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53:前哨戦の幕が開く。

 ルーフ村の南方。

 平原に続々と集結する軍勢。

 掲げられた旗、そこに描かれたいななく馬の紋章は、それがトランベインのものであるとの証明だ。


 最前列の兵士たち。

 その表情は絶望の一色。

 彼らだけではない、その場のほとんどの兵士の表情は暗い。


 これから戦う相手がどうのとか、そういう問題ではない。

 彼らのほとんどはトランベインに暮らすただの人である。


 普段は畑を耕し、あるいは猟に出ては大人しい魔物の命を糧とし、家族や集落の住民と共に生きる人々。

 本来、手にするべきは槍ではなく農具。


 戦場という命の駆け引きの場、そこに挑むのを楽しめる者はいない。

 あるのは戦場に対する恐怖であり、もしくは勝手に逃げ出そうものなら国から与えられるであろう罰への恐怖。


 つまり、トランベインという自分たちが暮らす国家に対する恐怖だ。


 恐怖のみで動かされる彼ら、戦意など戦う前から喪失している。

 敵を倒せば報酬として金貨が支払われる、そんなものよりも生きて帰りたいというのが口には出せない彼らの本音。


 そして民兵を前列に、後方に控える騎馬。

 貴族や、あるいは戦うことを生業とするお抱えの兵士たち。


 戦の際には率先して戦場に赴き民を守る、その危険と引き換えに、王の代わりに領地を支配する権力を手にした一族。

 守るべき民を盾にするような配置は果たしてその権力が相応しいかどうか、現在の国家の形が安定してから長い時が流れた今では意見できるものなど存在しない。


 威勢よく声を上げ、あるいは酒を飲み、戦の前の士気を高める彼ら。

 士気の低い民兵には声をあげよと怒声を飛ばす。


 セントクルスとレグレス、二カ国との国境が物理的に分断された現在、トランベイン最大の敵は内側に潜むアルガントムであると王は結論していた。

 国境の地割れを渡る術は一つや二つあるだろう、だがそれで送られてくる兵力など、銀色のインセクタに比べれば脅威ではない、と。


 大軍勢の中心、そこに築かれた陣地で護衛に囲まれながら肉と酒を食らう王。

 彼が命ずれば即座に軍団は動き出す。


 そして。



(その時はそう遠くない、か)



 王に反逆する者として手配されているはずのエルガルは、軍勢の中に紛れ込んで時が来るのを待っていた。

 その格好は全身鎧、外見からは彼であるとはわからない。

 まあそれだけで自らを隠しきるのは少々難しいので、とある人物に協力してもらっている。



「エルガル様、鎧の着心地はいかがですかな」



 その人物、アンドレイ・アルドナートが、隣に立つエルガルに馬の上から問うてくる。

 エルガルは苦笑しつつ、老騎兵に答えを返した。



「最悪だね、もうちょっと夏は涼しく冬は暖かく風通しも良い快適な鎧が欲しいところだよ」

「ははは、難しいことをおっしゃる」



 アンドレイ・アルドナート子爵。

 外見通りのご老体であり、トランベインの北側の地域を任された下級貴族。

 ルーフ村のある一帯も彼が管理を任されている領地である。


 そして、エルガルの協力者。

 エルガルは現在、アルドナート家の兵士の一人と身分を偽りここにいる。


 本来はエルガルがいなくてもどうとでもなるのだろうが、一応はことを企てた首謀者の一人として見届けねばならぬだろうと。

 そのエルガルの言葉に、自らの手勢を隠れ蓑として出してくれたのがアルドナートだ。


 本来、今回の戦に出陣するつもりはなかったという彼は、セントクルスの侵攻の際、多勢に無勢の防戦一方をアルガントムの仲間に救われておりその件で恩義があるという。

 戦力的な助けは無理でも支援くらいはできるはず、と。


 なおアルドナート家はすでに王国を見限っている。

 かつては国境での防衛を任されるような最も王に信頼された名家、しかし気づけば敵の侵攻によって出た損害などの責任を問われ、他の貴族との政争にも負けて下級貴族。

 

