表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ナイトメア・アライアンス  作者: サキ
二章
7/16

二章 Ⅴ


 ◆◇◆◇◆◇◆


 試験の内容は、メアの裁量に任せると、有村は静かに告げた。事務的な手続きを終え、大体育館に移動する途中のことだった。ローファーが小気味いい音を立てる中、石畳に小さく刻まれているヤドリギを発見し、密かに感動していたメアは、その言葉に目を剥く。


「自由ってこと?」

「こちらとしても、できない要望はしないと言っているんですよ。幼い頃から魔術教育を受けてきたリアさんや蓮見さんとあなたは違う、召喚術なんて本で見て得ただけの知識でやってみただけでしょう。今まで一般教養だけを身につけてきたあなたに、いきなり、異世界構成概念と基世界に対する影響を述べよと言って分かりますか? 地属召喚魔のルーンは何かと聞かれて答えられますか? 純ルーンと簡略ルーンをそれぞれ対応させながら書けと言って書けますか? 詠唱ができても、魔法陣が描けても、あなたはもっと基本的な知識が不足しているんですよ」

「……ごもっともで」

「ですから、あなたが今、できることの最大限を皆さんの前で見せるのです。共に学院で学ぶことになる仲間に認められたなら、私も考えましょう」


 自分にできる、最大限。

 有村の、険しくもどこか穏やかな横顔を見つめ、メアはメモ帳を握り締めた。召喚術に必要な詠唱と、一番簡単な魔法陣は写してきた。それだけで事足りると思った、低級妖精くらいなら召喚できると思った。だが、実際、召喚術は簡単な魔術ではない。


「召喚術は、失敗すれば命に係わります。あなたもそれは、重々分かっているはずですね? 試験の最中に違和感や恐怖を覚えたら、すぐに知らせなさい。これは絶対ですよ。合否にこだわるのはもちろん分かりますが」


 こくりと頷き、メアは右肩に手を伸ばす。無意識のうちに己の肩を掴んでいた。暫く黙ってから、彼女は視線を上げる。


「もし試験が中止に終わったそのときは、私の入学は不可でいい。再試験もいらない。その代わり、夜紘のことだけは許してあげてほしいの」


 巻き込んだのは私だから。そう言って、メアは背後で手を組んだ。


「全く……そこまで気にかけるのなら、最初から巻き込むべきではありませんよ」


 眉間を押さえ、呆れたと言わんばかりに有村が唸る。青いドーム屋根が近づき、メアの鼓動が速まった。それにつられたように、言葉が弾のように飛び出す。


「夜紘の実力を買ったのよ! あいつ、態度は悪いけど本当に凄い奴なの」


 その言葉に、有村は苦笑を零した。学院長なのだから、特待生の実力くらいよく知っているか。己の発言はいらぬものだったと不意に口を噤んだメアに、彼女は一層、苦笑を深くした。「彼はちょっと特別ですからね」と告げる口調には、心なしか覇気がない。


「夜紘の家も召喚士の大家とかなの? ナイトウ、なんて、聞いたことないけど」


 召喚術には触れてこなかったとはいえ、皇黒院の人間である以上、メアは一定層以上の召喚士の大家や魔術師一族のことはよく知っている。それは皇黒院の人間としての教養の一つであり、世界十家の血を引く人間が有していなければならない知識だった。昔から、優れた魔術師の子は優れた魔術師になると言われているが、召喚士にも同じことがいえる。遺伝が才能を伸ばすなんてことはないが、やはり、環境が違えば実力にも差は出る。

 エリート意識は実力を腐らせるなんて全くの嘘で、エリート意識こそが今日の上級召喚士たちを形作っていると言っても過言ではないだろう。世界十家なんて、もろにその風潮に煽られて成り立っている。故に、メアのように召喚術を学ばなかった人間は少ないだろう。召喚士の家に生まれたら、その子も孫も召喚士ないし魔術に関する職に就く、というのは、世界的に普通のことになっているのだ。


