62:獣の道は獣。
人に掟があるように、自然にだって掟がある。
食いすぎるなと、単純に言えばそれくらいだが。
森の実りが枯渇すると飢えて数を減らす草食の魔物がいるし、あるいは草食の魔物を食いすぎて絶滅でもされると困る肉食の魔物がいる。
そして獣に近いそれらの魔物が死に絶えると、その骸から栄養を回収していた大地が乾き、植物やそれに類する魔物が生き残れない。
食物連鎖というヤツのバランスを保つために必要なのだが、はっきり言って十霊獣にとっては知ったこっちゃないのだ。
それぞれなんらかの生物に近い姿をしてはいるが、生物の営みからは外れた彼らである。
極論、大地が死んでも自分の主さえ生きていれば問題はない。
と、本来なら自然の営みなんてものに介入するのは職務外ではあるし、自然を大切になんて言葉にするほど出来た獣じゃないのだが。
「山賊が毛皮や骨や肉を目当てに魔物を乱獲。放っておくには敵さんの規模も馬鹿でかい、か」
二頭を持つ獣オルトロスは、森の奥地を悠々と歩みつつ鼻を鳴らす。
そこは本来ならば人が入ってこれないような樹林の深部だ。
少し周囲の気配を探るだけでも、グリーンドラゴン程度の魔物が何体かいるのがわかる。
十霊獣からすると大した相手でもないが、この世界の人々からすると強敵。
分厚い木々の守りと、強力な魔物が徘徊する土地、ゆえに人は寄り付かないし寄り付けない。
だが、少し前の戦いで敗走したトランベインの二十万の軍勢、その一部が集まってそんな土地で暮らしている、と。
そんな話がルーフ村の冒険者ギルドに持ち込まれたのだ。
放っておけばその地に暮らす魔物の餌食、普通はそうなるところだろう。
だが空前絶後の敗戦の後、溢れた敗残兵は数え切れない。
この地にいるらしいのは五百人以上の集団。しかも装備も充実。
普通の賊には収まらない兵力で魔物を次々と撃退し、傍若無人に周囲の全てを食い荒らし、挙句に一部は人里にまで下りてきて山賊家業までおっぱじめる始末。
自然の中で好き放題する放っておけない無法の一大勢力。
討伐を任されたのはオルトロスやユニコーンが属する十霊獣。
地形は樹林、ゆえに木々ごと焼き尽くせばいいという解決策もあるのだが、この地の魔物はそれなりに強力だ。
住処を失った魔物が人里に下りてくるという事態は避けたい、だから極力自然を荒らさず敵だけ葬れ。
銀色の主の指示を思い出し、的確だとオルトロスは唸って笑う。
人々に対する配慮が的確であるし、また自分たちを派遣するという人選も、だ。
「蛇の道は蛇、獣の道は獣に、ってな」
人とは違う視点を持つがゆえに、森の中にある獣以外の痕跡というものがオルトロスたちにはよくわかる。
明らかに靴を履いた人の足跡であるとか、無理やりに草木をかき分け切り裂き進んだ痕跡。
何かの目印か、木の枝に引っかかっている人の頭蓋骨なんかは獣の仕業ではないと人にだって理解できるだろう。
目標を探し進む道中、ネズミみたいな小動物系の魔物とすれ違った。
鳴き声しか発しない彼らの言葉を完璧に理解するのは不可能だが、なんとなく言いたいことはわかる。獣だから。
「人間を追い払ってくれ、か。勘違いするなよ、俺はお前らの味方ってわけじゃない。ただ主の命令で動いているだけだぜ」
それでもいいと、そんなニュアンスの鳴き声を残して小さな魔物はその場を走り去っていく。
結果的に自分たちが助かるならばなんでもいい、彼らは生物として人とそれほど変わらないのだろう。
そんなことを考えつつ進むうち、肉の焼ける匂いと共に煙が流れてくる。
