第一七話
接続を切り、完全に意識を此方へと戻す。指先を動かして体の感覚を確かめると、青褪めた顔で此方を見る水色の目をした若者へとつと視線を送った。団に入ったばかりの者ほど起こすことである。
別段意図を込めたわけではなかったが、視線に慄いたのか若者は縋る様に同じ貴族に関係のある者へと視線を送った。だが狡猾な者ほど表面では儂に友好的なのだ。逆に批判的な視線を投げ掛けられている。儂の為を装うというよりも、もしかしたら短慮な愚か者を批判するための視線やもしれぬが。
こういうのは友人なら嬉々として取り組むであろうに
得意や好きというのではないが、友人の言う通り年の功とやらで把握するくらいは出来るようになった。こんなことで草臥れていると知ったら、妻は可笑しそうに笑ったに違いない。
足元に敷かれた魔法陣から一歩外に出る。この魔法陣は牢獄の電源とも連動しているため、地下の大部屋に大きく複雑に魔術文字が絡まって円状に描かれている。数ある魔術式の牢獄を一括で管理出来、それぞれの牢獄への出入りに補助が入るのが魅力的な点だが、維持管理に専属の者を雇わねばならないのが難点であろう。
ちなみに殿下の場合は他者の魔力干渉を嫌うため、絶大な魔力に頼ってこの場所でない所から牢獄内に入ろうとする。
そこでふと牢獄の管理者へも視線をやった。そこには神官然とした微笑みを湛えた壮年の男が机越しに座っている。確か儂と同じかそれ以上の年齢であろうに、その見た目は40代に見える。彼の一族はその特異性と独自の慣習により流浪の集団であることを選択していたのだが、殿下が彼等のその空間魔術の能力と長命さを気に入り、交渉して数名留まって貰っているのだ。
「管理者殿はこやつが儂のもとへ来るのを補助したのかの?」
そう問うと、視界の端で青褪めていた若者が小さく肩を揺らした。甚振るつもりはなく、若者の力量では難しいであろうと見立てていたからだ。そのため自身が見誤っていたのかどうかの確認の為の問であった。
「はい、私は此処の管理を任されているだけですので」
「…そうかの」
「はい」
柔らかな雰囲気で一族特有の緑髪が揺れる。糸目の奥を見透かすなど儂が出来る芸当ではない。ただ、暗に男はどちらの立場にも立たないということを改めて言うたというのは分かった。
「マルクス」
「っ! はっ!」
一拍置いて声を張り、若者の目を見て名前を呼ぶ。ピリリと若者が背筋を伸ばした。
団に入れる者は一定の実力を要するのが最低条件であるが、殿下の側で警護も任される立場であるので、殿下に関わりたい野心のある下位から中堅の貴族の多くがこの立場を狙っている。それらの立場の者が殿下に会える機会など滅多に無いのだ。もう一つ、殿下は議会などで会う上位貴族よりも、力ある騎士によく話を振るというのも狙う要因になっているのだろう。そして、自分の実力で得られない者が取る手段は簡単――庶民やより下位の貴族出の者の取り込みである。
「守るべきは何だ。我々がこの剣に誓いしものは何だ」
「っはっ! 我、この命を賭して王家の剣となり、国の繁栄の血肉となることを誓わんっ」
後ろ手に手を組み、宣誓を諳んじる若者。それは入団する時に行われる、この団特有の正に命を賭けて誓うものだ。庶民のみで構成された団と違うのは、命を賭けない点や人数、守るべきものに民と入れるのでなくより冷徹に国と王家へ身命を捧げる点などであろう。
すっと濁っていた煙が晴れる様に若者の雰囲気が変わった気がした。儂には、このようなやり方でしか道を示せぬ。
入団には勿論能力の他にも素性や性質が調べられる。しかし、庶民登用であると余程疑わしき者でない限りはある程度緩和される。若者はその青き実力を買って庶民からの登用であったが、身分に対して負い目を感じている性だった。儂がもう少し気を配れれば良かったが、忙しなく日々を過ごす内に弁舌を魔物の如く操る貴族達につけ込まれるのを許したのだろう。儂も庶民の出だからこそ、王に見込まれる前も、その後も身分の壁で辛酸を舐めた覚えがある。だからこそ、若者が敢えて言い置いていた内容を破り優越を込めた目で儂を見た時に、どのように心の内を擽られたのか直ぐに理解した。負い目を感じていた分、その手に入れたと思えた力を使って優越してみたかったのだろうとも。