 スカートの裾を摘んで、ついていたごみを払い落とすメアに、有村が口を開いた。


「彼はただ、天性の才能だけで力を身につけたわけではないのですよ。相応の努力を……それこそ、血の滲むようなことを経験して、理事長がお認めになるほどの実力を得たのでしょう。正規の試験を受けて合格していれば、私も手放しで彼を讃えることができたのでしょうがね」


 皮肉気な言葉に、メアは小首を傾げた。


「おじい様が直接、夜紘を特待生に?」

「ええ、そうですよ。彼を推薦したのは理事長です」

「じゃあ、おじい様に話なんて、わざわざ私を通す必要もなかったんじゃ……」


 夜紘の言葉を思い返し、メアは更に、首の傾斜を大きくする。どういうわけで、夜紘はメアに約束を取りつけたのだろう。わざわざ理事長に会う程度の願いなら、自分で勝手に叶えられそうなものだ。生徒にあまり関心がない様子の蓮杖でも、自身が推薦した生徒に会うことくらいはしてくれそうだが。

 不思議そうに視線を虚空に伸ばすメアだったが、有村の、それで、用意はできていますね、という呼びかけで我に返る。


 気付けば、目の前には重そうな観音開きの扉があった。時刻は九時四十六分。生徒たちが集まりつつある中、学院長と、その隣に控えたメアは、帽子を被っているが故に目立っていた。その衆目を両者共に気にすることなく、ドアを開く。内部の造りは、メアのいた中学と大差ない。一般的な体育館の姿が粛々とある。講堂のような華やかさはあまりなかった。ただ、赤い絨毯が敷かれていることが特異と言えば特異か。歓迎会仕様だろうが。多くの窓から差し込む陽光が、要所要所に日溜りを作っていた。

 体育館内には、既に、結構な数の生徒たちが入っていた。在校生らしい。二階のギャラリーにも多数の人影があった。


「歓迎会って、何をするの?」


 学院長に頭を下げ、挨拶をしていく生徒たちを見回しながら、メアは有村に尋ねた。


「学院生活や、年間行事、校内の施設利用についての説明を在校生がします。あとは、候補スペリア生企画のイベントの鑑賞がありますね。姉妹クラスの対面もありますか。あなたの試験は学校説明のあと、すぐに行いますよ」

「すぐ……」


 ぽつりと零したメアに、有村が不敵な笑みを浮かべた。怖いですか。そう微笑む彼女に、メアは首を振る。


「怖くないわ、私はやれることをやる」


 その言葉に、有村は頷いた。日溜りが二人を包む。

 進行役を務めるらしい男子生徒に声をかけ、有村はことの次第を説明した。帽子を取って挨拶をするメアの瞳を見るなり、生徒の足が退く。上級生であろうに、どうもこんにちはと、随分と腰を下げながらぎこちなく笑う少年の姿に、メアは若干、不満だった。


 すらりとした女性が、有村の横に並んだ。指通りの良さそうなストレートの亜麻色の髪は、粒の揃った砂のようだ。夜紘を初めて目にしたときに抱いた感想と比類する既視感に囚われ、メアは失礼だとは思いながらも、まじまじと女性を見つめてしまった。頭一つ分は違うだろう、見上げる形になる。つり目がちの双眸は、きつい印象を与える。なまじ容貌が氷の彫刻を髣髴とさせるほど美しいため、一層、近寄りがたい雰囲気を出していた。夜紘に似ていると、心の中で呟く。顔の造りというよりは、雰囲気が。

 有村に何やら仕事の話をしているらしい、小声過ぎて聞き取ることはできない。服装を見る限り、教師だろうか。耳打ちされた有村は一つ頷き、お願いしますとだけ返した。そこで両者の会話が途切れ、メアは、女性と視線がかち合う。目を逸らすことはせず、にこっと社交辞令的に微笑むと、女性は僅かに目許を痙攣させた。

