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ナイトメア・アライアンス  作者: サキ
三章
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三章 Ⅲ




「さあ、行くわよ」


 空は快晴、行く手は舗装道路。勇ましい声を上げた少女は一人、追随する者は誰もいない。しらっとした顔で、夜紘はメアの前を過ぎていく。船頭気取りのお嬢様に方向を指定されては敵わない。


「てか、あんた何組なわけ」


 無視されて不服そうなメアに、夜紘は怜悧な声で尋ねる。どうせ自分と同じクラスに配属されているだろうが。同じことを考えたらしいメアは、自身の顔と夜紘の顔を交互に指差す。「そりゃあ一緒じゃないの、夜紘と」


「……さいあく」

「何か言った?」

「最悪って言ったんだよ」

「そこは『何も』とか、『別に』って答えるところでしょ」

「だったら、俺が何を言ったか聞こえてるくせにいちいち問い返すなよ」

「何よ、これもコミュニケーションの一つじゃない」

「九官鳥でも飼って一人で喋ってれば」

「……あなた友達いないでしょ……」


 ずばり指摘されるが、その程度のことで動揺する夜紘ではなかった。無視を決め込んで、早足で歩く。寮を出たのは八時一六分。走らずとも間に合いそうだ。ぎりぎりの到着にはなりそうだが。

 暫くメアは騒いでいたが、夜紘が返事をしないと悟るや否や、ぶつぶつと恨み言を小声で連ねた後に黙った。いいことだ。やはり煩わしいものは避け、五月蝿いものは無視するに限る。メアとはパートナーなんて関係ではあるが、立場で言えば自分の方が強い。皇黒院の名を傘のように差さないと宣言したのはあちらである、名前抜きの少女一人に恐れを抱くことはないのだ。


 だがしかし、夜紘のように割り切れる人間はどれほどいるだろう。同じ生徒の中で。

 きっと彼女も友達と呼べる人間はできにくいに違いないと、夜紘は心の中で呟いた。そのこと自体は可哀想だとは思わないが、周囲の人間たちの息苦しさを予期すると憐憫の情が湧いてくる。世界十家が一、皇黒院のお嬢様に、話を合わせ頭を下げ笑みを貼り付け。なんとも大変な対応ではないか。青春真っ盛りの時期に、ご機嫌取りに走る大人のようなことはしなくてはならないのだから。灰色の未来を、ここで体験するとは難儀なことだ。

 

 第一校舎が見えてきた辺りで、夜紘は速めていた歩調を緩めた。舗装されていた道路は石畳に切り替わっている。赤いレンガ造りの校舎は、皇黒学院を象徴するものだ。三階建ての洋館風で、三角屋根にはカラスを模した石造が鎮座している。

 「第一」校舎と銘打ってあるだけあり、第二校舎は第一校舎の裏手に、平屋の建物として存在する。そちらにはまだ、夜紘も足を踏み入れたことはなかった。第一校舎は、座学中心の学習をするための校舎で、基本的には生徒はこの校舎で一日を過ごす。第二校舎は実践授業のために開かれる。各教科の研究室も第二校舎に集中しているため、生徒の第一校舎、教師の第二校舎と言ったところだろうか。


 アーチの架かった昇降口には、何人もの生徒が挨拶を交し合っていた。大半が上級生のようだ。始業まであと五分ほどある。腕時計でこまめに時間を確かめ、夜紘は、昇降口前の支柱に貼られた組み分け表に目を通した。新入生は既に、入学式以前に自身のクラスを知らされている。合格通知表に記載されているからだ。このように表を出しておくのは、体裁の意味合いが強い。

 1のA――最上に表記されたクラス名簿の欄外には、手書きで「皇黒院メア」の名前が書いてあった。やはり一緒か。ちらりと横目でメアを見る。彼女は、自分の名前よりも別の名前を探しているのか、一番下に貼ってあったC組から、舐めるような視線で確認していた。視線は徐々に上がっていき、A組へ。ここに名前、と、彼女の名が記載された欄外を指差す。


