67:忠義ゆえの悩み事。
三体の天使は、半分以上を本で占拠された小屋の中、主の帰りを待っていた。
言葉はないが、しかしオメガは腕を組んでうろうろと歩き回り、ナインは親指の爪を噛みながら、ゼタはじっと日も暮れた窓の外の景色を見つめて。
それぞれに落ち着きがない彼女たちの心の内。
主が心配である、と。
一つに、彼が戦いの最中で受けた傷のことがある。
本人曰く、かすり傷とのことらしい。
事実、リジェネレイトにより傷の修復は一瞬で完了したのを三大天使も見届けている。
心配するな。主の言葉。
彼は戦い終わったその足でラトリナへの報告に向かい、ゼタたちには他の仲間たちへの伝令役を任せた。
倒したとは思うが、一応はめんどうな存在がまだいるかもしれない、各自それぞれに注意をしておけ、と。
機動力なんかを考えれば正しい判断である、アルガントムが地を走るよりもゼタたちが空を飛ぶほうが遥かに早い。
実際半日かからず情報伝達は終了し、ゼタたちはこの地に戻ってきて、主の帰りを待っている。
そして、主の体に傷を負わせてしまった、そんな自分たちの失敗を悔いていた。
ナインは思う、自分のせいだ。
レイディアントレギオンを乗っ取られた、あの何かを仕留めそこなった、そもそもの原因は自分にある、と。
オメガは呟く、守りきれなかった。
カウンターフォースの反射で完全に殺しきれていれば主が傷つくこともなかったのだ、攻撃的な力に欠ける自らの無力を呪う。
そしてゼタは、窓の外をずっと眺めて、主の姿を探している。
地割れの調査の途中、嫌な雰囲気を感じた時点で引き返していれば、あるいはレイストームの一撃で敵を葬れていれば。
それぞれが後悔と共に過ごしていた。
絶対であるとは信じつつ、それでも完璧ではない主の身を案じていた。
そうして沈黙の時間が流れる。
ふと、ゼタの目が、歩いてくる銀色の姿を認識した。
同時、彼女は小屋を飛び出す。
その姿に察した二人も続いて。
「マスター!」
「ご主人さま!」
「我が主!」
「ごふっ!?」
思わず我を忘れて飛びついた三人と、ただいまという間もなく地面に押し倒されるアルガントム。
大天使三人の抱きつきは、速度をつけすぎたせいでもはや砲弾の領域だ。
「マスター! 傷は痛みませんか!?」
「ご主人さま! 無理はしていませんか!?」
「必要なものがあれば仰ってください! 我が主!」
樹海の夜空を背景に、同時に話す三人の顔を視界一杯に映しつつ。
なんだ新手の反抗期かとアルガントムはため息を吐きながらも、彼女らの言葉の意味を考える。
「……ああ、昼間の傷か。あの程度はかすり傷だ」
「嘘です! ご主人さま、なんだか暗い顔をしています! 本当は傷が痛むとか……!」
「……あー、これは別件だ。昼間のアレとは関係ないし、君らが気にすることでもない。というか俺の表情がわかるのかナイン、驚いたぞ」
話を逸らして誤魔化して、喉を鳴らして笑うアルガントム。
たぶん、本人は気がついていない。
その飄々とした態度こそ、逆にゼタたちを不安にさせてしまっているのだと。
この場において、ゼタがその不満を声とした。
「……マスター、私たちではマスターの力にはなれないのでしょうか」
「どうしたいきなり。君らには十分に助けられている、昼間のアレは例外だったというだけで……」
「そうでは、なく」
ゼタは泣きそうな顔で言葉を探す。
銀色の主は強い、肉体的にも精神的にも。
ゆえに弱音も悩みも外には殆ど漏らさず、その必要すらもないと、彼は絶対者として存在し続け、最強であると証明し続ける。
ただ、絶対である一方で、アルガントムは人間離れしても未だに人間性を残しているのだ。
ゼタたちはその人間性から来る優しさをその身に感じていた。
道具ではなく部下として、心あるものとして接してくれている。
だからもっと、彼の助けとなりたい。
しかし絶対者はその助けを必要とはしてくれない。
「マスターは、優しすぎます。今日の戦いにしたって私たちを盾にすればマスターは傷を受けなかったはずです」
「何を言って」
「聞いてください。……マスターは、ずっと私たちを大切に扱ってくれています。七十二の全員をそれぞれ尊重し、使い捨てようなんて考えない」
