生きることの薦め
わたしには、その“優しさ”すらもはや、“痛み”としてしか受け止められないのです。
わたしが此までに、抱えに抱えた悲しみ、犯しに犯した罪、それら無数の闇を。そう、その手で撫で回すかのように慰め、囁きかけられると……このこころはもはや、恣意的に呼び起こされた自己嫌悪で溢れかえり、その勢いを止めることが出来ないのです。
意図せず強く溢れる“感情”は、行き場を失いましたが、わたしにはそれで良かったのです。もう、何にも触れたくない、当たり散らしたくもないのです。
どうかどうか、これ以上優しくなどしないでください。その“優しさ”はもはや、わたしのこころに、理不尽にまみれた世界を許す猶予を与えるための、凶器でしかないのですから……。
「どうか。ここではない場所は、ちゃんと『幸せ』でありますように」
自暴自棄の方法は、既に尽きました。
布団の中でのたうち回り、今も尚、闇に深く深く沈みながら、こうして何かを訴え続けるのです。
それでも、わたしは生きています。
理不尽な世界に勝手に産み落とされ、勝手に生きることを義務付けられても尚、わたしはこの世界を捨ててなどいないのです。
これが“潔”でなくて、なんでありましょうか。
……などと一人考えながら
「あー、全く。私なんかこの世に産んで。知らないからねー。好き勝手に生きさせてもらいますからね」
と、今年もひとつ歳を、図々しく頂戴するのでした。