999:未来の世界のエピローグ。
長い時間を生きるというのは中々に大変だ。
大切な人々は次々と死んでいくし、体もどんどん不自由になってくる。
記憶もいつしか曖昧に。
そのくせ体が狂った悪影響か、寿命が無駄に長いのだ。
世界で最も長命と言われていた魔人種より長く生きてしまっている。
だが、長い時の先にある死を待つまでに忘れたくはない記憶があった。
『自分』が死んでも消したくはない思い出があった。
だから紙に記録する必要があるのだ、大切な人々のことを。
『自分』が忘れぬように、そして自分が死んでも彼らのことが消え去らぬように。
無意味だ、個人的な理由で記す記録だ、自己満足のための文字列だ。
わかっている、そんなこと。
それでも書かずにいられるものか。
ゆえにここに記す、『自分』が生きた楽しい時間と、そこに生きた人々のことを。
誰のことから書くべきか、まずは古い記憶から。
子供の頃に、はじめて縁を結んだ友人たちのことから。
カーティナとエルアズハ。
冒険者ギルドという組織を知る人々ならば、彼女らの名を聞いたこともあるだろう。
ある時期に体制を一新した新生冒険者ギルドの初代ギルド長エルアズハ、その秘書を務めたカーティナ。
元はギルドの一般職員だった二人。
カーティナのミスをエルアズハがフォローし、一方でエルアズハが対応しきれない想定外をカーティナは柔軟な対応で乗り越える。
エルアズハが結婚を機に退職するまで続いたその名コンビの活躍が、不安定な時期の表世界を支えたと言っても過言ではない。
なおカーティナも後に寿退職した。
『自分』としては友人の幸せは素直に祝っておいた。
彼女たちとの出会いがなければ、もしかすると『自分』は別の道を歩んでいたと思うから。
グリム。
生涯現役で働き続けた冒険者だが、冒険者ギルドの歴史においては彼の名はあまり知られていない。
大きな依頼を引き受けることは少なく、小さな仕事を続けて細々と生計を立てていたのだから仕方なくもある。
ただその実力が一流の域にあったのは確かだ、彼に救われた命も多い。
老いてからは後進の育成にも貢献していた。
聖女と呼ばれた女ミリアム。
彼女の孤児院で育った一人の少女、女冒険者ソーナもグリムの弟子の一人。
ミリアムの死後はその後を継ぎ、孤児院で多くの子供たちの面倒を見ていたソーナ。
一方で、施設の経営資金の足しにと魔物や盗賊退治の依頼を受けていた女冒険者の顔も彼女の一面。
彼女が扱う特徴的な片刃剣、鈍器のようなそれは冒険者としての師であるグリムから受け継いだものだ。
今でもその処刑道具はどこかの冒険者が受け継いで、誰かを守るために振るわれていることだろう。
余談だが、『自分』の剣はずっとソーナのことを気にかけていた。
子供たちと共に生きる彼女の笑顔は老いて死ぬその瞬間まで幸福に満ちていた、だから安心しろと伝えてやりたい。嘘は間違いではなかったと。
シャトー、今では生活用品を中心に製造販売する大商会の初代会長。
一代でその富を築いた男が最初は無名の交易商だったこと、それは広く知られている。
だが、彼が若い頃にグリムに助けられていたという事実は意外と知られていない。
彼の自伝にも最も世話になった人物の一人としてその名が記されているのだが、まあ昔の彼らを知らないのならば仕方のないことでもある。
あと、シャトーの自伝に『自分』の名前が書かれていたのは、個人的にはちょっとむずがゆい、小恥ずかしい。
気分的なものだ。
そうそう、忘れてはならない。ちょっと強烈な元王族たちのことも。
エルガル・アルドナート。
前当主の逝去と共に男子の血筋の途絶えかけたアルドナート家、その一人娘と結婚、同家に婿入りし名を変えた男。
元王族であり、また社交界においては目をあわせた女性を必ず惚れさせる魔眼を持つ、なんて囁かれていた。
実際のところ、彼にそんな大それた力はなく、ただ女性との会話が上手く、その顔が美形だっただけだ。
それを特殊な力というならば、魅了の魔眼と呼ぶのも間違いではないだろう。
そんなある種の力を持つ男も、結婚後はよその女性との関係を断ち、妻を一筋に愛し続けていた。
