26話 砦
日が昇る前に起き上がると、見張りはエイマーからユディさんに代わっていた。
ユディさんに挨拶をして、冷えた身体を焚き火で温める。この時期まだまだ朝と夜は冷える。
「ユディさん、交代しますか?少しの時間なら俺とシャンで見張れると思うんですけど」
「あらありがとう。でももうすぐエイマーも起きるだろうから、このままで大丈夫よ」
俺の提案をやんわり断って、ユディさんは再び手元の作業に集中し始めた。
二種の太さの違う白い糸を使い分けて、細い小さな鈎針を動かしてレースを編んでいる。
細やかに動く指先に白い糸は踊るように動き、繊細な模様を浮かび上がらせている。
料理に置いては不器用なユディさんだったが、反面裁縫は超が付く程に器用だった。
その器用さの偏りは慣れがあるかどうかの差だった。
屋敷で暮らしていた頃、彼女は貴族の令嬢という立場から家事の一切は雇われた使用人がやっており彼女は関わる事が出来なかった。
旅に出るまで料理は他人が作ってくれるもので、自分では包丁すら持った事が無かったのだから、料理が出来ない…苦手なのも当然であった。
貴族の令嬢としての教養を学ぶ意外これと言ってやることがなく、彼女が唯一の趣味としていたのが裁縫だった。
しかし裁縫も針や鋏を使うような手を怪我をする可能性のある物はさせてもらえず、許されたのは編み物のみだった。
暇があれば作り続けた結果、趣味が高じて売り物に出来る程細やかで美しいレースを編めるようになったのだ。
旅に出た間も時間がある時はこうして編み続けているのである。
「上手ですね」
「これくらいしか人に誇れる特技がないのよ」
「一つでも誇れるものがあるなら、それは幸せな事だと思いますよ」
たった一つでも自分にとって大切な物や得意な事があれば、それがその人の個性となるのだ。
以前の俺には何もなかったが、今の俺には錬金術がある。
錬金術があるから俺はこの世界でもなんとかやっていけているのだと思っている。
ユディさんと取り留めのない話をしている内にエイマーが起き、朝食を食べてから出発した。
草が生えて道が隠れ始めている街道を進みながら、途中襲ってくる魔物を前衛をエイマーとユディさんが、後衛を俺とシャンが務めて倒していた。
昨日のように脅威となるような魔物は現れず、次々と薙ぎ払い、倒した相手から素材を取り、特に苦戦する事も無く順調に旅は進んだ。
戦闘中、自分の身を守る程度であったが俺も長杖を用いて、何頭か倒す事が出来た。
エイマーから指導を貰いながら、戦闘での動き方・武器の扱い方・敵の行動予測の仕方などを学習していった。
今はこの街道に現れる程度の魔物なら、相手の攻撃を避けて自分の攻撃を当てる事が出来る程に成長していた。
これなら護身術としては十分だろう。エイマーからの報酬は今日で受け取り完了ということだ。
「簡単には負けないようになったが、まだ一人で戦うなど出来ないからな。調子に乗って危険な事はするなよ。今後外を旅する予定がある時はちゃんと護衛か仲間を連れて行けよ」
「わかってるよ。マルティノーに着いたらしばらくは動かないつもりだし。二人は着いたら何する予定なんだ?」
「特には予定はないかな。その町の風習を見たり、土地ならではの食べ物を食べたり、ギルドの依頼を受けたり…」
「要するに観光と仕事か」
二人の旅の目的が見識を広げて国の各所を回ることなのだから、観光となるのは分かる。
仕事も旅の資金を工面するためなのだろうしこれも分かる。
ただ俺の中でこの世界の旅は危険が伴い、旅は大きな目的を持ってするものという想いがあったため、二人の自由気ままな旅というのが少し意外だったのだ。
戦える強さがあれば魔物が出ようと旅は危険な物ではないのかもしれない。
魔物との遭遇が少なくなってきたなと思っていたら、砦が見えてきた。
この辺りの魔物が少ないのは砦に詰めている騎士が定期的に駆除をしているからだとエイマーが教えてくれた。
駆除という言い方に、魔物は人間にとって害でしかないのだと感じた。
砦に近づくにつれ、その重厚な姿に俺は圧倒されていた。
大きく加工された石材を綿密に積み上げ、高さはビルの五階から六階相当あるだろうか。
砦に入るための門も高さ三メートル横幅五メートル程度と、人が通るためにしては余計な程大きく設置されていた。
門の傍に立っている騎士に砦を通してもらおうと話しかけた。
「この向こうのマルティノーに行きたいんだが、通してもらえないだろうか?」
「あんたたち、身分を証明できるものは?」
エイマーとユディさんは冒険者カードを見せ、俺の事は二人が保証するという事で納得してもらった。
ここでもエイマーの特B冒険者という肩書が効いたようで、それだけ特Bのランクがすごい物なのだと再認識した。
ちなみにシャンは例のごとく人形に扮しているので、騎士に問い詰められることは無かった。
「なるほど、通って良い…といつもなら言えたんだが…今は通せない」
「なぜだ?ここを通らねばマルティノーには行けないだろう。砦に何か問題でもあったのか?」
「まぁ…そんなところだ」
