29話 薬の大量生産
砦の中が全体的に慌ただしい雰囲気で包まれていた。
右側と左側、一階から五階を走って移動する人達の足音、周囲に指示を飛ばす人の声、体調が回復したことを喜ぶ人達。
そして俺は貸し与えられた部屋でエイマー達に協力してもらい、ただひたすらに薬を錬成し続けていた。
三つの鍋を使い、それぞれに違う薬を錬成している。
素材の準備や下処理はシャンに手伝ってもらい、薬を病人に届けて服用させるところはエイマーとユディさん、それとこの砦で雇われている使用人の皆が手伝ってくれている。
まず優先的に作っているのは魔力の急激な増減によって不安定になった身体を安定させる薬だ。
魔物化するぎりぎりの人も中には居たので、まずは魔力を平常の量に戻す事が最優先と判断した。
霜蔦を取り除けば魔力を減らす要因が無くなるので、反動で魔力が身体の許容量を超える寸前まで爆発的に増えてしまう。
増えすぎた魔力を身体に溜め込ませないように、増えた魔力を結晶化して体外に排出出来るような薬を作った。
要は人工的な魔晶石作りをしようとしているのだ。
ホムンクルスの身体が魔力を原動力としている事を知ってから密かに研究を続けていた薬だ。
まさかこんな所で作ることになるとは思っていなかった。
魔力の多い人が服用すると意識的に魔晶石を作れるようになったり、魔力の溜り場に撒けば周囲の魔力を吸収して魔晶石化できるようになったり、最終的には俺自身が服用して周囲から魔力を吸収できる状態になる事を目標としている。
今はまだ実験段階で服用しても意識的に魔晶石を作り出すことは出来ないのだが、魔力を吸収して自動的に魔晶石化する効果がある。
実験で俺が飲んだ時は小さな魔晶石が出来ただけなので、この薬で魔力を失いすぎる心配もない。
この薬にまだ名前は付けていない。
―付けるとするなら魔力結晶石化薬かなぁ…安易だけど。
魔晶石は正しくは魔力結晶石と言う。皆長くて言い辛いから魔晶石と呼び、それが正式名称のように定着しているだけだ。
―魔力結晶せっ…!噛んだ……やっぱり薬も魔晶石化薬って呼ぼう。
魔晶石化薬は霜蔦を取った人には三十分以内に服用してもらうように強くお願いしている。
魔物化が進んでしまってはこの薬では対処できないので、許容量を超える前に魔力を結晶化する必要があるからだ。
飲むと額の所に錬成陣が浮き上がり、そこに魔力が集まって塊となるのだ。
薬分の魔晶石が出来上がると錬成陣は人工魔晶石の中に浮かび上がるようになっている。
薬一回分で魔力量が落ちつかなかった場合は続けて二回目を服用してもらい、魔力と身体が均衡を保てるようになるまで繰り返してもらう。
けれどここで一つ問題が出てきた。
錬成を行うための火の魔晶石と薬を作る為の一部の材料が底をつきはじめていた。
―まずいな…
あと錬成五回分ぐらいで無くなってしまう。薬はもう足りているだろうか…?足りていない場合急遽材料の調達に行く必要が出てくる。
「火に使う魔晶石なら私の魔法で代用が出来るけど…」
「ずっとじゃないだろ?魔法だって魔力を消費するんだから」
「今作ってる人工魔晶石は?使えないかな?」
「都合良く火属性のものがあれば良いんだけど…」
こうして話している間にも魔力を使い果たした魔晶石は姿を変えて砂となり、そして目に見えない粒子へと溶けて消え、その数を減らしていた。
俺はエイマー達が新たな薬を取りに戻って来た時に引き留めて、素材が足りない事を相談した。
「それは大変だな。あとどれぐらい作れる?」
「あと四回ってところだな。結晶化の薬ってまだ必要そう?」
「大分落ち着いて来てはいるが、まだ安定するまでには足りていないな…」
「今人工的に作ってる魔晶石に火属性のものってあるかな?それを使わせてもらえれば他の薬は作れるんだけど…」
エイマーは顎に手を当てて、思い出すために視線は上にあげて考え始めた。
するとあったようななかったようなとあやふやな事を言いだしたので、魔晶石が出来たのは見ていたようだが、色までは意識して見ていなかったのだろう。
代わりにユディさんが答えてくれた。
「あったわ。それも多くね。この砦には火属性に適正のある人が多かったみたい」
「おお!じゃあ使わせてもらえるようにお願いしにいかないと」
部屋を出て人工魔晶石を預かってもらっているキースの医務室に行こうとしたら、ユディさんにそっと肩を抑えられて止められた。
「それくらいは私が行くわ。それよりも素材の方は大丈夫なの?足りないんでしょ?」
「ああ、珍しい物じゃないんだが、採れる時期が決まっててさ、手元にもう数が無いんだよ」
「それって今は採れるの?場所さえわかれば採ってくるわよ。ね、エイマー!」
「ああ、もちろんだ。お前はここで薬を作っていてくれ。で、どんな物だ?」
「そりゃ助かる!純油の若実だ。昨日野営をした場所があるだろ?そこから十分ほど砦に向かって歩いた所に細い木がある。それが純油の若木で、生っているのが若実だ」
純油の若実は木が大きく育つと採れなくなる。木が実を付け始めて二・三年の期間しか取れないのだ。
木自体は割と多く若木も多く育つので、時期が限られているだけで珍しい物じゃないが。時期は丁度今気温が高くなる前が収穫の頃合いだ。
純油の若実は初め皮の内側がゼリーのように柔らかく、外から魔力を吸収して弾力のある実に変化する。
この魔力を吸収するという力を応用したのが、今回の魔晶石化薬という訳だ。
「でも遠いだろ?」
「大丈夫だ。この砦で足を借りて行く。今から行けば三時間ほどで帰って来られる」
「…足って?」
俺が思いつくのは車やバイクだがそれは無いだろう。
―こういう世界だと馬かな…?あと思いつくのは黄色い鳥とか?
