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52:ある冬の日の話。

 アルガントムの体は熱さにも寒さにも風にも強い。

 ゆえに、この世界で気候なんてものを意識したことはなかった。


 ただ最近の空の灰色や、ルーフ村の人々の衣服を重ねた姿を見ているとなんとなく変化に気づくのだ。



「もしかして、冬なのか」



 小屋の中、窓の外を見るアルガントム。

 彼の呟きを聞いて、ラトリナは呆れたように言う。



「気づいていなかったんですか?」

「まあな。なにせ、寒さに強すぎる体だ」



 一方で、寒さに弱い常人のラトリナは毛皮のローブに包まって白い息を吐き出している。

 セントクルスの残党が指揮していたらしい前回のルーフ村襲撃、その後始末や復興作業を手伝っていたら、商人がお礼にとこれからの時期の必需品をプレゼントしてくれたのだ。


 何かと力を貸してくれるラトリナたちに礼がしたいという人々は少なくはない。

 こちらとしては報酬を要求した契約というわけでもなく、別に礼をされるほどのことでもない、ただ気分的にやってるだけという認識だったのだが。


 しかし、だからいらんと断り続ける、そんな対応も好意を無碍にするようで少々心苦しい。

 なのでありがたく受け取る流れとなった。


 結果、小屋の中にはプレゼントされた品々がどんどん溜まって生活スペースを圧迫し始めている。

 そこそこ良い造りのベッドであるとか、ラトリナには嬉しい品もあったが。


 なんとなく窓際に飾ってある変な石の像を手に取りつつ、アルガントムはため息を吐く。



「……人の好意をどっかに売るってのも、微妙なところだしな」

「ええ。けれど二度断ってもお礼だから是非持っていってくれと言われてはさすがに受け取らないわけにもいかず。というか、最近の村の人たちは、私たちに優しすぎる気がするのです」



