04話 小さな一歩
水槽に移動してから一週間が過ぎた。
この頃になると日に数時間だけ水に浸かれば、他は外で活動しても問題ないようになっていた。
ちなみに服はテロルが余り布でコートのような服を作ってくれた。
コートの下は何も身に着けていないちょっとした変態状態だが、まぁミニチュアサイズの人形のような身体だから晒していないだけで問題ないだろう。
今日もテロル特性のコートを羽織り、机の上を移動する。
外での活動といっても自分のカラダが小さすぎるため、移動範囲はまだ机の上や戸棚の中だけだ。
小さいと言うのは思いの外不便だ。
頑張って歩いても部屋の端から端へ移動しただけで息切れするし、テーブルから落ちると自力で元の高さには戻れない。
戸棚の中を散策中に埃が大量に身体にまとわりつくし、一度虫と対面した時など俺のホムンクルス生はここで終わってしまうのかと思ったほどだ。
人間だった頃にはぷちっと潰せた虫に、今は俺がぷちっとやられかねない。
奴らの口が開閉する様は巨大な鋸が動いているように見えるし、触手が頬を撫でた時はもう…おぞましくて口に出したくない。
あれは虫ではない、モンスターだ。
「あらあら、ハルったら、また薬草を仕分けてくれているんだね。ありがとう助かるわ。」
「いえ、俺はこれくらいしかお手伝いできませんので」
「まぁ、相変わらず他人行儀なんだねぇ、もっと砕けた話し方でいいんだよ?だってあなたは私の大切な家族なのだから」
「はい…善処します」
テロルは俺の事をハルと呼ぶ。
本名を春幸だと伝えたら、呼び辛かったらしく短くハルと呼ぶようになった。
テロルは俺に人だった頃の記憶があると言っても気味悪がらず、普通に、いや普通以上に愛情を注いでくれる。
こんな人外の生き物を家族と読んで、無知な子供を育てるように、何を聞いても何を失敗しても丁寧にひとつひとつ教えてくれるのだ。
彼女が俺を作り出した目的は未だ想像の域を出ないが、何か目的があって作ったことは確かだ。
彼女がただの道楽で錬金術を使っている様には、俺には見えなかった。
水槽から出て活動できるようになってから、俺はテロルの仕事を手伝わせてもらうようになった。
錬金術を教えてくれと頼んだのだが、まずは生活の知識を付けてからと言われ、今は文字と歴史文化の勉強を行っている。
二日前にようやく薬草の扱い方を教えてもらい、薬草の葉と茎、実などの仕分けをさせてもらえるようになった。
たったそれだけの仕事だが、俺の小さな体にはなかなかの重労働だ。
実の1つ、葉の1つでさえ俺の身体と同じだけの大きさがあるのだから当然だろう。
赤いベリーの実を器の中に入れて今日の俺のお手伝いは終了した。
テロルの方を見ると、昨日俺が仕分けた薬草の葉をすり潰して大きな鍋に入れて煮込んでいる最中だった。
この様子を見るにこの世界の錬金術は料理に似ていると思う。
使う材料が違うだけで、きざむ、混ぜる、焼く、煮る、炒る、濾す、そうして出来た物を器に入れて蓋をして完了だ。
使う道具も料理に使う物とほぼ同じなのだから、錬金術を知らない人が見たらただ料理をしているように見えるんじゃないだろうか。
違う所と言えば、料理より精密に分量を量る所と、どう考えても材料を混ぜただけじゃそんな結果にはならないだろうと言う形で完成するところだろうか。
どうやったら緑色の葉っぱと水を混ぜ合わせただけで、紫色の発光液になるのだろうか。
その発光している液体はいったいなんだ、毒か?
紫だけならともかく、発光した物を体内に入れたくないなぁと思いながらテロルの作業を見ていると、目が合ってニコリと微笑まれた。
「やっぱり錬金術に興味があるかい?」
「はい、自分が生まれた技術ですので、出来れば学びたいです」
「そうかい…錬金術の道は厳しいよ…?それでもやるかい…?」
「厳しい?」
テロルが言うには膨大な知識と経験、材料や錬成具合を見極める目が必死であると。
しかも技術だけでなく、錬金術を扱うための道具と、大がかりな錬成を行うなら錬成陣を書けるだけの広さの工房も必要となってくる。
だがそれ以上に大変なのは錬金術で生み出される利益を狙った人間関係だという。
錬金術が無から有を生み出すかの如く、無限の利益を生むと考える輩が少なくないのだそうだ。
錬金術は無から有は生み出せない。一の物から一の物、一の属性から一の属性しか作り出すことは出来ず、錬金術とは言ってしまえばすでにある物質を見た目が違う同等の物質に変換する技術である。
変換前に比べて変換後の方が圧倒的に人間にとって有益な物が多いため、結果の方にしか目が向けられず、誤解が生まれるのだ。
そうやって錬金術を名の通り、お金を生み出す技術と考えた輩が、錬金術師を狙って営業妨害や嫌がらせ、人攫い、果てには命を狙われることも少なくないのだという。
テロルは大丈夫なのかと聞くと、この家は都市から離れていて、さらに村からも離れているからテロルを錬金術師と知っている人物は少ないのだそうだ。
村ではテロルはただの薬剤師と認識されているらしい。
そう聞いてほっと胸を撫で下ろす。テロルは生みの親で大切な人だ、危険な環境にいてほしくない。
それと同じく彼女は彼女にとって大切な存在の俺が錬金術を学ぶ事を危険視しているのだろう。
「大丈夫です。俺は何もこの世界を知りません。何でも学びたいんです。生みの親であるテロルさんが扱う術なら、俺も学びたいです」
そうだ、俺は何でも学びたい。以前は与えられた事だけをやって、流されて生きて、自ら行動しなかった事を後悔したのだ。
もう一度新しい環境が与えらえたのならば、今度こそ自分で考えて学び、行動してきたい。
「そう、ハルがそう言うのなら、私には止める事は出来ないね。」
テロルは俺に手を伸ばし、優しく頭を指先で撫でた。テロルが優しく撫でているつもりでも俺には強い力で、頭が前後に揺れて首が痛くなったが、ここは我慢の場所だろう。
「ただし条件があるよ」
「条件ですか…?」
「条件と言うか決まり事だね。決して途中で投げ出さない事、私が教えていない事を勝手にやらない事、私が言った注意はしっかり守る事、あと、あちらの扉には決して入らない事」
テロルが指し示したところには1つの扉があった。この家には相応しくない鉄の扉で、閂が二つついていた。
言われなくてもこの身体じゃ扉を開ける事は敵わないのだが、そんなことはテロルも分かっている。
それでもなお注意したと言いう事は余程知られたくない何かがあるのだろう。
気にはなるが、それでテロルが悲しむのならば、俺はあの扉には近寄らない。
「分かりました」
「それで、これは決まり事じゃなくてお願いなんだけど」
「なんでしょうか…?」
「私の事はさん付けで呼ばず、話し方ももっと親しくしてほしいね。私はハルを家族と思っているのよ?家族に他人行儀にされたら、悲しいわ」
「えっと、じゃあテロル…はあれなので、テロル婆とか?」
テロルはそう呼ばれると、嬉しそうに笑って、俺の頭を再び撫でた。
この日から俺はテロルをテロル婆と呼ぶようになり、本当の母と子、あるいは祖母と孫のように過ごすこととなった。