26:その忠誠に問うてみる。
セントクルス神光国の首都。
その地の雰囲気は、一言にすると『穏やか』だ。
優しい顔をした修道服の男が神の言葉を伝え、集まった民衆が祈りを捧げながらそれにありがたく耳を傾ける。
人々の間に喧嘩など起きようはずもない。
誰もが隣人の善意を信じ、隣人と共に優しい時を過ごす、そんな都だ。
都の中央には巨大な教会がある。
常に開け放たれている扉の中には神に祈りを捧げるに相応しいだけの内装で飾られた大聖堂。
その全体を見渡せる位置に据えられた金属製の人型は、彼らが崇める主神エヌクレアシェンの神像だ。
雄雄しく神々しい神の像が守る教会、その聖堂の奥にある部屋は限られた者しか出入りを許されぬ聖域。
円形の部屋の外周にはエヌクレアシェンを守護するとされる十二の神々の神像、それらが見守る円卓が配置され、十三ある席にはそれぞれの法衣を纏った十三の男たちが座っている。
その中で、もっとも煌びやかな法衣に身を包む白髪の老人は大神官。
神の前では人に優劣などない。
だが直接的に人に言葉を伝えられぬ神に代わってその意思を声にする者は必要で――つまり、俗世間的な言い方をするならばセントクルスの最大権力者ということだ。
老人の顔は悲しみに彩られていた。
彼だけではない。
他の十二の男たちも同様。
悲しみの理由は、先刻届けられた同胞の訃報。
第四十字聖騎士団の潰滅、そして団長であるゴリの戦死。
多くの同胞を失ってしまった。
その死に胸が痛まぬはずがない。
特にゴリという男は戦士たちの信頼も厚く、神に対する信仰はこの場の誰にも劣らぬほどの、まさに真実の信徒であった。
こんな形で命を散らしていい男ではなかった。
彼らの魂が神の元で永遠の安らぎに包まれるよう、大神官は祈りを捧げる。
そして祈りの後、その場に渦巻く感情は憤怒。
「もはやトランベインの地に蔓延る邪悪、見過ごすわけにはまいりません!」
「神の名の下に討伐を!」
「人の形を真似た邪悪に裁きを!」
その憤怒の中でも冷静に、大神官は考えるのだ。
これまでトランベインという国を滅ぼさなかった理由。
それは慈悲だ。
古くから続く神の慈悲の形。
かの地が邪悪の蔓延る魔境であったとしても、もしその中に悔い改めエヌクレアシェンに許しを請う信徒がわずかでもいたとすれば?
神は慈悲深い。邪悪の中に産み落とされてしまった微かな善を救うため、悪徳の王国の存在を許し続けたのだ。
しかしと、大神官は神に問う。
果たして邪悪の中に正しきものはいるのでしょうか、と。
正しきものならば、神の加護によりこのセントクルスの地に生れ落ちるのでは。
神は絶対だ。
間違いなど起こすことはない。
しかし絶対であるという慢心を捨てて救いの手を差し伸べようとする、その優しさを持つのも聖なる神の姿なのだ。
だが邪悪は神の優しさから目を背け、それどころか差し伸べられた手に噛み付いた。
もうずっと昔から、その悪意が世界を蝕んできたのだ。
終わらせなければならない、大神官は神の声を聞いた気がした。
「皆さん」
穏やかな、しかし確かな怒りを奥底で静かに燃やす大神官の声。
その場の全員が音を止める。
「我らが神は悲しみと共に決断なされました。――かの地に対する裁きを」
「おぉ、ついに!」
異論を挟むものはない。
神による決定は絶対だ。
「では我らが第十二十字聖騎士団に出陣の許可を!」
「いえ、我ら第三十字聖騎士団にお任せを!」
我こそがと、神の意思を遂行するために十二の男たちは次々に声を出す。
大神官は穏やかな声で、落ち着きなさい、と。
「神への信仰を示したい、その気持ちはわかります。ですが信仰とは競うものではありませんよ」
老人の言葉に男たちはそれぞれに自らの過ちを悔い改め、そして落ち着いて言葉を聞こうと沈黙する。
大神官は敬虔な彼らの姿に笑みを浮かべ、神の決定を言葉として伝えた。
「出陣は第四十字聖騎士団の生存者も含めた第一から第十二までの全ての聖騎士団! そして十三賢者たる皆さんの力もお借りする!」