 贈り物は勿論、買い物をすればオマケをつけてくれる、食事をすれば一品サービス。

 そんな好意が毎日のように。


 あの遠慮を知らなかったラトリナですら困惑するレベルである。

 彼女が遠慮という人間味を獲得してきた、と言えばそうなのかもしれないが。


 変化といえばと、アルガントムは思い出す。



「最近の君は金を派手に使わないな」



 ばら撒くようにそうしていた時期が嘘のように、最低限の買い物くらいに済ませている。人に奢ることもあまりない。

 アルガントムとしては頭を抱える必要がなくなったので悪くはないが。


 ラトリナは言われてそうかもしれぬと自らの行動を思い出して。



「一通り、やりたいことは試してしまいましたし、いまはこの地を守りたいという目的もあるので――お金を無意味に使う必要もないと、気づいたのかもしれません」

「俺としてはありがたい変化ではあるがな」



 投げやりに自分の命すら差し出そうとする。狭い世界の外に出られるならば悪魔とだって手を組もう。

 そんな虚ろに笑う少女と、今の彼女はまったく変わらぬ存在か。


 否だ。

 世界を知って、縁を紡いで、好きも嫌いも身に着けて、今の彼女は虚ろを失い中身を得た。

 それはきっといい変化だとアルガントムは考えて、なぜだか自分まで嬉しくなるのだ。


 自分の知る世界の一部を良い方向に変えることができた喜び。

 その喜びは胸に隠しつつ会話を続ける。



「じゃあ稼いだ金は、ほぼ手付かずでギルドの金庫か」

「あ、戦火で親を失った孤児を保護する施設を作るので、発案者としてそちらにほとんどお金を出してしまいました。まずかったでしょうか」



 その事実でちょっと沈黙が流れたが、アルガントムは苦笑を返す。



「相変わらずの大雑把さで逆に安心したぞ。まあ人助けなら必要経費だ、別に構わん」

「ふふ、ならばよかった。それと施設の運営にお金がかかりそうなのですよ、私もギルドで簡単な仕事を手伝いつつ生活費以外はそちらに回しているのですが」

「手伝えというなら手伝おう、子供に恩を売っておくと大人になった時に倍になって返ってくる、ってな」



 児童養護施設に多額の出資を決めた時の祖父の言葉、その受け売りだ。

 施設にいた子供に蛇の如く恩を返せと食らいついたりはしない辺り、優しいのか適当なのか、まああのクソジジイらしいと思うところではあるが。


 恩はこちらから回収に向かうものではない。

 懐かしみつつ、その手伝いは気分的にも悪くないと、アルガントムは考えて。



「まあ手伝うが……今はトランベインの連中を撃退するのを優先したい。その後で構わないか」



 いまは備えることがある。

 なのでそちらが最優先、ラトリナもその辺は理解していたので頷き返す。



「はい。――お兄さまの策で、どの程度に被害は防げるでしょうか」

「正直、やってみなければわからん。この国がどれだけズタボロかによるな。……それよりも君は大丈夫か、歴史の表舞台ってヤツに出ることになるのだろう」

「……このトランベインの名が役に立つのなら、私はどこでも喜んで踊りますよ」



 わずかに浮かんだ不安の色をかき消すように、ラトリナはくすくすと笑う。その微笑みは彼女らしい笑い方だ。

 彼女の力は必須ではない。

 だが彼女が戦場に出てもう一人のトランベインの名を示せば、その威光は犠牲を減らすのに役立つかもしれない、エルガルはそう語っていた。


 アルガントムは止めはしない。

 彼女を守り、彼女の願いを叶えるために動く、そう決めている。


 さて、彼女の心には不安があるようだ。

 ならば心も支えてやるべきだ。



「少し外を歩くか、ラトリナ。気分転換だ」

「ええ、うまくエスコートしてくださいね。ふふふ」



 ラトリナはアルガントムが差し出した手を握ると、ゆっくりと立ち上がる。

 二人で小屋の扉を開ければ、冷たい風と薄暗い空の下。


 清掃されている墓地、そこで少しだけ祈りを捧げた。

 最近はこの墓地も本来の役目、身よりもない誰かの遺灰を埋葬し、その魂を慰めるために使われている。

 いよいよもってアルガントムたちは墓守だ。


 祈りを終えれば、二人並んで樹海の中を歩く。

 そうしていると、樹海に実る果実を取りに来た村人や、あるいは十霊獣辺りと遊びに来た子供たちとすれ違う。


 基本的には七十二体が守護しており、原生の魔物は大人しいもの以外は追い払われている土地。

 それでも気をつけろよと声をかけるくらいはするが。


