58:しかし終わっても世界は続く。
冬のはじまりに国が終わった。
それから世界は、少し騒がしくなる。
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王が死んだ。
だから国家が即座に消えてなくなる――というわけでもない。
王の血を引く者がいれば、その者が次の王となる。
わかりやすく言えば王の息子、王子なんかだ。
そんな権力の座に着くチャンスに、トランベイン十五世の息子、エルガル・トランベインという王子の一人は世間的には行方不明となっていた。
彼の手引きで十五世の娘たちの殆ど――母親が下級貴族の出身であるとか、そんな理由で冷遇されていた姫たちも城を出て姿をくらませてしまっている。
城に残っていたのはそれ以外の男兄弟や、十五世に溺愛されていた姫たち。
彼ら彼女らは王に愛されていたという自信を持っていた。自分こそが最も、と。
だから自らや、姫ならばその夫、あるいは我が子を新たな最大権力者の地位に置こうとした。
血族間での骨肉の争いの勃発。
王城内で荒れ狂う暗殺と報復、血で血を洗う後継者争い。
そして王女、夫、その息子、誰かが死ぬたびに莫大な費用を投じての国葬が行われ、それは民に重税という脅威となって襲い掛かる。
その不満を抑え続ける力はトランベインの王家には残っていなかったし、また人々の中には一つの希望もあった。
陽光姫リザイア、月影姫ラトリナ、いつしかそう呼ばれるようになっていた、二人の姫。
いざとなれば彼女たちに救いを求めることができるという、希望だ。
希望に背をおされ、民衆や給料を減らされた兵士たちが決起して革命が起こる。
疲弊した王城にそれを凌ぐ力など残っておらず、かくしてトランベインという王国の歴史は人々の手で幕を下ろされることとなる。
まあ最大権力が一掃されたところで、次はその一つ下の権力者が世界の南に位置する国家跡地に覇を唱えようと行動を起こすのだが。
幸いな点があるとすれば、生き残った貴族のほとんどが保身を最優先とする臆病者であったこと。
新たな権力を手にするよりも、今ある領地の発展に力を注ぐ、そういう者たち。
彼らが恐れるのは民衆の不満であり、それが爆発して自分たちに刃と農具を向けてくるような状況だ。
それほど広くない領地の中で、権力者と平民、数でいえば後者の方が大多数である。
反乱があれば援軍を送ってくれたであろう王国も、もはや存在しない。
つまりはほとんどの貴族は大人しく自らの領地を守ろうと現状維持を最優先としてくれたのだ。
隣近所の領地との交易を開始したりとか、内政面では色々と活動していたが。
そして、まずはそんな弱小貴族から領地を奪うべき、野望に燃える者たちは当然そう考える。
いきなり強敵に噛み付くよりも、弱者を糧に力をつけるのが正解だ。
その戦場は、そんな強者と弱者の争いの場の一つだった。
小高い丘の上に布陣する攻めの戦力は約千人。
それを見上げる平地、守備の兵数は三百人ほど。一部は同盟を結んだ貴族が派遣してくれた兵力だ。
民兵の姿は少ない。
前者はこの数の差ならば正規兵だけで十分であると判断しているし、後者の陣地にいる民兵は家族を守るため勇気を出した義勇兵だがそんな勇者が大量にいるわけもない。
守る側、領地の統治者たる下級貴族の男は、見るからに頼りない顔にヒゲをたくわえどうにか威厳は保ってる、そんな雰囲気の中年男性だ。
「負け戦だなぁ、白旗をあげるべきなんだろうなぁ」
本心であるし、できればそうしたいところ。
しかしいまやこの地に戦に関する協定なんてものはなく、勝者が敗者をどうするか、なんて勝者が好きに決められる。
そして敵対する上級貴族だが、人食いなんて二つ名で呼ばれる男だ。
手にした大槍に次々と人の命を食らわせていく戦場での猛獣の如き姿からそう呼ばれていた。
降伏した敵兵十人ほどを槍に突き刺し持ち上げて、血の雨を浴びながら大笑いしていた、なんて逸話もある。
噂では本当に民を自分の館に連れ込んで食っていると。
「まあさすがに作り話だろうがなぁ」
ともかく慈悲なんて言葉の反対側にいる相手だ。
降伏したところで果たして何人見せしめに殺されるやら。
「少なくとも私は助からないだろうなぁ」
間違いなく自分はみせしめ枠、そう考えて震え上がる。
領地や民の財産を守らなければと、兵を率いる理由は色々とあるのだが、結局保身と言われたら反論できないところだ。
そして、彼が覚悟を決める前に。
「ふあっはっはっはっはァー! 敵の首は片っ端から跳ね飛ばせ! 女子供は好きにしろ! 攻撃開始ィー!」
人食いの軍は動き出す。
弓矢を引き絞る兵士、あるいは魔法の発動を準備する魔法使い。
ある程度を削ったら、歩兵と騎兵で突撃して掃討戦。
細かな策を弄する必要もないほどの明確な強弱があるのだ、それで十分。
一方で弱い方に策があるかというと、否だ。
戦が得意なわけでもない。盾を構えて守りに徹し、槍と弓矢でなんとか削れと、そのくらいの指示しか出せない。
