第二話
「ふーん、気持ち悪いね。おもしろそうだし、今夜部屋においでよ」
突き落とされた、今考えるとそう表現するしかない先に居たのは、黄金に艶めくウェーブした髪と、退廃的な青い目を持つ、美しい王子様であった。
「殿下! 離れて下さい!」
周りに居る年配の男性達が、不気味だと、魔物だと声を荒げる。呆然とする私。現実が何処か理解出来ず、ただただ大声で叫び出したくなった。いや、既に叫び出していたのかもしれない。
ざわめく場。
恐怖と混乱のパニックが、私に伝染し汚染する。
吐き出しそうな私を、誰かが引っ捕えろ!殺せ!と指差すのが見えた。
「い、やだ」
逃げなくては。此処から、視線から。
此処は何処?私は轢かれたんじゃなかったの?何処でもいい。
何処か、何処かへ、はやくっっ
逃げ出そうと震える足へ力を込めた瞬間、「ねぇ」と呼び止められる。そして、先程の言葉を投げ掛けられた。
動きが鈍ったその間に、逃げる道が塞がれる。
後悔しても、もう遅い。
男を制止する声が聞こえた。
私は、男の眼を見た。そして、先程の言葉を頭の中で反芻した。
簡単だ。この男は、私で遊ぼうとしているのだ。
そう気付いた瞬間、まるで吐き出し口を見つけた様に、私の感情は怒りに転化した。それは八つ当たりとも言える。後のことなど何も考えず、その怒りに身を任せることが楽だったのだ。
「だ、れが、そんな言うこと聞くと思うんですか? ふざけないで下さいよ」
怒りのままに蔑み、見下すように吐き出す。
ふざけるなっ!知らない!知らない!!そんな目で見るんじゃない!!!
感情のままに罵詈雑言を吐き出して吠えまくった後、男の眼を見て凍りついた。
「あぁ終わったな」素直に、そう思った。
「いいよ。気が変わるまで白に居るといいよ。それじゃあね、ばーいばい」
笑顔で手を振り去って行く。
珍しい玩具を見る眼から、興味を失った眼へ。その中には、何時までそのままかな?という残酷なまでの微かな色以外、只の結果やつまらぬ事象を眺める無機質な視線しか含まれていなかった。
そうして捕まった私だが、直ぐに首が飛ぶわけではなかった。けれど、19の時から約三年、私はこの地獄にいる。
多分、とっくのとうにイカレてる
自分でもそう思うのは、あの時会ったきりの此処に入れた張本人に、今正に何百枚目かになる恋文を書いているからだろう。
「ん…」
起き上がれば、体がぎしぎしと音を立てた。
眠る時は無意識で浅い眠りとなるが、途中で起きなかった事を思うと、誰も訪れなかったようだ。大罪人の監視とはいえ、つくづく楽な仕事である。
窓からは、宵闇が迫っている様子が伺えた。
もう一度様子見るか…
「最低日に二度の確認」そう資料には書いてあった。食事は別の者担当だが、名前は書かれていない。 機密保持のためだろう、そう雑に当たりを付けて考えを終わらせる。欠伸をしながら適当に記録を書いて魔術を起動しようとした時、ふと思い立ったのは、眠る前に少し自尊心を傷つけられたからだったのだろう。
感覚は思い出したし、二ついってみるか…。ダメなら仕方ないが…
かつては全身どころか複数体操れたものだが、今では比べることすら愚かしいほどだ。この状態では二つ操るのが限度だろう。それでも、意識して丁寧に術を編むと、今度も上手く接続出来たようだった。
切り替わる右目に、音を拾い始めた右耳。
右目に映った視界のその先――窓の外の暗さなど無縁の白い部屋に、此処は時間の移ろいとも無縁なのだと悟った。