 手を振り去っていく子供たちの背を見送って、ラトリナはふと呟く。



「平和、ですね」

「そうだな」

「ずっとこうなら、世界中こうなればいいのですが」

「それは無理だな。俺みたいに気に入らんヤツは絶対に受け入れない、そう考えているヤツが一人いる時点でそれは不可能だ。この世界にどれだけそれがいることやら」

「……私もその一人ですからね。敵対者は許さない」



 アルガントムに命じて排除してきた敵、あるいはこれから倒すことになるトランベインの王。

 ラトリナはそれらを受け入れられない。

 その言葉を聞いて、アルガントムは彼女の頭をぽんと優しくなでる。



「人間そういうもんだ。善人も悪人も味方も敵も平等に受け入れられるヤツなんてもはや人を越えている。そして悪人と同等に善人を扱うなんてのは後者に対して失礼だ」



 まあ善悪の正しい判断が出来るほど、自分は世界を知っちゃいない。

 アルガントムは自嘲して、ラトリナも頷いて。



「……ところで話は変わりますがアルガントムはリザイアお姉さまのことをどう思っているのでしょう?」

「ごほォッ!? 話が変わりすぎだ!?」



 重苦しい話は疲れますと、ラトリナはくすくすとおかしそうに笑う。

 だからっていきなりそんな話を振られても困る。


 ただでさえエルガルに脈絡なく結婚だのと話題を出されたせいで少し彼女とは気まずい雰囲気なのだ。

 不仲になったというわけではないが多少は意識する。

 ルーフ村を用事があって歩いていたら、滞在中の彼女と遭遇してしまいお互い気まずい顔で別の道へ、そんなのが最近の状況だ。


 まあ、問われたので考えてみる。

 彼女をどう思っているか。



「嫌いではないと思うがな。あのセントクルスの大軍勢を相手に、少数の味方を勇気づけるために残って戦うような女だ。馬鹿だとは思うが、嫌いじゃない」

「ふむふむ。ではスカラさんは」

「あの女、最近は当たり前のようにルーフ村に滞在しているんだよな。元の世界に戻る方法を探すってのはどうしたんだろうか。……まあアレも馬鹿の類だ。嫌いではないがな」

「なるほどなるほど。あるいはカーティナさんなどは」

「待て待て待て待て。なんだ、なんなんだこの話は。修学旅行中の夜の女子学生か」



 アルガントムの反応を楽しみつつ、ラトリナは答える。



「いえ、アルガントムも人並みの幸せというものが必要では、と。雇い主としてそう考えていたのですよ」

「それで結婚か? 短絡的すぎる」

「それ以外にあなたを幸せに出来る何かを思いつかなかったんです。あなたは一般的な欲がなさすぎる、ならば色恋沙汰の応援くらいはと」



 お節介さんめ。

 アルガントムは歩みを速めた。



「いまは興味はない」



 逃げるその背、ラトリナは小走りで追いかける。



「ふふふ、いまは、ですね? いつか興味を持ったら相談に乗りますよ?」

「自分の婚期でも心配していろ」

「ふふふふふ、考えておきます。ずっと独り身の予定ですが」



 そんな会話をしながら、二人は樹海を無意味に歩く。





 ルーフ村の壁の外には稽古場がある。

 木を人の形に組み立てた木人形、あるいは弓の射撃場。


 雨風を防げるような立派なものではない、剣の破片や折れた矢が落ちていなければ子供の遊び場の一つとなっているであろう、公園みたいな場所だ。

 勝手に使えと開放されているその土地を、冒険者や衛兵が自らの技術を磨くために使っている。


 その中に本来は王女たる女の姿もあった。

 冬空の下、リザイアがやることといえば特訓である。


 暑い日も寒い日も関係なく暇があったら剣の稽古。

 昔からの習慣だ、エルガルに少しは女性的な趣味を持ったらどうかと諭された日々を思い出す。


 兄には悪いが、これが自分なりの女性的な趣味というものだ。

 リザイアは、木材の形をそれらしく整え布をまきつけただけの木剣を振るう。真剣を使わぬ場合に使用する稽古場に備え付けの訓練用装備。



「うおっと! やるね流石は戦姫さま! はは!」

「い、いくさひめって! その呼び名はちょっと恥ずかしいのでやめてください! リジーでいいです、アイアネラさん!」



 聞くに心地よいはつらつとした笑い声と共に、リザイアの攻撃を受け止める女、アイアネラ。

 褐色肌の女冒険者が手にするのは槍術稽古用の細長い木の棒。本来アイアネラが戦いで使うのは槍ではなく棍だが、訓練に使う程度ならこれでもそれほど変わらない、とは彼女の言葉。