「なんと!」
決定に、その場の誰もが驚愕する。
第一から第十二までの聖騎士団、これはセントクルスのほぼ全軍だ。
総数十二万。
ただし現在ではゴリと、彼が自ら率いてトランベイン内部での浄化活動にあたった少数精鋭の二百名ほどが欠けているが。
また、十三賢者。
それはこの場にいる彼ら、大神官以外の十二の男たちのこと。
彼らの信仰心はそのまま奇跡の力の源だ。
その奇跡は個人での天使召喚を初めとした四級魔法の行使を可能とさせている。
一人が戦場に出るだけで戦局を傾けるであろう十二人だ。
それを――理由あってこの場には同席を許されていない十三人目含めて――投入する。
決定を伝えた大神官は、ざわつく十二人にこう告げた。
「これは邪悪との戦いではなく、裁きです。ひとかけらの悪すらその後に残すことは許されません」
行われるのは戦いではない。
戦場の光景を予想すれば、それはもはや虐殺に近い。
裁きという行為の性質上、全軍の投入という決定は正しい。
だが。
「それではセントクルス自体の守りが薄くなるのでは?」
セントクルスと敵対する国は二つ。
南にトランベイン、東にレグレス。
その片方に全戦力を投入する、そうなれば大規模な動きを察知したレグレスが手薄になったセントクルスに攻め込んでくる可能性は極めて高い。
「ご心配はもっとも。しかしレグレスの野蛮な獣たちが、果たしてこの聖域まで到達できるでしょうか? ……敵地の浄化に必要とされる期間はいかほどでしょう?」
「全軍でトランベインを落とすのに一ヶ月! 一ヶ月の間を持ちこたえてくださるのなら……!」
手薄になった兵力で一ヶ月、レグレスの侵攻を耐える。
十字聖騎士団に含まれない衛兵などの兵力がいるとはいえ、もしもレグレスが大戦力を出してくれば厳しいだろうと、賢者たちは考えていたが。
「例えばレグレスが十万の兵で攻めてきたとしましょう。ですが国境からこの地に到達するまでに存在する町や村の数は百に近い」
「それらの地にいるのは衛兵千人程度ですが……」
「いいえ、それらの地には五十万に近い信徒たちがいるではありませんか」
「彼らは武器を持たぬ市民では?」
「彼らは市民である前に信徒なのです。侵略者の脅威からこの地を守るため、その身を神に捧げるでしょう」
大神官の言葉の意味は、五十万の民を肉の壁として使うということだ。
それを聞き、賢者たちはなるほど、と。
「五十万の信徒による聖域の守り! これはレグレスも突破に一ヶ月以上はかかるはず!」
「その間にトランベインを浄化し、我らがこの地に帰還すれば!」
五十万の殉教が、一つの巨大な邪悪の浄化という素晴らしい世界への一歩をもたらす。
誰も異議など唱えない。
各聖騎士団の配置、団長を失った第四十字聖騎士団の指揮系統をどうするか。
そして賢者複数人が膨大な量の金貨を魔力とし、儀式を行うことで召喚を可能とする『天使以上の最大戦力』の投入の有無といった、具体的な浄化作戦の内容を詰めていく。
やがて全てが纏まれば、あとは大神官の――神の言葉を待つだけだ。
「では……第二次トランベイン浄化遠征軍に、神の名をもって命じます! かの地の邪悪に裁きを!」
★
墓地隣の小屋。
アルガントムたちが勝手に住み着いたその場所は、かつての状況からするとだいぶマシになっていた。
穴の空いていた屋根や壁は少し雑だが修繕されており、埃やガラクタで見るも無残だった室内は人が暮らしているとわかる程度に片付いている。
ついでに暇な時にラトリナやゼタが墓地全体を掃除しているわけで――かつては真昼間でも動く死体が湧き出してきそうな景観だったその地は、今ではそこそこに綺麗なお墓だ。
小屋の床に真新しい板状の材木を置き、拳を金槌代わりにして釘を打ち込みながら、アルガントムは思う。
「そういえば。ここに住み着いてから未だに誰も墓参りに来ているところを見ないな」
「聞いた話ですと、どうにもここは戦場で回収された身元不明の遺体を埋葬していた場所らしいです」