アルガントムは、当然だろう、と。
対して、ゼタは首を横に振った。
「私はマスターの道具でいいんです。マスターが自分以上に大切にする必要はないんです。なのに、なんでそうしてくれないのですか。私はそれが嬉しくて、不満なのです」
涙を流さずとも、ゼタは泣いていた。
ナインやオメガの表情を見れば同様に。
アルガントムは彼女の言葉を聞いて、彼女たちの表情を見て、その哀しみをなんとなく察した。
頼りとされない不安、必要とされない恐怖。
優劣をつけるべきものではないのかもしれないが、三人の忠誠は恐らく他の仲間たちよりも強い。
その忠心が彼女たちの美点であり、ゆえに信頼できるとアルガントムは考える。
だがその忠心は、同時に彼女たちの欠点でもある。
「――君らこそ、自分たち以上に俺を大切にしようとするな」
アルガントムは忠義の全てを受け取らない。
その言葉にゼタが感情をむき出しに叫ぶ。
「マスター! なんでわかってくれないのですか! あなたは失われてはいけない存在で――」
ゼタのそれ以上の言葉を、アルガントムは手で制し。
「聞け、ゼタ。……君らの気持ちは理解した、よく話してくれた。ありがたい、嬉しい、主人冥利に尽きる。本心だ、信じろ」
事実、語ったのは本心。
それを受け取った三人の雰囲気が、大きく喜びの側に揺れ動く。
自分には勿体無いまでに、アルガントムは彼女たちを良き仲間であると認識していた。
だからこそ、だ。
「俺は君らを失うなんて事態は気に入らない。前にも話したよな。その考えは変わらない」
アルガントムは絶対に三人を失いたくはない。
彼女たちだけではない、彼女たち以外の仲間も。
「これは俺のわがままだ、君らの思いやりですら俺はわがままで否定する」
一息。
「命令だ、俺以上に自分を大切にしろ」
いつか似たようなやりとりをした。
確か、スカラとの勝負の直前。
アルガントムの答えは、その時とほとんど変わらない。
頑固だ、わがままだ。
ならばと、ゼタは言ってやる。
「……わかりました。マスターの命令は絶対です。私たちはマスター以上に私たちを大切にします」
「それでいい」
「そして、私たちは、――マスター以上に私たちを大切にし、その自我に従って、それ以上の大切さでマスターを守ります」
確かな意思、まっすぐな瞳。
アルガントムがナインやオメガの顔を見れば、彼女らも同様の目をしている。
絶対の忠誠を受け取ってしまい、アルガントムはどうしたものかと頬をつつく。
「……君らも中々に頑固だな」
「マスターに似ました」
「減らず口まで俺似という気かまったく。君はそんなキャラだったか。……まあ、いい。それが答えと受け取った」
ぶん殴っても意志を曲げない、三人の決意の表情はそういうものだ。
ならば、仕方ない。
「俺が君らを大切にするのと、君らが俺を大切にするの、これからはどっちが上かの勝負と行くか」
その在り方を否定はしないが肯定もしない。
主の答えに、三人は嬉しそうに頷いた。
「了解です、マスター」
「はい、ご主人さま」
「わかりました、我が主」
絶対に守る、この身を盾にしようとも。
一方でアルガントムは頷き、絶対に彼女らを失わぬという誓いを胸に。
「……それはそれとして上から退いてくれ、動けん」
強固な縁の確認は終わったところで、さすがにそろそろこの状況も如何なものか、と。
アルガントムに言われて、三人は慌てて身を起こす。
「も、申し訳ありません、マスター」
「ごごごごめんなさいご主人さま!」
「わ、我が主を下に敷くなど私はなんということを!」
リアクションも様々な彼女らを見て、アルガントムは首を傾げつつ立ち上がる。
「……君ら、本当にそんなキャラだったか」
どうもやたらに感情表現が豊かになってきたというか。特にゼタ。
悪いことではないが。
一方で彼女たちと言葉を交わし、少しだけソーナという少女に大嘘を吐いた罪悪感が薄れたと感じていた。
絶対に忘れてはいけぬ罪ではある。
だが言い訳だ、仲間と騒いで気を紛らわす、それくらいはいいだろうと。
ゼタたちがいるだけで、アルガントムは彼女たちが思っている以上に救われている。