 知り合ったのはセントクルスの大軍勢との戦の時だ。

 リザイアと共に戦ってくれた二百の戦士の一人。


 同じく武を志す女性としてちょくちょく交流していたのだが、最近は暇な時に稽古につきあってもらっている。

 技量に関しては。



「いよっと! また腕を上げたねリジー、だけど」



 リザイアの突きの動作、それを回避しつつ。



「まだまだこっちが上みたい!」

「あっ!?」



 伸びきった腕をアイアネラが下から打てば、リザイアは手にした剣を取り落としてしまう。

 そのままアイアネラは演舞のように鮮やかな動きで自らの得物をリザイアの首筋にトン、と軽く当てた。



「また私の負け、ですね」



 リザイアは肩を落とす。

 得物の射程の差とか、あらゆる条件を考慮してもまだまだアイアネラに及ばない、そんな実力差。


 稽古ついでの勝負が終わると、周囲からわっと歓声がわきおこる。

 観戦していた他の冒険者や、あるいは衛兵、村の住民。


 王女と女冒険者の稽古風景は、いまではちょっとした村の名物だ。


 やっぱり強いなアイアネラ、その手の声援に彼女は手を振って明るく答える。

 一方で健闘したとか腕を上げているとか、その手の声にリザイアは照れくさそうにぺこりと一礼。


 こそりとリザイアはアイアネラに耳打ちする。



「み、皆さんが楽しんでいるならいいのですが、もうちょっとどうにかならないでしょうか、コレ」



 稽古風景というのはあまり人には見られたくないリザイアである。

 どうせ誰かに見せるなら完璧な自分が良いという、ちょっとした見栄だ。


 アイアネラは無理と笑って断言する。



「リジーが大人気すぎるからね。魔を統べる影の姫ラトリナと人を統べる陽の姫リザイア、なんて呼ばれてるよお姫さま方」

「いつの間に!?」

「冒険者や商人連中が話を広めて回っているみたいでね。この辺の石を拾って二人の加護が宿った幸運のお守りみたいな宣伝文句つけて売られてるらしいよ?」

「そんな加護ありませんよ!?」



 人の名声やら商売やらなんてそんなもんだとアイアネラは笑う。

 民に人気な偶像を作り上げ、その名前をつけておけばただの石でも売れたりするのだ。


 リザイアは自分の加護が宿っていることになっているらしい石を買った人々に何かいいことがありますようにと祈っておく。責任感だ。

 そして、ふと。



「痛っ」



 手首の痛みに呻く。

 見れば先ほどアイアネラに打たれた手首が少し腫れていた。



「あちゃー、ちょっと強くやりすぎたかな。ごめんね、リジー」

「いえ、稽古ですから。怪我くらいは仕方ありませんよ」



 訓練用の装備とはいえ、それでもある程度の硬さと重さを持つそれら。本気で使えば人すら殺せるのだから、多少の怪我などしょっちゅうだ。

 その程度の傷も覚悟していないようでは戦場になど出られない。

 ただ利き腕の手首の負傷は少し辛い。



「あの、治癒魔法を使える方は……」



 リザイアが周囲に問えば、一人の老人が手を上げた。

 腰の曲がった男は杖をつきつつ、ちょっと通せと人混みを退かしながらゆっくりと歩いてくる。


 リザイアの前で止まると、老人は疲れたとばかりに深く息を吐きつつ。



「セブルという。簡単な治癒魔法くらいなら使えますぞ、王女」

「セブルさん。お願いしてもよいですか」

「喜んで。ただし、金貨が十枚ほど必要ですがな」



 セブルが口にした金額に、周囲からたけーぞだのまけろだのと声が飛んできた。

 老人は彼らに一喝。



「だまらっしゃい若造ども! 治癒魔法というのはだな――」



 老魔法使い曰く。



 魔法を使うには一つに高度な精神の力を必要とする。


 例えば極論だが自分は空を飛べると信じて崖から飛び降りることができるか。


 まともな精神の持ち主ならば不可能だが、それを心の底から信じきって実行できるような狂気にも近い精神、それを身に宿すことが魔法を使う上で大前提となる。


 火を出す魔法なら自分は手から火を出せると狂気の領域で自らの力を信仰することで初めて魔法を使用するに相応しい心身となるのだ。


 ただどれだけ狂気に踏み込めるかには個人差があり言葉で言うには簡単でもある程度の精神的才能がなければ常人には二級魔法は行使できないであろう。


 また人間一人が一属性の魔法しか使えない場合が殆どというのもこの精神的な理由が大きい。


 火と水を両方出せる、と思い込むのは難しい。


 だが火を出せたからもっと大きな火を出せる、と自らの精神を成長させるのは多くの場合は二属性を扱うよりも容易いのだ。


 さて精神の力という点でいうと神という存在を盲目的に信仰しその力を借りるという形で自らを魔法を使うに相応しい道具とするセントクルスは魔法使いが育ちやすい環境であると言えるだろう。


 また常人ではないがゆえに相応に変わった精神性を持つ亜人や魔人は魔法を使うのは得意というのも実に納得できる話。


 一人では不可能と思える魔法でも多人数でならば行使ができると信じ込めるがゆえに多くの魔法使いが力を合わせ個人では使えぬ大魔法を使う儀式という手段もある。


 少し話が逸れた。


 つまりは精神を鍛える必要があるがその際に支えとなるものは一般的には自らの生活である。


 兵士として多くの敵を倒すために火球を撃ちだせるようになりたい、冒険者として強い魔物を倒せるよう水の刃を操りたい、その根底にあるのは何か。


 戦地から生還したい、また多くの報酬を得て生活を楽にしたいという、そういう生きるための活動の助けにしたいという一念である。


 ゆえに直接的に戦果や報酬に繋がる攻撃的な魔法が比較的習得が楽というのは言うまでもない。


 さて魔法を使うに必要なもう一つ、これはこの場の多くの者は知っているであろうが魔力だ。


 人は世界に存在するこの力を集めるのが苦手な生き物であり、それゆえに供物を魔力に変換し身に宿さねばならないのだが、この際に多く使われるのは魔力を溜め込む性質が特に秀でた金や銀、あるいは宝石といった鉱物である。


