73:狂気。
奇妙だと、アルガントムは疑問に思う。
「……近接防御っ」
上空、ゼタが敵の接近を許していた。
飛竜に乗り、斧を手にした、エンシェントでいうところの魔人種、ドワーフ風の容姿の敵。
竜に騎乗した竜騎兵は、飛竜の爪や牙も巧みに武器とし操って、さらにゼタに斧をぶつけていく。
受け止めたゼタの右腕、そこが微かにひび割れた。
「くっ……!」
「なにやってるのよゼタ! レイディアントレギオン!」
ナインが慌ててデコイの一体を飛ばし、竜騎兵に激突させて、そいつをゼタから引き離す。
「起爆!」
安全圏まで離れたのを確認し、命令。
爆発と、その後に残る竜騎兵の残骸が地に落ちていく。
ナインの意識がそちらに向いている間に、レイディアントレギオンの一体は別の竜騎兵の槍に貫かれた。
それに気づくと、ナインは憤怒の形相で言い放つ。
「勝手に私の人形を壊してるんじゃねえッ! 起爆!」
槍の担い手たる竜騎兵ごと、死に損ないのデコイを破裂させ吹き飛ばす。
本来、この世界の相手の力を考えれば致命傷となるはずなのだが。
「チッ!」
爆煙の中から抜け出す、ズタボロになった竜騎兵。ダメージを受けても健在だ。
そして空には、それと同種の存在がまだまだ大量に飛んでいる。
「めんどくせえわずらわしいザコのくせにさァ! さっさと落ちろってんだよッ! レイディアントレギオン!」
失った人形を補充して、ナインはそれらを操り戦いを続ける。
「くっ。手を貸せるならばそうしたいところですが……!」
一方向の敵の刃を盾で受け止め威力を跳ね返し、しかし部隊による複数からの同時攻撃でその身に傷を増やすオメガのセリフ。
致命傷を受けるには程遠い、しかし無視できるほど相手の脅威は些細ではない。
苦戦する三人はすでにセイヴァーとドレッドノートによる強化を受けている。
さらに、アルガントムが時折リジェネレイトを使うことによって傷を回復。
補助の一方で、アルガントムは攻撃も行っていた。
崖の向こうにまで爆破の魔法の杖を投げつけ軍勢を灰に変えたり、あるいは何らかの方法で地割れを越えようとする連中を叩き落したり。
四人対無数、面倒ではある。しかし攻めも守るもこちらが上手。
負ける要素はない。
だからアルガントムは恐れず淡々と戦い続けながら、しかし内側では微かに不安に思う。
「おかしい。吹けば飛ぶような連中が、やたらと力を持っている」
レグレスという国と戦うのは初めてだ。
その実力、対したことはないだろうと判断していた。
思い出すのは一人の女、同郷出身者たるスカラの言葉だ。
セントクルスに居た時期に、レグレスという国と戦ったという。
その国の最強の三兵士が束になって挑んだところで自分は無傷で返り討ち、彼女はそう語っていた。
最強の兵士ですらその程度、つまりその他大勢はもっと弱い。
この世界の強さのレベルはつまるところその程度、アルガントムより格下のスカラですらそう断言する相手なのだ。
だが、想定以上に敵が強い。
セントクルスの軍勢とも、トランベインの軍勢とも違う見た目、蛮族のような亜人たち。
少なくともこの場において彼らの戦力は、個の兵士ですら多少は大天使を苦戦させている。
それはセントクルスの天使や、トランベインの軍勢など、児戯と葬れる力のはずだ。
現実を前に、スカラの言葉が間違っていた、そう仮定した上でアルガントムは敵に問う。
「それだけ力を持っていて、なぜに今まで本気で力を発揮しなかった」
きっと軽々と世界を手に出来たであろう軍勢は、なぜ三国間での争いなどを続けていたのか。
戦争を商売とする、かつてトランベインの王が語っていたそれを理由と答えるならば、それで納得もできる。
だが答えは返ってこないのだ。
「滅ぼせ! 滅ぼせ! 滅ぼせ!」
ただ雄叫びを上げ、何かにとりつかれたかのようにひたすらに進軍を続け無駄に死んでいく愚か者の集団。
力の差と無数の犠牲を見せ付けられて、退くという選択肢が存在しないのか。
そこまで脳がないならば、それこそ何も考えず三国をさっさと統一するか、あるいは真っ先に滅んでいたはずだ。
