10話 月の蜜華
第一章後半開始です。
テロル婆の書斎の机の上に、一通の手紙と、一束の紙が置かれていた。
この世界で紙は高級品とまでいかないが、一般的に気軽に使えるものではない。
この書斎に本はたくさんあるが、これも無理して集めた物だと思う。本は高級品にして一部の人間にとっての娯楽品なのだ。
テロル婆だって新しい紙は滅多に使わなかったのに、それをこんなにたくさん使って何を伝えたかったのだろう。
封もされていない手紙を机に広げ、ゆっくりと一文字ずつ目で追った。
一枚の紙一杯に書かれた文字は俺の心に余さずずっしりと溜めていった。
「ばっかだなぁ…」
手紙には謝罪と感謝が綴られていた。
勝手に生んでしまった後悔と一緒に生活が出来た嬉しさが混ざり合って書かれた手紙だった。
最後に愛しい坊やと締めくくられていて、俺は彼女の息子であり孫であり家族であれたことを、心の底から感謝した。
この世界で初めて目にした人が唯一触れ合った人が彼女のような優しい人で良かった。
読み終えた手紙を脇に置いて、次に紙の束を手に取った。
手紙の中で持っている知識をすべて残すと書いてあった。
軽く目を通してこれがテロル婆が残した研究書であると確信した。
徹夜明けでまだ魔力の補給をしていないが、今はこの研究書を早く読みたい。
一枚目から頭に叩き込むように読み進めていく。
最初は彼女が行き着いた人体錬成の錬成陣と素材、そしてこれでは成功しないという結論の研究報告書だった。
人体錬成は理論が成立しても何かが足りていない。テロル婆はそう感じて錬成を中止したようだ。
次は俺を作った時の詳細なデータだった。
使用した素材と錬成陣手順など事細かに記されている。素材は採取した日付と場所保管方法まで記載してあった。
他のホムンクルスを作るときと分量や方法は変わったところは無いように見えるが…また後でじっくり調べよう。
最後にホムンクルスの成長についての研究がまとめられていた。
これは…
日付を見るかぎり、俺が大きくなりたいと言った時からずっと調べていてくれたようだ。
「俺は自分でなんとかするつもりでいたのに、テロル婆このせいで無理してたんじゃないだろうな…」
なんとなくそう思ったが今ではもう知ることは出来ない。
資料を読み進めて、魔力増強剤を改造することで成長が可能かもしれないと知った。
そうか!
今まで肉体の改造ばかりに目がいっていたけど、ホムンクルスを成立させているのは魔力だ。
人体の構成と素材の量が変わらないのに何故俺は小さいのか。
俺の核となっている魔晶石の大きさだと大きな体を維持出来ないから小さく圧縮しているのか。
そうか、そうか!
作られた当初は魂が無かったから大きな魔晶石だと崩壊したけど、魂が定着している今なら核の魔晶石を大きくしても安定して身体を維持することができる。
ってことは魔晶石を大きくできれば身体大きくすることが出来る!!