天井付近から見下ろす。積み上がった本に囲まれる中で、扇の様に黒髪が床に広がっていた。更によく見れば、何かを書いている。内容を見るのはダメだと思いつつも、好奇心に反応したのか、眼球が彼女の方へ少し動いた。
すると、先程までは寝っ転がって地面を向いていたのに、勢い良く此方を振り仰ぐ。
気配に敏いな…
そう思いながら目を合わせると、まるで懐かしむように、慈しむように彼女は目を細めた。
そのまま白に呑まれて消えるんじゃないか―――
途端に湧き出した焦燥と恐怖と、何故見知らぬといっていい女に揺れるのだという混乱。されど、まるで引力の様に、眼も耳も彼女に引き寄せられているのが分かった。
彼女はゆっくりと降りるパーツをまるで迎え入れる様に手を差し伸ばして――…、
「うおあっちゃあーー!!」
とハッとして叫んだ。
「!?」
流石の俺も思わずビクつく。それが伝わったようで、右目も右耳もビクリと揺らいだようだった。
「うおお! 脅かしてごめんねぇ~。流石に見られると恥ずかしいというかね」
たっはっはーと起き上がり、照れくさそうに頭を掻きながら笑う彼女は、先程までの消えそうな雰囲気などなく、それどころか此処が牢獄だと感じさせないほどだ。
「いやあ~、それにしても眼球さん、いい色してますねぇ。よっ! 色男! いや、色女? …まあどっちでもいいや。前の眼球さんは緑色で、それもまた粋なものでしたけどね~。木ですよ木! 木、林、森で木の三段活用! なんちって! もう森林浴とか最っ高じゃないですか! まあ、丸3年程見てないんですけどね…、自虐自虐あっはっはー……、やべ、鼻水出そう」
あー、やばい、可笑しい、と、折角起き上がったのにひーひーと腹を抱えて床を転がりまくっている。
呆気に取られて固まったまま見下ろしていると、彼女は笑いながら先程まで書いていた紙をくしゃくしゃに丸めて屑籠へと放り投げた。だが、寝っ転がって投げたため、敢え無く暴投となる。
「あー、ボール。ピッチャーはどうやらとんでもないヘボ投手であったようです。だがこの世界にピッチャーという役職はひとりだけー。諦めて監督は続投を指示するしかありまっせーん。……、うー、めんどくさいなぁ…、眼球さーん、後はまかせたー」
ころころ、ころころと転がっている。だが、この眼球から魔術を使える訳もなく、例え運ぶとするなら耳と眼で挟んで持っていくという、世にも奇妙な光景が出来上がるだろう。
流石にそれはどうかと思っていると、ローリングを止めた彼女が、深いため息を吐いてよっこらせと立ち上がった。
何だろう、掛け声はアレだが、ため息の質が同じなのは何ともな…
「って、聞こえてるわけ無いしね~。眼だし……ぶはっっ、うくくく…、いやぁ~、でも今回の眼球さんと居るのは何か嬉しいな~。こう、色もそうだけど、濁ってないし、エグくないし、なんか優しさ? 親しみ? 何か分かんないんだけど感じちゃうんだよねぇ。前のはちょっとストレス溜まったというか…はぁ。………、まあ、感謝もしてるけど」
背を向け屑籠へ歩き出す彼女。不意の沈黙の後、低く告げられた言葉に首を捻る。
「うっふっふー。てわけで、大歓迎なんですよ、眼球さん! まあ、歴代の眼球さん方のあだ名も眼球さんなんだ…け…ど……ぶっふぉ!」
丸めた紙を何故か広げて、丁寧に破いてから屑籠に入れて振り向いた彼女は、此方を振り向いてピシリと固まった。
「?」
少し傾げた小首に反応して、ふよふよと並走して浮いていた右目と右耳が少し傾く。
ああ、もう時間切れか
痛み始めた即頭部に、思ったよりも長く接続していたと気付く。ふつりと切れるその間際、真っ青な笑顔で凍りついた彼女を見て、俺は無意識に唇を引いていた。