答えたラトリナはルーフ村で商人から買ったかなり高級感のあるティーセットで、わりと値の張る紅茶の香りを楽しみつつ。
「そのうえどれほど昔のモノかもわからず、管理していた方がいなくなったのは少なくとも六十年以上前。ルーフ村でもここに墓地があることすら知らない者の方が多いそうです」
「なるほど、誰も来ないわけだ」
「ええ、まあこれからは私たちを尋ねてくる誰かもいるかもしれませんが」
のんきに紅茶をすするラトリナ。
無言で釘を打つアルガントム。
少しの沈黙。
「……いや待て、話したのか? いまは墓場に住んでると?」
「放置されたお墓があったので綺麗にするついでに住ませてもらっている、と。差し支えなければ住んでる場所を教えて欲しいと頼まれましたので。急な連絡があった時などに困るじゃないですか」
「何か言われなかったか」
「オバケとか怖くないんっすか!? ……と、言ってましたね。私としては幽霊よりも生きている人間の方が直接的に剣で斬りつけてくるのだからおっかないと思うのですが」
「祟りとか呪いとか、そういうのがあるんじゃないのか」
「アルガントム、よく考えてみてください。そんな便利な力があるなら殺された兵士が殺した兵士を呪い殺して戦争は両者全滅の引き分け続きじゃないですか」
死者すら恐れぬ女である。
「まあ、死者をないがしろにするのはどうか、とは思いますが」
「それには同意するがな。嫌いな相手の墓でもない限りは踏み潰そうとかは考えん」
墓の掃除なんて傍から見れば一銭の得にもならないことをやっているのはそのためだ。
損得勘定と言うか、強いていうなら個人的な納得という感情を買っているというべきか。
そして損得とかの話となると、アルガントムはそろそろつっこむべきかと思い立つのだ。
「ところでラトリナ、その高給そうなポットとカップとお茶はなんなんだ」
「見ての通りですよ? 一緒に飲みますか?」
「飲めないんだよ。いやそういうことではなく、どこで入手した」
「買いました。セットで金貨10枚と大変お買い得でした」
「俺がグリーンドラゴン退治した報酬が金貨3000枚だったな?」
なお金貨3000枚というのは大人数での討伐による報酬の山分け、武器や魔法の対価といった必要経費諸々を含めて前提とした時の報酬額である。
冒険者百人程度で討伐したと仮定すると一人辺り金貨10枚前後か。人数が少なければ取り分も増えるが。
ついでにシャトーの隣村までの荷物運びの手伝いは人数に関わらず銀貨10枚、金貨1枚分。
まあ金貨10枚というのは冒険者にとって命の危険が大きい依頼の報酬か、あるいは簡単とはいえ二日以上かかる仕事の報酬十回分という感じの金額だ。
「グリーンドラゴン三百分の一体分のお値段だぞそのティーセット!」
「なんだかその言い方はすごくお安い感じがしますね?」
「ああ、間違えた。言い方を変えよう。普通の冒険者がグリーンドラゴン一匹を命がけで倒してようやく買える値段だぞそのティーセット」
「そうですね、しかしアルガントム。よく見てくださいこのティーセットを。さすがは貴族向けのものと言いましょうか。それだけの価値があるのです」
ラトリナの表情は真剣だ。
彼女がそんな表情をする理由は一体、アルガントムは息を呑んで。
「……ほら見てくださいこのカップの縁の部分。かわいい小鳥が描かれているのです」
「かわいい小鳥に金貨10枚の価値を見出すんじゃあない!」
思わず釘を打つ拳に力を入れすぎて床をぶち抜いてしまった。
「ふふふ、大丈夫ですよ。単純にグリーンドラゴンを一人で倒せるあなたの稼ぎは普通の冒険者の三百倍なわけですから。私たちの生活は普通の冒険者基準で考える必要はない、そう気がついたのです」
「それは、まあ、そうだが。……なんだこの妙に納得できない感覚は」
言いくるめられてしまい自分の頭を指で叩くアルガントム。
そんな彼の思考を変更させるため、ラトリナはちょうどいい感じの話題はないかと頭の中を探す。
「そういえば、少し前にあなたの言っていた、仲間を増やすという話ですが」
「ああ、覚えていたのか」
