二時間 そして 血だらけ
そう、これは望んでいたはずの結果
そう、でも現実は辛い
そう、私が行かねばならない
そう、幼き日に戻りたい
そう、今日も日が昇る
そう、私はその前に目を覚ましている
そう、私は眠れない
そう、どこかへ行きたい
コンコン……
午前五時丁度に目覚まし時計のけたたましい音に紛れてノックの音がした。
佐志崇は目覚ましを止めベッドから起きドアを開ける。
「おはようございます」
妻の声はいつもと同じ。
「おはよう」
私の声もいつもと同じ。
もうどれくらいこの会話を繰り返してきたのだろう。最後に妻を抱いたのはいつだろう。
「ご飯が冷めますわよ」
「わかってる。すぐに行くから」
朝の儀式の日本酒を喉に通す。別の酒が好きではない。知り合いの感の鋭い男からのアドバイスだ。オカルトなんざ信じないが今の生活がうまく行っているのは事実である。階段を降りて朝ごはんを食べ終わり新聞を二部目を通したところで運転手が来た。
また分刻みの生活が始まる。
車の中で秘書が今日の予定を言う。聞いていないどうせその場にいけばわかることだ。私をどこへでも連れて行ってくれ、私はどこでもすることがあるといった音楽家がいるそうだがまさしくその心境だ。太陽は元気だな。ふと自嘲的に笑う
「どうされました」
秘書が何事かと聞いてくる。ほっといてくれ。
党本部につく今日の会合で次期総裁が決まるそうだが私は興味など無い。感情なんてとうの昔にすてしまった。今いるのは表情のあるロボット人間。
夢だった。政治家になるのが夢だった。政治家になってこの世を良くしたいと思った。
誰しも一度は夢見るせかい。しかし殆どの人は途中で諦めていく。だが私は諦めなかった。夢を捨てずに頑張ってきた。頑張ってきた結果がこれだ。
政治家になるために好きでもない女性と結婚し子供を三人、男をもうけた。義父は大喜びだ。田舎の長男だったが実家は捨てた。それは夢の代償だ。昔はそれは親に引け目を感じていたが今は親も私の道を認めてくれている。
そこまで来た。家族と青春を捨てて政治家になり党の幹部にまで40代で上り詰めた。時折、雑誌に私のことが書いてある。褒めてようが、けなしてようがどうでもいい住む世界が違う人間の読むものなど興味が無い。
昨晩はニュースショウに出た。私は台本通り党の方針をのらりくらりと批判をかわす。相手は顔を真赤にしているがそれなら政治家になればいいだけだろう。所詮、貴方も夢を諦めた人間だろと心で言って顔は笑顔。
考えたことはこいつはいくら野党からもらっているのだろうかということ。公共の電波で政治家の役職持ちに攻撃するくらいだ金をもらっているんだろう。
ああ、昔は公共の電波という言葉も信じていたな。
私が最後の興奮したのはサッカーを生で見た時だった。それは衝撃で今でもそれは好きだ。しかしロボットにそれは許されない。協会の会長は皇室を差し置いて愚鈍な先輩が名を貸している。たかが数年早く生まれただけのくせに私に偉そうに説教をする。義父がいればおとなしくなるくせに……。
投表の結果は、事前の予想通り。私は一応派閥の長に入れた。死ねば私にお鉢が回ってくる。せいぜい長生きしていくれ。
予期せぬことがあった。二時間時間が空いているという。どういう風の吹き回しだろうか。
珍しく気が利くじゃないか。
「何をされます」
できる男だろう?という表情で秘書が聞いてきた。こいつなりに頑張ったわけか。
「何をされます」
もう一度聞いてくる。
はて、私は戸惑った。私は何をすることがあるのだろう。自由な時間というものを得たのは何年ぶりかわからない。何をしたいのだろう。浮かばない。
でも、悩んでいる姿は見せたくない私の唯一の好きなもの……球技。
「このへんにスポーツする場所はあるのかね」
秘書は一瞬驚いていつもの顔に戻った。
「二時間三千円で遊び放題という看板がありますよ」
運転手が言う。前を見るとくたびれた建物がある。広い駐車場には車一つ止まっていない。
「あそこに行き給え」
「しかし、ボディーガードが……」
「二時間自由ではないのかね」
怒ったフリをすると。
「もちろんでございます」
すぐにご機嫌を取る声を出し車を止めさせた。
「二時間自由なんだな」
「はい」
「じゃあお前も来るな」
私はなれない受付を済ませ、そのスポーツ施設に入っていった。
客は誰もいな……い事はなかった。一人だけいた。
優男で恐ろしく色が白い。スポーツより本を読んでいる方が似合ってそうな男。
男は私と目が合うと近づいてきた。
「おじさん一人」
久しぶりに敬語以外で話しかけられた。
「ああ」
「何をするの? ここは二時間何でもありだよ」
「バッティングはするの?」
「ああ」
なんだろうこの男、今まで出会ってきたどの人間とも違う。柔らかい雰囲気だがなぜだか恐怖を感じる。
私はバッティングをこの男とならんでする。
「あはは……下手だねえ」
「…………」
当たらない。何度振っても当たらない。
「おじさんロボットみたいだよ」
更に十球、私は当てることさえできなかった。まさか自分がここまで衰えていたとは……。
学生時代は体育の時間が終わるたびに部活へ入らないかと勧められた。運動には自信があった。男は心地よい音を響かせて鋭い当たりを連発している。私より30キロ早い急速なのにいともたやすく打ち返していく。
ドンッ
またネットにボールが当たる音がする。私が空振りをした後。
「おじさん、なんで当たらないか教えてやろうか」
「ほう、ご教授願えるか」
「感情を込めるんだよ」
「感情?」
「うん、感情。素直に当てたいと思うことだよ」
「当てたいとは思っているよ」
「そうかなあ。じゃあ今、目をつぶって素振りしてみて」
私は言われたとおり素振りをした。
キーン
という音とともに手にしびれが来た。
あたった?なんで。
「おじさんロボットのふりは辞めるといい」
何をこの男は知っているというのだ。私は夢のために全てを捧げてきたんだ。そのための方策がロボットになることだった。それを会ったばかりの若造が何がわかるというのだ。
「無心も素晴らしい能力です。しかし最大限の感情を込めることはもっと素晴らしい。当てたい。バッティングに必要な感情はそれだけです」
私は若造の言われるままに当てたいという感情を込めてバットを振り続けた。すると半分は当たりその半分は前に飛ぶようになった。
「おじさん。センスいいじゃない」
「うるさい」
わたしはバッティグに打ち込んでいる下手はジョークではない。打つことに打ち込んでいる。
「はい。おわり」
「まだまだ」
「おじさんニ時間だよ」
「えっ」
時計と見るとたしかに二時間たっていた。信じられないくらい、はやいニ時間だった。
わたしが受付を出て車に戻ると秘書が慌てて救急箱から消毒液と絆創膏と包帯を取り出した。手を見ると血だらけだった。そしてそれから痛みが襲ってきた。
消毒液がしみる……しかし心地良い。
「ふふ」
「どうされました」
「君、バッティングのコツを知っているかね」
「バッティングのコツですか」
「感情を込めるんだよ」
秘書の驚いた顔に私は心からの笑顔を送った。