 余談だが魔物や人の体にもわずかに溜め込まれた魔力があり供物として捧げれば理論上は魔法は使えるし、古には生贄という魔力確保の手段もあったというが、これは非常に効率が悪い。


 極端な話をすれば魔物や人間を百体以上犠牲にしてようやく一級魔法が使えるかどうか程度の魔力しか確保できないのだから鉱物の供物としての優秀さが知れ渡った現代では不要な技術と言えるだろう。


 少し話が逸れた。


 つまり生活のために魔法を使いたいが、金貨や銀貨という生活のために必要な硬貨を供物にしなければならないという矛盾がここに発生するわけだ。


 生活のために魔法の習得を目指す場合、やはり供物を捧げてもお釣りがくるほどの報酬を得られるものが優先される。


 この割の良い魔法というとこれが攻撃的な魔法であり、冒険者諸君にわかりやすく教えるなら例えばギルドの依頼で二級魔法の金貨一枚でレベル2の脅威度の魔物を一匹殺せば倍の報酬を得られるだろう。


 生活に直結するがゆえに攻撃的な魔法を習得する者が多い、これはわかってもらえたと思う。


 同時に一級魔法の取得が簡単な理由もわかったな、あれは水を運ぶとか火を起こすとか日常の生活に直接役に立つ上に銀貨一枚という供物に対して非常に便利なものが多い。


 狂気の領域とまでは言わなくとも生活を楽にするために、その信念で主婦や使用人などが夢見た末に習得してしまったりする。


 さてここまで説明した前提条件を理解した上で治癒魔法というものについて考えてみよう。


 まず一番簡単なものでヒール、これがあれば腕が切り落とされたとかでもない限り大体の怪我は治せるだろう。


 しかし、治癒魔法というのは既存の殺傷可能な敵の数で分類される魔法のランクでは正確に計られていないが、ヒールの使用に必要な金貨が十枚であることを考えれば実質三級に相当する魔法だ。


