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09

連れてこられたのは、二人でコンサートの練習をした公園。

今の私にとっては忘れたい場所だった。

あれ以来、この場所には近寄らない様にしていた。


寂しく光る街灯の下、ベンチに腰をかける私達の距離は空いている。


「レッスン、来てないんでしょ?」


すると、北山部長が沈黙を破った。


「どうしてそれを…」


「先生から聞いた。全く来ないから心配してたよ」


何も悪くない先生にまで迷惑をかけたかと思うと申し訳なさがこみ上げてくる。

でも、もう歌う気になんてなれない。


「僕のせいだよね…伊藤も謝ってた。アイツは僕の昔からの友達でさ、まさかあのコンサートに来るとは思わなかったけど」


「……」


何も反応をしない。

早く、この時間が終わって欲しいと思っていた。


「僕があの教室辞めるから、戻ってきて。朱音さんには歌を続けてほしいんだ」


「それは…私が決めることだから…」


部長には関係ないと告げる。


「そっか…」


「話はそれだけ?だったら…」


帰ろうとすると、制止される。


「あと、もう一つだけ聞いて欲しい事があるんだ。あの日、きちんと話せなかった事」


私の返事を待たずに部長は話を始めた。


「僕は元々、本当に大学院で数学の研究をしていたんだ…」


ゆくゆくは研究者になるつもりだったと彼は言う。


「兄さんが会社を継ぐはずだったんだけど、突然の交通事故で死んでしまって。僕しか後継者がいなかった。だから、大学院を中退して父の会社に入ったんだ…」


明かされたのは、辛い過去。

けれども、当の本人は淡々と静かにまるで穏やかに流れる川の様な口調で話す。


「何も会社の経営なんてわからなくてさ、それで周囲から批判も一杯されて

 ストレスでどうかしそうになっちゃって。それで、元々歌が好きだったから、気分転換にあの教室に通い始めたんだ…」


そうだったんだ…

知らなかった彼の全貌が少しずつ、まるで徐々に霧が晴れていくかの様に明らかになっていく。それは、私が思っていたよりもずっと重いものだった。


「僕がKコーポレーションの御曹司である事は絶対にばれたくなくて、母親の旧姓を名乗ってレッスンに通ってた」


会社と全く関係ない居場所が欲しかったのだと、彼は言った。

あの憎い部長の格好なのに、話し方は賢君で。

これが彼の本当の姿なんだろう。

あんな堂々とした強気な姿の裏にこんな葛藤が隠れていたなんて。


会社で苦労していた事がひしひしと伝わってくる。


「朱音さんの歌声を偶然聞いた時に痺れたよ。なんて優しくてキレイな声なんだろうって。それで、興味が湧いて、そして、顔見知りになって、少しずつ話せるようになって、嬉しかったんだ」


眼鏡の奥の瞳が私に向けて優しく細められる。

私の事、そんな風に思っててくれたんだ…

心の中で固まっていた何かが溶けていく感触を覚えた。


「しかもさ、仕事でもあんな風に関わる事になるなんて思わなかった。まさか、プロジェクトの顔合わせの日に本当に驚いたんだ」


「そう?顔合わせの日から偉そうで言葉も厳しかったしそんな風には思えなかったけど…」


なんて、少し茶化してみれば、仕事には私情は挟んではいけないからだと慌てて弁解を始める。


「朱音さんの仕事での姿とあの教室で見せる顔は全然違ってて、でもそれが更に僕の興味を惹いたんだ。それで、もっと仲良くなる方法をずっと考えてて、あのコンサートはチャンスだって思ったんだ。”楠本 賢”としての僕に心を開いてくれたから、一緒に歌って僕の事をもっと知って欲しかった」


だから、あんな風に有無を言わせない様に私を一緒に参加させたのね。


「仕事ではあんな風だけど、支えになりたくて、そしていつか全部話したいって思ってた」


「じゃあ、どうしてもっと早く話してくれなかったの?きちんと話してくれてたら…」


長い彼の話を一通り聴いたところで、先程までの怒りは何処かへ消えてしまっていた。

もっと早くその事実を知ればきっと私も驚いただろうけど、こんな風にはならなかったはず。

そんな後悔すら生まれていた。


「…仲良くなればなるほど、怖くなったんだ」


ため息と共にそう漏らす賢君。


「僕は仕事中はほんとに嫌な奴だと思う。それは自分でもわかっていたから。あなたが僕を負かせようといつもプレゼンの度に色んなプランを用意してたのも知ってた…」


「そこまでバレてたんだ…」


「だからこそ、余計に厳しい事を言ってた部分もある。

 そうすれば、どんどん企画の内容が良くなってくからさ」


私よりも深い所まで考えていた彼に、頭が下がる。

本当に優秀な人なのに、そうとも知らずに失礼な事ばかり言ってしまっていた。

そんな小さな自分が恥ずかしくなる。


「そんな風だったからこそ、僕の正体を知ってしまったら朱音さんは離れてしまうって分かってたから余計に何も言えなかった…」


悲しそうに揺れる瞳に何も言葉をかけることはできない。


「嘘をついて騙す事になってしまって本当にごめん…」


いきなり立ち上がって、私に向かって真剣に謝る賢君。

頭を深く下げたまま動かない。


「そんな…止めて。もういいから。頭を上げて?」


「朱音さんの一生懸命で真面目なところも、歌がうまくてお姉さんなのに

 少し抜けてて可愛い所も…好きだった」


頭を上げた彼は悲しげに目を伏せて笑う。


「全部聞いてくれてありがとう。約束通り、もう、二度と会わないから」


寂しそうなのに、それでも何処か清々しい彼はそのまま背中を向けて歩き始めた。


少しずつ前へと進んでしまう彼と、そのまま取り残される私。



「賢君…!」



行かないで―――


今度は私が立ち上がり、一歩を踏み出して彼の腕を掴む。


「!?」


驚いて振り向いた賢君。


「隠し事をされていたのがショックで…酷いこと言っちゃって本当にごめんね…」


「でも、今日、こうやって本当の事を正直に話してくれて嬉しかった…」


「私も伝えたい事があるの…」


引き留めたのは丁度大きな噴水の前で、その水の音に負けない様に大きな声で話す。


「あのコンサートの日、私、貴方に言いたい事があったの…」


目を大きく見開いている彼におかまいなく言葉を続ける。


そう、彼の抱えていた苦しみを知って、支えたいと思った。

あの時、ズタズタに気持ちが引き裂かれたのは、それだけ彼を本気で好きだったから。

真実を知った今、傷は塞がって賢君を愛しいと思う気持ちでまた心が満たされ始める。


まだ遅くないなら、私も自分の本当の気持ちを伝えたい。


「私も賢君の事が好き…!」


「朱音さん…」


想いを伝えた瞬間、彼が私を胸の中へと閉じ込める。

彼の甘い匂いとその温かさに安心して背中に手を回す。


ライトに照らされてキラキラと輝く水のベールはまるで私達を祝福しているようだった。



fin―――


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