 挙句に税の引き上げやら積極的な他国への攻撃まで要請されて、最前線ゆえに現王国の体制で一番の苦労を押し付けられていたのだ。

 現王制が続けば未来がない、そんな状況だったがゆえに、国を潰す側に影ながら味方している。


 そんな協力者にエルガルは感謝の言葉を述べた。



「すまないね、本来ならこの場には現国王に従う連中だけ来れば良い、それだけのことだったんだけれど」

「いえいえ、万が一に現国王が勝利してしまえば出陣してなかったことを責められるでしょう。保身の策のついでです」

「そう言ってもらえるとありがたいが、まあ保身は無駄に終わるだろう」

「自信がおありのようで」

「はは、もしダメだったら僕の行く場所がなくなる」



 軽く口にするエルガルにとって、この場は自分の命やらなにやらを賭けた国潰し、一世一代の大勝負。

 アルガントムの力がもしも偽りだったなら、と。


 何度か考えたが、顔を合わせた時にあの自信家の実力は本物であると確信している。

 ゆえに必勝だ、負けた時のことなど考えていない。



「さて、あとはことが始まるのを待つだけ。リザイアたちはうまくやってくれているかな」

「そういえば先ほどルーフ村にリザイア様やアルガントム殿の捕獲を直々に命じるため王の使者が向かった、とか」

「ああ。……今までは討伐命令なんかを聞いてないフリして凌いでいたんだろうが、現状ではもう無視できないだろうね。前哨戦だ」



 前哨戦、エルガルはそれを戦いと例える。



「トランベインという国と、アルガントムという力、さてあの村はどちらにつくことを選ぶやら」

「もしもルーフ村がトランベインに従う道を選んだらどうなるのですかな?」

「そりゃあアルガントムたちは村に失望するだろうね。守る価値なしとどこかへ行くか、あるいは暴走して全てをぶっ壊すか」

「少し間違えれば大地を割る力が暴走すると。危険な綱渡りですな」



 その時は大人しく死ぬ羽目になるだろうとエルガルは考える。

 だが同時、大丈夫だろうと思うのだ。



「僕の妹が信じた村だ、僕も信じてみることにした。まあ今は待つしかできない、のんびり星でも眺めていよう」

「出来ればご婦人とそうしたいものですな」

「はは。僕だって野郎と星を数えるなんてお断りなんだご老体」



 彼らは運命の時を笑って待つ。





 噴水広場の群集は、二つの勢力に割れていた。


 片方はリザイアと、彼女を守るよう前に出る冒険者や村人たち。

 もう片方は衛兵を最前列とする、同じような赴きの群集だ。


 後者、衛兵の一人が声を飛ばす。



「国王直々の命令なんだ! 従わなければ反逆者をかくまったとして村を滅ぼすと通達が来ている! 南にはもう何十万ってトランベインの大軍がいるんだ!」



 リザイアを含めたアルガントムの一味を捕獲、あるいは処刑してその首を王の下まで持って来い。

 王の使者から伝えられた命令、衛兵たちは立場上、それに従わなければならない。


 叫んだ男はセントクルスの侵攻の際、リザイアと共に戦った兵士の一人だ。

 彼は衛兵としては優秀で真面目すぎるのだ、村を守ることを最優先としてしまう。例え自らの心を偽ってでも。


 そしてそのセリフに便乗し、衛兵たちの背後、そこにいる者たちは口々に主張する。



「何十万なんて大軍が攻めてきたら皆殺しじゃねえか!」

「さっさとその女を差し出せ!」

「反逆者なんだろうそいつは!」



 彼らのほとんどは、新しく村に来た住民だ。

 セントクルスの侵攻の際、陣頭指揮を取ったリザイアの姿を見ていない。

 ただ人気のあるお姫さま、その程度の認識。


 一方で、リザイアを庇う側。

 戦闘に立つ女冒険者、アイアネラは、女だてらに怒号に負けじと言葉を返す。



「リジーやアルガントムを罪人として差し出せ? そんな命令、従う必要がどこにある! セントクルスの連中が来た時、守ってくれたのは王サマじゃあなくリジーたちだ!」



 王に従う必要などない、そう主張する彼女たちは、傍から見れば大馬鹿者だ。

 この地はトランベイン王国の領地、王に逆らえば待つのは死。

 それが普通で常識だ、ならばそれに従って生き残る道を選ぶのが最善だ。


