30話 都市へ向かって
すみません随分と間が空きました。
砦で薬を作り続けて、丸三日が過ぎようとしていた。
病の流行は原因を早期の段階で全て焼いてしまったため今は完全に収まり、症状も薬が効いたのか全ての人が差はあれど改善に向かっている。
三日目ともなると、既に完治した人は通常通り働くようになり、砦の中は随分と賑やかになった。
人手が戻り、また病が人に移る事も無くなったので砦の門は開かれ、今まで通行止めをくらっていた人達もほっとした様子で通り抜けて行った。
窓から都市に向かう人達を遠目で見て、後少し薬を作ったら俺達もそろそろ都市へ向かおうと思った。
なんだかんだと薬を作り続けるうちにずいぶんと長居をしてしまっている。
もう病に罹った人の症状は薬が無くても自力で治せる程に落ちついているし、薬自体もそれなりの数を作ってキースに渡してある。
俺の役目はやり終えたと思っていいだろう。
「ハル、大丈夫…?ふらふらしてない?」
「まだ大丈夫、かな。これで最後にするつもりだ」
何よりシャンが心配しているように、そろそろ俺の体調的に薬作りも困難になる。
魔晶石不足が深刻になってきていた。
人工魔晶石は作れたがそれらは全て薬作りに回してしまっていて、俺自身の魔力回復に使う魔晶石が足りていない。
食事だけでは自分の生命維持分しか回復できず、錬金術で使用した魔力は回復が追い付いていないのだ。
しかも薬を作るために休まず徹夜で動き続けているため、常に大量の魔力が消費される状態が続いている。
その影響か知らないが、今日になって少し頭がぼうっとして考える事が出来ないようになってきていた。
おそらくホムンクルスの身体が魔力の消費を抑えようと、思考を強制的に制限しに来ているのだろう。
これでは錬金術が使用できない。錬金術は常に計算が付いて回るのだから、思考力が落ちた状態では錬金術が失敗する可能性が高い。失敗したらこの部屋を吹き飛ばす程度の爆発が起こってもおかしくない。
錬金術とは手順を間違えれば大参事になるほど、危険とは隣り合わせの技術。つまり魔晶石を確保しなければ、安心して錬金術が使えないのだ。
「ハルユキ、次の薬は出来ているか?」
「ああ。その籠に入れてある。あとそろそろ俺達もこの砦を出ようと思うんだ」
「確かに、もう症状の重い者も居ないし、頃合いだな」
「これを作り終わったら、責任者の人にあいさつに行こうと思うからエイマー達もそのつもりでいてくれ」
「わかった、ユディには俺から伝えておく」
エイマーは籠ごと薬を運びだし、キースの医務室まで持って行った。
病人の数が減った事と、症状が改善した事で今はキースが治療を一手に担ってくれている。
キースの負担が大きいのではと思ったのだが、キースに言わせればこれが本来の姿で、医者が病の対応を外部の人間に頼らねばならなかった事の方が辛いのだとか。自分の職に誇りがあるからこそ、キースは今回自分が対応できなかった責任を重く感じているのだろう。
俺はキースに何も言えなかった。ようやく錬金術で作った物に責任を感じるようになった俺が、医者と言う人の命を預かるような職に就いているキースに言える言葉は無かった。
ただ、その姿は俺が覚えておくべき姿と感じた。
最後の薬を作り終えて、俺は道具を片付け始めた。
歩くと身体が重力に逆らって浮くような感覚を覚えたが、激しく動かなければ大丈夫と考え、水場に移動して汚れた道具を洗った。
足の感覚が覚束ないながらも、意識ははっきりしているので傍目には違和感なく動いているように見えるだろう。
部屋に戻るとエイマーとユディさんが戻ってきていて、砦の現状を説明してくれた。
「もう半分くらいの人は問題なく日常生活を過ごせるようになっているわ。残りの人も魔力は安定しているし、熱も微熱程度だから薬を飲んでいれば明日明後日にはほとんどの人は治る感じね」
「先ほども言ったように頃合いだろう。医者もるのだから、もうハルユキが離れても問題ない」
「じゃあ、この最後の薬をキースに渡したら、責任者の所に行こうか」
道具を鞄に収納して、いつでも旅立てるように準備を整えたら、鞄を持って部屋を出た。エイマー達も同じように装備を身に着けて、後に続く。
