第一四話
 
     
「…すまぬが、少し時間はあるか」
「…忙しいお前がどうした」
「気になることがあってな…」
少女のことで気がかりなことを思い出し表情が曇っていると、それを見て取った友人は目を細め、少し待てと本を棚へと戻しに行った。感謝すると告げ室外で待機する。御典医長ともなると忙しいのだ。それも友人は王の専属医である。王がお倒れになり意識を失くしてもう何年も経った今、既に権勢は殿下へと流れて久しくその分割り振られる人数は王といえど少なくなってしまっているのが現状だ。だが、お倒れになった原因が毒物であったという事実により、信頼出来る者しか王に付けられない。それ故御典医長の仕事は食事から世話係の見極め、病状の管理を含め多岐に渡っていた。
背を大きく曲げた友人が戸を開け顔を出す。床に付きそうなほどに伸びた髭は、若かりし頃の手入れを忘れたかの様にくすんでいた。
友人の目を見て思う。疲れた目だと。
「…休んでいるのか」
つい口を突いて出た言葉に、そういうことではないかと自分で否定した。すると聞き咎めた友人が下から唇を歪めて笑う。
「それは新しい皮肉か?お前でもそんなものが言える様になるとはな」
室内に入り、椅子へと腰掛ける友人。
「すまない、そういうつもりではなかった」
友人の性格を知りながら、言うべき適切な言葉ではなかったと思い謝罪すれば、友人は苦虫を噛み潰した様に顔を顰める。
「ふん…お前のそういう所が嫌なんだ」
深く椅子に背を預けた友人は、しかし、それ以上言うつもりはないようであった。
その様子に、丸くなったなとも、変わらぬなとも思う。昔の友人はとにかく野心家であり、権力に対する苛烈な執着を持つ男であった。分野の違う私に対しても敵対視するほどに。
しかしそれでいて私が彼を友人だと思い続けるのは、根底に王への忠誠心を見たからだ。そして上に立つだけの実力を持ち、追い落とされぬよう常に向上を意識する。それに対して努力を厭わぬ彼は、反対に休むということに対して嫌悪感すら抱くのだ。彼の苛烈な権力への執着は、彼をして自身の性だと自覚するものであり、私自身もそういうものなのだと理解していた。
なので思う。自身のその性を殿下より政治から遠ざけられることで封じられ、先の見えぬ日々を送る今は彼にとって辛いものなのだろうと。あの日二人で話し合ったが、それでも彼一人に王を任せきらざるを得ないことは私にとっても辛いものだ。
暫しの沈黙の後、友人は静かに口火を切った。
「…儂のことはいい。お前の方こそ休んでいるのか? あの餓鬼に気に入られておるだろう」
「…そうは思わぬが」
「化物狂いの王子様…か。言い得て妙だな。気に入られたお前に比べ、儂は平凡でお気に召されなかったようだが」
「…、そう言うな。お前にしか王は託せぬのだ」
努めて生真面目に言い返せば、カカッと嗤っていた友人は鼻白む。常にそうであるが、私は話を盛り下げるきらいがあるようだ。
「それに、真実気に入られたかった訳ではあるまい」
そう言うと、益々友人は鼻白む。興醒めした顔だが、あの疲れた憂いは鳴りを潜めていた。
「ふん、分かったような口を聞くでないわ。もういい、いい加減何の用で来たか話せ。お前の言う通り、休む時間が少ないのでな」
「ああ…そうだな、実は…――」
話す。私が気に掛かっていたのは、少女の言動であった。友人とはかつて共に戦場へ参加したことがある。小国の抵抗は想像以上に激しく、戦争は予定よりも長きに渡った。友人は医師として参加していたのだが、激しくなる戦場の最中、診療場では数多の人が溢れていた。私は覚えがあったのだ。かつて、長き戦場で未来ある若者達ばかりが仲間に連れられ運ばれて行くのを。
