二度目レテ
「貴方つまらない男ね」
さっきまで、しとやかだった女の表情が突然険しくなった。険しいというより無表情といったほうが正確だろうか。
「どうしたんだい。いきなり」
「つまならないって言ってるのよ」
「だから……」
「貴方私とやりたいの。やりたいんでしょ」
その清楚な顔と服装からは想像もつかない言葉が出てきた。
「……」
男はあっけに囚われている。
「どうしたんだよ。皐月」
彼女の名を呼ぶ。
「皐月?軽々しく呼び捨てにしないで」
「えっ!!いままで……」
「黙っていただけよ。男なら気づいて」
その大きな瞳は冷酷に男を睨む。男の背筋がゾクリとした。
「ご、ごめん」
蛇に睨まれた蛙が命をこうように謝った。
「ごめんなさいでしょう」
「……ごめんなさい」
「バカね」
パシンと平手打ちした。周りの目が一斉にこちらへ向く。男の顔は硬直する。
女は堂々としている。ヒソヒソ、ざわざわ……何事かとざわつく。
「つまらない」
威厳を踏みにじりられた男は何かを決心したかのように体の震えが止まった。拳が握られている。
「あーあ、つまんない。つまんない」
更に皐月は挑発する。
「調子の乗ってんじゃねえ」
男が拳を振り上げたの時、男のからだが宙に浮いた。
「殿中でござる内匠様」
女はニヤリと口角を上げる。
「久しぶりね」
「性格悪いな皐月ちゃん」
「あなたならどうするかなと思ったの」
「私を弄ばないでください」
「黙ってみていればいいのに」
「私がほうっておくわけ無いでしょう」
「そう思ったわよ」
「意地悪だな」
抱えていた男をひょいと投げ捨てた。
「畜生、覚えてやがれ」
面目を潰された男は去ってゆく。
「これから飲みにいかない」
「知ってるくせに」
「うん」
ニッコリと笑顔になった。
「その性格なおした方がいいですよ」
「無理」
「人生はいくらでも変えられます」
「貴方がそれを言う」
「たまにはひにくのひとつもいいますよ」
子供に声をかけるように言う」
「それではまた」
同じように言い返す。そしてお互いに笑う。
皐月は去っていった。
「私は嫌われているのかな。女心は難しい」
「おい。てめえ」
男の後ろから声がした。さっきの男だ。
「人に恥をかかせてただで済むと思うなよ」
「私は鬼ですよ」
「はあ、何言ってんだお前」
「イッツショータイム」
男が声をはりあげた。
「今からマジックを行います仕掛けがわかった方は声を出してください」
平手打ちをした時以上の目が注がれる。
「それでは」
男はしゃがんで俯いた。
そして左手を上げパチンとならした。
「…………」
何が怒るのかと思っていた矢先。男の姿が跡形もなく去った。
「時間を十分上げましょう」
男は息苦しそうに言う。
誰もが今眼の前で怒った現実を理解できない。
確かに男が立っていた。怒りの表情の男だった。手にはナイフを持っていた。
しかし消えた。
「なぜ?」
「なに?」
「どうして」
「うーむ」
幻?蜃気楼?
いやそんなはずはない。男はそこに存在していた。しかし消えたことの説明は不可能。
「消したんでしょ」
コンビニの袋に何本ものミネラルウォーターを入れた皐月が戻ってきていた。至極当たり前。しかし誰も口にできないことを言う女性。
「ハイこれ差し入れ」
優男はガキのように水を次から次へと胃に流し込む。10……いや15本くらい飲んで男の乱れていた呼吸は普通に戻った。
「全く、皐月ちゃんは」
「ありがとうは」
「私が助けたのですよ」
「じゃあ、ありがと」
「心がこもっていません」
「こころをこめていません」
やれやれといった表情の優男。ポーカーフェイスの美女。カップルならお似合いだろう。
だがよそよそしい。知り合いであるはずなのにそうではないかのごとく話す。
誰が見ても二人は普通の関係ではない。男女という意味ではなく。
「じゃあ、今度は本当にさようなら」
「さようならです」
向かい合っていた二人は踵を返し正反対の方角へ歩き出した。
優男の家--
優男はもう30分ほど流し続けた水道の水はわざわざコップに注いで飲む。蛇口に口をつけたほうが早そうだ。しかしそれは儀式のように繰り返される。
「皐月ちゃん。どうして私の気持ちを……」
更に一時間儀式は続いた。
優男は黙祷をする。
そして携帯電話を取る。
「大将、酒注いできます」
そう言うとスーツに着替え外へ出て行った。
どこの街でもチンピラは偉そうに街を歩いている。酒で酔っているはずのサラリーマンたちは自然と交わす技術が身についたようにその男の前は誰も居ない。
チンピラというかヤクザそのもので刺青をこれみよがしに見せつけている。犯罪をしているわけではないので警察は手をさせない。ただ、男が歩いてその前に人がいないだけ。法治国家である以上それは当たり前だが見ていて愉快なものではない。
だがそんな男の足が止まった。止まらざるを得なかった。裏稼業のものだけが感じるオーラをその男はまとっていた。
見た目は優男。
「おんどれ。なんや」
「鬼です」
「鬼?」
「お~にさん、こちら手の鳴るほうへ」
「その鬼か」
ヤクザは納得したその男がそういうのならそうであろうとなぜか思った。そしてそのオーラはとてつもなく大きく、そして表の人間には感じることができない。
「負けるのか」
自然に男は思った。
これまで喧嘩で負けたことはない。武器を使おうが何を使おうが立っていた方の勝ち。そういう喧嘩をしてきて無敗のはずの男がすでに敗北を感じている。
自然と円の人だかりができた。
「ちょうどいいですね」
「な、何がジャ」
怯えている自分にヤクザは驚いている。ただの優男のはず。
しかし勝てるビジョンが浮かばない。何を持ってしても勝てっこない。遺伝子がそう感じ取っている。
「相撲しましょう」
優男の言葉にヤクザは安心した。
これが相撲ではなく喧嘩だったら自分はどうしていたのだろうかと問うてみる。
(逃げる…?オレが)
ファーストワードはそれだった。
「お、おう」
「はっけよーい」
男はすぐに突進していった。ただ前に出ることしか勝機がないと悟っている。
パシューン
誰もが両者がぶつかると思ったその刹那、ヤクザは消えていなくなった。優男は相撲の伝統通り両手を地につけたまま。呼吸だけが乱れている。
「この前のにいちゃんや」
周囲から声が聞こえる。
「この前のマジックの兄ちゃんや」
すべての聴覚がその男に向けられる。何やら面白い話が聞けそうであると皆の本能が感じている。
「マジックとはなんか?」
誰かが聞く。
「この前も、この兄ちゃんは男を消しよったんや。マジック言うて」
普段なら信じられない与太話でも実際、人が今消えている。
「どんなマジックですか」
なまりのない標準語のメガネを掛けた男が聞く。すべての人が聞きたいこと。
「さあてね。種を明かしたらつまらなくないですか」
代わりに答えたのは優男であった。今度は表の人間しかわからないオーラをまとっている。
誰も優男に意見できない。
「貴方はラッキーですね。私のマジックを二回見られて。大体の人は一回で終わりです」
優男は悠然とその場から去って入った。
「おまわりさん大変ですね」
制服の警官に声をかけて。