不貞寝
姫は壁の染みを睨みながら今日のことを思い出していた。
「どこ!? お――」
お父さん、お母さん! そう叫んでしまうのは、絶対に嫌だった。
自分を、見捨てた親を一発ぶん殴ってやらないと気が済まない。
あの時は、混乱状態で家を飛び出してしまった。
だけど、今は違う。
重力制御で、ぶん殴ることだって可能だ。
辺りを素早く見回し、視界を止めた。
父親と母親、そして、黒髪で冷たく鋭い瞳を持った――光山科が居る。
さっき、自分が通った所だった。
トイレと自販機がある休憩所。
人が二、三人居たが気にせず重力を扱う。
元より隠す気などない。
「う、わあああああああああああああッ!!!」
叫び、突進する。
重力の制御方法は、ただ意識するだけでいい。手足を動かすのと同じだ。
重力がどっちの方向に向いているのかさえ定かではない。
ただ、走力を補強している事は事実だ。
六十キロを越えた速度で、三人に近づく。まずは一番の強敵の頬を殴ろうと手を握り締める。
「ふん」
科は、姫に気づき表情を引き締めた。
「アンタらは任務があるんだろ? ココは俺が抑えておく」
「はい」
「頑張ってください聖騎士様」
二人は、ちらりと姫を悲しげな目で見て走り去っていく。どうしたらいいのか、混乱している表情でもあったし、苦々しい表情でもあった。
前に一度裏切られた筈なのに、心が見えない手で引き裂かれるように痛んだ。
何で? 改心したとでも思ったのか? あの二人が?
少しでも、心が痛んだ自分自身に苛立ち、唇を噛み締める。
科は呆然と姫の方を向いている通行人の首を掴み、前へ躍らせた。
「な……ッ!!?」
情けない声を上げている通行人を避ける為に、重力を真上へと向け、飛んだ。
天井へ足を着け、科の元へ向かう。
科は慌てて、キラリと銀色に光る物をジャンパーのポケットから抜き出し、掲げる。針だ。
重力をまたも変更する。身体が軋み、右の太腿の痛みが増す。
多分、再出血した。
思いながらも、右足を気遣う余裕などない。
宙で半回転し、右足で針を蹴り飛ばす。
左太腿に拳が捻じ込むように、入った。姫には、太腿への攻撃は見えず、混乱する。
「あ……ッ!!?」
科が凍えるような視線で姫を睨む。
「空中じゃあ、真下の攻撃への反応が遅れる」
更に宙に浮く左足を掴まれ、振り下ろされた。
背中が床を叩く。
肺から酸素が抜け落ちた。
更に、腹への重く、鈍い打撃が加わる。足で、踏まれたのだ。
「あ……」
肺から更に酸素が搾り取られ、もがく。
酸素は吸い込もうとするのに、身体がそれを拒否するかのように酸素が体内に入ってこない。
「戦いのド素人だなお前。そうか、だから石を使った戦いを……」
科はまるで勝敗に興味がないとでも言うかのように、何かを考え込む。
「ああ、お前はアイツらの娘か……て言うことは復讐、だな」
「うっさいわね!! どうだっていいでしょ!!?」
激昂する姫を冷たい瞳で見て、困ったように眉根を寄せる。
さっき科に押された通行人が科に食ってかかり、怒鳴り散らす。
「今の何だよ!? コイツ、飛んだぞ!?」
「まあ、飛びましたね。オリンピックもビックリでしょうね」
「ふざけんなよ!! それに俺はお前に、押されたぞ!? 一から一〇まで説明しやがれ!!」
科の面倒くさ気な声に更に怒り、声を荒げた。
「わかりました。なら後日、ココに来てください。全部説明しますから」
すっとジャンパーのポケットから名刺を差し出す。通行人は受け取り、胡散臭そうな目で科を見る。
「十字団? 何だよソレ」
「それも……いや、やっぱりいい」
通行人から名刺を奪い返し、ジャンパーのポケットから取り出したライターで燃やす。
「あ、ちょっとお前何すんだ!?」
「いいんだ」
乱暴に断定して、名刺を炭に変えていく。
「お前だって洗脳されたくはないだろ」
名刺だった炭を小さく息を吹いて吹き飛ばす。
「いいの? 戦力が減るわよ」
「別にいい。こんな奴ら人海戦術でしか使えないし、もう使う必要もない」
感情の籠らない声で科は言う。
「別に、いいってどう言うこと……?」
「お前の知るところじゃないし、俺も知らない。そうだな、指揮に言っといてくれ。逃げるなら今だってな」
そう言って科は姫を踏んでいた足を浮かせ、歩き出していた。
「待て!!」
科の背中に叫んで、飛び上がろうとするが、縫い付けられたように動かない。
服にナイフが深々と刺さっているのに気づいた。
「いつの間に……ッ!!?」
科は、角を曲がったのか消え失せていた。