 だが彼女たちは知っている。

 普通や常識を覆す存在がいると知っていて、自分たちは彼や彼女らに救われたのだと。


 逆らえば死ぬ、そんな打算がないとは言い切れない。

 そしてそれ以上に、人として恩人に報いなければならないと、人間性がそうさせるのだ。



「そもそもこの前の盗賊騒ぎの時だって、何人がリジーたちに助けてもらったことか! そっちにもそのお陰で命を拾ったヤツはいるだろう!」

「それとこれは別問題だろう!」

「お、俺は昨日この村に来たばっかなんだ! 知らねえよそんなのぉ!」



 両者は言葉ではわかりあえない。

 何らかの刺激があればすぐさま殺し合いにまで発展しそうな、そんな剣呑な雰囲気が渦巻いている。


 そんな中でリザイアは、兄の言葉を思い出す。



(私やラトリナに、一つ試練が待っている……)



 現在を変えようとするならば、それは避けては通れないと語っていた。

 トランベイン王国に所属するルーフ村、そこに暮らす者の意思は一つではない。


 それぞれに考え、それぞれに動く。

 必ずしも全てが味方してくれるとは限らない。


 最悪の場合、バラバラの意思が集まってできた総意はルーフ村から異物を排除しようとするだろう、と


 リザイアたちは異物だ。

 トランベイン王国とルーフ村の関係を軋ませるもの。


 平和的解決を目指すなら、それがなくなれば良いというのはリザイアにだってわかってる。

 だが、同時に思うのだ。

 果たしてそれが人々にとって幸せか、と。


 民の命と自分の安心を秤にかけて後者を選ぶ王。

 彼が統治する国家はいつまで保つ。


 自らの妹や銀色のインセクタ、それに仕える七十二。

 彼らを追い出し、敵対し、それが果たして正解か。


 リザイアは、頭が悪いなりに考えて、自分の答えを見つけている。

 だから、目の前のアイアネラの肩に手を置いて。



「アイアネラさん、ここは任せてください」

「リジー?」



 彼女に退いてもらい、確かな意思と共に前に出る。

 二つの集団のちょうど真ん中、隣にキラキラと水を溢れさせる噴水を置く位置。


 彼女が出てきたことで群集の発する音は小さくなっていき、微かな声と水音だけがその場に響く状況となった。

 夜の中、風景の光を反射して輝く水に横顔を照らされつつ、リザイアはその唇を開く。



「トランベイン王国、前第七王妃が娘。リザイア・トランベイン」



 名乗るのは自らの身分。



「私は――トランベイン王国、及び現国王パゴルス・トランベインからの独立をここに宣言する!」



 口にしたのはその目的。

 呆然と立ち尽くす群集に、自らの考えを言葉として届ける。



「知らぬ者もいるだろう! セントクルスの大軍勢による侵攻よりこの村を、この地を守護した者たちのことを! まずは勇気ある二百の精鋭たち!」



 自らに従ってくれた彼ら、忘れるはずなどない。



「地平を埋め尽くす軍勢を前に立ち向かった二百人! 冒険者の姿もあった! 衛兵の姿もあった! 村人の姿もあった! 彼らがいなければもっと多くの犠牲が出ていたであろうということは語るまでもない!」



 そして、と。

 一旦言葉を止め、息を吐く。思い出すのは妹と、銀色のインセクタ、その仲間たち。



「我が妹、ラトリナ・トランベイン、そして彼女に仕える七十三! 彼らがいなければ、王国そのものの存亡すら危うかったはずだ! 私は王族として彼らに心からの感謝を捧げている! 諸君らはどうか!」

「感謝どころじゃすまねえよ! 大感謝さ!」

「あいつらほど良いバケモノ、早々いねえぜ!」



 リザイアの言葉に賛同する声。

 殆どはリザイアを庇っていた側からだが、彼女を捕らえようとしていた衛兵ですら。



「恩は、忘れていません。ですが、それでも王国を敵に回しては……!」



 リザイアは、きっとそれも一つの答えだと理解している。

 間違いではない。

 だからこそ、強く否定しなければならない、



「王国を敵に回す! 王を敵に回す! それは確かに恐怖だろう! だが、私たちを救ってくれた者たちを! 王国すら救ってくれた英雄を裏切る行為! 諸君らは胸を張ってそれが正しいと言えるのか!」