アルガントム個人のものとしては強すぎる力を誤魔化すために、組織という言い訳を用意する。
一人でグリーンドラゴンを倒すのがバケモノなら、百人で倒したことにすればいい。精鋭ということなら五十人くらいの人数でもそこそこ説得力となるだろう。
そして数に数える存在は実際は戦力とはならない見掛け倒し、そんな組織でも問題ない。
ただ、言うは単純だがそう簡単に出来ることでもないのだ。
まず大前提として組織の人間にはアルガントムがバケモノであること、ついでに銀色のインセクタという外見も知られることになる。
それを組織の人間から隠そうとこそこそ動くと、嘘を吐くためにさらに嘘を吐くという面倒な状況になるだけだ。
となればある程度は信頼できる相手でなければならない。
信頼できると断言できる相手が何十人もいるかと聞かれれば答えはノーだ。
グリムやシャトーというアルガントムの正体の一部を知る者もいる。
国王殺しの銀色インセクタの話はルーフ村まで届いてきているが、それでも大きな行動を起こさないのだから敵対的ではないと信じたいところ。
それでもやはり全てを話すのは怖い。
そこでアルガントムが思いついたのは召喚だ。
ゼタやナインのように召喚で呼び出したものをかき集めて人数とすれば、組織作りのための信頼できる仲間が揃えられるのではないか、と。
だがこの考えを聞いたラトリナは、ゼタやナインがいない今の状況ならばと、アルガントムの前提としている条件に疑問を投げた。
「アルガントム、そもそも彼女たちは本当に信頼できるのですか?」
「……どういうことだ?」
カチャ、と。
ティーカップをテーブルの上に置く音。
「彼女たちは確かにあなたに忠誠を誓っているように見えます。それは何故?」
「俺が召喚者だから、だろう?」
「召喚者だから従うというのは理由にならないと、あなた自身が証明しているんですよ?」
何を言って、そう言葉にする前に思い出す。
アルガントムがこの世界に来た方法。
召喚だ。
トランベインの王がラトリナの体を道具とする秘術を使って、ここと近しい法則の世界――つまりはエンシェントからアルガントムというアバターをプレイヤーごと召喚した。
そうして召喚されたアルガントムは、召喚者たるトランベインの王に忠誠を誓ったか。
逆だ、むしろ気に食わないと敵対し、殺害した。
相手が自分を召喚したものだから従う、その理屈がこの世界では間違いであると証明したのはアルガントム自身なのだ。
そしてアルガントムは気がつく。
「……ならなんでゼタやナインは俺に従っている?」
当然と思っていた彼女たちの忠誠が異常であるということに。
命じられれば国王とて殺す。
敵がいるなら躊躇なく潰す。
「なぜ彼女たちは、俺にそこまで――」
音が響いて、アルガントムは慌てて振り返る。
古びた金具を軋ませて扉が開く音、入り口から二人の少女が入室してくる足音。
一人の顔はいつもどおりの無表情。
そして小柄なもう一人は、少し悲しそうな、そんな顔。
「……マスター」
「聞いていたのか、今の話を」
「はい、聞こえていました」
ならば、変に誤魔化そうとするのも間違いだ。
アルガントムは、まっすぐに彼女らを見つめて答えを聞く。
「ならば。……なんで君たちは俺に従っている?」
ゼタは言葉を探して顔を俯ける。
なんと言うべきか、なにを答えとするべきか、彼女は考えた。
その沈黙に耐え切れず、代わりに答えようとしたのはナインであり。
「あの、ご主人さま。私たちは――」
手で制し、彼女の言葉を止めさせたのは、答えを得たらしいゼタである。
「ナイン、大丈夫」
「ゼタ!」
「この地で最初に召喚された私が、やらなければならないことだと思うから」
彼女は一歩を踏み出し、その行動にアルガントムは警戒を返す。
襲い掛かってこようものならいつでも拳を返せるように、体勢をわずかに変え。
そしてゼタは。
「マスター」
「なんだ」
彼の前に跪くと同時、一切の表情を変えずに言葉を紡ぐ。
「私を破壊してください」




