第六話
目を開けば病室を思わせる白い天井。
本当に、何もない部屋。
よく見ると、小振りの丸机の上に小さな瓶があった。何となく立ち寄って掴むと、側面に皮膚用とある。
「夢、じゃ…ない?」
今見ている視覚も、瓶も、殴られた触覚も何処か信じられずにいた私は、王子様も暴力も、お爺さんすら私の空想の出来事で、私は夢の中に居るのだと信じようとしていた。だってこんなこと、夢でもなければ説明が付かないじゃないか。けれど、夢とはもっと整合性の取れないものだと経験している。そして、あまりにリアル過ぎる記憶が私を苛む程に訴える。それでも、皮肉りたくなる程に冷静で現実的な私が突き付けてきても、そんなこと何処かで分かっていても、感情が、まだ頭がおかしくなったとか、夢の中だという可能性に賭けたいと望んでいる。ゼロにならない限り、疑う余地がある内はまだ――――
遠く、耳の奥で、さざなみの様に私を呼ぶ声がした。
先程まで見ていた夢が現実なんだろうか?
目を瞑れば訪れる真暗。
するりと私を置き去り行くやすらぎに手を伸ばそうとして、
強く強く、私は目を閉じた。
ふっと意識が浮上する。浅い眠りの俺達は夢を見ない。
のっそりと起き上がり軽く体と魔力の具合を確かめると、万全とは言えないが問題無い程度であった。
「…」
無言で腕を振り、右目の魔術を編む。大分慣れて来たものだと思う内に右目が部屋へと接触した。途端、常よりも重い幕に魔力の消費が増える。
誤差の範囲内と云えども、2度目なので一応心に留めておき、俺は魔術を強化して強引に押し入った。接続が成った瞬間、昨夜と変化の無い光景が目に入る。
刻が止まった部屋。主が寝入れば、そこは只眩く、動くものが何も無いのだと分からせる。
乱雑に積み上がり、散らばった本の上を通って、俺は心なしか急いでベッドへと近寄る。
見下ろせば昨夜と同じ様に、寝入り始めた途端息を殺して眠っていたままの彼女が横たわっていた。
「―― - …」
眉を顰め、目を強く瞑り、唇を震わせながら小さく小さく体を丸める。
そんな彼女に触れる手すら持っていない俺は、無言でその場を後にした。
そう、するしかなかった―――
◇
「…魔法訓練用の個室を頼む」
「…ん」
声を掛けると俯せていた顔を上げた少女。濃緑の髪は首元で揃えられ、その暗いローブで覆われた白い肌に映える。黄緑色の瞳を眠た気に眇めて部屋の座標を伝えた彼女は、それっきりまた顔を俯せてしまった。それほど会うわけでも、親しいわけでもない門番だが、正直寝ている姿しか見ていない。
…まぁどうでもいいか…
お互い、興味の無い態度の方が楽でいい。そう思い転移しようとした瞬間、あ、と呼び止められた。
「ん」
渡されたメモを見ると、走り書きで待ってろとある。特徴のある字に面倒なことしか想像出来ず、無視して転移しようとすると座標がズレた。
「…」
胡乱気に門番を見ると、おそらく通話し終えたのだろう。一仕事終えた風に鼻息を吹き、いそいそと紙袋を取り出している。
「…それは?」
嫌々尋ねると、ちらりと此方を見た彼女は、その謎な存在さに相応しいニンマリとした笑みで「賄賂」と一言呟いた。
「おーい」
聞こえた声に舌打ちと共に「暇人」と呟くと、「いつも通りひでぇっ」と喚かれる。
厄介な奴を呼びやがってと門番に視線をやれば、もしゃもしゃと紙袋から取り出したドーナツを口に運んでいた。
「おいひぃれすね、ふぉれ」
「だろ? ステラさん印は最早ブランド力を持ってると俺は思うね!」
「…」
門番は目が覚めて来たのか、ぱちぱちと瞬きしてから凄まじい速さでドーナツを平らげていく。それを見て欲しくなったのか、ラドが手を伸ばしては叩き落されていた。
