05:そのお姫様は世界をまだ知らない。
世界三大国家の一角、トランベインの王都。
その城下町ともなれば当然のように賑わっている。
石造りの町並みを常に人々が往来して、商店の店主が客を呼び込み、酔っ払ったバカが喧嘩をしているのを衛兵が止めに来たり。
そんな日常が、今は途切れてしまっている。
原因は数日前に起きた異変だ。
天に何かの紋章が出現し、王城が光の弾に砕かれた。
はてさて神の裁きか、あるいは新手の災害か。
未知に対する反応の多くは恐怖であり、不安は人々を陰気にさせる。
そして曇り空に相応しい薄暗い雰囲気の街中を、多くの兵士が見回っていた。
国王が殺害されたのだ。
犯人は秘術によって現れた異世界の存在。
トランベインの勝利のために――真実は王が戦場がより悲惨になるよう強大な力を投げ込もうとして――召喚された存在が、その王の命を奪った。
許される話ではないと、王都の兵力を総動員しての犯人探しが行われているのだ。
ことの性質上、民衆には内密にだが。
目撃者の証言から、犯人の容姿は虫人・インセクタと呼ばれる存在だとわかった。
世界に数多く存在する亜人種の一つ、虫の甲殻を纏った人間とも、人の形をした虫であるとも言われているが、その性質は詳しく解明されてはいない。
銀色のそれと、六本羽という珍しい姿の天使が犯人、その情報から兵士たちが町中を探し回っているのだが、目立つはずの存在はしかしどこにも見当たらない。
もし遭遇した際に天使と闘うことになったら、その恐怖を思うと見つけたくないというのが多くの兵士の本音だが。
さて、答えを言ってしまえば、犯人は王城の敷地内にいるのだ。
トランベイン王城に無数にある部屋の一室。
その床や壁一面には不可思議な模様がこれでもかと刻まれていた。
多くの人々には何かの邪悪な儀式場と見える。
そこに王族のための豪華なベッドや多少の調度品を後から配置した感じの、なんともちぐはぐな部屋だ。
壁のランプの輝きのみが光源の、窓もない薄暗い一室。
その部屋の主は一人の少女だ。
年齢は十代前半。
適当な長さで切り揃えられた髪。
それなりに上等な布で作られている下着のような薄手の服。
肩や膝下から露出する肌は光を浴びたことがないといわんばかりに白く、そして白い肉体は黒い刺青で汚されている。
手足どころか胴体、顔に至るまで不気味なまでに黒で汚染された彼女は、作り物のような微笑みを顔面に貼り付けていた。
国王殺しの犯人は、微笑む彼女の目の前にいる。
銀色のインセクタであるとされている存在、アルガントム。
ぺたんと石の地面に座り込む部屋の主同様、胡坐の姿勢で床の上でくつろぐ。
部屋の隅から隅へ意味もなくとふわふわと移動する六本羽の天使、ゼタの姿も同じ室内にあった。
「さて、かくまってもらって数日か。……何度も聞くが、いいのか? ラトリナ」
アルガントムが聞けば、ラトリナと呼ばれた少女は綺麗な笑い声を口から発する。
「ふふ、まあラトリナ・トランベインという王族としては父の仇と、剣を手に取るのが普通なのでしょうけど。ふふ。まあ、普通ならば」
ラトリナ・トランベイン。
アルガントムがゼタに命じて、まあそこまでする気はなかったのだが消滅させてしまった国王・トランベイン十五世の娘である。
出会いはあの犯行当日。
玉座の間から出るや、当然ながらアルガントムは兵士たちに包囲されていた。
室内にいるはずの国王やゲイノルズたちの姿が消滅していることに、そしてゼタという天使と消し飛んだ玉座の光景を見て、誰もが色々なことを察したのだろう。
国王殺しの犯人として即刻捕まる、どころか槍や剣で串刺しにされそうになったので、アルガントムは逃げた。
課金アイテムのドーピングでイカれたくらいに強化された肉体の跳躍は包囲を飛び越え天井を足場に再び跳んで、床に足を着くやそのまま走り出せる程度には強靭だった。
まさに虫っぽい外見どおり、室内を跳ね回るバッタか何かのような動きである。
その力とゼタの力があれば敵を全滅させることも可能だったかもしれないが、それは避けた。
国王他数十人を消し飛ばした後で何をと思われるだろうが、アルガントムは無闇に人を殺すのはどうかと思うのだ。
金でもあの世から命は買い戻せない。祖父の言葉の一つであり、ようは金でも買えない貴重品をムダにドブに放り込むのは勿体無いとかそういう意味だろう。
なので命はそこそこ大切にが、アルガントムの基本方針である。
ただ殺害数ゼロで逃げ回るのは中々に大変だった。
廊下を走れば兵士、曲がれば兵士、部屋に隠れようにも兵士。
王城の守りは伊達ではない。
アルガントムは出口はどこだと走り回って、やがて外を見渡せる渡り廊下に出た。
いわゆる城下町という中世ヨーロッパな町並みが広がっていたが、そこから視線を外してふと真下を見下ろす。
花畑と庭、そして教会か神殿のような雰囲気の建物。