砦の日の影となるところを見ると、俺達と同じように通してもらえなかった人たちが多く集まっていた。
その人たちは冒険者であったり、旅人であったり、または商人であったりする。皆予定通り進めず、通れる目処も立たず、いらだちを隠せないようだった。
俺達も急ぐ旅ではないとはいえ、食料はこの三日分しか持って来ておらず、俺は大丈夫でも二人はここでの足止めが長引けば食料不足で無事では済まなくなる。
いや、俺も大丈夫とは言えないか…
家から十分な魔晶石を持って来ていたのだが、この旅で予想より遥かに早く魔晶石を消耗していた。
村で滞在中に魔晶石の確保ができず、此処までの道のりで戦闘にも魔晶石を使ったものだから、俺の補給用の魔晶石があと少ししか残っていないのだ。
つまり俺もここでの足止めが長引けば、唯では済まない。
何とか通れないかと考えていると、エイマーが騎士にあの手この手で聞き方を変えて問い詰め、騎士の硬い口を割って事情を聴き出していた。
俺達はその様子を少し離れて見ていた。
特Bの肩書きは相手の信頼を得るには非常に有効なのだと、エイマーは後で笑って言った。
「どうやら今砦の中で病が流行っているらしい。感染力が強く、砦を通った人間にうつれば都市にまで病が流行る可能性があるから、この砦から病を出さぬよう封鎖しているんだと」
門の外で見張りをしている騎士は幸いにも病にはかからずに済んでいる数少ない一人なのだとか。
エイマーはそれでは砦を閉めるのも仕方がないと納得していた。
この時代、病の原因を突き止める事は難しく、病に効く魔法も薬も数が無いため流行り病を防ごうと思えば接触を避けるしか方法が無いのだ。
怪我に効く魔法・薬は多くあるのだから、病にも効く物も他にも沢山あるはずだと国を挙げて研究をしているらしいのだが、今一つ成果を上げられないでいるのが現状だった。
エイマーもユディさんも納得しているなら、俺がとやかく言う事は出来ないな。
「と、言う訳でだ」
エイマーは俺の腕を掴んで、再び砦の騎士の前まで連れて行った。
なんだろうとされるがままになっていたら、エイマーは俺の肩を掴んで騎士の前に立たせた。
「こいつはな、凄腕の薬師だ。大怪我だろうが流行り病だろうが、こいつの薬に掛かればすぐに治る」
「なに!それは本当か!?」
「ああ本当だとも。こいつは何でも治せる。だから治すために砦に入れてほしいのだが?」
騎士は信じられないという驚きの表情で俺とエイマーの顔を交互に見比べた。
だが俺も信じられない思い出エイマーを見ていた。
「(エイマー!?何を言っているんだ!?さすがに何でもは治せないぞ!)」
「(なんとかしろ。じゃないと一月はここを通れないぞ。大丈夫だお前なら出来る)」
「(んな無茶な…!)」
エイマーは本気で俺が何でも治せると信じているようだった。
俺はとんだ無茶振りに頭を抱え、それでも何とか出来ないかと方法を考えて始めていた。
必死で考え始めた俺を見て、エイマーは何とかなりそうだと判断した。
エイマーの中ではエリクシールを作れるような出鱈目な奴なら、病の一つや二つ無理矢理治せると考えていた。
「砦の中に入れるかどうかは上に確認を取ってからでないと、俺では何とも言えん。しばらくここで待っていてくれ」
騎士は大きな扉の横に付けられていた小さな扉から砦の中に入って行った。
騎士の出入りはその扉から行うようだ。さすがに一人が出入りするために門は開けないか。
十数分ほど経って、騎士は一人の人間を連れて戻ってきた。
見るからに位の高そうな服を着込んでいるが、がたいの良さから見てこの男も訓練された騎士なのだろうと推測した。
この砦の責任者と紹介された男性は強張った顔つきで俺達を見つめた。
「あなたが凄腕の薬師なのか?」
薬師と紹介された俺を見て、男性は胡乱げな様子で顔を顰めた。
いつもなら俺は深いな気分になっただろうが、男性の様子を窺って、何とも言えない気分になった。
ずいぶんと男性は疲れているようだった。髪は力なく垂れ、何日も寝ていないのか隅が深く刻み込まれ、肌の色がどことなく青白い。
砦に詰めていた人間が病で動けず、砦が機能しなくなり、すべての責任が男性に圧し掛かっているのだろう。
こんな状態になっている人を目の前にして、出来ない等と俺は言えなかった。
「凄腕かと言われれば自分ではまだ足りないと思っていますが、薬作りに関してはそこらの同業者に負けないと自負しています」
「結構、治せると言うのなら是非治してくれ。今はどんな可能性にも縋りたいのだ」
男性は深く息をはき出して、俺達を砦に入れることを許可した。
砦の中の一室を貸し与えると言い、傍にいた騎士に砦の中の案内を命じて男性は砦の中に戻って行った。
命を受けた騎士は俺達を砦の中に招き入れ、扉を閉めた。
扉の向こうから俺達が中に入ったことを問い詰めるような声が聞こえたが、俺達より前から待たされている人からしたら、後から来た俺達が優遇されたように見えたのだろう。
待たされている人が暴動を起こしたりしないように早期に解決したいものだ。
出来るかどうか、症状を見ないと判断が付かないが、こうなってしまったら意地でも病を治してやろうと心に決めた。