「しつこいと毟りますよ」
「…、何を!?」
「いえ、毟らずとも手遅れでしたね…。申し訳ないことを言いました。すみません」
「いや、謝らないで!? アシル、俺もうダメなのか!?」
関わり合いになりたく無いので目を逸らせば、「そ、そんな馬鹿な…」と大袈裟に打ち拉がれる面倒臭いラド。それを席から立ち上がってまで近寄り、わざわざ目の前で紙袋を傾け、口の中へ粉を入れる門番。初めて見る眠そうでない門番の姿を少し意外に思うが、それよりもそろそろ終わらせたい。
「…、ラド」
心なし低く呟けば、門番はまた眠た気な瞳で席に戻り、ラドは姿勢を正して「よお、アシル」と近寄ってきた。
「はぁ…、で、要件は何だ?」
目を細めつつ尋ねると、ラドは少し顔を引き攣らせながらも笑顔で言う。
「あ、ああ、昨日お前から送られて来た本でどうしても解らない所があってな。少し実践で見たかったんだが…」
「そうか」
思ったよりもまともな内容だったので、少し意外に思いつつも話を聞いていく。だが、ふと視線をやった先でまた寝ている門番を見て、自身よりも余程造形の深い存在であったと思い当たった。
「門番」
「…」
「…門番」
「…ぐぅぅ」
「ぶはっっ」
取り合えずラドには炎球を飛ばしつつ、どうにかしろと視線をやる。すると、ひとっ飛びに避けつつ笑いながら炎球を消して此方に近寄ってきた。隊服の内側から、ガサゴソと何かを取り出そうとするラド。その音が聞こえた瞬間、先程まで寝ていた少女は瞬速で動いてラドから袋をもぎ取ろうと飛び掛かった。
しかしラドも慣れていたのか、ひょいっと袋を上に持ち上げる。
「な?」
「…ああ…」
ラドの胸程しか無い少女に笑いながら、袋から飴を取り出すラド。口いっぱいに頬張りながら、目をパッチリさせている門番。
なんとなく扱い方が分かった俺は、疲れた様に頷いた。
今日は書物室に行くか…
色々とやる気を削がれた俺は、計画を変更して踵を返す。
「ラド、門番に教えて貰え」
そう言って来た道を引き返し始めた途端、後ろから声が追って来た。
「今日こそは逃がさねぇぜっ。ネロちゃんやっておしまい!」
「ガリッ…、んく…、えー、面倒です」
「ドーナツ3個で」
「乗った!」
ほいっ、という掛け声と同時に強制転移させられる感覚。
数秒後、飛ばされた空間先で袋を仕舞おうとガサゴソしているラドに、俺は一先ず拳骨を繰り出した。
◇
「はぁ、本当の目的はこっちか…」
いつぅー、と頭を抑えて蹲っていたラドだが、その日の様な鮮やかな瞳を輝かせて俺を見る。ただし、輝かせる理由は戦闘意欲で、だ。
「いや、嘘は言ってねぇ。ネロちゃんに教わるのは考え付かなかったしな。只、実践で教えて貰った後バトれたらいいな~と思っただけよ。まさか二日連続で現れるとは思ってなかったが…」
コキコキと首を回すラド。足を屈めたり、腰に差していた剣を鞘ごと取外して腕を回している。
対する俺も、魔術の構成を其処ら一面に地雷の様にセットしていく。
互いに獰猛に嗤い合い――――
「…毟る必要も無い程燃え散らかしてやる…」
俺が気持ちを切り替えて、こいつで今日分と日頃のストレスを発散しようと呟けば、
「おまっ、なんちゅう恐いことを」
言葉尻では怯えつつも、瞳の内に隠しきれない程のギラギラとした闘争本能でもって
どちらからの合図も無く戦闘が始まった。
爆発音と地を蹴る音が木霊する。
戦闘は、じゃれあいの様な牽制から始まった。
*ステラさんのドーナツの作り方
「 あらあらあら~、
まあまあまあ~、
えぇえぇえぇ~、
…――はい、出来上がり♪」
作詞作曲:ステラ
トネコメ「ライバルはクレアおb……」
*注意事項:両者とも後ろの言葉で般若化