俺達が砦を歩くと何人もの人が病から回復したと嬉しそうに俺に感謝の言葉を投げかけてくれた。
俺は誰かに感謝された経験が少なく、どう返していいかわからなくて、照れながら良かったですねとどこか他人事のようにしか返事が出来なかった。
それでも相手は気にした様子も無くあんたのお陰だと俺に感謝してくれていた。俺はその真っ直ぐな言葉に更に照れて、こくんと一つ頷いた。
俺のそんな様子を頭の上のシャンがにやにやと、後ろのエイマーとユディさんが微笑ましげに見ていた。
医務室に入るとキースが忙しく患者の対応をしていた。半分は完治したと言ってもまだ半分の人はこの医務室にお世話になっているのだから、当然医者のキースは忙しい。
キースの仕事がひと段落するまで、俺達は医務室の外で待った。中の患者が外に出てきたのに合わせて中に入ると、キースが椅子にもたれ掛り、眼鏡を外して目頭を押さえていた。
「お疲れだな」
「ああ君たちか…すまないね、見苦しいところを見せた」
キースは眼鏡を掛けなおして、椅子に座りなおしてから白衣を整えた。
「ハルユキ君が医務室まで来るなんて珍しいね。どうしたんだい?」
「俺達そろそろ砦から離れようと思って。これ、最後の薬」
作った薬を手渡すと、キースはそうかと言って薬を大切そうに受け取った。
「そうか…寂しくなるね。でも君達にも予定はあるのだから仕方ないよね。君達、特にハルユキ君には助けられっぱなしだったね、ありがとう。君達が砦に来てくれなければ、僕はここで自分の無力を嘆いて、倒れて行く人々を見ている事しかできなかっただろう…ありがとう…本当にありがとう…!」
キースは俺の手を取って、きつく握りしめた。その力は細身のキースからは想像がつかない程力強く、赤く痕が残る程であった。
握られた強さの分、俺はこの砦の、この人の力になれたのだと嬉しく思った。
医務室を後にしたその足で砦の一番上にある管理室に行くと、既に話を聞きつけていたのか初日に会った時より幾分元気を取り戻した責任者の男が、政務机の向こうに座って俺達を出迎えた。
深く刻まれた目の下の隅は彼のいつも通りなのか、初日の頃より一切変化は無さそうであった。
「良く来た。立ち話も何だ、そこに座りたまえ」
男に示されたソファに腰掛け、向かい側に移動してきた男を正面からとらえた。
この男の性格はいまいち捉えきれない。今も何を考えているのか判らない無表情で俺を見ている。
「急ですが、この砦の流行り病の方はもう大丈夫な様なので、俺達はそろそろ出ようと思います」
「そうか、この度は世話になった。君がいなければ、この砦の損失は如何程になっていたか。考えただけでも背筋が寒くなる。君と出会えた幸運に感謝する」
「いえ、俺は出来る事をやっただけですから」
「その出来る事を出来ない人間も多い。特にこの国の上層の連中などがその代表だな」
「はぁ…」
無表情で淡々と話すので流してしまったが、今のって国に対する批判だよな…良いのか?この砦って国の管轄じゃないのか…?
この目の前の男は随分と国に対して反抗的な思考の持ち主らしい。
「君の働きは素晴らしい物だった。それ相応の謝礼をせねばならんだろう」
そう言って男は小さな袋と封筒を机の上に置いた。
受け取るようにと手で指示されたので、特に警戒することなく手に取った。袋が小さかった為大した物ではないと思ったのだ。
しかし袋の中を見て俺はさっと血の気が引いて、袋を相手にそっと返した。
「どうした?足りなかったか?」
「いや!逆です!なんですかこれ…!こんなの受け取れません…!!」
男は足りなかったと判断したようで追加を用意するように後ろの秘書の人に伝えていた。それを俺は丁寧に必死に止めた。これ以上増えたら俺は気絶する自身がある。
エイマーとユディさんが俺の反応を不思議に思ってか小声で話しかけてきた。
「(何が入ってたんだ?)」
「(大金貨だった…それも五枚…)」
「(それは…とっても…大金ね…)」
エイマーとユディさんの反応も似たようなものだったので、俺の感覚がずれていないのだと判明して一安心した。
そうだよな、金貨一枚でも大金なのに、大金貨五枚ってなんだよ…!日本円で五千万だよ!んな大金見たことも触った事もねぇよ…!
