第7話 会談
数日後。レミくんと遊ぼうと約束していたので、二人でチェスをしていた。
「チェック!」
「むむむ…こうだぁ!」
「はい残念! チェックメイト! ミナ様の負けー!」
「んぁー! また負けた…レミくん強いねー」
「ミナ様が弱いんですよ…」
「へへへ、ごめん」
私、チェスの才能はないな…8歳児に全敗と言う結果に打ちひしがれていたら、ドアが開いてアンジェロさんが入って来た。
「おい、猊下がお呼びだ」
「はーい。レミくん、ちょっとごめんね!」
「いーえ! 片付けておきますね」
「うん。ありがとう」
レミに後を任せて、アンジェロさんの元に駆け寄る。
「どうしたんですか?」
尋ねてアンジェロさんの顔を見ると、無表情。こっちを見ようともしない。ていうか、え、シカト?
なんだか「話しかけんなオーラ」を感じてしまって、そのまま黙って着いて行くと執務室じゃなくて応接間に連れて行かれた。
「お連れしました」
アンジェロさんに促されて中に入ると、ソファにはジュリオさんとアルカードさんが座っていた。
何ィィィ! なんできてんの! 何しに来たのこの人!
激しく混乱しながらジュリオさんの隣に腰かけて、アンジェロさんはジュリオさんの横に控えた。襲撃に来たわけではないみたいだけど…まさか乗り込んでくるとは。ハラハラしていると、ジュリオさんが口を開いた。
「今日はお話があるそうですけど。なんでしょうか?」
そう言うジュリオさんの表情は柔らかい。とりあえず喧嘩腰じゃなくて安心した。
「ミナを返して貰いたい。頼む」
ある程度予想はしてたけど、アルカードさんは神妙な面持ちで、そう言って頭を下げた。頭を下げた!? アルカードさんが!? 信じられない! 病気か!?
「え、ちょっとちょっと伯爵。頭上げてください」
これにはさすがにジュリオさんも驚いたようだ。
「ミナを返してくれ。私は…」
「あーちょっと待ってください。確かに俺誘拐しましたけど、ここに残るって決めたのはミナだから。ミナ、君はどうしたい?」
切羽詰まった様子のアルカードさんの言葉を遮って、ジュリオさんは私に決定を委ねる。私の答えは当然変わらない。
「私はここに残ります。もう、そちらには戻りません」
アルカードさんを見据えてはっきりとそう言った。視界の端で、ジュリオさんがにこっと笑うのが見えた。いや、ニヤリ?元が優しげな顔だからわからん。
一方アルカードさんは、一瞬ショックを受けたような顔をして、すぐに怒ったような顔になった。
「そう言う事なので、ミナは俺が大事にしますから」
そう言うとジュリオさんは私の肩に腕を回す。それを見たアルカードさんは、ジュリオさんをギロリと睨みつけた。
「ミナに触るな」
あーあー怒っちゃったよ。本当しょうがないな、この人。いつもなら適当にご機嫌取ればいいんだけど、今日は半端じゃ引き下がらないだろうなぁ。
「伯爵、ミナはもう俺のモノですよ。諦めてください」
「黙れ。ミナは私のモノだ。誰にも渡さない」
「ミナが俺を選んだんですよ? 伯爵、あなたじゃなくて」
これは、あれか。一触即発か。あーヤダヤダこの空気本当に嫌だ。あぁ、どうしよう。猛烈にめんどくさくなってきた。レミと遊びたいな・・・むしろ日本に帰りたい。
はぁ、と一つ溜息を吐いて、アルカードさんに目を向けた。
「アルカードさん。何故私がジュリオさんを選んだか、わかります?」
アルカードさんは私の問いかけに、私に目を向けてと言うか睨みつけて、答えた。
「クリシュナと北都から聞いた。取引したらしいな」
あんの裏切り者! って私が言えた義理じゃないけど! もー! 内緒って言ったのに! どうしてくれんだこの後! 全くもう…仕方ないな。
「知ってたんですか。勿論その為でもあります。でも、それだけじゃありませんよ」
溜息半分に口に出すと、アルカードさんはより怒った顔になる。そんな怒らないでよ…怖いから。
「あり得ない、そんなはずはない、お前は取引の為だけに残ったはず、そんな顔ですね。でもそれだけじゃない、単純なことです。あなたより、ジュリオさんの方がよくなった。ただ、それだけです。わかりやすいでしょ?」
若干強気に挑発的に言ってみた。我ながら勇気あるなぁ。じゃぁ、この調子で畳み掛けるとしましょう。
