14:それは友人などではない。
トランベインとセントクルスの国境線。
そこに明確な『壁』があるわけではない。
ただ荒野があり、そこに互いの軍の兵士が睨みあう陣地がぽつぽつと立ち並ぶことで、こう着状態を維持している。
そして国境とは完全かというと、否だ。
例えば陣地の配置間隔が広く見張りの目の行き届かない部分が多数存在し、あるいは地下から敵国内部に入り込めるトンネルがあったりする。
いくらでも穴はあり、そこから相手国側に気づかれないよう兵士を送り込むことは可能。
慎重に動けば、相手国の内部にちょっとした拠点を築くほどの人員を送り込むことも不可能ではない。
その拠点はそうやって少しずつ浸透し構築された、トランベイン領内にあるセントクルスの領域だ。
林に囲まれ外から見るのは難しい。
逆に内からは見通しの良い街道に矢を射ることもできる攻守に優れた地。
その拠点を統括する男は、短い髪を円に十字のセントクルスの紋章が浮かぶよう切り揃えている。
頭の骨格と筋肉から形成される顔は強面で、しかし表情は怒りや憎しみと言った負の感情を知らぬとばかりに穏やかなもの。
異様なまでの優しい笑顔からあふれ出るのは、拠点内でせっせと汗を流す兵士たちへの慈しみ。
(ああ、我らが神よご覧ください。今日もあなたを信ずる者たちが信仰を捧げているのです)
セントクルス神光国は、エヌクレアシェンという主神に代わり、その言葉を人々に伝える大神官を国家の長とした宗教国家だ。
その教えは弱者に救いを、強者に導きを。
力を持つ者は弱き者を助けよ、と。
きっと誰もが正しい行いであると信じられるたった一つの教義。
肉食の禁止であるとか、子供への暴力に対する厳罰であるとか、細かい決まりもいくつかあるが、そういうものは後から付与されたもの。
一つの教義に向かって進む団結した人々の姿は美しいと、セントクルス第四十字聖騎士団が団長ゴリはこの光景を自らの主神に捧げ。
「まさに神意ッ!!!」
自らに降りてきた神の喜びの言葉を受け、両手を大空に広げ天高らかにそう叫ぶのだ。
そんなゴリに、もはや同じ父より生まれた家族と言ってもいい部下たちが報告に駆け寄ってくる。
「団長! 街道に荷馬車を発見!」
「荷馬車。ほう、荷馬車ですか」
高揚から一点、ゴリの頭は冷たく回転を始める。
街道を行く荷馬車。
大前提としてこの地は未だセントクルスの神に反逆している。
そこを行く荷馬車となれば可能性は二つ。
一つはゴリたちの下へ危険を顧みず物資を届けにきた同胞のソレ。
違うなとゴリは判断する。
味方ならばこちらにそうと理解できるよう事前に取り決めたサインを飛ばす。
それならば部下は味方が来たと報告する。
ならば必然、敵だ。
トランベインの地で生きるもの。
セントクルスの神に背を向け闇の中で生きるおぞましき存在。
ゴリたちの使命はトランベイン領内での浄化活動だ。
付近を通過する邪悪を殲滅する。
邪悪とは簡単には消え去らないが、かといって放置するわけにもいかない。
定期的に行われるトランベイン領内での拠点構築と浄化活動は、雑草を刈り取るようにこまめに行われる任務である。
そしてそれは確かに少数精鋭が行う任務ではあるが、団長という立場の人間が出てくるような仕事ではない。
なぜゴリがそれに参加してるかというと、優しすぎるとまで周囲に言われる彼の人間性ゆえにだ。
部下を信じて全てを任せる、それも正しい。
だがゴリは家族も同然の自分の部下を死なせたくはない。
可能な限りこの手で守る、それがゴリが神に誓う自分のあり方である。
さて、拠点の構築は完了した。
林の中から矢を射掛けることでだいたいの邪悪は葬れるだろう。
それを突破した敵も外壁に足止めされ、包囲され、その身を正義で貫かれる。
なにより完成した儀式場があれば、どんな相手が来ようとも、と。
準備は万全であり、一人とて犠牲など出させはしないと、ゴリは神に誓う。
天を仰ぎ、そこから自分たちを見守っていてくださいと心の中で祈りを捧げ、大気を肺一杯に吸い込んで。
一喝。
「これより神意による浄化活動を開始しますッ!!!」
★
それに最初に気づいたのは、ゼタだ。
林の中の集団の気配に、金属や木々のこすれる音。
普通の人間ならば気づかない程度のもの。