別段、貴族に与することが悪いというのではない。それが立身出世の道と自ら近付く者もいる。ただ、先程迄の若者の様に手駒として使われ、自身の目を眩ませるのであれば、それは道を歩いているとは言わない筈だ。
「そうだ、守るべきものを見定め、その上で儂を障害とするなら存分にかかってくるがよい」
「っ…、はい! ありがとうございましたっ」
頭を下げる若者の前を通り、殿下へ目通る為に出口を目指す。背に幾つもの視線を感じたが、それらを背負って儂は前に進んだ。近衛魔導騎士団長兼総統――この地位とは、そういうものだ。
そして一つの不安を儂は抱いた。
この小休止としか言えない休戦状態を、果たして彼等は正しく認識しているのだろうか――と
「やほ~、眼球さんとミミーさん。そろそろ来ると思ってたよ~」
接続すると、見えたのは此方に呑気そうな顔でひらひらと手を振ってきている姿だった。胡座をかいた足の上に、彼女の足を見えなくするほどの大きく古そうな書物を開いている。よく見るとその頁の間に紙と書き筆が挟んである。
もう此方に来る機会を掴んだようだと微かに驚嘆していると、彼女はうんうんと頷いて話し掛けてきた。
「そりゃあ眼球さん律儀だしねぇ、大体分かるって。それよりも、外で雨とか降ったりした?」
なんてことないとでも言いたげな顔である。
彼女が特別なのだろうか、それとも普段他人を気にも止めぬ俺が愚鈍なのだろうか。
少し疑問に思いつつ、作った眼球の方に瞼はないので見えないだろうが、思ってもみない言葉を聞いて一つ瞬きをした。律儀とは、初めて言われた言葉である。ラドはよく面白いと言うが、あれはラド本人が揶揄って面白がっているだけだ。
「あれ? まだ降ってない感じ?」
先の言葉の方に意識が逸れてしまっていた。気付いて彼女を見ると、好奇心を顕にしていた表情が消え、小首を傾げている。珍しく彼女が読み間違えたので、突発的な豪雨をどう伝えるべきかと悩みつつ彼女を見つめる。視界の先では、彼女が足に乗せていた書物をどけて積み上がった幾つもの白い塔の中の一つから一冊抜こうとしている所だった。
「少しズレてるのかな。確かこの本……あー」
横着して立ち上がらずに真ん中を抜こうとしたからだろう。上手いこと勢い良く引き抜いたまではいいが、一瞬してバサバサと塔が崩れる。幸い腰ほどの高さの小さな塔だったから良かったものの、高く積み上がった塔に連鎖して潰される可能性もあった。
相変わらずひやひやさせると、呑気にバツが悪そうに此方を伺う顔を胡乱な目で眺める。
「あはは…、後で片付けマス。うん、やっぱりちゃんと立たないとダメだよね。もう此処に居ると女子力の低下が著しくって…、っていうか、もう向こうでは女子力って単語も時代遅れなのかな? いや、女子力は結構定着していた言葉だしなぁ。この世界では女子力自体が通じないけど」
つらつらと流れる様に喋りながら、先程までと同じ様に胡座をかいた足の上に書物を置き、もう頁に検討が付いているのか手際良く頁を捲っていく。彼女の細白い指先が一定の速さで頁を行き来するのを見ながら、取り敢えず彼女の視界に入れば言いたいことも伝わるかもしれないと感覚器を近付けることに決めた。
「うーん、干ばつの周期と被ってたのを見落としたのかと思ったけど、そうじゃなさそうだし。ひと月くらいまでなら誤差でいけるかもしれないけど、最悪来年かなぁ。うわぁ、機会としては今年がベストなのに。そもそも大元の周期が大きすぎるのが悪…、ん? どしたの眼球さん」
何やら唸っている彼女の前に行ってみると、どうやら気象関係の書物であった。今では人間の中では読める者が限られている程の古い文字で書かれているのだが、これを読んで唸っていたらしい。その知識に驚きを覚えると同時にかなりの高価な品であることが分かるので、室内の至るところにある書物の入手経路についても疑問を覚える。
掬う様に視線を上げれば、見透かす様に彼女はその黒い瞳で見下ろした。
「んー…、本に興味があるみたいだね。内容はお天気とかで面白くはないよ? ちなみにこれはお爺さんにねだった本で、こっちは宿題~。んで、これは差し入れみたいなもん」
あちこち指差していた彼女は、猫の様にニヤリと笑って最後にぴらりと薄い絵本を持ち上げた。少女に読み聞かせる類の本で、古めかしい書物を読んでいる彼女にはあまり似合わないように思う。そう思っていると、重たそうに足の上から書物をどけた彼女が苦笑した。