 そんな女性の、訝しむような態度に、有村が注釈を添える。


「例の家出娘ですよ」


 酷い説明のしかただった。その通りだが。その説明よりも、ああ、と女性が納得したように首肯したことにショックを受け、メアは所在なさげに爪先を床に押しつける。有村が説明を続け、自己紹介を小さな声で済ますと、女性は、名乗りこそはしなかったが、会釈し、健闘を、とだけ言って去って行った。その後姿を見送りながら、有村がメアに行った。


嵐山立花あらしやまりつかさんとおっしゃいます。彼女は怖いですよ、怒らせると」


 怒らせなくても怖そうだ、とは、無論のこと、言わなかった。


 十時が迫る中、在校生たちは絨毯を挟んで西側に並んだ。ステージの脇で、有村と並んで新入生が扉から入ってくるのを目にしながら、メアはぼんやりと、手に取った帽子を見つめる。持ち主に返さねばならない。すっかり忘れていた。

 ――もし入学できたなら、冬紀と同じクラスがいい。

 そう心の中で呟きながら、どこか不安気な足取りで絨毯の東側に立ち、上級生たちと対面する新入生たちを見つめる。ここからでは冬紀の姿も、夜紘の姿も見えなかった。冬紀は間違いなく、あの群集の中にいるのだろうが、夜紘はどうだろうか。まだ、祖父と話しているのだろうか。

 思案するメアをよそに、十時を告げる鐘の代わりに、マイクの大音量が響いた。


「ようこそ新入生、世界に名高い皇黒学院へ。司会進行を務めるのは、二年C組候補生、斉木翼さいきつばさです、お見知りおきを」


 先ほどまでの引け腰はどこへやら。別人のように爽やかな笑顔を浮かべ、揚々と喋る斉木という少年の姿に、メアは目を瞬かせた。斉木の説明は、時折ジョークを交えながら軽快に続いた。新入生の方からはどっとした笑いこそ飛び出さないものの、在校生のリアクションはそれなりに大きく、会場内は徐々に和んでいるようだ。

 その空気だけを感じ取りながら、しかし、メアの耳は完全に斉木の説明を聞き流していた。脳に上手く伝達されない言葉が宙を舞う。手が熱かった。無意識に閉じていたらしい拳を開き、メアは苦笑を浮かべる。皺の狭間に僅かながらとはいえ浮いた汗は、緊張を表していた。認識した瞬間、鼓動が大きく跳ねる。

 それは深淵たる恐怖の始まりにも思えた。だが、それ以上に、純然たる歓喜の震えだと受容した。

 姉が見ていた世界を見ること。同じ位置から、目線から、見渡すこと。

 封じ込めてきた自身の欲を思い出し、少女は押し殺すように笑った。

 有村が、意味深な目で彼女を見る。その視線に気がつき、メアは丸い双眸を半月の如く細めた。果実のような唇が律動する。音は乗らない、聞こえない。だが、真意は有村にしっかりと届いていた。


 だいじょうぶ。


 有村が心の内で反芻していると、メアはにいと笑みを深めてピースサインを見せた。唐突に幼くなったような彼女に、学院長は滅多に人前で崩さないポーカーフェイスを乱す。やれやれと言いたげに肩を竦める彼女の姿に、メアはただ、色褪せない瞳の輝きを見せるのみだった。

 さて!

 そんな威勢のいい声音が上がる。斉木がマイクを持ち替えた。手を大きく振り、くるりと旋廻させる。ステージの脇で教師や歓迎会実行委員であろう生徒たちに、いきなり照明が当たった。光の塊がぶつけられたために、自然とメアの目は細くなる。影が足下で伸びた。だが、少女の表情には一切の陰りが見られない。


「お楽しみの候補生による一大イベント――と洒落込む前に! 本日、特別ゲストによるスペシャルな特別プログラムがあるんですよ。さあさあ、新入生諸君、立って立って。在校生も、腰が重いだろうが立った立った」