「あ、やっぱり一緒ね。よろしく、夜紘」

「はいはい……」


 先ほどまでの小言はどこへやら。毒を抜くようなメアの表情に、夜紘は適当に相槌を打った。どうにもペースを乱される。


「あった!」


 既に昇降口の中に入っていた夜紘の耳に、メアの感激に塗れたような声が届いた。何が、とは訊かず、夜紘はロッカーに入っていた上履きを取り出す。高級そうな黒い革製の靴は、上履きとして使うには勿体無い気もするが、これも指定である。夜紘の学校指定の備品――制服、靴、教科書その他諸々は、全て学院側が揃えたものなので、一体、それらが合計何円のものなのか、彼は知らない。だが、見るからに高そうな品々についていただろう値札は0が幾つも並んでいそうだった。


「あと三分でチャイムが鳴る」

 

 爪先を床で叩いて、履き心地を調整する。夜紘の呼びかけに、メアはにこにこと笑いながら走ってきた。名簿でロッカーの順は決まっているが、闖入者たるメアは名簿の最後に名前を連ねていたように、ロッカーも右端だ。そこに上履きは入っていない。


「土足厳禁だから」


 念のためそう告げると、メアは唇を尖らせた。


「分かってるわ、私だって小中と学校に行ってたのよ? カードと現金の区別がつかなくても、上履きと下履きの区別くらいつくわ」


 そう言って、彼女は、持参してきたらしい上履きを見せた。全体的に角ばった夜紘の革靴に反して、丸みを帯びたデザインだ。色は無難な黒だった。


 一年生の教室は三階にある。昇降口の正面に左右に広がる階段は、青い絨毯が敷かれている。左右のどちらから昇ろうが問題はないが、そろそろ急がねばなるまい。きょろきょろと内装を見渡しているメアを呼びつけ、夜紘は二段飛ばしで階段を昇る。

 辺りにいた二、三年生が、面白そうな顔をしながら二人を見送っていた。人の目には慣れている、今更何も感じない。三階に着いたところで、背後を振り返る。ぜーはーと肩で息をするメアと共に、夜紘はA組の表札が掲げられた引き戸の前に立った。廊下に人通りはない。もう授業は始まるのだ、当然だろう。


 息を整えてから、引き戸に指をかける。開けた瞬間、空気が変わった。痛いまでの静寂が肌を刺す。一斉に振り返った、クラスメイトになる人間たちの双眸。そこに滲むのは、夜紘とメアに向けられる特異なものを見る色だった。


「ぎりぎりか。これからは余裕を持って登校した方がいい」


 氷を刺すような冷たい声色が響く。既に着席していた生徒たちは不躾な視線を飛ばすことをやめ、みな前を向いた。教壇に立っている女性の姿に、メアが「あの人……」と声を漏らす。言われずとも、夜紘は知っていた。この学院の教師の中で、学院長と理事長を除けば最も知名度が高いのは彼女だ。――嵐山立花。三審機関お墨付きの召喚士。

 美しい容貌に微塵も愛想はない。ひたすらに怜悧な目は、早く席に着けと無言で告げてくる。長机は四人がけで、二人分空いた席は見当たらなかった。別れて三人しか座っていないところに入る。特待生と皇黒院のお嬢様の登場に、同席となった生徒たちが身を強張らせたのが、夜紘にはすぐ分かった。

 席に着いた瞬間、チャイムが鳴る。ホワイトボード用のマーカーを手にした立花は、自身の名前を簡単に書く。小気味いい音がした。


「A組の担任になった、嵐山立花だ。昨年度までは三年生を受け持っていた。魔術専科は詠唱。一般専科は数学。何か質問があれば答えよう」


 随分と威圧的な口調だ。冷えた声音も相俟って、迫力が半端じゃない。できれば関わりたくないタイプの人間だ、きっと理論で相手を圧倒することに長けている。面倒だ。目が合わないように、夜紘は俯いた。

 質問は出ない。こんな空気で挙手するような奴がいたらおめでたい頭だと褒めてやりたいくらいだ。ちらっとメアの方を見る。が、幸いにも彼女を褒める事態にはならなそうだ。


「質問はないな。では、これから三年間を共に過ごす仲間に自己紹介をするように。そのあと、諸々の説明に入る」


 また説明か。ほとほと、この学校の人間は説明が好きなようだ。

 頬杖をついて、夜紘は欠伸を噛み殺した。どうやら席順は適当なようだ。一番前の席から順に立ち上がって、名前、出身や趣味などを述べていく。規則正しくあ行の苗字から名乗っていない。本当ならば後半であったが、夜紘の番は間もなく回ってきた。少しなりともざわついていた室内が、凍りついたように静かになる。急激な変化に舌打ちをしそうになった。そんなに分かりやすく反応されると少々不愉快だ。