「魔力増強剤のもっと凄いのを作れば魔晶石を大きくすることができる…?」
確証は無かいが部の悪い賭けではないはずだ。
テロル婆が残してくれた研究だし、俺自身でもこれで間違いないと思っている。
そうなれば早速作らないと。俺がここに居られるのはあと二週間だけなのだから。
村の人間はここにホムンクルスが住んでいるなど知らない。
そもそもホムンクルスという物がどういった存在なのかも知らないだろう。
いや知っている人間がいる方がまずい。
人体錬成及び人口生命体の錬成は国の許可無く出来ないので、見つかれば見世物になるか、処分か、解剖されるか。
テロル婆にしても許可なくホムンクルスを作った事で死してなお罪罰を背負うことになるかもしれない。
捕まるのもテロル婆が悪く言われるのも嫌なので、見つかる前に出て行くことにする。
テロル婆が村に行ったのは二日前だから、テロル婆が来ない事を疑問に感じて村人がこの家に訪ねて来るまでおよそ二週間と言ったところだろう。
「それまでに最大限準備しないと」
研究書を持って錬成室まで戻る。
その間に寝室によって、眠るように横たわるテロル婆に礼を告げる。
「ありがとうテロル婆、俺頑張るよ」
テロル婆の遺体をどうしようか迷ったが、勝手に消えたら妙な騒ぎになると思い、二週間後来るであろう村人に見つけてもらう事にした。
階段に仕掛けを造って一階に連れてきて、腐らないよう、入念に防腐処理を施してある。
シーツに時間遅延の錬成陣を書き、対象のテロル婆を寝かせ、起動核として皇白草と氷牙鉱を使う。
皇白草はその名のとおりハーブ種の最高品で青白く葉が硬い。食用ではなく香りを楽しむ物でその香りは防腐効果を持つ。
氷牙鉱は牙の様な円錐形をしており、氷の様に冷たく、氷のようには溶けない。
どちらも食品の保存によく使用される物だ。
今回はこの二つを錬成陣で接続して強力な防腐剤とした。
二つの素材に蓄えられた魔力が底を尽きるまで効力は続き、二週間は十分に持つ代物に仕上げた。
俺は寝室を後にし、錬成室で魔力増強剤の調合を始めた。
魔晶石を大きくするほどの魔力が必要なのだから、通常の素材では間に合わないだろう。
家中の魔力含有量の多い素材を集めて来て片っ端から検証と実験を繰り返した。
何度も造っては試飲したが、一日活動するには十分な魔力を得られるものの、全く全然足りない。
「くそっゆっくりしてらんねぇってのに…!」
焦りがつのり、成果が上げられないまま一日、また一日と日が過ぎ、既に一週間が経過した。
家にある素材は粗方試したのに、どれ一つとして成功して居ない。頭を掻き毟り机に額を打ち付けた。
「(考えろ考えろ考えろ考えろってば…!)」
ぐるぐる考えをめぐらせ、思考によって魔力が減り続けていく。
回復と気晴らしのために水の魔晶石の欠片を口に含んで思いっきり噛み砕いた。
ごりごりと音を鳴らしならがら噛んでいて、ふと思い付いた。
「(結局魔力を増やせばいいわけだよな?ってことは普通に魔晶石を原料に使えばいいんじゃないか?)」
魔晶石は魔力の塊である。そんな当たり前の事を当たり前すぎて選択肢から抜かしてしまっていた。
「でも基礎の魔晶石なら普段から食ってる…ってことはもっと魔力が詰まった物を使わないとダメってことだ」
果たしてそんな物は…
――――ある。あるぞ…!
机から床まで飛び降り、地下の階段まで駆けた。
階段を一段飛ばしで飛び降り、途中で踏み外して下まで転げ落ちたが、すぐに立ち上がって目的の本の場所まで再び駆けて駆けて、スピードを出し過ぎて目的の本の場所まで行って本棚に顔面からぶつかった。
それも気にせず本を引っ張り出し、記憶の箇所まで勢い良くめくった。
目的のページ、上から順に指でなぞり、その項目で止めた。
「これだ、月の蜜華」
『月の蜜華』―高山の山頂付近に生え、月の光を吸収する性質を持つ鉱石が変質して魔晶石となったもの。
夜にのみ発見でき、蜜のように透き通った色をしている。光を発する物を蜜華、発さないものを満華と言う。
この鉱石は昼の間は太陽の光を吸収し、昼間に見つけると『太陽の塩華』と言う別の魔晶石となる。
月と太陽は共にこの世界に魔力を供給する巨大な魔力導路であり、その名を冠する二つの魔晶石もまた巨大な魔力を宿すものである。(魔晶石の旅―この世にある魔晶石のすべて―より抜粋)
「これがあればきっと上手く行く、で、どこで手に入るんだ…?」
項目を読み進めて行くと、発見された地点のリストがあった。
五箇所あって、上三つは別の大陸だから無しだ。
あと二つ片方は国の北端だから間に合わない、あと一つこれは…ここから半日程歩いた場所にある裏山の事だ。
ここなら小さいホムンクルスの身体でも時間をかければ行ける…!
俺はすぐに準備を整え、山の方へ向かった。