必要なのは策ではなく奇跡だ。
弱者が強者に打ち勝つ、ありえない奇跡を。
「……おや?」
男が奇跡を願っていたら、何かが空で輝いた。
五つの光。
陽光を反射し煌くそれは、高速で落下し地面に突き刺さる。
二つの軍勢のはざま、両者を隔てるように降ったそれは五本の剣。
柄や鍔の装飾はそれぞれ違うが、どれも細やかかつ美しい。
さぞかし名のある鍛冶師の作品であろうと、目にした誰もが確信する、そんな五の刃。
突如出現し戦場の時を止めたそれらは。
「まったく厄介事はまだまだ尽きねえな!」
喋った。剣の癖に。
状況を理解できている者が誰一人としていないまま、五本の剣が勝手に喋る。
最初に言葉を発したそれ――赤みがかった刃と炎をイメージした装飾から成る剣、レーヴァテインが唾を散らせてそうな荒々しい口調で喋る。
「あっちゃこっちゃから問題が飛んできてリザイアさまやラトリナさまも大変だよな! まあ一番大変なのは実働部隊なマスターや俺たちだけどな!」
対して氷のように透き通る刀身と水を想起させる装飾を持つ刃、バルムンクは至って冷静に。
「仕方ないでしょう。国を潰してはい終わり、と。放置できるほど我らの主たちは無責任ではないのです」
また、無骨な刃で大地に突き立つ質実剛健な剛剣、デルフィングは豪快に笑い。
「はっはっはぁ! 役目はあるのは良いことだっ!」
対照的に繊細な刃と風を形としたような装飾で軽く地を刺す細剣、デュランダルが肺もないのにため息一つ、空気も読まずに言葉を一つ。
「めんどい」
四本の剣の声を受け、中央に突き刺さる左右対称両刃の剣が日の光に照らされながら総意を纏める。
「つまりは早いとこ、この戦場は片付けよう、ということでござるな」
クラウソラスの名を持つ剣は、かつて主人にお前はどこの国の出身だとつっこまれた口調で語り、うむうむと頷くように軽く揺れる。
人食いの異名を持つ男が叫ぶ。
「なんだてめえら!」
クラウソラスは首を傾げる代わりとばかりに地面の上で斜めって。
「ご覧の通りの五魔剣でござるよ」
五魔剣。
月影姫ラトリナに仕える七十三の怪物の一群。
担い手がおらずとも、自らの意思で宙を舞い、敵を切り裂く生きた剣。
この場には実際にそれを目にしたものはいない。
ただ噂話の一つとして、人食いはその存在を知っていた。
目の前にそれが現れた、ならばと人食いは五本に問う。
「は、はっは! こんなところにその魔剣がなんのようだ? 持ち主になってくれと、そう願うなら俺が存分に使ってやるぜ!?」
その言葉は本気だ。
剣の心など知らないが、剣として生まれたからには腕の立つ剣士の手で振るわれたい。
そう考えるだろうと、ゆえに主を探してこの場に現れたのだろうと。
対するクラウソラスの答えは笑い声。
「はっはっは、持ち主探しでござるか。なるほど――」
次の瞬間、五本の剣が大地から消えた。
五つの刃が自らの意思で動いたその瞬間を視認できたものはいない。
ただ。
「ば、かな。なに、が」
信じられぬという呻きを聞いて人が視線を廻らせれば、胴体を串刺しにされた人食いの姿がある。
レーヴァテインに貫かれた左胸は炎に焼かれ、バルムンクが刺さった脇腹は凍りつく。
デルフィングが縦に断じた右胸からは砕けた骨が飛び散って、デュランダルが突き刺した腹は風の刃で刻まれて。
そして微かな光を纏いながら瀕死の男の喉に切っ先を向ける光の剣、クラウソラスが最期に言葉を聞かせる。
「我らの忠義を舐めるなよ、主の許可もなく俗人に握らせる柄は持ち合わせておらん」
光の帯が、無礼な男の首を跳ねた。
勢いをそのまま地面に突き刺さるクラウソラス。
一方で、首を失った骸は四属性の破壊で炭に、氷に、骨に、肉に、様々な破片と変わりボロボロと崩れ朽ちていく。
残ったのは跳ねられた首と元肉体。
五本の剣は宙を舞いながら、強者の軍にその切っ先を向けて。
「受けてたとうか、ぬしらの挑戦? 我ら五魔剣の切れ味をその身で受けたいというなら剣を構えるがよいでござるよ」
自分たちの統率者を一瞬で残骸に変えた怪物に立ち向かえるほど、その軍勢は勇敢ではなかった。
散り散りに、自らのいるべき場所へと逃げ帰る。
この場に来た理由は斬殺ではないと、五の魔剣は戦いの気配を霧散させ、ふわふわと飛んでいく。
その先にいるのは守備の部隊の統率者、頼りなさそうな下級貴族の男。
彼はびくびく震えつつ、目の前に浮かぶ剣に問う。
「あ、あの、助けていただいたことには感謝しておりますが、我らに何かごようが……」
クラウソラスが頷くように縦に揺れる。
「うむ、この領地に用があるのでござるよ。戦の手伝いは見かけたついで、我らが主は内乱を望んでおらぬゆえ。……ああそうそう、少々道に迷ってしまった、出来れば道案内を頼みとうござる」
魔剣は願うと共に、自らが来た目的を話すのだ。
「なんでもこの辺の集落のとあるご家庭の包丁が折れてしまって困っているらしく、我らも刀剣類のはしくれ、力になろうと馳せ参じた次第で――」