私の話を聞いた友人は目を閉じその長い髭を梳くと、一息吐いてから茫洋と机上を見つめた。霞がかったその瞳は私と同じように過去を想起させているのだろうか。
「そうだな…、憶えているか、キリヒーヤでの戦場を」
「…ああ、勿論だ」
やはり、同じ戦場を想起していたようだ。それだけ、記憶に残る惨状であったのだ。
また目を閉じた友人は、その枯れた細指を組む。
「…、過度の精神的負荷が掛かると、人間はそれに対する防衛的反応を示すことが確認されている。儂は専門的な研究はしておらんが、あの戦場で見られたパターンは幾つかある」
「…例えば…」
「そうだな…、自分、あるいは他者に対して攻撃的になる者、逆に感情を無くす者、後はそうだな…、夢見心地の奴も居たな」
「…ふむ、では最後のに当て嵌るということか?」
尋ねると友人は首を振る。
「…いや、もっと近いものを言うとするなら、恐らく『退行』であろうな。言葉通り、言動や行動が徐々に幼くなる。放っておけば進行するじゃろう。対処法は負荷の源から離してやることだが…」
見やる友人に苦々しい顔になっていると自分でも分かりながら、それでも首を振るしかなかった。
それを見て友人は蔑んで嗤う。権限は有るといえど、縛られて動けぬ私は愚かにしか見えぬのだろう。
「他の対処法は…」
苦い面持ちで問えば、友人は引き出しを開けて何やら探っている。話は終わったという態度に、既にこの話への興味は無くなってきているようだと分かった。
「ふん、もう呆けたのか。一番の対処法はさっき言ったことだ。儂の専門では無いから詳しいことは分からん。だがそうじゃな…、会話や気を紛らわすもの…、例えば書物などでも渡しておけばいいじゃろう」
「そうか、感謝す――」
「もうよい、忙しいんだ、さっさと帰れ」
追い払われるままに一礼して戸に手を掛けると、後ろから何か飛んできた。振り向かずに掴むと粉薬が幾つか包まれている。
「新しく調合したものだ。まぁ唯の気休めにしかならんがな。お前も無駄に歳食っているわけじゃなかろう、五月蝿い輩ぐらい何とかしてもう少し顔を出せ。直接見た方がデータを取りやすいんだ」
見れば忙しなく手を動かしている。そして友人はそのまま此方を見ずに、片手を前後させ無言で追い払った。
「…感謝する」
室外へ出、歩を進める。頻繁に足を向けることは、殿下に対する翻意があると大声を上げる輩が居るため出来なかった。しかし、それ故友人には症状を纏めた文書など、殆ど会えないままに診察し処方してもらうという無理を強いてしまっている。
心臓の真上を握り締めた。他者の命を奪ってきた割には長く生きた方だろう。死んだ先には妻が居る。死が恐ろしい訳ではないが、それでも今はまだ死ぬ訳にはいかぬと背筋を正して前を見据えた。
薬は、隠す様に隊服の内側へと仕舞った。
歩を進めていると、廊下の先より3人組の兵士が歩いて来る。訓練後で気怠い俺は、廊下の端に避けて通り過ぎようとした。
「おい、待てよ」
「…」
だが、嫌な予感ほど当たるものだ。
聴覚の良い俺は離れた位置から既に嘲笑う内容が聞こえており、関わりたくないと端に避けていたのだが、それも意味が無かったようだと溜め息を噛み殺した。
のっそりと振り返れば、珍しく俺と同じくらいの背の高さの奴が真ん中に居る。後ろの二人は他団の者だろうが、何処か見覚えがあると思えば、お飾りながらも俺と同じ隊のメンバーが真ん中の一人であった。
後ろの若い二人は嫌悪に顔を歪めているが、自ら関わろうとするタイプでもなさそうである。
そういやコイツはいつも突っかかってくるな…
思い返せば存在すら気に入らないのか、会う度に態々嘲りに来る。後ろの二人の様に関わろうとしなければ楽なものを、面倒なことだ。
見つめれば、後ろの二人は顔を逸らす。しかしそれに反して男は一歩近付いた。