人為的なもの。
察すると共に息を潜め前進、木々の隙間からその地を覗き見る。
森を切り開いて作られた集落。
木と骨と毛皮、そんな素材で作られたテントや小屋が立ち並ぶ。
一方で金属の装備は森の中で手に入るものではないだろう、元兵士という経歴の証明か。
数は、数えるのが面倒な程度。
確かにこの辺の魔物が撃退するのは難しいだろう戦力だ。
だが自分なら、自分たちなら。
オルトロスの答えは、すでにその場所を包囲している他の十霊獣のそれと同様。
負ける可能性が見当たらない。
「ゆえにビビる必要もねえ! 突撃だてめーらッ!」
オルトロスの声が響くと同時。
「一番槍はこの俺が!」
「いいやそれは私の役目だ!」
競うようにして森から飛び出した黒の砲弾。
見た目は、一言で言えばカブトムシとクワガタムシである。
ただしデカい。
人を背に乗せ運べるようなサイズの昆虫二匹。
カブトムシの方をヘラクレス、クワガタムシの方をアンタイオス。
十霊獣のうちの二匹、人気昆虫コンビは何かと競う癖がある。
カブトムシとクワガタムシはどちらが人気か、なんて他からするとわりとどうでもいい口喧嘩。
その競争はこの場において、どちらがより多くの敵を倒すか、という形式で競われているらしい。
ヘラクレスの角で突き刺される敵もいれば、アンタイオスの顎で両断される者もいる。
いきなり襲い掛かってきた巨大甲虫に敵陣は一時的に混乱状態に陥るが。
「て、敵襲! 各員配置につけ!」
立て直しの早さはさすが元兵士の集まり。
戦闘の力が対等ならば苦戦しただろう。
槍で突かれようと矢で撃たれようと火球をぶつけられようと甲殻で弾き、意に介さずと進撃するヘラクレスとアンタイオスの姿を見れば、数や兵力の優位も無意味なものとなるのだが。
そしてステータス的には、二体と他の十霊獣に大きな差はない。
「退け退けいッ! 跳ね飛ばされたくなければなァ!」
別の方角、森から飛び出してきたのは毛深く逞しい雄々しき猛牛。
鎧を着た兵士も体当たりで軽々と吹っ飛ばす。
名はアウドムラ、十霊獣の一体だ。
直線的で回避は難しくない突進だが、その代わりに威力が高い。ただ敵の脆いこの場においては、その強力はオーバーキルだ。
獣の魔を迎撃するものがいる一方で、逃走を選ぶものもいる。
その先に立ち塞がる存在は、コカトリスとバジリスク。
「クケー! っとな」
「ゲロっと」
前者の鳥は空を飛べない飾りの翼を威嚇のために大きく広げ甲高い鳴き声を発し、後者のトカゲはギョロギョロと目玉を動かし敵を無言でじっと見つめる。
それを受け、逃げようとした者たちの動きが止まった。
いきなり目の前の出現した相手への驚きもあるだろうが、最大の理由は二匹の持つ力。
対象の動きを一時的に停止させる麻痺能力。
効果時間は数秒とそれほど長くないが、そのわずかな隙が命運を分けることも少なくない。
停止した敵の足元に、ころりと転がって来た四角い箱。
桃色の箱には赤のリボンが巻かれている。お手本のようなプレゼントの外見。
「取っておきたまえ、あの世への土産である」
それを投げたものは饒舌に語る。
二本足で歩く猫だ。なぜか人間の紳士服のようなものを着用しており、こじゃれた杖と帽子も忘れない。
自らの糸みたいなひげを弄りつつ、その変な猫、ケットシーが杖でコツンと地面を叩く。
次の瞬間、プレゼント箱が爆発した。
オシャレな見た目の飛び道具による攻撃がケットシーの戦い方だ。