妻の死後も独身を貫き、半年後に後を追うようにこの世を去る。
愛情の深い人物だった。
また、彼の政治的手腕に関しては疑う必要はないだろう。
今日の権力者の多くがアルドナートの血筋に連なる者だという事実を見れば。
リザイア・トランベイン。
陽光姫の異名を持つ元王女。
また自らと同じ名を持つ王国滅亡の引き金を引いた人物の一人。
国家なき後、とある地域の初代領主として人々を導いた。
また十三の領地からはじまった新世界の同盟国家の代表者としても名を知られている。
旧敵対国の領地からの同盟要請でも受け入れる彼女の平和的政策なくしては、あの統一国家も平和な時代も存在しなかっただろう。
武人として語られることもある彼女の名誉のために書いておく。
側近アイアネラとの稽古試合で一度も勝ったことがないという話は嘘だ、二回ほど勝利しているのを『自分』はこの目で見ている。
勝った時のはしゃぎようは、今にして思い返せば微笑ましいものだった。
思い出せば思い出すほど懐かしい。
懐かしいといえば、あの時代に存在した異世界の者たち。
忘れることはないであろうが、それでも記録はしておこう。
スコロペンドラ。
スカラの愛称で呼ばれた虫人の女。
気がつけば旅に出て、いつの間にか帰ってくる、そんな女だった。
気ままに生きた彼女の活躍は、各地に残る伝承なんかを調べれば詳しく知ることができるだろう。
ゆえにここに書くことはあまりない。
ただ、『自分』が彼女を人として評価するならば、変わり者だが悪い人物ではなかった、とだけ。
アルガントム。
史上最強の災害。三つの国を滅ぼした神話。異世界より到来せし脅威レベル5の怪物。
全てを灰にする炎、万物を凍てつかせる氷、挙句に地を割り嵐すら巻き起こす。
その中身は一つの怨念。ただ世界を許せないだけの意思。人の力でどうにかできる相手ではなかった。
だが、どうにかできた。
後世のため、コレのような災厄が人々の前に立ち塞がった時の対処法を記しておく。
強い力を持つ敵は、それを上回るもっと強い力で倒せ。
それだけだ、『自分』の剣はそうやって解決した。
この世は力が全てと言う気はない、力だけで全てをどうにかできるほど単純ではない。
それでも力はあった方がいい、そうすれば例え最強の災害が現れたって、誰かを守れるはずだ。
そして、『自分』にとってのその力。
白金のインセクタ。統一国家の守護者。七十二の魔神の長。アルガントムを討ちし者。
英雄的に語られる『我が永遠の剣』の逸話はだいたい事実だ。
モノによっては少し『自分』が脚色してもいる。『自分』の自己満足で、一応は恩返し。
彼によって救われた命の数を数え始めたらキリがない。
一方で、彼が殺した命の数も凄まじい人数になることはあまり知られていない。
真実を詳しく記しても、きっと多くの人々にとっては信じられないような話になる。
それでも一応、書いておこう。
彼がアルガントムなのだと。
だった、というべきか。
信じる者も信じない者もそれでいい、どうせ世界全てに真実を語る術などない。
それに、彼は自分が死んだ後にどう語られるかなんて気にもしていなかった。
自分の名前を記録に残すなという、彼自身の言葉の通りここにその名を記すのは控えておく。
ただ、『自分』のように彼と共に生きた人々が真実の名を知っていればそれでいいと、彼は言っていた。
彼に関しては書くべきことが多すぎる、生きているうちに纏められるだろうか。
楽しかった話もあるし、悲しかった話もあるし、嬉しかった話もある。
思い出は星の数。
きっと全てを記せない。
もし、白金のインセクタについて詳しく知りたければ、ユグドラシル樹海かオケアノス海と呼ばれる土地に住む魔神たちに問うのが手っ取り早いだろう。
見た目は怖いかもしれない。それに確かな力を持ってもいる。
だが魔神たちは、気に入った相手には危害を加えない。
ようは気に入られればいいのだ、健闘を祈る。
もし気に入られることができたら、傷だらけの三天使に話を聞くといい。
ずっと主の傍で仕えていた彼女たちだ。
会えればきっと色んな話を聞かせてもらえる。
彼女たちはユグドラシル樹海内の小屋にいることが多いはず。