「訓練ねぇ…、やる気でも出したのか? お前が?」
「…」
無表情で見つめていると、男は唇を捲った。
「一人でやり続けても面白みもねぇんじゃねぇか? 俺が相手になってやってもいいぞ?」
「…、結構だ」
「…ああ゛?」
拒絶すれば、瞳に怒りが灯る。ガッと襟元を掴まれた俺だが、手を上げるのは珍しいなと冷静に考察していた。
格下と思っている相手に拒絶されて苛立つ様は短気に見えるが、その実他団の者にもこの様に慕われている。可笑しなものだと二人に肩を止められている様子を眺めていると、襟元を掴んだまま男は口を開いた。
「へぇ…、ラドの奴に訓練付けて貰ってるから俺は要らないってか、随分舐めた態度だなぁアシル」
名を呼ばれ、男を見る。本人、というより人間にその気は無いかも知れないが、俺たちの種族にとって名は意識すれば支配する媒介ともなる重要なものだ。その為呼ばれると大なり小なり反応はする。といってももうその効力は薄れているのだが…。しかしその名残は例えば慣習の中にも残っており、普通の親はその付ける名を産まれる何年も前から準備しとても大切に決めることを当たり前としていた。
そして、俺にとっての名は忌々しいものでしかない。
気分を害してだから何だと低く問えば、何故か男は悦に笑んだ。
「はっ、そう言えばラドの奴の姿を最近見ねぇが、案外あっさり死んだのか? ええ? お前は不幸を撒き散らすからなぁ。上司へのポイント稼ぎでお前みたいな奴の面倒を引き受けて、挙句見返りが不幸だけとは、ラドの奴も可哀想なもんだよな」
反射だった。
「黙れ」
膂力に任せ逆に片腕で男の襟元を掴み、壁に押し付ける。肺を押され息詰まる男を見て最初は男の言葉を止めようとしていた二人は、今度は俺を止めにかかった。だが所詮格下である。目障りなそれを振り払えば、彼等は剣の柄に手を掛け臨戦体勢を取った。
鬱陶しい
苛立ちが微かに篭って視線をやれば、二人は冷や汗を流して動きが固くなる。
別段害する意思はなかったが、鬱陶しい羽虫が静かになったと思っていると壁際の男が突然笑い始めた。
訝しむが、一先ず五月蝿いので黙らせようと更に壁に押し付けると、男は呻いて咳き込む。同じ隊員といえどそれを見ても何か思うことはない。
「アイツを侮辱するな」
別段、此奴が俺を蔑むことに対しては何も感じていない。数多居る内の一人一人に態々心を痛める筈もない。だが、ラドに対する侮辱だけは聞き逃せなかった。
「っ…けほっ…、は…、なんだ、そんな目も出来んのかお前」
だが何故か男は楽しそうにしている。いい加減理解が出来ず面倒な男を離して立ち去ろうと考えた時、聞き覚えのある声が静止を発した。
「だ、だめですお二人共! 城内での私闘は禁じられていますよっ」
見れば鳥の巣頭の下は今にも泣きそうに潤んでいる。その両腕に抱えた資料を見るにまた資料届けの途中だったのかもしれないが、丁度いいと俺は静止に従った。
手を離せば床へと落ちる男には一瞥もくれず、俺はさっさとこの場を離れようと少年へと近づく。
「あ、あああ、あのっ」
少年が何かを言おうとしたが、背後で立ち上がる気配がしたので面倒になった俺は外を眺めた。
「…資料抑えとけ」
「は、はい?」
およそ3階程度である。
「おい、待っ――」
相変わらず軽い少年を抱えると、とんっと宙へと身体を踊らせた。
「ひ…、ひゃあああーー…」
「…五月蝿い」
といっても直ぐに地面へと足はつく。耳元で騒ぐ騒音源が未だわあわあ言っている内に、俺は上から見えない位置まで今度は足を動かすのだった。
「ひ、ひいいぃぃ」
「…」
「お、落ちてますよぉっ」
「…」
「胃が、胃がひゅっって! ひゃああっ」
「…五月蝿い」
「ひぃっ!?」
以下続く
トネコメ「お巡りさん、大変です」
 