俺が内心で乗れる動物について考えていたら、エイマーから意外な答えを貰った。
「足と言えば地竜だろう?」
「え、龍…!?」
―あの空とか飛んで凄い硬い鱗で覆われているあの?集落を見つけたら襲ってくるようなあのでっかい奴?すべての生命の頂点に立つと言われているあの!?そんなのが乗り物??
しかしよくエイマーの説明を聞くと、俺の考えとは違った存在のようだった。
俺が考えていたのはよくゲームでボスとして登場するような凶悪な龍だが、エイマーが言う竜は魔物よりちょっと強くて気性の荒い生き物だった。
姿は爬虫類が大きくなったような存在で、元来の気性が荒くても卵から丁寧に育てた個体は人懐っこく育ち、持ち前の脚力で人や物を運ぶ運搬竜や乗騎竜として人と共存しているらしい。
この砦には騎士が遠征の際に乗る地竜が飼われており、それを借りて行くのだそうだ。
ちなみに後に乗った時に体感した速度は時速六十キロ程度だった。
慌ただしく二人が出て行くのを見送って俺は残りの材料で他の薬を先に作る事にした。
解熱剤は解熱作用のある水星草を多く使用して、聖霊水と青香草を混ぜて煮詰め、シャンの水魔法で冷やした物を用意している。
皮膚薬はまずひりひりした痛みや痒みを和らげるためにジビリ草を入れ、塗り薬には定番のメギリ草、そして皮膚の再生に効果のある天使の繭を一緒に煮詰めて解かす。
天使の繭は名の通り天使が住んでいそうな程純白の繭で、強く掴むとたちどころに形を崩してしまう程繊細な物だ。
一説には精霊が生まれる前に住む為の仮宿と言われているが、実際は極小の虫が三か月程かけて作った繭だ。
虫は繭と同色で良く目を凝らしてみないと判別がつかない。その虫も眉を作ると一ヶ月もしない内に外に出て行ってしまうので、繭が出来てから四か月目が採取できる時期となる。
これは家の裏の木に良く出来ていたので、俺が興味半分で集めていたものだ。
綺麗だからこれで糸とか作れないかと思っていたのだが、脆すぎて糸には出来なかった。
代わりに再生効果が強い事が分かって、広範囲の塗り薬に使うようになった。
二つの薬を作っている間に一回ユディさんが帰ってきて、人工魔晶石を置いて行ってくれた。
想像していたより小ぶりだが、予想していたより多くの魔晶石が出来ていた。これならしばらくは持ちこたえられるだろう。
現在も出来続けている人工魔晶石は火属性の物を集めてキースが持って来てくれるそうだ。
遠くで砦から何かの足音が遠ざかって行くのを聞いて、エイマー達が出発したのを知った。
俺は手を止めずに作業を続けた。
作った薬はエイマー達の代わりに使用人の女性が取りに来てくれ、一部の元気を取り戻した騎士が喜びの声を上げて泣き、それにつられて他の見守っていた騎士も泣き出していた。
砦全体で看病に当たっている様子が分かって、俺は今やりがいを感じていた。
責任が重くなるのは嫌だけど、やっぱり人の役に立てるのは嬉しいのだ。
それも俺にしか出来ないやり方で、俺を必要としてくれた人のために動けている。
これ程嬉しい思いを俺はしたことが無かった。
―なんかいいなぁ…こういうの…
もしかしたら俺は人の役に立つことをしたかったのかもしれない。
過去流されて生きていた時には誰かに必要とされる事も無かったと思う。
人間に成る意外の生きる目的がなんとなく見えてきた気がした瞬間だった。
薬作りに集中している間にエイマー達が戻ってきて、道具箱から大量の純油の若実を取り出した。
ずいぶんと大量にと思ったら、若木全部をまわって収穫できそうな物はほとんど取ってきたそうだ。
やりすぎと思ったが、エイマー達が一生懸命やってくれたことだから、有り難く使わせてもらう事にした。
俺はそれから二日間寝ずに薬を作り続け、砦の中は一通り病の影は消え去り、通常通りの雰囲気を取り戻すに至った。