30:とある国での忌々しいお話。
壁が破られた。
物陰から戦況を伺うアルガントムは、少し苛立ち始めている。
「……ラトリナ、俺はいつまでこうしていればいい?」
戦の気配を感じると同時、ラトリナは人目を避けて、路地へと隠れるようアルガントムたちに命令した。
この状況に関わるのを避けるように。
アルガントムはその意図が知りたい。
たった二百人ほどでこの地を守ろうとしている人々、それを鼓舞した王女、彼らを助けに行くなという彼女の命令の真意を。
問われたラトリナの表情は暗い。
彼女が紡ぐ言葉は弱々しい。
「……静観、です。ここであなたやゼタさんが力を示しすぎれば、今までどおりではいられないでしょう」
確かに敵の数は多いらしい。
ゼタたちは六本羽を展開し、アルガントムも色々と力を使って――まあ今までとは比べ物にならないほど目だって動くことになるだろう。
それがどうしたとアルガントムは思う。
「また布を巻いて正体を隠せばいいだろう」
「それは、国王殺しの銀色インセクタ、あるいは六本羽の天使、それが噂であったからです。だから人々は心から信じることなくその存在をうやむやにできた」
しかし、と。
「もし実際に目にすれば、この地の人々にとって真偽不明の単なる噂は真実となります。その真実から布一枚で正体を隠しとおせるとは思えない。シャトーさんたちの時とは状況が違いすぎる」
そして正体が知られれば、もうこの地にはいられない。
彼女はそう考えているらしい。
ラトリナの考えに、アルガントムは思う。
らしくない、と。
「なあラトリナ。君はそこまで深く物事を考える人間だったか? 無計画に城を飛び出して腹が減ったと毒キノコをかじってメシを食うために冒険者、そんな適当な女だろう」
「……今まではそれで良かったと思えたんです。例え失敗してもやりなおせばよかったのですから」
「なら今回もそうすればいい」
ラトリナは首を横に振る。
「ダメ、なんです。私はこの地が好きになっています。カーティナさんたちが好きになっています。そして失敗して彼女たちとの縁を失ったら、それはもうやりなおすことができない」
ここにいたい、嫌われたくない、そう語るラトリナの目にアルガントムは涙を見た。
初めてだ、いつも余裕ありげに微笑んでいた彼女が泣いたのを見るのは。
彼女にとって、この地はもうそれほど大切なものになっているのだろう。
ならばやはり、アルガントムは苛立たしい。
「ラトリナ、例えばこの地にいられなくなったとしよう。みんなに嫌われたとしよう。それはやりなおしが利かないことか?」
「そう、でしょう?」
「違うな、人間はそこまで単純じゃないだろう。この地を追い出されてもほとぼりが冷めたらまた戻ってくればいい。嫌われたらまた好かれればいい。時間が解決を容易くしてくれる」
「時間、が?」
「人間の感情なんてそう何十年も持続しない。怒りも恐怖もだいたいは一時的なものだ。時間が経てばいずれは吹っ飛ぶ。そういうものだと思ってる。いざとなれば友達料を払って仲良くしてくださいって土下座でもすりゃいいんだ」
アルガントムは言う。
金と時間があればどうにかなることもある。
「だが、ここでカーティナたちが死んだらどうなる? それこそ二度とやりなおせん」
「ッ……!」
「金も時間も強力だ、だが万能じゃない。それじゃどうにもならんことはいくらでもある。人の命もその一つだろう」
だから取り返しがつかなくなる前に、彼女に決断させねばならない。
「一時的にバケモノと呼ばれ嫌われるのと、二度と会えなくなるの、君はどっちを選ぶんだ」
「そんなの! ……前者の方がまだマシです」
「ならば答えは決まっているだろう。あとは命じればいい、そのためのモノだぞ、俺は」
彼女の命令を遂行するための存在。アルガントムはそういうものだ。
しかし、それでも、自分が間違っているとわかっていても、ラトリナはたった一つの言葉を口に出来ない。
それを命ずる勇気がない。
らしくない、苛立たしい。
どこかから悲鳴が聞こえてくる。
戦闘の末、誰かが殺された音。
そしてアルガントムは思い出す。
気に入らないものをどうすればいいか、と。
彼はおもむろに、ラトリナの細い首を右手で掴んだ。
「かはっ!?」
そして軽く力を込めた。
アルガントムの手首を掴み、ラトリナは絞首の苦しみから逃れようともがく。
その姿を無駄だと断じて、アルガントムは言う。
「報酬の話を覚えているか? 君自身の命だ。俺はこの状況においても迷う君が気に入らない。だからこの場で君を殺してから俺自身の意思で彼らを助けに行く」