悪戯心か遊び心か、本人曰く紳士はいかなる時も優雅さを忘れない、とか。
ちなみに子供や村人にはちゃんと中身に綺麗な石とかおもちゃの剣が入ったそれを渡していたりもする。
間違って爆弾の方を渡さないかというのはアルガントムのちょっとした不安の一つ。
ケットシーが起こした爆発の発生に揺れる敵陣に、それは間延びした声で問いかける。
「ふむ、余所見をする余裕があるのかのう」
響く重低音。
七巨獣のそれほどではないにしろ、それなりに重量がある存在の足音である、と。
木の幹をちょっと無理やり気味に退かしつつ、出てきたのは亀。
足音を納得させるだけの重厚な甲羅を背負い、また頭部とは別に尾の部分から伸びる一匹の蛇をゆらゆらとしならせる。
「おいじーさん! いいからさっさとやっちまおうぜ!」
「いやいや慌てることもあるまい、長い人生余裕も必要」
「長い人生あるなら長いのをさらに楽しむために生き急ごうぜ折角だ!」
老人風に話す亀の頭部、若々しく喋る蛇の頭部。
二体の意思があるように見えて実は独り言である。初期設定で歳をとりすぎてボケているのではないかという噂が囁かれているそいつはゲンブ。
主に攻撃するのは尻尾の蛇だ、戦闘中本体は甲羅に手足と頭を収納し守りに徹する。
攻撃を当てやすい部位である本体が防御を上げて、防御の低い蛇の方は揺れ動くせいで攻撃が当てにくく斬ってもすぐ再生する、エンシェントではウザいことこの上ないエネミーの一体。
やはりその戦い方は健在。
次々と敵の喉に噛み付いていく蛇と、槌で殴られても傷一つつかない甲羅。
甲羅の中から年寄りは大事にせんかと音が響いてきたが、今の状況でそれを言うなよとオルトロスは思う。
そして、気づけば角もつ馬、ユニコーンも戦いの中にいた。後ろ足で敵の顎に強烈な一撃をぶち込んでいる。
「……ってぼーっとしてると俺の活躍の場がなくなるな! やべぇ!」
慌ててオルトロスも戦闘に参加した。
二つの頭の二つの顎が、敵を次々と食いちぎる。
「ハッハァ! 二つの頭で力も二倍!」
予想通りと言うべきか、敵はオルトロスが防具や武器ごと噛み砕ける程度の相手ばかり。
五百程度の殲滅に、それほど時間はかからなかった。
屍と血の海の中、オルトロスは口の中に残った人の残骸を吐き出す。
そしてもう聞こえないだろうが、死体に一応は言っておく。
「お前らに直接的な恨みはねえが、放っておくわけにもいかなかったんでな。ごめんなさいとは言わねえぞ」
体を震わせて濡れた毛から血を弾こうとするが、べっとりと付着したそれはそう簡単には取れはしない。
あとで水辺で洗わなければ、水浴びはあまり好きではないのだが。
オルトロスが、そんなことを考えていると。
「オルトロス、少々相談があるのじゃが」
振り返れば一匹の獣。
白い毛に九本の尾を持った狐。
キュウビの名を与えられている十霊獣の一体。
それほど返り血で汚れていない辺り、戦いには消極的に参加していたのだろう。
主の命令と同じくらい美しさを優先するヤツだ、自分の力が必須でなければキュウビはあまり働かない。
そんな獣に皮肉を返す。
「毛づくろいなら自分でやれよ、血塗れの俺にやらせたら逆にベットベトだぜ?」
「たわけ、血で濡れてなくても粗暴なお前に頼みはせん。……そうではなく、相談というのはだな。見せたほうが早いのう、こっちじゃ」
揺れる九本の尾が鬱陶しいが、渋々とオルトロスはその後をついていく。
その先で見たものを、オルトロスはこう評価した。
「――なるほど確かにこりゃ相談が必要かもなァ」