建物の入り口には妙に作り物っぽい笑顔を浮かべる少女がいて、彼女がこっちにおいでとばかりに手招きしていたのだ。
敵意は感じなかった。
さて、その誘いに乗るとしてここから飛んで下まで何十mか。
学校の屋上から校庭まで、それよりも高さがある。
普通に人が飛べば自殺行為だが、アルガントムの体ならばどうか。
この体ならこの程度の高さ。
だがもしダメだったらいい感じのミートソースに。
そこまでムダに考えてから思い出す。
「ゼタ、俺を運んで地面に降ろせ」
空を飛べるヤツがいるじゃないかと。
そうして彼女に抱えられて地面に降りて、謎の少女に言われるがままに建物の中に入った。
部屋中模様だらけの奇妙な閉鎖空間を見て罠という可能性に思い当たったが、その時はその時だ。
少女にベッドの陰に隠れていろと促されてその通りにする。
やがてアルガントムが庭へと飛び降りるところを見て追っかけてきた兵士が扉を叩く。
それを迎える少女。
「姫、ここに銀色のインセクタが来ませんでしたか?」
姫と呼ばれた少女は、笑顔のままで。
「ええ、ええ。来ましたよ。部屋の中から金品を持ち去り、町のほうへと飛んで逃げていきました。ふふ、恐ろしい」
感情の篭らない言葉にこれ以上は会話したくないという不気味さを兵士は覚え、慌ててそこから去っていく。
そして少女は部屋の扉を閉じると、一息ついてからもう大丈夫、と。
そうしてかくまわれたまま数日が経過して今に至る。
まあやることもないのでしていることは世間話だ。
「父の……トランベイン十五世の息子や娘は、腹違いやらなにやらで使い捨てるほどいますから。普通じゃない姫が一人はいてもいいでしょう。ふふ」
「英雄色を好むというヤツか」
「いえいえ、アレは単なる色情魔。召使にまで手を出して子が生まれたら母親を殺して娘は軟禁」
その軟禁された娘、もはや何人目かもわからぬトランベインの血を引く姫がラトリナだという。
他人事のように彼女は語る。
「トランベインの血を引く者は異界に干渉する秘術が使えるという伝説があるそうで、その実験にはちょうどいい姫がいたわけですよ。伝承を手探りに体を刻んで色を流し込んで魔法の陣を組み上げて」
「人体実験か」
「ええ、ええ。まあおかげさまで異界から人をさらってくる力を手に入れたわけですが。ああ、そうそう」
ふと思い出したように、ラトリナはおっとりと頭を下げる。
「あなたをこの地に引きずり込んだのは、私の力です。申し訳ありませんね、帰す方法もないので腹いせにこの身を殴るなり蹴るなりお好きにどうぞ」
「あいにくと女を殴るなと教育されていてな。それに……話を聞く限り、君が望んだ行為ではないらしい」
ラトリナはやはりゆったりと頭を上げると、軽く頷く。
「父の実験ですよ、異界の強者を呼び寄せ、それを戦場に投入できるようになれば新たな技術として商売に組み込めないか、と」
「傭兵とか、あるいは兵器としてか」
「果てにはもし三国統一する時の切り札、そんな考えもあったのでしょうが……まあわざわざ玉座に陣を描いて、十数回ほど大量の魔力を私の体に流し込んで、その結果がよかったかというと」
良かったかどうかと聞ける相手は消滅している。
答えがわからないことゆえに、ラトリナはどうでもいいとくすくす笑う。
「そして身勝手な話ですが、私としてはとてもありがたいのですよ」
「ありがたい?」
「ええ、ええ。正直、あの秘術を使うたびに魔力が私の頭や体をズタズタにしてくださるわけでして……、まあとにかく、あの秘術を使うのは辛いのです」
しかし秘術を使うよう命じていた王が死んだ。
実験はひとまず停止される。
「あと一度でも秘術を使えば発狂していたかもしれませんから、そういう点で考えると、あなたは私を救ってくれた恩人なのですよ、アルガントム」
「……人を殺して感謝されるのも複雑だな」
ポリポリと、鋭い指先が頬をかく。
金属的な音が響いた。
しばしの静寂。
そうなった時、ふと喋りだすのはラトリナだ。
ポン、と両手を叩いて音を出す。
「ああ、そうそう。ところでアルガントムはこれからどうするのですか?」
「うむ、考えていたんだが……やはりまったく思いつかん」
アルガントムは、何かしたいかとラトリアに何度か問われている。
そのたびに何も思いつかぬと答えざるを得ないのだ。
力があれば戦で名を上げることもできる、金を得て贅沢の限りを尽くすことができる、外見的に少々難しいかもしれないがいい女を抱くのも可能。
ラトリナに例えとして提案された様々な欲望を否定はできないのだが、それを目的に行動したいかというと否なのだ。
昔から祖父に色々と教えてもらった。
勉強や運動、娯楽。それは一種の、羽間銀四郎という男の財産や権力を考えれば跡継ぎへの英才教育にも見える。
だが祖父はこういうのだ。
好きに生きろと。
跡を継げと言われればそうしただろう。政治家になれと言われれば勉強に励んだだろうし、スポーツ選手を目指せといわれれば体を鍛えていたはずだ。
