01話 街と店
ここは桜の看板を掲げた駆け出しの錬金術師が営む店。
俺―福富春幸は今日もいつものようにやる気無く店番をしていた。
客の入りは一日に一桁程度の少なさだが気にすることも無い。まとめ買いをする客が多いので一人当たりの売り上げがそこそこの額だからだ。
今日の一番の売れ行きは今朝作った焼き菓子だ。ご近所の夫人が友達と茶会をするからとたくさん買っていった。次は薬品かな。
この店は特に何を専門に扱う店と決めているわけではない。
錬金術で作り出せる物を好き勝手に棚に並べている内に『万能の雑貨店』なんていう分不相応な呼び名で呼ばれるようになってしまっていた。
万能などと言われていても作れない物は数多く存在するし、錬金術で作れない物は商品として扱わないという縛りもあるため、野菜や肉、薬草や鉱石などの素材品はこの店では売っていない。
素材品を他店や冒険者から買い取り、加工調合して商品にすることがこの店の基本である。
客の層が一般市民や冒険者が多いため作る商品が日用品や薬品に偏っているが、ごく稀に貴金属や宝石を錬成し装飾品に加工する事もある。
しかし俺は作ったそれらを棚に並べる事はしていない。
錬金術師としては貴重な貴金属や宝石を作り出すことの方を本職とするべきなのだろう。
ただ俺としてはそれをするのはどうも気が乗らなかった。
金属や宝石など買う客が限られてくるし、錬成がとても面倒なのだ。
材料自体は手ごろな鉱石を用意すれば良いだけなのだが、錬成するための特殊機材やら膨大な時間やら、片時も目が離せない繊細な作業やらと、とにかく手間がかかる。
一つ作れは一攫千金も夢ではないが、それゆえに問題にもなる。
安価な元手で莫大な利益を生み出す。商売ならばそれは理想形だろうが、錬金術に置いてそれはしてはならない行為だ。
錬金術師が本気でその術を出し尽くすと、今市場で価値のある物は手間がかかると言っても個人で簡単に作りだせてしまう。
価値の無い屑鉄を金塊に変換する事も容易だ。その結果がどうなるか等、深く考えずともわかるだろう。
俺としては夢を追って問題を起こすよりもひっそりこっそり静かに暮らしていきたいのだ。
多大な労力を払って一攫千金を狙う位ならば鍋一つで簡単に作れる回復薬を大量に作って小銭を稼ぐ方がよっぽど俺の性に合っていた。
回復薬を二・三個売ることが出来ればその日は生活できるのだから無理にお金を稼ぐ必要性も感じなかったのも理由の一つだ。
それに俺の目的とお金はイコールではないからな。
それでもやはり貴金属宝石類の錬成は錬金術師の重要技術の一つであるから、錬成方法を忘れないように偶には作らなければと、極稀に時間があるときに作るようにしている。
これが物好きな貴族の耳に入ってしまったらしく一部で話題となっている、と常連の商人から噂として聞いた。
今のところ俺に何の影響もないから、貴族の暇つぶしの話題となっているだけだろうが、一体どこからそんな噂に繋がったのやら。誰にも言っていないはずなのだが…。
まぁ、貴族を見る機会等『この世界』で生活を始めてから一度も無いから、今後も俺と関わりが出来ない事を祈るのみだ。
―――――
太陽が山の向こうに沈むころ、俺は今日の最後の客でなるだろう帝国騎士見習いの少年を店の外まで見送った。
騎士見習いの名の通り、彼の身に着けている鎧は正騎士のものより幾分簡素で、彼自身もまだまだその身体は城壁の外で任務をこなせる程鍛えられてはいなかった。
ハイル帝国の正規軍は騎士と呼ばれ、階級が上から聖騎士、特級騎士、上級騎士、中級騎士、下級騎士、準級騎士、その更に下に騎士見習いという正式には騎士ではない雑兵が存在する。
聖騎士は皇帝から直接に任命される騎士の中でも別格の存在であり、すべての騎士の憧れともいえる。
現在この帝国には聖騎士は二人存在し、現皇帝の双翼として傍らで皇帝を支え守護している。
