジキ? おハジキ?」

「ただのオモチャだ、アメリカ製の」

「あとで撃たせて? ねね、いいでしょ?」

「ダメだ。この半年、君を探す一方で、羽間家を継ぐってことで根回ししつつちょっとあちこち飛び回ってたんだ。何度か撃たれたし、撃ちもしたが。……素人が使うと予想以上に危ないぞ、アレ」



 ケチーと拗ねるマユを背に、キョウジは携帯電話を手違いで破壊された四人に向き直る。

 そして懐から札束を取り出し、心ここにあらずと言った様子の男の頬を100万円の重みでぺちぺちと叩いて目を覚まさせてやると。



「本当にすまんな、手違いだ。迷惑料と、あと口止め料、示談金。足りなければ連絡しろ」



 ぽい、とそれを地面に放る。卑しく拾えと無言の圧力。

 ついでに、と。



「コンドウナオキくんはお父さんが務める高山商事の直山部長にこれを渡しておいてくれ。羽間がよろしくと言っていた、と。次の株主総会までには――、ああ、これ以上は企業秘密だったな。失礼」



 名乗ったわけでもない男の本名をあっさりと口にし、ついでにその家族の個人情報まで語ったキョウジは茶封筒をコンドウナオキに手渡す。



「スギヤマヨウヘイくん、君の暮らしているマンション、吉川グランドタワーの5階の507号室だが盗聴盗撮やりたい放題だ。防犯を意識した方がいい。君の秘蔵のお宝が机の二重底の下に隠されているのもバレバレだぞ」



 喋ってもいないのに住所や自分の部屋の奥面まで見通されていたスギヤマヨウヘイは得体の知れない目と耳の存在に歯をカチカチと鳴らし。



「オオハシミカさんはパソコンの画像フォルダの中に入っている自撮り画像を消しておいた方がいい。誰に向けて送ったもんかは知らないし聞く気もないが、あんなもんがインターネット上にバラまかれたら親が泣くぞ」



 オオハシミカは秘密を知られていたことに恐怖し、怒りではなく羞恥で顔を赤くする。



「ササキキョウコさんは祖母を大切にする良い子と聞く。東北に住んでる君の祖母、ササキイクエさんだが足を悪くしている上に自宅は防火設備が整ってない古い木造建築。定期的に見に行ってやることを薦める」



 ササキキョウコは携帯が無事だったら慌てて祖母に連絡していたことだろう。

 そこら辺に転がっている連中も、それまでのキョウジの言葉と相手の反応を見て格下に見ていた相手が猛毒を持つと理解してくれたらしい。


 警告はこれくらいでいいか、と。

 他に言うことはと考えて、キョウジはそうだとつけたした。



「そっちのピアスと刺青とサッカー部とメスゴブリンメスオーク。クリハラユウタその他四名。中村組吉光会がイタリアのクマールおじさんから密輸入した『高級砂糖』を所持している件に関して近々警察が向かうからそのつもりでいろ」



 後ろめたいことがある者たちは、痛みも忘れて凍りつく。

 頼まれていた伝言も伝え終わったのだ、もうこの場に用はない。



「行くか、マユ」



 歩き出すキョウジに、くすくす笑って彼女は付き従う。

 共に歩きながら昔話をするついで、マユはキョウジに聞いてみる。



「ねえねえ、羽間家を継ぐってどういう心境の変化? 向こうの世界にいた時は、家のことはどうでもいいって言ってなかった?」

「考えが変わった。こっちの世界はどうでもいいと思っていたが――さすがに30年生きると、こっちの世界の残り60年もせっかくだから楽しみたいと思えてきた」



 人生、意外と面白いことが多い。

 異世界で知ったことだ。



「ただ、本気で楽しみたいとなると色々と必要でな。旅行に行くには金が必要だし、身を守るには武力、好き勝手するには権力も」

「だから手に入れるために家を継いだ、ってことかしら」

「そういうことだな。こっちだと14だから、さすがに表向きは父が代表ってことになったが。親族連中を合法的に黙らせるのには苦労した」

「合法的に?」

「合法的に」



 やや沈黙。

 くすくすと、マユは指を回し始める。

 スカラと同じ仕草。



「聞かないでおいてあげる」

「そうしておけ」

「それで、これからは何をやるの? この世界のあなたは、もうラトリナの剣ではないのよ?」



 目的、それを聞かれると相変わらず困る。

 これが自分のやりたいこと、なんて偉そうに口に出来るものはまだ見つかっていない。


 まあ、強いていうなら。



「今度、ラトリナにならって中東に孤児院を作ってみる。ちょっと気に入らんテロ組織を潰すついでにな。あとダイブゲーム事業への出資、エンシェントよりはマシなゲームを作らせたい。ああ、霞ヶ関の偉い人にお土産も持っていかんとならんか」



 目的ではないがやることはある。

 多忙なのだ。


 その多忙の一端を聞くと、マユは首を傾げた。



「目的云々どころか良い人なんだか悪い人なんだかすらわからないんだけど」

「分類的には大悪党だろうよ。よく言っても人殺し、悪く言えば偽善者だ」



 その自信満々な口調。

 懐かしい。



「あっはっは、変わらないわね、向こうの世界に居た時と。変わらず強いわ、あなた」



 何を今更。

 キョウジは隣を歩く女に、当たり前だと言ってやるのだ。



「強いヤツが強いのはたとえどの世界でもかわらない。君にしたってな」



 くすくす、くすくす。

 マユはそんな強者に問う。



「それじゃあ、結局向こうの世界で誰と結婚してたのか、強い心で教えてくれる? 強者さん?」

「……黙秘する」

「赤くなったわね? 誰かとくっついたって話、本当だったのね?」

「黙秘だ」



 虫人のアバターと違い表情がわかりやすい分、感情を悟られやすい。

 それを考えると弱くなった気もしてくる。


 キョウジは顔を見せぬよう早歩きで前に出て、マユは笑いながらそれについてくる。



「ねえねえ教えてよ、誰を想い恋していたのか」



 想い恋した人物。

 その顔を思い出す。


 異世界の者の話が出来るのは、この世界ではマユだけである、そんな少し寂しい事実に気がついて、キョウジは話してもいいかと一瞬考えたが。



「やはりダメだ」

「ケチー」

「真実なんて当事者が知っていればそれでいいんだ」



 そんなことよりもオフ会だと、キョウジはさっさと歩いていく。

 マユは慌ててそれを追う。


 三十年前の過去の世界、そこで再開した狂人二人。

 飛行機が飛ぶ空の下、二人はもう少しだけ生きていく。


 世界に幸運も不幸も秩序も混沌もばらまきながら、好き勝手に生きていく。

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