契約通りの話だ。
もし雇い主である自分のことが不要となったら好きにしろ。アルガントムにとってどうしようもなく不利益な存在になったら殺していい。
いまこの場で、アルガントムにはラトリナがどうしようもなく不要で不利益だ。
だから殺す。
けれどアルガントムは、彼女が嫌いではない。
可能ならばまだ共にいたいと願ってる。無計画だし浪費はするし変なところで臆病だし、まあハッキリ言えば何の得にもならない女だ。
それでも彼女は必要だ、彼女との縁がなければきっと自分はこの地を訪れなかった。
この地で繋いだ縁すらも、そもそも存在していなかった。
だからアルガントムは、まだあの笑顔を隣で見ていたいと願っている。
彼女と彼女が作る人の輪を、あの馬鹿騒ぎを見ていたい。
それだけで、この世界は楽しくなる。
だからアルガントムは願うような声で、ラトリナに最後通告をする。
「ラトリナ、俺に君を殺させるな」
その意思の篭った言葉を聞いて、ラトリナは抵抗を止めた。
両手を脱力させ、抵抗の意思を失って、代わりに声が漏れる。
「ふ、ふふ」
「ラトリナ」
「……と、りあえ、ず、離して、ください。喋りにく、い。死んじゃう、ます」
「ああ、すまん」
あっさりと、アルガントムの手は彼女の首の拘束を解く。
ラトリナは咳き込みながらちょっと苦しそうに、そしていつもどおりにくすくす笑う。
「けほっ、けほっ。……ふふふ、そもそも私に選択権がないじゃないですか。私が命じて助けに行くか、私が死んで助けに行くか。後者に私に対するメリットが微塵も存在していません」
「それもそうだな」
「ふふ、まあそういう契約を持ちかけたのは私ですし。……そして確かに私自身、一瞬前までの私の考えは気に入らない」
ラトリナは、自らを気に入らないと吐き捨てた。
「そうですよね、カーティナさんたちが死んだら好きも嫌いもなくなってしまいますもの。そんな簡単な答えにたどり着けなかった自分の頭の曇りっぷりが気に入らない」
「曇りは晴れたか?」
「ええ、おかげさまで」
剣戟の音が響く。
そろそろ行かねばまずいだろう。
「ラトリナ」
「わかっています。――命令は一つ、全力でこの地を守ります」
迷いない言葉。彼女らしい。
アルガントムは苦笑し頷いた。
「了解した」
それと、と。
ラトリナは言葉を続ける。
「私も戦います」
その言葉には、アルガントムは無謀だと返した。
「君は何の力もない。だから守られていろ、それでいい」
「そういうわけにはいきませんよ、これでもあなたという力の雇い主。……それに、現在の状況は」
ラトリナが目を閉じる。
静かに息を吐き、集中している様子。
何をしている、アルガントムが問う前に。
「ッ、ぐ、あァ……!」
彼女が苦悶の声を漏らす。
「ラトリナ!?」
アルガントムが彼女の両肩に手を置きその体を揺らせば、彼女は何事もなかったかのように瞼を開けて微笑んでいる。
その顔は青ざめ、両目からは血の涙が零れ落ちているが。
明らかに普通ではない様子には、アルガントムとてさすがに慌てた。
「なにをした!?」
「……以前、私の力、を、お話しましたよね。少し遠くを見る力。それを少々使いました」
「頭が少し痛くなる程度、そう言っていただろう!」
「ええ、実際に頭痛が酷いですが……いまは、それより」
ラトリナはアルガントムの手首を掴み、ゆっくりと自分の肩から虫人の手を外す。
「壁の中に入り込んだ敵の位置を全て確認しました。住民が隠れている民家や負傷して動けなくなってる味方、その位置も。まずは壁の中に入り込んだ敵を全て倒さねば」
「……確かに、俺の力を効率的に使うとほとんど範囲を吹っ飛ばす。誰かが隠れている民家を確実に避けるなんて器用な真似はできないが」
「まかせてください、誘導します。この力でルーフ村の内部の敵は全て追い出します。……それと、召喚の力を貸してください」
「いいのか?」
「構いません。この戦いで全員を呼んでしまっても構わないでしょう。しかし、とりあえずは――小型で邪悪な外見のものをお願いします。私が囮で、皆さんは横合いから切りつける剣です」
★
戦況は防衛側が有利にも見える。
倒れる骸のほとんどはセントクルスの兵のものだ。
実際、士気の高い兵士が地形を上手く使って守りに回っているのだから、局地的には勝っている。
しかし、と。
リザイアはフランベルジュを敵兵の鎧の首の隙間に捻じ込みつつ、周囲に視線を巡らせる。