聖騎士となるのは皇帝に認められる必要があるが、上級までの騎士は実績と帝国の定める試験に合格すれば、狭き門ではあるが貴族から農民まで身分に関係なくその職に就くことができる。
騎士は有事があれば国民の盾となり矛となって戦う危険の伴う仕事だ。
ひと月前、魔物の群集が城壁の外に押し寄せてきた際も、警備にあたっていた騎士が命がけで魔物の群集の討伐を行った。
彼らのその活躍は城壁内で暮らしていた民衆の心に強く刻み込まれている。
騎士の存在は一般の市民にとって絶対の安心を与えている。
彼らに守られているから安全に暮らせるのだと、この世界では子供の頃から教え込まれているのだ。つまり騎士は身近な英雄として憧れの存在なのだ。
そのため騎士職は平民の少年少女の最も就きたい仕事と言われている。先ほど店に来た少年もそういう類だろう。
彼は最近軍に入隊したばかりらしく、騎士の試験に合格するまでは見習いとして日々鍛錬と様々な雑用をするのだと言う。その雑用の一つとしてこの店に買い出しにやってきたらしい。
様々な種類の薬をメモを見ながら買っていく様子はまるで初めてのお使いをしている子供のようで、両手いっぱいの品を持つ後ろ姿を微笑ましく見守り、つい店の外まで見送ってしまった。
騎士見習いの少年の危なっかしい後ろ姿が建物の陰に入って見えなくなるまで見ていると、目の前を小さな光の球がふよふよと横切って行った。
周囲を見渡すと、ぽつり、またひとつぽつりと何もない薄暗い空間に光の球が生まれ漂う。
ゆるやかに増え続ける光の球は太陽が沈んで闇に覆われる街を淡く照らす。
これがこの帝都の、いやこの世界の夜を照らす一般的な街灯だ。
これを初めて見たとき、俺は幽霊が街を漂っていると思って驚き、内心で恐怖に震えたものだ。
今ではすっかり慣れ、光の球が目の前を横切ろうと手のひらを通過しようと特に気にならなくなったが。
実際のこの光の正体は夜にだけ活動する光属性の微精霊で、人の集落に好んで住み着く習性をもつ害の無い存在だ。
人間にとっても夜を照らしてくれる有益な物なので、光の微精霊と人間は上手く共存しているといえる。
頭に積もった光の微精霊を軽く払い、店の看板を裏返して閉店とし店内に戻った。両手を上げて伸びをしつつカウンターに向かう。
カウンター裏に掛けてあった品目リストを手に取り、店内の品薄になってる物のチェックを行う。
今日は騎士見習いの少年が最後に大量に薬品を購入していったため、薬品類はほぼ全種売り切れ状態になっていた。
リストの薬品の部分にバツ印を付けていく。
後は瓶詰の保存食類も在庫が少なくなっているようだ。
この前大量に作り置きをしたはずなのだが、冒険者連中が遠征すると言って何組も買いに来ていたからか。 これもリストに残数を書きこんでいく。
明日は休店日なので朝から店用の商品と、個別客の予約品を錬成する予定だ。いつも通りの休日である。
…錬金術で魔法の道具を作り出す事をいつも通りを言える程度には、俺もこの世界に染まりつつあるという事か。
非日常であったはずのこの世界での生活を日常として疑わなくなっている自分自身の思考に小さく笑う。
明日に作る物を別紙に書き出し、作り置きの夕飯を軽く食べ、シャワーを浴びて、ランプの明かりを消して、簡素なベッドに身体を横たえた。
この間、開店以来の常連客であるおっさんと過去を振り返るような話をしてから、夜寝る時間帯になると昔の事をよく思い出すようになった。
目を瞑ると走馬灯のごとく、この世界に来た時の事や、それ以前の日本での思い出が頭の中を駆け巡る。
もう帰れない、と悟って途方に暮れ、それでも今でも尚心のどこかで諦めきれない生まれ故郷。
日本で平凡な生活を送っていたはずなのに。もうかの世界で生きていた事が遠い昔のように感じる。
この世界での日々を重ねていく度、徐々に薄れていく故郷の記憶。そのことを怖いと感じて、ぎゅっと両手で身体を抱えて背を丸めた。
遠のく意識の中で、過去を夢に見た。