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ナイトメア・アライアンス  作者: サキ
二章
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二章 Ⅵ

 


   ◇◆◇◆◇◆◇



 理事長の言葉を思い返し、夜紘は、憮然とした表情で体育館に入った。既に新入生の団体が列を成している。遅れて登場した夜紘を見咎める者はいなかった。教師陣はステージ側に固まっていて、上級生たちは入り口とは反対方向にいる、新入生がみな座っているとはいえ、喧騒の海に沈んだ場内では、夜紘が入場したことに気付く人間は僅かだった。

 確か、クラス順に並んでいたはずだ。A組の列を探すが、まだ自己紹介すら済ませていないのだから、顔が分かるわけもない。適当に左端の列の最後尾に並んだ。A組なのだ、右端か左端のどちらかしかあるまいと、投げやりに。


 マイクを握る上級生の顔には覚えがあった。自身が入寮した日に、引越し手伝いをしてくれた候補生だ。何だか嫌にびくびくしていた憶えがあるのだが。はきはきと軽快に喋り、笑いを誘っている今の彼の姿に、夜紘は齟齬を覚えた。だがそれも数秒のことで、すぐに視線を逸らす。学院の説明など、もう嫌というほど聞かされたので今更だ。


 皇黒学院は、その阿呆のような敷地面積をフルに活用し、様々な施設が複合されている。一棟丸々が図書館として利用できるし、学食も一般ホテルのホールくらいはある。学校裏の坂の上にはギリシャの神殿を彷彿とさせる造りの競技場があり、それとは別に運動場がある。購買は街中のコンビニよりも立派なものだ。夜紘が学院に来て驚いたものが、温泉である。大衆浴場など行ったことのない夜紘にとって、行きたいと思うような施設ではなかったが、その存在は強烈な印象を彼に与えた。


 大浴場の使用は十時までです、最近は長期休暇だったせいか上級生たちが羽目を外して時間外使用をしているようですが、不正利用者は処罰の対象ですよ~。


 呑気な声音で、説明をする候補生。ふんと、退屈そうに夜紘は鼻を鳴らした。壁に寄りかかって足を伸ばす。お嬢様の試験が気がかりではあったが、どうすることもできない。ただの罰則で済めばいい、特待生なんて騒動の根源たる栄光はこの際いらない。好きに剥奪すればいい。だが、退学だけは困る。まだ、自分には成さねばならないことがあるのだから。


 結局、蓮杖に問い詰めたかったことの根幹を口に出すことはできなかった。自身を推薦した張本人のくせに、肝心の部分ではいつも逃げて、己の前に姿を出そうとしないあの老獪を出し抜いてやろうとメアの提案に乗ったのに。これじゃあ無駄骨もいいところだと、夜紘は舌打ちを漏らした。上級生の方から、笑いが零れる。どうやら、司会は結構、上手らしい。


 メアが、なぜ召喚士の名門である皇黒院本家の人間でありながら召喚術の教育を施されなかったのか、理由は才能のなさだけに起因するとは到底思えなかったが、彼女の過去がどうであろうと関係ない。だが、結果として己の未来が奪われかけている現状は非常にまずい。あのお嬢様がいかに責任を持って事態に臨もうが、好転の兆しは見えない。失敗したらそこまでだと、彼女は分かっているのだろうか。罰せられるのは自分だけではないと、充分に理解しているのだろうか。

 鬱憤と不安が交互に押し寄せてくる。皇黒院の人間は、どうしてこうも己の心を掻き乱すのが得意なのだろうか。苛々する。


 試験が始まってから、細工をするのは容易いだろうか。今から魔法陣を形成しておいて、彼女の試験開始と同時に自身も術を発動させれば、彼女が召喚したように見せることもできなくはないかもしれない。だが、魔法陣が発動した際の光を誤魔化す手がない。下手に手を出せばその時点で不正が発覚する、かと言って、己の未来が潰える瞬間に立ち会いたくはない。体育館を出て召喚すれば不正はばれないが、メアの召喚にタイミングが合うかは難しいところだ。ずれてしまっては周囲の人間に怪しまれる。

 時間が空いたことで魔力は幾分か回復しているようだったが、環境が整わねば召喚術は使えない。とことん運がないと、夜紘はこめかみを押さえた。早朝に目が覚めたのは藍川たちを予期してのことではない、きっとあの迷惑なお嬢様を予知してのことだ。


「お楽しみの候補生による一大イベント――と洒落込む前に! 本日、特別ゲストによるスペシャルなプログラムがあるんですよ。さあさあ、新入生諸君、立って立って。在

校生も、腰が重いだろうが立った立った」


 候補生が、先ほどよりも若干、テンションの高いトーンで言う。説明会は、あれこれと考えているうちに終わっていたようだ。ぞろぞろと立ち上がっていく周囲に紛れて、夜紘も立ち上がる。立ち上がる間際に、候補生の背後に立つ帽子姿の少女が目に入った。遠目からでも分かる、皇黒院メアだ。