 無藤夜紘ですよろしく。


 一息でそれだけ言う。次いで、渇いた拍手。夜紘の自己紹介が済むと、再び、徐々に熱が上がるように室内がざわついていく。次に凍りつくのはきっとメアのときだ。他人のことに興味はなく、夜紘は冷めた目で窓の外を見ていた。太陽が雲に隠れたところで、聞いたことがある声が鼓膜を打ち、思わず目を向ける。


「美条、冬紀です。島根県の出身です……。よろしくお願いします」


 恥ずかしそうに俯き、しきりに瞬きをしている少女だった。講堂で一人、絶望したような表情をしていた彼女だ、メアの名前を呟いて。最後は何を言っているか分からないほどの小声だった。もしかしたら、メアが探していた名前の主は彼女なのかもしれない。どこに接点があるかは知らないが。予想通り、メアの表情は明るくなっている。きっとこれが終わったら、真っ先に彼女の元に向かうだろう。


 メアの自己紹介になって、やはり空気は凍った。それでも、気にしていないのか気付いていないのか、お嬢様ははきはきした口調で言う。皇黒院メアです、趣味はバイオリンです、でもクラシックの鑑賞は苦手です、魔術はもっと苦手です、この学校には姉を捜しに来ました、よろしくお願いします。――当たり障りのない挨拶の最後の部分で、夜紘は眼を瞬かせた。

 そう言えば、理事長室でもそんなことを言っていた。あのときは感情を制御するのに精一杯で、蓮杖とメアのやり取りなんて殆ど聞いていなかったが、彼女は姉の手がかりを捜しにわざわざ入学までしたのだった。


(俺にも手伝えとか言うかな……。即行で断るけど)


 心中で溜息をつき、夜紘は視線を窓の外に戻す。空は高い。

 彼にも目的がある。学院で学びたいことがある。お嬢様の我侭を適宜聞いて、時々無視して。どのくらいのバランス配分がいいのだろう。行き当たりばったり気味な少女と違って、夜紘はあらゆる面で計算しなくては不安になる。打算的だと罵られても構わない、利己的だと嘲笑されようが気にしない。自分がなりたいのは完璧なヒーローではないのだ。

 自己紹介が終わり、立花が口を開いた。夜紘は思案をやめて正面を向く。


「候補生は、各クラス一名ずつ選出される。そのクラスの代表者だ。故に、最優秀生徒が候補生になることは必然。候補生は生徒が決めるものではない――よって、既に決まっている」


 夜紘の瞳を的に仕立てたように、立花の視線が彼の眼を射抜く。重なった視線を逸らすこともできず、夜紘は立ち上がった。そう指示しているような目だったのだ。彼女は言葉では語らないようだ。

 特待生として正式に受理されたとき、同時に候補生の説明についても受けた。これがただの成績優良者の選出ではないことも知っている。説明されない裏があることも。だが、それを口外することは禁止されているし、言って問題になるのも避けたかった。黙っているのが一番だ。


「A組の候補生は無藤夜紘に務めてもらうことにした。異論のある者は挙手するように」


 立花が告げる。反応は、ない。


「候補生とは別に、クラスの副代表を決めたい。進んでやりたい者がいれば、あとで私のところに来なさい。いない場合はくじで決める」


 立花はマーカーを手持ちぶたさに弄った。やはり、反応はない。

 そのことを気にした風でもなく、彼女は淡々と今後の説明をした。授業は六〇分六時間制、学食の利用は一一時五〇分から、ラストオーダーは十二時四〇分。時間は厳守。部活の所属は自由、今日から見学OK。寮生の門限は七時、届出なしでの外出は禁止。自宅通の生徒も、校舎に残っていい時間は六時まで。届出なしの残留は処罰の対象。大浴場利用の際は寮監に許可を取ること。

 大方の注意事項は、既に歓迎会で聞いていた。いかにも規律に厳しそうな教師が言いそうなことだと、夜紘は息を潜める。堅苦しいのは嫌いだ。

 そうしてホームルームは終わり、休み時間を知らせるチャイムが鳴った。起きていただけましだろう、内容はとんと頭に入っていないが。




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