 否、と。

 人々から発せられた否定の言葉にリザイアは頷きつつ、さらに言葉を紡いでいく。



「私は彼らに報いたい! 彼らを敵と断ずる王を否定する! 愚かな王に率いられた今のトランベインを、私は認めない!」



 現状を認めない。

 ならば、どうするか。



「ゆえに、私はここにトランベインを変えるため独立を宣言し、この地を拠点に新たな勢力の旗を揚げる! 異論がある者は前に出よ!」



 ルーフ村を拠点とした独立の宣言。

 賛同する声があり、また反対する声もある。

 歓声と罵声を受け止めるリザイアに対し。



「異論がありますなぁ」



 ふと、耳に届いたハッキリとした否定の声。

 リザイアは声の主を探して、自分を捕らえようとしていた勢力の側を見る。


 衛兵を横に退かして、前に出た痩せ型の男。

 身に着ける煌びやかな礼服を見れば、高い身分の者であるということは一目でわかる。


 彼はにやにやと笑いつつ、リザイアに指を突きつける。



「惑わされるな民衆よ! この女に従えばお前たちに待つのは破滅のみ! 王の使者として断言しよう!」



 王の使者、その言葉は本物だろう。

 その余裕も自信も裏づけがあるからこそのものだ。


 男は礼服の袖の下、そこから袋を取り出した。

 金貨の詰まった布袋。


 その口を開くと、彼は背後の群集に向かってそれを放り投げる。

 ばら撒かれ、降り注ぐ金の雨。


 意図がわからぬまま、人々はそれに無意識に手を伸ばす。



「例えば金。王国に敵対した先、収入をどこから得る? 土地を封鎖され孤立すれば商業など死に絶えるぞ?」



 道に落ちた金貨まで我先にと拾う人々。

 男はそれを浅ましいと小声で口にし見下しつつ、これが人だと言葉にする。



「金は欲しい、そうだろう? 誰もが持つ欲望だ。トランベイン王国は皆のそれを叶えるだけの器を持っている」



 ゆえに、欲するならば従えと、王の使者は宣言した。

 彼の言葉はさらに続く。



「あるいは力。すでにこの村を取り囲む王家直属の兵士が二千ほど。さらに南方に展開する我らが軍は二十万を超える。さてアルガントムなどという力がいるらしいが、彼らは我らに勝てるか、お前たち民を一人残らず守ってくれるのか?」



 力によって命を奪われる、そんなのは誰も望まないだろうと。

 どうせオスメス一匹ずついればいくらでも増える命、思わず口をついて出そうになった言葉は飲み込んで。

 王の使者は王に変わって人々に命ずる。



「さあ、トランベイン王国に、トランベイン十六世に従い、その勅命を国民として実行せよ! 民にはその義務がある!」



 どこまでも高圧的に、見下しながらの男の言葉。

 アイアネラを筆頭に、リザイア側の人々が王の使者へと怒声を飛ばした。



「見下すな! 金と力をチラつかせればみんな従うと思ったか!」

「絶対にお姫さまはそっちにわたさねえ! とっとと帰って国王サマにそう伝えな!」



 特に、血の気の多い冒険者たちは、使者の態度がだいぶ頭にきているようだった。

 ほんの一押し、例えばリザイアがそうしろと命じれば、すぐにでも争いが始まるだろう。


 一方で、王の使者の撒いた金と、彼がちらつかせた王国の力、それに従う者たちもいる。

 だからリザイアは迷うのだ、このままぶつかれば人が死ぬ。


 だがこの先、きっともっと多くの命を背負う。

 一言、命じる。それくらいできずにどうする。


 口を開こうとして、だがそれでも躊躇う彼女に対し、王の使者に迷いはない。



「やれやれ、所詮下賎な愚民ども。少し痛い目を見せねばならぬらしい。そこの衛兵!」



 指名された衛兵は、優秀で真面目な彼である。

 この状況において未だ決心のつかぬ彼に、王の使者は命じるのだ。



「外の兵たちに、村に火を放てと伝えよ」

「ま、待ってください! 守るべき村を焼くなどと!」

「この土地を、そこの女の侵略から守るためだ。多少の犠牲ならば王から許しを頂いている。ああ、お前たち衛兵の身の安全は保証しよう」

「我々が守るのはこの地の人々です!」

「人などいくらでも代わりはいるのだ。……お前たち衛兵も含めてな」



 理解したならばそうしろと、王の使者は反論を封じて。



「人などいくらでも代わりがいる。なるほど、それはあなたもですか?」



 空から彼女たちが舞い降りたのは、ちょうどその時だ。

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