心の中で盛大に叫びながら、表情は引きつった真面目な顔で、三者三様に相手の男を見た。どうやらこの男の金銭感覚が一般よりずれているらしい。
「今私の事を馬鹿にしたな?」
「いえ…!とんでもない」
ぴくりと眉を動かして、俺を細めた目で見ていた。無表情なのは変わらないのに、たったそれだけの動きで俺は相手の威圧に呑まれた。
男はあくまでもこの大金を謝礼として渡すつもりのようで、袋を引き下げようとはしない。
「あの、お気持ちは大変嬉しいのですが、このような大金は私には荷が重く、受け取れません。それにこの金額に見合う程の働きはしていないので…」
「それは君の認識が間違っているな。君はこの砦を、引いてはこの向こうの都市マルティノーを救ったのだ、しっかりと自覚しなさい」
「え…?」
男は腕を組んで俺にしかりつけるように言った。俺は意図しなかった相手の言動に驚いていた。
「この砦は何のためにあると思う?」
「通行規制と魔物の侵攻を防ぐ為ですか?」
「そうだ。魔物をここで防いでいるからこそ、都市の安全は守られている。その砦が流行り病で機能しなくなりかけた。後少しで砦は役目を果たせずに魔物を侵攻を許していたかもしれない。もしも、君が薬を作れなければ、この砦の人間は病によって魔物化していたかもしれない、そして守っていたはずの都市をその手で攻撃していたかもしれない」
俺は息を飲んだ。事の重大さが分かり始めていた。
「つまり、君の作った薬が、この全ての最悪の可能性を防いだのだ。薬を作った君が、この砦を、都市を守った。その対価にこの金額では安いと考えている程だが、それでも君はこれを受け取らないつもりか?これは砦の責任者たる私が、砦を救った者の労働に正式に渡す対価だ」
「…謹んで受け取らせて頂きます」
俺は大金貨の入った袋を受け取った。受け取る事が正しい事だと思ったからだ。
この金額が俺の成した事の対価だと言うのなら、ずいぶんと俺がした事は重く、価値があったと言う事なのだろう。俺の自覚が無くとも、相手にとってはこれだけの価値がある事なのだ。
大金貨が五枚、手に持った時実際の重さ以上に重量があるように感じた。
そして封筒もそっと手に取った。これは何だろうか?手におえない物じゃないと良いが…
「そちらの封筒は君の身分証明書だ。聞けば君は何の後ろ盾も無いと言うじゃないか。これまでは後ろの冒険者の保証で行けたかもしれんが、都市に入るにはそれでは間に合わんんだろう。マルティノーに入る時、その封筒を出すと言い。私が君の身分を保証する旨を書いた証書が入っている」
「それは、ありがとうございます。助かります」
「都市に行ったらどこかのギルドに所属すると良い。身分を証明する物が無ければ、旅をするのは不便だからな」
「はい、そうします」
俺は深く頭を下げた。男は見た目が無表情で取っ付き難い印象だが、面倒見の良い性格だった。
なんだかんだとお叱りを受けたが、それ以上に施しを受けた。お金も証明書も、やはり俺には多分な対価だと思う。ここで断っても相手は納得しないだろうし、有り難く受け取っておく。
これが多分だと思うなら、今後同じような機会があればそれに見合っただけの行動が出来るようになろう。
そうして俺達は砦で世話になった、世話をした人たちに見送られながら、砦から旅立った。
予定より随分と遅くなってしまったが、後少しで都市マルティノーだ。
マルティノーまでの道中、砦がしっかり機能しているお陰で、魔物とは一切出会うことなく快適な旅が続いた。
これにて第二章終了です。次回第三章、舞台を都市マルティノーに移して開始予定です。