13:知られたくはない過去もある。
天気は快晴だ。
一方で、馬車を囲んで歩く彼らの空気はどんよりと重い。
原因はアルガントムとグリムだ。
普通の人間ではないというグリムの指摘。
ソレに対するアルガントムの応対。
明確に、彼らが互いを敵だと言葉にしたわけではない。
実際にいまは何事もなかったかのように、二人は馬車の後方を見張りつつ淡々と歩く。
一言の会話もないのは前日と変わらないのだが、お互いが交流を完全に打ち切っているその刺々しい空気は、馬車を操るシャトーの方にまで届いていた。
ちょっとの火があれば大爆発を起こす火薬庫が後ろからついてきている気分だ。
ただ、妙なことに。
「ふふ、たぶんですが……心配する必要はない、そんな気がします」
シャトーにだけ聞こえる声で、ラトリナがそんな言葉を口にする。
彼女が大丈夫という理由がシャトーにはわからない。
「あっはっは、なんか今にも殺し合いが始まりそうな空気が後ろから流れてくるんだよねー」
「それは私も感じていますけれど。悪い方向にながれる何か。ただ……」
ラトリナが探したのは、言葉だ。
これをどう表現すべきかと。
「シャトーさんは、人から色が見える時ってありませんか?」
「色?」
「色。いえ、雰囲気、の方がわかりやすいんでしょうか。私にとっては色なのですけれど――例えば、この人は悪い人じゃない、そう感じるような」
感覚的な話だろう。
ならばシャトーにも多少はわかる。
信頼できそうな人、あるいはその逆。
ぱっと見でそれを感じるのは難しくない。
ただ人は見た目だけでは判断できないというのもまた真実で、善人のような顔をした犯罪者だってこの世にはいるのだが。
「私としては、グリムさんから悪い色は見えません。いえ、悪い人に見えない、と言った方がわかりやすいのでしょうか」
「ああ、それには同意するね。何回か仕事をして感じたけど、彼は彼自身の悪評に対してそれほど悪いヤツではないと思うよ」
「グリムさんの、悪評?」
「おや、知らなかったのかい? ……いやしかしこれを話すと君らも彼を悪人みたく思ってしまいそうだからな」
「ふふ、そこまで言ってしまったら逆に聞かないと何をしたのかと不安に思いますよ」
「あ、そうか、しまったなあ。……あくまで噂という前提で聞いておくれよ?」
シャトーは、一息置いてから語りだす。
「グリムはセントクルスの兵士だったらしくてね」
「セントクルスの兵士、ですか」
「知ってのとおり、いやもしかしたら知らないかもしれないけれど……冒険者ギルドというのはトランベイン王国にしかない組織だ」
元々は旅人の集まり、そこにトランベイン王国が介入して勢力を拡大させた。
シャトーが話すのはラトリナが本で読んだこともある知識だ。
トランベイン王国が背後についているからトランベインにしかない。
例えばレグレスやセントクルスに支部を出そうとしても、敵国のスパイ組織と拒絶されるだろう。
「つまりセントクルスの兵士が冒険者なのはおかしい、と」
「いや、それ自体はよくある話なんだ。戦争で主を失ったりした敗残兵が冒険者ギルドに仕事を求めてやってくる、珍しい話じゃないし、実際にセントクルスやレグレスの出身だと公言する冒険者もいる」
「公言できるほどならば、悪評ではないのでは?」
「そうだね、それだけならば。ただグリムは――仲間を殺してこっちに逃げてきたらしい」
「仲間、つまりはセントクルスの兵を、ですか?」
味方殺し。
穏やかではない。
「なぜ?」
「さあ、あくまで噂だからね。真実かすらもわからない。誰かが面白半分ででっちあげた作り話かもしれない。ただグリムはこの件に関して聞かれると何も語らないから……あはは、やはり真相は闇の中だ」
「なるほどそれがグリムさんの悪評。……ではシャトーさんは悪評を込みで考えて、彼をどう思っているんですか?」
「難しい質問だね。……態度から察するに、セントクルスで何かあったんじゃないか、とは思うよ。それでも悪いヤツとは思えないけれど。例えば護衛の仕事にしたってさ」
シャトーは少しだけ背後を振り返る。
相変わらずギスギスとした空気がそこにあったが。
「僕は商人としては駆け出しだ、だから財力は大商人と比べればわずかなもんで……そしてグリムは、悪評はともかく実力は一流だ、彼を僕の出せる額よりも遥かに高給で雇いたいって人も多くいる」
引く手数多というやつだと、シャトーは自信の財力を考えて自嘲しつつ。
「しかしグリムはどうも僕の仕事がある時はこっちを優先してくれている。理由を聞いてみたことがあるんだけれど……お前が一番ザコだから、らしいよ?」
「それは馬鹿にされていませんか?」
「あはは、そうとも思ったんだけどさ。しかし護衛の仕事を優先する理由としてはおかしいだろう?」
護衛の仕事の優先順位。
シャトーは一つに危険度に対する報酬だと語る。
同じ報酬がでるならば、危険な道を行く商人の護衛よりも安全な道を行く商人の護衛を優先するだろう。
自分の命の危険や依頼の成否による知名度の変化、そういったものを考えれば当然だ。
もう一つ、安全性。
同じ報酬がでるならば、農民に毛が生えた程度の戦力で動き回る商人と、屈強な兵士を引き連れている商人、どっちの仕事を優先したいか。
答えは後者だ、やはり自身の身の安全などの理由から、強者と共に動いた方がよいだろう。
あるいは自分の名を売りたい、それならば名のある商人の仕事を請けてそこから評判を広げてもらえばいいだけだ。
つまるところ、無名で、ろくに護衛もつかない程度の報酬しか払えず、良いところは比較的安全な道を選ぶくらい、そんなシャトーをいつまでも優先するのはおかしいのである。
ましてや他の名のある商人からもお呼びがかかっているのならばなおのこと。
シャトーはそんな変わった護衛のことをこう評価する。
「彼はいいやつだよ、名声も金も力もない、曰くザコの護衛を引き受けてくれるんだから」
なるほど、とラトリナは頷いて、くすくすと笑う。
「ならきっと彼は良い人で――それならやはり大丈夫ですよ。ただまあ私としてはぞんざいに扱われたのでちょっとムカつき気味ですが」
やはりよくわからんとシャトーが首を傾げた、それとほぼ同時。
雨が降る。
矢の雨が。