ゼタは自分の作られた目的が、主人の役に立つためであると理解している。
だから主人に命じられれば当然従う。
察知するたびに報告していたら「虫が木に止まっていたなんてことまでいちいち言わなくていい」と叱られてしまったのだ。
なので報告はしなかった。
しかしゼタなりに考えるのだ。
どの程度までが報告しなくていい些細なことなのだろうかと。
少なくとも矢で武装した兵士がこちらを狙っている程度のことならば、主人の力を考えれば脅威として報告しなくてもいい部類だとは思うが。
それは百を越える矢が放たれ、上空から降り注いできた状況になっても変わらない。
風切り音でまずグリムが気がつき、見るからに重量のある剣を片手に握ると共に空を見た。
「敵だ!」
その声でシャトーが慌て、アルガントムとラトリナが一歩遅れて頭上を見る。
完全に先手を取られており、本来ならばその時点で死人が出るのは確実だった。
ゼタの行動には主人から誓約が掛けられている。
六本羽の露出の禁止、力を見せすぎないように、と目立つのを避けるためのもの。
その誓約と共に、現在ゼタは自分に与えられている役割を再確認する。
一つ、主人の身の安全の確保。これは何よりも優先される。
一つ、主人の主人たるラトリナの安全の確保。本来の主人たるアルガントムの言葉によっては変更の可能性あり。
一つ、シャトー及び彼の財産の護衛。現在、一時的に設定されている護衛目標。
そこから取るべき行動を導き出したゼタ。
行動は迅速だ。
「一時的護衛目標の安全を確保」
降り注ぐ矢の軌道を見る。
追尾などの特別な力は感じない。
ならば現在の状態でそれは遂行可能だ。
少しかがんで両手に収めたのは地面に落ちていたただの石ころ。
それを投擲する。
キャッチボールをするかのように軽い様子で。
ただし投擲された石の速度は、砲弾のそれすら越えるような高速だ。
右手からの一投で矢の何十本かが上空で砕け散る。
続く左手からの投擲でさらに十数本。
残った矢は全て荷馬車やシャトー、ラトリナを外した地点に着弾した。
一方で、グリムは自分に目掛けて落ちてきた矢を剣で防ぐ。
分厚い剣の腹は、使いようによっては盾だ。
またアルガントムの頭には矢が直撃した。
「あ痛っ!?」
刃に削られ、頭部の布の一部が破ける。
ただアルガントム自身の体には傷の一つもついていないのだが。
グリムが叫ぶ。
「全員無事か!?」
正直に言えば、グリムは全員が無事だと思っていなかった。
あの矢の密度ではよほど運がよくない限り、誰かしらが直撃を受けているだろう。
完全な不覚、自分のミス。
なので彼は誰かが倒れるどころか、馬車にすら矢の一本も刺さっていないという奇跡的な現実を背後に見て困惑する。
どういうことだ、と。
林の中から聞こえてきた鬨の声が、グリムの思考を中断させる。
木々よりも高く掲げられるのは円に十字の紋章が描かれた旗。
その中から現れたのは白に金、神聖を鎧としたような装備で身を包む者たちだ。
グリムはそれを知っている。
「……セントクルスの連中か!」
野盗という雰囲気ではない。
よく手入れされ外見にまで気を使ったその姿と、統率の取れた歩みは正規の軍人だ。
なぜそんな軍団が国境線を越え、トランベインの領地であるこの街道にまで侵入しているのか。
よくあることだと、グリムは思考を切り替える。
(……マズいな)
戦力差は一対数百、それがグリムの見積もりだ。
幸い馬車が無事なのでシャトーに逃げろと指示を飛ばせば。
そこまで考えて首を横に振る。
弓矢があるし、それ以外にも装備を持ち込んでいるはずだ。
馬車一台程度を確実に仕留める用意はあるだろうし――
「おい」
「……なんだ」
アルガントムの声に、苛立ち混じりに言葉を返す。
彼のセリフはのんきなものだ。
「アレは敵か?」
「馬鹿か。お友達にでも見えるのか」
「そうは見えないが……例えば手違いで矢を打ってきた、とか」
「正真正銘の馬鹿か。相手も確認せず矢を撃つかよ」
「……それもそうか」
間抜けな口論をしている間に、セントクルス兵たちの中から一人の男が現れる。
頭に円に十字の紋章が浮かぶよう短い髪を切りそろえた男。
その顔には穏やかな笑顔を浮かべている。
彼のその特徴的な姿は人々の間ではそれなりに有名だ。