 試験が開始されるらしい。しくじったらぶっ殺す。怨嗟の念が多分に含まれた瞳で少女を捉えた。すぐに人の壁ができてしまい、メアの姿は隠れてしまう。ざわりと、空気が一変する。和やかな空気に投じられた異物は、瞬時に発火したらしい。皇黒院の象徴たる黄金色の瞳は、彼の一族の栄光の証だという。夜紘からしてみれば忌むべき禍星に過ぎない。

 メアがマイクを握ったようだ、響く彼女の声に、夜紘は唇の端を噛んだ。

 皇黒院という存在はあまりに大きい、この学院の生徒にとって、数多の召喚士にとって、この基世界において。彼女の実力なんて見るに堪えないものに決まっている、少なくとも、蓮杖はそう言っていた。無理をしても無駄だと。だが、彼女の名前は伊達では済まない、皇黒院と名乗れば、世界中に問答無用で通用する。実力など二の次で、名前だけで圧倒すれば或いはと、そう思っていたのに。


(何を挑発してるんだ、あの馬鹿……!)


 苛立たしげに床を踏む。ざわめきは広まる一方だ。――皇黒院だってさ、マジかよ、すげぇー、何で今更入学試験? 俺らが判断するとかねぇわ……。もう入学でいいじゃん、だって皇黒院の人間なんでしょ~?

 様々な言葉が飛び交う。壁に身を寄せ、夜紘は群れるように背伸びをし、メアを見ようとする同輩たちを冷めた目で見つめた。そうだ、合格にしろ。無能なお嬢様を喜ばせろ。そう心の中で吐き捨てる。

 人々が前へ前へと寄っていく中、一人だけ、身を退いてくる少女がいた。チョコレートのような髪が揺れる。


「メアさん……」


 掠れるような声だったが、近くにいた夜紘の耳にははっきりと聞こえてきた。知り合いか? と小首を傾げた瞬間、夜紘の全身に鳥肌が立つ。臓腑を掴まれたような怖気は、埋没していた彼の警戒を瞬時に呼び起こし、うるさいくらいに心臓の脈を速くした。寄りかかっていた壁から離れ、静寂に塗れた場内に神経を尖らせる。

 誰もが息を呑んでいた、喧騒を失っていた、威圧に喰われていた。

 風はない、しかし、大気が啼く。荒涼とした谷間を思わせるような風が吹いた。気付いたときには、夜紘は前方の人波を掻き分け、最前列でメアを直視していた。暗い色に沈んでいた瞳が収縮する。

 頭を上空から押さえられているような感覚が身体を襲う。圧迫感は恐怖に、恐怖は畏敬に、畏敬は疑問に替わった。風の音はやまない。亡者の叫びはこういうものなのかもしれない。

 大体育館を飲み込んでいく、圧倒的な魔力。不可視のその力は、しかし、形容し難い威圧感となって周囲を舐めていく。発しているのは、十中八九、件のお嬢様であった。


 何が、才能はない、だ。


 ぎり、と奥歯が音を立てる。きしきしと歪んでくのは骨か、それとも別の何かか。

 空中で、光が弾けた。それは、メアの肉体を中心に拡大されていく。ぼやけた光の球は瞬く間に線を成し、文字を形どり、巨大な星を出現させた。床を這うように広がりゆくそれは、間違いなく、魔法陣。メアの唇は動かない、ただひたすらに、孤を描いている。首筋を走る寒気は、状況の異常さを物語っていた。体育館中に展開されていく巨大な魔法陣の中央に立ち尽くす少女の姿に、夜紘は口元を覆う。込み上げてくる吐き気を抑えるように。

 召喚魔は現れない――。だが、この規模の魔法陣を用いて召喚される異世界の住人が如何様な存在か、分からない馬鹿はいまい。卵は落ちれば割れる、皮膚が切れれば血は流れる。そんな当たり前の摂理と同じだ。巨大な魔法陣からは強大な召喚魔が現れる。足下に走る巨大な魔法陣は、異世界と基世界を繋ぐ門にこそなっていないが、これが発動した暁にはどれほどの化物が顕現するのか、想像したくもない。だが、それは充分な成果でもあった。人々が言葉を取り戻す。奇異の目は興奮の色に様変わりし、どよめきは歓声に変わった。


 これほどの魔法陣を形成できる人間など、そうはいない。どういうからくりかは知らないが、空気に紛れる桁違いに高い魔力の密度は気持ち悪いほどだ。潜在能力は、余りあるほどである。ここまでの魔法陣を形成できるのなら、文句は出ないだろう。たとえ不完全な召喚術であったとしても。

 絶対的権力を掌握する皇黒院の人間らしい、実に豪胆な方法で、彼女は周囲を押さえつけてみせた。拍手が耳障りで、夜紘は唇を噛んだ。

 安堵と陰鬱が心中の天候を荒らしていく。やがて静かに消えていった魔法陣の残滓たる光の粒をぼうっと見つめながら、夜紘はきつく拳を握り締めた。喜ぶべきはずなのに、ただ掌だけが痛かった。




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