 金貨十枚を使った結果が一人の怪我人を治す、単純に考え最低でも金貨十一枚を報酬として貰わなければ割に合わん。


 だが時間をかければ治る怪我に金貨十一枚を出す者がどれほどいるだろうか。


 例えば冒険者や衛兵、村人のほとんどは多少の怪我なら薬草などを用いて自然治癒に任せるだろう。


 戦の最中などなら需要は見込めるかもしれんが攻撃的魔法にも金貨が必要ならばそちらが優先されるのも仕方がない、怪我人を減らすには早く戦が終わるのが一番だ。


 つまりは治癒魔法とは基本的に対価に対して割に合わない魔法であるということがわかってもらえたと思う。


 非常時の回復手段に習得しておくとするにも魔法を習得するに必要な精神鍛錬の難しさは前述した通りだ。


 ゆえに治癒魔法とは基本的には習得を選ばれないことが多く、だから治癒魔法を使えるものも少ない。


 そして治癒魔法を使える自分から言わせてもらえば金貨十枚とはつまり無償で治療を承るということなのだ。



「――わかったか若造ども!」



 長話を終えて杖でカンっと地面を小突くセブル。

 ほとんどの者が話が長いということ以外を理解できていない状態で、リザイアはつまり、と。



「治癒魔法を使えるものは珍しく、金貨十枚は高いどころかむしろ良心的すぎる価格、ということですね?」



 セブルはうむと深く頷く。



「さすがは王女、そこらの無教養な連中と違って聡明ですな」

「馬鹿なりに難しい話の要点は理解できるようエルガル兄さんに鍛えられましたから!」



 えへんとリザイアは胸を張る。

 頭のいい人間の長話を理解するには要点だけ聞いておけば十分、とは兄の言葉。


 つまりは金貨十枚を払うに躊躇う理由はなく、リザイアはセブルに硬貨を渡す。

 王族なりにお金はある。


 確かにとセブルは受け取った金貨を握り締め魔力へと変換。

 治癒の魔法を発動させれば、優しい光を宿したその手をリザイアの手首にかざす。



「んっ……」



 リザイアが僅かに呻いた。

 痛くはないがくすぐったい、声を抑えておくのがちょっと難しい不思議な感覚だ。


 やがてリザイアの手首が正常のそれに治癒されると、セブルの手から役目を終えた癒しの光がゆっくりと消える。



「これで治療は完了、また何かあればお呼びくだされ」

「はい。ありがとうございました、セブルさん」



 魔法使いははあどっこいしょと声を出しつつ、人混みの中へと引っ込んでいく。

 その背に一礼しつつ、リザイアは治ったばかりの手首の様子を確かめて、木剣を手に取る。



「さて、まだお付き合いしてもらってもいいでしょうか、アイアネラさん」



 彼女は老人の長話で吹っ飛んでた意識を入れ替えるよう、自らの頬をパンと叩いて訓練用の棒を手に。



「付き合うよ、戦姫さま!」

「だからその呼び方はやめてください!」



 歓声と共に、王女の稽古が再開した。





 日が暮れれば、辺りもさすがに暗くなる。

 わずかなかがり火の光の下で訓練を続ける者もいれば、そろそろ頃合かと切り上げて壁の中へと戻る者も。


 リザイアは後者だ。

 流した汗が冷える前に、アイアネラと共にルーフ村の生活の熱の中へと移動する。

 寒さに負けじと生きる人々の熱気、それが最高の暖房だ。


 リザイアたちの足は噴水広場へと向かっていた。

 様々な屋台、その商品には食べ物も多い。


 夕飯をギルドの酒場で食べるかこっちで何かを買っていくか、そう考えての行動。

 リザイアの姿を認めると手を振ってきたり声をかけてくる人々に笑顔で答えつつ、どうするかと屋台を見て回る。



「うわリジー、あれ見てあれ。グリーンウルフの肉の香草串焼きはちみつ風味だって。銀貨20枚。買わない?」

「買いません、というかあんなよくわからないものに銀貨20枚出すって相当な変人だと思いますよ」



 だよねとアイアネラは笑う。

 まったくこちらは真面目に夕飯を考えているというのに。



「そういえばさ、リジー」

「なんですか? 変なものは買いませんよ」

「いやそうじゃなくって。アルガントムと結婚するって話ほんと?」

「ごほあっ!?」



 いきなりすぎる話を振られて、さすがのリザイアも呼吸を乱して咳き込んだ。



「け、けけ結婚なんて考えてませんよ! な、な、なんでそんな話が!?」

「いや、エルガル様だっけ、リジーのお兄さんがそんなことを口にしていたって噂で広まってるんだけど」



 その噂の元を辿ればカーティナという女がその地獄耳で聞いたエルガルからアルガントムへの冗談交じりの提案に行き着く。

 まあ広まってしまえば噂の出所なんて誰も気にしないが。


 一方でその噂の当事者たるリザイアは、こほんとせきをして精神の平静を取り戻しつつ。



「あ、あれはエルガル兄さんの冗談です。そんな予定はありません」

「本当にー?」

「ほ、本当です。そもそも彼はラトリナの家臣ですし」

「妹の家臣と姉の愛憎ドロドロラブロマンス?」

「しませんって!」



 リザイアは膨れっ面をして顔を逸らし、アイアネラを置いて足早に先へと進む。

 まったくただでさえ兄があの話をしてから少し彼とは気まずい状態だというのに。


 何度も救ってもらったのは事実、彼の強さに憧れるというのも否定はしない。

 しかし結婚とかそういう恋愛感情は。



(……どうなんだろう)



 リザイアは自らに問う。

 このアルガントムに対する暖かい感情はなんなのか。


 父が政略結婚の相手にと紹介してきた男たちに対するものとは違う。

 エルガルという兄に対する感情、ルーフ村を共に守るため戦ってくれた冒険者や衛兵たちに対する感情。


 すべてと違う奇妙な好意が胸の中にある。

 考えてもわからない。

 それほど頭がよくはない。


 リザイアは頭を振って思考をかき消す。


 それよりも、夕飯をどうするかを決めなければ、と。



「……リザイア様」



 ふと、声をかけられた。

 振り向けばそこにはトランベインの鎧を来た兵士たち。

 衛兵だ。


 彼らは一様に暗い顔、思い悩む表情。

 リザイアに向けられるのは、彼らの迷いと共に発せられた言葉だ。



「王の使者の方が先ほど村に参られて……勅命が届きました。アルガントムの討伐命令。そしてその一味として、リザイア様を反逆者として捕らえよと」

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