「この地点を放棄! 後退しなさい!」
すでに敵の数に圧され始めており、もう何度目かもわからない支持を味方に飛ばす。
防衛地点で敵を迎え撃つ。先陣を士気と地の利の優位で切り伏せて、推され始めれば後退。
この逃げながら戦うという戦法の繰り返しで犠牲を最低限に敵の数を減らしてきた。
ただ、いずれは絶対に退けなくなる。
冒険者ギルドには多くの人々が避難しており、そこに敵を到達させるわけにはいかない。
そして定められた、冒険者ギルドの方まで被害を出さぬよう戦うための最終防衛ライン。
噴水のある広場。
とうとうリザイアたちはその地点まで退いてしまう。
「王女様! ここからはもう退けねえぞ!」
「わかっています! 負傷者は最後列に! まだ戦えるものは私と共に前へ!」
「王女! 矢が尽きました! 魔法使い連中の硬貨もです!」
「わかりました! 剣を受け取り後列に下がってください! 可能ならば味方の援護を!」
指示を飛ばす最中、リザイアは仲間が槍で左胸を貫かれる瞬間を見た。
その屍を倒し、踏み潰しながらセントクルスの兵士は進軍を続ける。
リザイアの感情が怒りに支配された。
「貴様らがああああああッ!」
フランベルジュを突き出して、しかし鎧に弾かれる。
そこを狙って振り下ろされようとする剣を。
「落ち着け王女様!」
持ち主を切り殺すことでグリムが止めた。
彼はリザイアを片手で乱暴に投げ飛ばし後退させつつ、続く敵の鎧には鈍器のような刃物を打ち込む。
「忌々しいことにこれが連中だ! 人の尊厳は知ってるが、そもそも敵を人としてみていない! まったく昔からかわらねえ!」
ふとグリムは、見知った顔を目撃する。
敵兵の中にいるのは、かつての同僚。
向こうもこちらを知っているだろうが、その槍の一突きに知人に対する容赦はない。
それは知人ではなく、邪悪に対する一撃だ。
思い出す。
忌々しいと、剣を振るいながら叫ぶ。
「セントクルスって国では亜人は人とはみなされない! 知っていたさ! そして同僚の中に亜人であることを隠してるヤツがいたことも!」
悪いヤツではなかった。
人々に優しく、戦場では誰よりも早く前に出る仲間想い。
たまに酒を飲んで馬鹿をやらかす。
そいつを囲んで人の輪が出来ていた。
自分もその輪の中にいた。
「ある時、同僚の一人にそいつが亜人であることがバレた! だがそれを知ったヤツも、俺と同じく黙っていてくれるだろうと信じたさ!」
その信頼は裏切られる。
亜人種がいると話は広まり、グリムの友人は異端者として引きずり出された。
周りに合わせるために篭手や髪飾りで無理やりに隠していた、半獣の腕や耳を暴かれた。
「今までの功績! そいつの人柄! それら全部を無視して処刑だと!? その理由が神の教え!? ふざけんじゃねえよクソどもが!」
獣人の強靭な筋肉も、虫人の堅牢な外殻も、竜人の生命力でさえ関係なく切り倒すための、鈍器のような亜人殺しの片刃剣。
それが振り下ろされる直前、グリムは処刑のための武器を奪い、亜人の友を救おうとした。
仲間と信じた連中を切って切って切り続けた。
しかし連中は明確な敵たるグリムには目もくれず、神の教えを優先し一人の亜人をひたすらに滅多打ちにして。
気づけば守るべきものは死んでいて、仲間殺しの罪で信徒どもに追われる男だけがいた。
何が弱者を守るだ。強者を導くだ。
グリムは絶対認めない。
大勢に、自分の友を殺させることをよしとするような、そんな神は認めない。
そしてその信徒も。
「覚えているかよ、誰がアイツの正体をバラしたか! テメーだよオーザ!」
振るった刃が仇を切り裂く。
その死に顔に後悔なんてものは微塵もない。
グリムが復讐をしたところで連中は痛くもかゆくもないのだ。
その死すらも神の意思。死んだら神のところへ行くだけ。ほとんどのヤツがそう信じてる。
「クソがあああああッ!」
王女に落ち着けと、そう叫んだ自分が怒りに支配されそうになる。
だって、連中に対してそれ以外に何を思えというのだ。
そんな相手に、自分たちはきっと負ける。
世界は変わらない。
強者が弱者を踏み潰す、その法則で動き続ける。
「もし本当に神がいるならば、いまくらいは力を貸せよ!」
願いは神には届かない。
代わりに、一人の男と、とある女がそれを聞いた。
虫の跳躍を活かして天高くから落下し、セントクルスの兵士を一人踏み潰しながら着地した、全身を布で包んだ大男。
彼は言う。
「神ではないが、力は貸すぞ?」