そこで彼女らは二体の異世界の虫人をはじめ、無数の命が眠る墓を守りながら暮らしている。
その小屋の中に人の骸があるかもしれないが、たぶんそれはこの記録を書き綴っている女のものだ。
好きに勝手に楽しく生きて、余生は色んな思い出のある場所でこうしてものを書きつつ最期を待っていた、幸せな女の亡骸だ。
天使たちが埋葬を忘れていたら骨になって落ちている。できれば踏まないでやって欲しい。
まあ、その小屋の中に置いてあるであろうこの記録を誰かが読んでいるということは、もう踏んでしまった後かもしれないが。
その時は、気に入らぬ相手を片っ端から殺して回り、無理やりに平和な世界を維持し続けた悪逆非道にして残虐卑劣な影の魔女の名にかけて、呪ってやる。
冗談だ。
さて、もっとたくさん綴るべき思い出がある、これはそのほんの一部。
だが、疲れたので少し寝る。
この続きはまたあとで書こう。
続きが書かれていなければ、つまりそういうことだと思って欲しい。
今日も世界は賑やかで楽しい、若い頃は睡眠の妨げでしかなかったが、今となってはこれも悪くないと思える。
明日がくるなら、また明日。
★
混沌と災厄の時代を生きた誰かの記録。
幸福を綴る文書は何らかの創作であると言われている。
数十万の人間が天変地異で死んだと記録されている時代に書かれたそれを、人々は史実と認識しない。
それでもいいと『彼女』は思う。
自分は真実を知っているから。
年齢も出身も不明、包帯でぐるぐる巻きにした素顔を見たものはいない。
衣服から露出した手足はつぎはぎだらけで、まるで失った部位に別の誰かのものを移植したかのような不自然。
子供のように小さな手もあれば、長く美しい足もある、数人の人間を繋ぎ合わせたかのような歪な人型。
その背中には衣服に隠れて六つの傷跡があるが、それがどういう経緯で刻まれた傷なのかは語らない。
図書館の司書を務めている彼女の姿を見たものは、だいたい驚き恐怖し距離を取る。
構わない、とっくに慣れた。
所詮は古の残滓、ただ自分たちの主人や共に生きた人々の記憶をこの世界に繋ぎとめるため存在し続けている過去の遺物。
誰に命じられたわけでもない、それは彼女たちの自ら選んだ道。
古より残る貴重な蔵書の手入れは、そんな彼女の現代における仕事の一つ。
平和のための名目で、障害となる無数の人間の虐殺を指示した悪姫。
名前は残っていない、ただそういう悪党がいたと、現代ではそう語られる女の手記。
ふと手にしたそれを読み、懐かしい記憶に浸っていた。
目を瞑れば昨日のことのように思いだせる、ずっとずっと昔の思い出。
自分が消えるその瞬間まで、忘れることはないだろう。
あの輝かしい日々を忘れてなるものか。
当時を覚えているのだから、記録を読み漁る必要はない。
悪党と呼ばれてはいる、しかし彼女からすれば良き友人たる人物の記した一冊。
それを本棚に戻して、仕事を終えた。
空調が聞いた図書館内、木製タイルの床を踏み締め、電灯の光で満ちた静かな施設内を、彼女は片足を引きずりつつゆっくりと歩く。
歩いていけば出入り口、それを開いて図書館から外に出た。
千年以上の時を経て様変わりした世界、それはかつて主人との知識共有で見た世界にそっくりであると彼女は思う。
コンクリートジャングルを行き交う車、空を見上げれば雲をひいて飛ぶ飛行機。
技術の発展の末に魔法なんて必要なくなった世界。
主も同じような世界で、同じような空を見ているのだろうか。
ずっと昔に死んでしまったが、しかしそう簡単に死ぬ主ではないとも思っている。
主は今もどこかで元気に生きている、そんな気がした。
いや、主ではないか、と。
「……友」
彼女はぽつりと呟く。
曖昧で適当な関係だったかもしれない、忠義を尽くしたいという強欲で主と呼んでいたが、主はこちらを友と呼んでくれていた。
嬉しかった喜びの記憶、それだけを思い出す。
懐かしい、幸福だ、その記憶と共に存在し続けるのは。
大切な思い出と共に、今日も彼女は自分を大切に存在し続ける。
今のこの世界に、自分以上に大切にするべきものなんて、思い出以外にあるものか。