だが祖父はレールの上の人生という素晴らしいものを用意してはくれなかった。
与えられたのは自由だ。
何にでもなれる、それは素晴らしいことのように聞こえるが、目標を見つけられない人間にとっては苦悩にしかならない。
自分は何になりたい。
答えは未だに見つからない。
それはアルガントムという暴力と財力を手にしたこの体になっても。
相変わらずの答え。
いつものラトリナはそうですかと微笑んだまま流すだけだった。
しかし、その日は違った。
「……ならば、ふふ。それならば、私と共に歩みませんか?」
誘いの言葉。
アルガントムは首を傾げ、とりあえず聞き返す。
「報酬は?」
「そうですね、私のこの身ではどうでしょう?」
「君自身?」
ええ、とラトリナは頷く。
「跪けと命じればそうしましょう。私のすることが気に食わなければ、死ねと命じれば従いましょう。共に寝ろと言うならば無論。ラトリナという存在を報酬とします」
自らを与える、彼女はすらすらと言葉を紡ぐ。
「代わりに、アルガントム。あなたは私の願いを聞いてください。殺せと言われれば殺し、壊せといわれれば壊す。そういう、私の命令を遂行するためのモノになってください」
自分の部下になれ、と。
早い話がそういうことだ。
ただその対価が金や名誉でもなく、上司であるはずのラトリナ自身を殺すことすら許可するという自由。
ちぐはぐだ。
どちらが偉いのかわからない。
ただ、気に入らなければ殺せばいい。
例えばアルガントムが死ねと命じられれば、お前が死ねと首を跳ねればいいというだけ。
例え殺そうとしても殺しきれないような力があるのか。
目の前で微笑み続ける全身刺青だらけの少女を見て、しかし違うとアルガントムは感じた。
アルガントムにも殺せないだけの力があるなら、それで支配すればいい。
わざわざ交渉し、契約する必要などないのだ。
考えていることがわからない。
しかし、命令をくれる、目的をくれるというならば、それはちょっと魅力的な提案だ。
その目的が、例えば金のために戦争して来いというどこぞの国王様のそれのような、アルガントムにとって気に食わないものでなければ、だが。
だからアルガントムは確認する。
「それで、君は何をしたいんだ?」
ラトリナは、くすくす笑う。
「それが恥ずかしながらわからないのですよ」
「……わからない?」
「ええ、ええ。なにせ生まれてからこの部屋と、周囲の庭園と、城の中を少々と……狭い世界しか見たことがありません。この世界に何があるかを知らなければ、何を手に入れたいのか、なんてわからないでしょう?」
本の虫だったので知識と言うものはありますが、とつけたす。
ラトリナは部屋の片隅に積まれた本の山へと視線を向けた。
「本で得られる知識など、所詮は単なる知識です。世にも珍しい宝がある、なるほど。ではその宝が欲しいのか、と問われれば、この目で見てこの手で触れてその価値を私自らが評価しなければ答えようがありません」
「マニア垂涎のレアグッズも、興味がない人間にはただのガラクタ、か」
「ええ、どんな名剣も興味がなければ金属の塊。狭い世界しか知らない私には、極端なところこの世の全てがそれでして」
世間知らずなお姫様。
彼女はアルガントムの、表情のない顔をまっすぐに見つめた。
「ですから、最初の仕事を命じるとすれば――私が世界を知る、その手伝いをしてください」
「具体的には?」
「そうですね、とりあえず旅にでもでましょうか。王都の中にいたのでは、何かと不都合です。あなたは国王殺しの大罪人で、私は一部の兵たちに外を歩いているのを見つかればこの部屋に連れ戻される運命の身」
ついでに天使も街中にいては目立つ、と。
少なくとも王都に自分たちがのびのびと動ける場所はない、というのがラトリナの答えだ。
「ですので、少し離れた土地に行って……まずはそこから少しずつ世界を広げていこうかと」
「驚くほど無計画だが大丈夫なのか?」
「ダメだと思うので、そこで大丈夫になるようにあなたが働いてください」
「……なんというか俺も計画性とか頭の良さとか礼儀とか様々なものとは無縁なヤツだと自覚してはいるんだが、君も相当だな」
「ふふ、私はそういう女のようです。さてアルガントム、この契約を受けてくれますか?」
仕事はラトリナの部下として色々な雑務をこなせ。
報酬は――果たして報酬といっていいのか――ラトリナを殺しすらしても構わないという、彼女自身の生殺与奪の権利。
アルガントムは自らに問う。
依頼とその報酬、果たして自分はそれに納得しているのかと。
わからない。
それを判断できるほどの材料を、アルガントムは自分の中に持っていない。
だが。
「――わかった。受けよう」
答えて頷く。
目の前の少女や、彼女のふらふらとした目的を、なんとなく嫌いなものじゃないと感じたから。