「滅ぼせと、それが目的ならさっさとそうしておけばよかったものを。いよいよもってわからん連中め」
しかし、一つだけわかること。
そんな愚者に平和な時代の到来を邪魔されている。
胸の中の不安を吐き出すように、アルガントムは叫ぶ。
「気に入らん!」
わからぬのなら考えても意味はない、己の感情に従うだけだ。
叫ぶと共に杖を投げ、嵐と激流が渦を巻き、大地が溶けて溶岩となり、天からは殺意の星と無数の雷撃が直撃する地獄を作りながら、アルガントムは戦い続ける。
燃えて凍って砕けて刻まれ、様々な形で敵が死んでいく。
少しずつ世界が綺麗になっていく。
悪くない、と。
この場においては理性すら吹き飛ばす愉悦を感じる。
やがて、アルガントムの声に喜びの色が混じり始めた。
「どうした? もっと来いよ殺されに! いよいよ楽しくなってきたぞ馬鹿者ども!」
気に入らん相手を排除する、自分はそれが嫌いじゃない。
破壊と悪意をばら撒きながら、胸中を支配するのは喜と楽の感情。
感情が膨れ上がる、理性のネジが外れていく。
その最中で、一つの罪を忘れ始める。一人の少女に嘘を吐いた罪悪感。
気に入らん相手を殺して、その子供を騙しただけだ、罪を感じる理由があるか。
何者かが、それを許すと言った気がした。
それは気楽だ、それがいい。
「はっはっはっはァ!」
大笑いしながら杖を投げる。
喜びと共に死をばら撒く。
それは確かに、アルガントムという存在の性質の一つだ。
気に入らない相手を叩き潰す。嫌いではない、いやきっと大好きだと、剥き出しになった感情が耳元で囁きその行動を支配していく。
だが、その姿を天から見ていた三人の天使。
「……マス、ター?」
ゼタの、困惑の声。
彼女たちは、その主の姿に何か違和感を感じてしまう。
いつもの主と何かが違う、何かと言葉に出来ないが、とにかく何かが変質し始めている、と。
ここからでは狂喜する主の耳に声は届かない、しかし持ち場を離れるわけにはいかない。
まだまだ空には敵が舞う。
迫る敵を睨みつけ、三大天使は自分たちの力を行使する。
「このっ……レイストーム拡散砲!」
「邪魔邪魔邪魔邪魔ッ! 邪魔なんだよォ! レイディアントレギオン! 突撃ッ!」
「我らは一刻も早く、我が主に声を届けたいのだ! 退け雑兵ッ!」
不安と焦燥。
それは殲滅の速度を速めていく。
★
この世界で紡いだ縁がある。
最初はやることもなかった、なんとなくの関係だった。
ただ無意味に一人の少女を守っていた。
いつしか、彼女と彼女が愛する人々を守りたいと思っていた。
なぜそう思った。
もしかすると、守るために気に入らないヤツらを殺せるからじゃあないのか。
気に入らないヤツを作って殺すという目的のために、気に入ったヤツらを守るという手段を選んだ。
守護のための剣となった。
「ああなるほどそういうことかよ合点がいったぞ全てのつじつまがあう!」
狂ったように笑い声を発するアルガントムの足元、そこに黒い何かが纏わりついている。
地割れの奥から立ち昇る、何かの意思の黒霧は、誰にも悟られぬようにと戦いの余波に紛れて動く。
この場の全ての感情がそれの影響を受けていると、誰かが語れば信じる者はいただろうか。
少なくとも、アルガントムは誰かの言葉が耳に入る状況ではない。
戦いのための感覚の一つ、その視覚が地割れを渡りきった敵の一団を認識。
ほとんど無意識にそこから行動へ。
渡りきったのか、おめでとう。
そして褒美だ、この手で殺す。
魔人、手長足長長身のエルフみたいな外見のもの。
それが宝石を両手に握り、魔力の光に変換し、なにやら言葉を紡いでいる。
「うるさいうるさいうるさいなァ! 腐って落ちるゴミの音だ!」
魔法なんてものを使わせはしない、飛びかかり、首を引き抜き、他の敵へと投げつけた。
破壊の結果を確認するまでもない、それをする暇があるなら次を殺す。
目の前に巨大な甲虫。
建物を角でひっくり返せそうなカブトムシ。
「鈍いな愚鈍な虫けらめッ!」
その真下に潜り込み拳を叩き込む。
柔らかい腹を突き破り、さらにアルガントム自身が弾丸として背中側まで突き抜ける。