「だよね~、そう振舞う時はあるけど一体何歳に見えてるんだか。ちなみに眼球さんはいくつに見える?」
面白がる風に此方を伺って小首を傾げる彼女。正直、人間の年齢の区別は得意ではない。まぁ同族の方が判別は難しいのだが、人間の場合であると、肌の色の違いなど地域毎の種の特徴で覚えているので難しいのだ。それでも、住み始めてからは毛色で分かり始めた分進歩していると言える。
「15、16、17…」
適当なところで頷くと、「雑だなぁ」と彼女は笑った。
「折角の女子っぽいトークなのに、長引かせてくれないと! 眼球さん適当すぎるよ! 女の人と仲良くなりたいなら、真剣に考えてみせた後に数歳下の年齢を言うんだよ?」
したり顔の助言である。難しい話だ。しかしこの先使う予定もないので、簡単でもどちらでもいい。
そう軽く流していると雰囲気で分かったのだろう、先程俺がしたのとは逆に胡乱げな表情で見られる。
今までの態度からして、彼女にそんな目で見られるのは心外である。
「モテなくてもいーんだ、へーそう。モテ過ぎてて困るというわけなんだね。それともお前が言うなってこと? 眼球さんは何て酷い人なんでしょう、よよよ」
態とらしく顔を覆ってちらりと指の隙間から此方を見ている。演技する気もないのか、口元は笑う一歩手前だ。思わず何を言っているのかと呆れの視線を上から投げかけてしまう。
「あっははっ! 眼球さんって実はノリがいいよね! ふくくっ、あぁ忘れてた、年は16だから。一応言っとくけど言いふらしちゃダメだよ? あと、モテたいなら女の子に年齢を聞いちゃダメだからね? ぶっふぁあ」
突然笑い始め腹を抱えてうずくまった彼女。相変わらず笑いのツボが浅くて変な所にあるようだ。何でも面白がる所がラドと似ている。
それにしても…、と改めて観察してみる。貧相に近い華奢な体躯。彼女の印象の半分を占める黒々とした髪色や瞳。どの年齢を言われても信じられる独特の雰囲気。
しかし、16…と言われるとそうなのだろうか、その様な気がしてくるから可笑しなものである。
笑いすぎて出て来た涙を拭っていた彼女と目が合う。
そうか、だとすると彼女は13の時から此処に―――
すっと彼女が目を細めた。くつりと、ひと舐めして紅くなった唇を引く。
「私を憐れむ? 憐れんでくれてもいーんだよ?」
稚児の様に無邪気な笑顔で此方に手を伸ばす。それでいて紅と黒と白、一つ一つが妙に妖艶さを醸し出し場をまるで支配下に置きでもしているようだった。
遊戯か、駆け引きか。正解があるのかは分からないが、愉快げに此方を眺める様に不正解を選択したくなるような破滅衝動が擽られる。それを机を指先で数度叩くことで流すと、冷静に自身の答えを見つけようとした。
憐れむ?確かに幼い時からこの場所に天涯孤独の身でいるのは十分同情するに値するだろう。
だが、これは彼女の意図する憐れみではない筈だ。何故この状況で 生きて いる彼女を憐れむ必要があるだろう。俺は彼女のその―――
「眼球さん?」
っッ
俺は何を考えていた?
一瞬接続がぶれる。彼女は先程までの雰囲気をあっさり消し去って少し不思議そうな顔をした。
「何か考え事? それとも帰る感じ?」
響いた言葉に、少しの動揺を隠しながら乗ることにする。手を振る彼女を残して手際良く接続を切ると、思っていたよりも酷くどっとした疲れが体中を襲った。
俺はだらしなく背を椅子に預け、そのまま天井を見上げる。先程まで明るい所を見ていたためか、左目だけ瞑ると部屋が薄暗くなる。視界が治るまでそのままの体勢でいた。ベッドにまで歩くことすら面倒に思う。
何処かで震える様に鳴く梟の声。それを背に、俺は静かに窓越しの月を眺めた。ぼんやりと、月に照らされた雲が流れる様を見るともなしに見る。
雨のことを伝え忘れたなと、ふと思い出した。
「あっははは、やっばい、一人ツボに入っちゃった」
「眼球さん何でこんなとこで笑ってんだって感じだったよね」
「だって16って! 16! 6歳は中々だよ? どうせだしって言ってみたけど、早速サバ読みすぎだよね、ぶはっっ」
「眼球さんは上に報告するかな? だとしたらアレは絶対なわけねぇだろって次会った時に言いそうだよねぇ~」
「ね、ましろはどう思う?」