シャトーが震えた声でその名を口にする。
「セ、セントクルス第四十字聖騎士団団長、十字頭のゴリ……」
名を呼ばれた男は、両手を広げ歌うように言葉を紡ぐ。
「我らが神は慈悲深い。例え相手が浄化対象たるものとて、最後の言葉を残す時を与えてさしあげる」
グリムとシャトーが動けなくなってる一方。
アルガントムが大声でゴリに言葉を飛ばすのだ。
「そっちの目的はなんだ! こっちはただの商人だぞ!」
グリムが挑発するな馬鹿と心の中で舌打ちし、ラトリナはくすくす笑っている。
笑顔のゴリの視線が、全身に汚れた布を巻く何者かへと向けられた。
「目的は世界に蔓延る悪を浄化すること。それはこの地もまた同様」
「悪党退治か、実にいいんじゃないか。だが、だったら俺たちは関係ないだろう」
「おや、何を言っているのです?」
「だってそうだろう? 荷運び中の商人のどこに悪たる要素がある。運んでるのは荷物を見せてはもらったが……なんてことはない、タンスとかだぞ」
アルガントムは親指で荷台を指し示す。
それは事実で、積んであるのは一般的な家庭向けの安物の家具だ。
ゴリは笑顔で頷く。
「商業は悪い行いではありません。食料や物資の輸送によって助かる人々がどれほど多いことか。正しき行いで報酬を得ることのどこに悪があるのでしょう」
「だったら見逃せ、こっちはお前の言う人々を助けている人間だぞ」
そうだろう、と同意を求めたアルガントムに対し。
「……理解できないッ!」
突如、悪魔か何かにでも乗り移られたかのようにゴリの体がびくんと仰け反り、その口から言葉が吐き出され始める。
「どこに人間がいるのです!? どこに商人がいるのです!? 我が前にいるのは我らが神に背を向ける悪ですよ!? 悪が悪を輸送し悪を助け悪徳で悪を得るッ! まさに邪悪ッ!」
次から次へと溢れてくる言葉は、誰かが口を挟む隙間を与えない。
「人がいるなら助けましょう! 商人がいるなら我が兵と共に町まで送り届けましょう! ですがそれは見当たらない! これはどういうことか! ……ああ、そうか。理解しました」
ゴリは勝手に自分の中で考えを纏めると、アルガントムを指差しそれがなんであるかを宣言する。
「そこの悪! いま私を騙そうと人がいるなどという嘘をつきましたね! なんたる邪悪ッ!」
アルガントムの思考速度が目の前の十字頭に追いつかない。
悪だの邪悪だのなんだの、勝手に喋って挙句に人を嘘吐き呼ばわり。
気にいらない、なんだかこいつは気に食わない。
グリムが小声で耳打ちする。
「説得なら無駄だ、連中はそういうもんだぞ」
「どういうことだ?」
「……どんだけの世間知らずだお前。連中――セントクルスは自分たちの信仰で動く」
「宗教か、結構なことじゃないか」
アルガントムの知る宗教とは、道徳の指標だ。
人の物を盗ってはいけません、人を殺してはいけません、悪いことをすると神様に叱られますよ、そうやって社会を維持するために考え出されたルールであると考えている。
神を信じるか、と聞かれたら答えは否だが。神様仏様の目を細々と恐れていたら世界は楽しくねえと、どこかのクソジジイが言っていた。たぶんあの世があるなら地獄の最下層で鬼と酒盛りしているだろう。
ただ、神様が怖くて人の者を盗ることや人を殺すのを止めるものがいるならば、その存在は必要である程度には思っているのだ。
ゆえに。
「連中の信仰する神が……自分の信者以外はどんどん殺せという神であってもか?」
グリムの言葉に、アルガントムはこう答えられる。
「……なんだ、そのキングオブ邪神みたいなのは」
「はっ。邪神か、連中に言ったら火炙りだろうな。だが間違っちゃいないだろう。連中は邪神教徒だよ」
人殺しをよしとする連中。
いよいよもって気に食わない。
しかし、自分だって国王殺しの犯人だというのに。
アルガントムはこの感情をなんと言うか考える。
その答えが出る前に、十字頭が叫ぶのだ。
「総員! 浄化開始ッ!!!」
「オォォォォォ――――ッ!!!」
轟音と共に迫り来る大部隊を前にして、アルガントムは答えを得る。
お互い、気に入らない相手を認めない、そういう悪党同士。
では悪党と悪党は友人か。
「状況次第だよな」
少なくとも、アルガントムの目の前の悪は彼にとっては友人ではない。