甲虫の甲殻、硬い面。そこに回転しつつの蹴りを叩き込めばヒビいれ砕かれ吹っ飛ばされる巨体。
超重量が大地を転がるだけで多くの敵が潰されていく。爽快だ。
とてもいい、こういうものは大好きだ。
そうして感情のままに動き圧倒して戦いつつも、アルガントムの意識は殆どは自身の頭の中、思考の最中に漂っている。
例えばの話だ。
守護のために戦い続けた先、気に入らないヤツらを全て消した世界。
そこには果たして何がある。
色恋。リザイア辺りと。
わからない、それは楽しいことなのか。
忠義。ラトリナに飽きるまで。
敵もいない、守護の必要もない、極限の喜びは得られないのでは。
勝負。スカラとでも。
格下と何度も戦ってどうする。
支配。七十二の配下を。
従える意味は。
何かが囁いた気がした、幸福はあるか、と。
なんだろう、何がある。希望快楽恍惚友情努力勝利繁栄名声権力武力財力不死正義未来。
思いつく限り、単語を並べて考える。
そして気がついてしまった、気に入らないヤツらを消した世界には、自分の幸福がないのだと。
虚ろな自分は、縁を紡いで中身を得たつもりでいたが、結局のところは変わっていない。
感情などかりそめだ、敵味方を作るために得たものだ。
空っぽになる器に問う。
それを良しとするか。
「待て、考えさせろ、答えを得る時間を――」
そして気がつく、静かになった周囲を見渡す。
敵がいない。
レグレスの軍勢は、一人残らず葬ってしまった。
気に入らないヤツがいなくなった。呆然と血肉で濡れた大地を見つめ、絶望しかけて。
いや、まだだ。
空を見上げれば、竜騎兵、最期の一体。
最期の敵の姿を見つけ希望とし、しかしゼタの翼の限界までの発光現象に絶望する。
やめろと、アルガントムが叫ぶ前。
最期の敵が光の中に飲み込まれ、消失した。
黒い感情が胸の内で決壊し、溢れ出す。
狂喜が狂気に変質する。
★
「……殲、滅完了」
疲れなんてものとは無縁な体だが、さすがに精神的には疲弊もする。
想像以上に強かった敵勢力との戦いが原因。
だがその敵も消え去った、主からの命令を果たせた喜びと、心地よい疲労感と共に、ゼタは二人の姉妹と共に地面に降りる。
戦いの途中から少し様子がおかしかった――なんというか、別人のような主の姿に不安を覚えた。
早くその正常を確かめ安心せねばと、返り血で濡れた銀色の主の前に三人は跪く。
代表して言葉を紡ぐのはゼタであり。
「マスター、敵対勢力の排除を完りょ」
言葉は打撃の音と共に途絶えた。
吹っ飛ばされ地面を転がるゼタの姿があり、一方で彼女の顔を蹴り飛ばした銀色の足は再び大地を踏み締める。
ナインとオメガは勿論、当事者であるゼタですら、何が起きたのかしばらく理解できなかった。
ゼタはひび割れた顔を指でなぞって事象を確認する。
主に蹴り飛ばされた、と。
その凶行に声を上げたのはナインだ。
「ご主人さま!? なぜ!?」
彼女を見下ろすアルガントムの目は――普通の人々にはわからぬ変化だろうが――射殺すような冷たい視線。
あの優しい主人の敵意と憤怒。
彼をそこまで怒らせる何かを自分たちがしてしまったのかもしれない。
それならば、頭を下げて謝ろう。この命だって差し出そう。
けれどそれでも、理由くらいは知りたいのだ。自分たちの何がいけなかったのか。
結果紡がれた、なぜ、というナインの言葉。
アルガントムは、気に入らん、と小さく呟く。
何が悪かったのかすらわからぬ愚鈍が気に入らない。
だから今度はナインの腹につま先を叩き込む。
「が、はっ!?」
痛い。
実際のダメージもあるが、それ以上に心が痛い。
主人に敵意をぶつけられたことが、だ。
絶望と共に地面に倒れ、嗚咽するナイン。
オメガが、越権と承知しつつも抗議する。
「我が主! 私たちになんらかの非があったのはわかりました! それでも、これは、あんまりではないですか!」
抗議の言葉。
うるさいと、アルガントムはオメガの首に手を伸ばし。
「ぐっ!?」
絞めつけながら持ち上げる。
物理的に声を止められ、代わりに表に出てくる恐怖と絶望の表情。
その状況に、三人の天使は声なきままに主に問う。
なぜ、と。