 斉木の突然の指示に、生徒たちがどよめいた。壁際に身を寄せ、体育館中に散らばった生徒たちのお陰で、中央のスペースが上手い具合に空いた。赤い絨毯がもの寂しさを残して横たわる中、こつりと、ローファーが軽快な音を弾き出す。

 押された背中の感触を噛み締めるように、メアは一歩を踏み出していた。有村は今、どんな顔をしているのだろう。気にはなったが、振り返ることはない。次に彼女の顔を見るとき。それは、揺らぐことの少ない有村の驚愕に染まった表情を眼に焼きつけるときだ。そう自身に言い聞かせるメアの全身に、眩い光が押し寄せてくる。

 より大きなどよめきが湧いた。ぽこぽこと浮かび上がるだけだった泡が、熱湯に代わって間欠泉から噴き出したようだ。隠すものは何もない、必要もない。金よりも明度の高い瞳が、世界を捉える。


「これから、彼女――皇黒院メア嬢の入学試験簡略版を行いたいと思います! 僕らがすべきは彼女の合否の決定。採点基準は、彼女が入学生として相応しいかどうか、各自の判断それだけ」


 それだけって、難しいじゃねえか。

 そんな野次が聞こえた。そう言われても……と、斉木が苦々しく笑う。当たり前だった、生徒の意思が採点基準なんて曖昧にもほどがある。確かな答えがあるわけでない採点など、自由などではない、適当なだけだ。だが、本来ならばあるべき定義と点数化された基準内容を、有村は用意しなかった。それはメアのことを慮ったというよりは、逆に、深く彼女を試しているようだった。

 斉木に、マイクを渡すよう促す。きょとんとしながら、彼はやはり、ぎこちない仕種でマイクを突き出してきた。それを受け取り、メアは、人肌で温んだ持ち手を握りこむ。張りついた汗が気持ち悪かった。だが、その不快さが、彼女の頭を冴え渡らせていく。


 私は臆さない。


 凛とした眼差しが、生徒たちの波を見渡した。好奇なものを見るような視線を跳ね返し、メアはすぅと酸素を肺に送り込む。


「私は皇黒院の人間だけど、だから偉いわけでも凄いわけでもない。私には魔術の才能がないわ、それこそ塵ほどもね。それでもこの場所に立っているのは、目的があるから。私は本気でこの試験に懸けている。この場にいる人間、皆が皇黒院の名前ではなくて、私を見て、判断してほしいの。あなたたちと肩を並べる資格があるのか、どうか」


 ざわつきに歯止めは利かない。下手に静寂が場内を支配してもやり辛いと、その喧騒を肯定的に受け止め、メアはマイクを斉木に返した。


「何をやるのかは聞いてないんですが、入学試験ってことは、召喚術使いますよね? 魔法陣を描くのに必要なものを今すぐ用意させ、」

「必要ないわ」


 斉木の親切心から飛び出た言葉を一閃し、メアは首を回す。緊張に塗れるどころか、食い尽くしているようだ。ぽかんと口を半開きに、呆ける斉木は、やや間を置いてから、そうですかと首を傾げながらも退いて行った。

 魔術に詠唱は絶対不可欠で、召喚術はそこに魔法陣が加わる。多くの召喚士は、こう考えているだろう。魔法陣を描く手間さえ省ければ――と。その願いを叶えるべく、召喚魔との契約という術式は生み出されたが、それも完全に魔法陣がいらないわけではない。都合よく、魔法陣抜きで完成する召喚術は、多くの流派が生まれた現代においても存在しない。

 だが、既に魔法陣が描かれているならば、話は別だ。――己の肉体に。


(召喚まで持ち込まなくても、魔法陣の形成くらいなら)


 伏せていた瞳を、限界まで見開く。風もないのに、髪がなびいた。場内が、水を打ったように静まり返る。人々の口を、姿なき何かが縫い止めていく。黙らせていく。

 右肩を軽く撫で上げ、メアは、唇の端を美しく歪ませた。セーブはいらない。全力でやる。館内中に広がる巨大な星を思い描き、少女は虚空に触れた。

 




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