「アルカードさん、あなたは私を人形として扱った。ずっと我慢してました。でも、それでもいいって思ってました。どんな理由があるにしても、アルカードさんが私を大事にしてくれる事実に変わりはありませんからね。でも、度が過ぎはしませんか?」
「さすがの私も顔まで「ミナ」にされるとは思いもしませんでした。私の顔を変えた時アルカードさんは「完璧だ」って言いましたよね。その時は意味が分かりませんでした。でも、今になってようやくわかりました。私が完璧な人形になったって意味だって。」
「あなたがどれほど「ミナ」を崇拝しようが構いませんよ。勝手に憑りつかれていればいいんです。でも、私を巻き込まないでください。私は私です。私は人形じゃなく、たった一人の私として生きていきたい。私個人を見てくれる人の方がいいと思うのは普通でしょ」
よっしゃー! 言った! 言ってやった!これもう勝ったわ! グッジョブ自分! と労っていたら、急に部屋中にアルカードさんのクスクスという笑い声が響いた。
「フッ、なんだ、そんなことか」
どうして、笑っていられるの? そんなこと…? 今この人そんな事って言った? 私がどれほど傷ついたのか、顧みもしないで。
あぁ、本当にこの人は、ひどい人。
「ふざけんなよ」
突然、この部屋では聞こえなかった声がした。
「てめぇ何笑ってんだよ」
「え? アンジェロさん?」
「どんだけミナが傷ついたかわかんねーのか?」
「ちょ、ちょっと、待って!」
慌てて立ち上がって、アンジェロさんの前に行く。
「なんだよ! お前あんな言い方されて悔しくねーのか!?」
「悔しいですよ! それに、アンジェロさんが怒ってくれるのも嬉しいけど…」
「じゃぁ止めんなよ!」
「止めますよ! お願い、あの人には逆らわないで。殺されちゃうから…」
「そうだよアンジェロ、落ち着いて。お前じゃ伯爵には勝てないよ。銃を納めなさい」
いつの間にか、アンジェロさんの手には銃が握られていた。が、ジュリオさんに諭されて、渋々銃を戻し、元の位置に直った。
「アンジェロさん、ごめんなさい。ありがとうございます」
謝っても、アンジェロさんの怒りは収まらないようだったけど、私も元の場所に座りなおした。
「さて、伯爵。さっきのはどういう意味ですか? ミナにとっては重要なことですが、それのどこが「そんな事」だと言うんでしょう?」
ジュリオさんが、腕組みをしながらアルカードさんを見据える。アルカードさんはその問いににっこり笑って答えた。
「私はもうミナを人形扱いする必要はなくなった。私にはもう「ミナ」は必要ない。私に必要なのは亡霊ではない。ミナ、お前だ」
「ミナ」が必要ない? そんな馬鹿な、あり得ない、そんなはずはない。この人には「ミナ」がいなきゃいけないはずなのに。
猜疑に満ちた目をアルカードさんに向けると、再び笑って口を開く。
「あり得ない、そんなはずはない、「ミナ」を忘れるはずがない、そんな顔だな。だが事実だ。もう亡霊に用はない。なんなら、クリシュナと北都に証言させるが?」
自信に満ちた目。信じられない。あれほど妄執していた「ミナ」を忘れるなんて、いっそのこと、どうかしてる。
「仕方ない。では、証言者を呼ぼう」
アルカードさんがそう言うと、影がしゅるんと動いて、クリシュナと北都が現れた。なぜか、二人とも、すごく不機嫌だけど…
「二人とも、今の私の発言に虚偽はないことを証言しろ」
そう言われた二人はプイとそっぽを向いた。
「なーんで僕がアルカードの為にそんなこと証言しなきゃいけないの? 絶対イヤだ!」
「オレも嫌だ! なんでオレがアルカードの点数稼ぎの手伝いしなきゃいけないわけ?」
北都…いつの間に一人称が「オレ」に…イヤイヤ、じゃなくて。なんでこの二人証言渋ってるんだろう。まぁ別にいいんだけど。
「えーと、とりあえず紹介します。子供の方が北都、私の弟。大人の方がクリシュナ。私の夫です」
ジュリオさんはクリシュナとは会っていたけど、北都とは初対面だったから、アンジェロさんと二人で、なるほどね! と言う顔をした。
「お前らどういうつもりだ! 裏切る気か!?」
「むしろ裏切り者はお前だろ! 結局僕が邪魔だったんじゃん! 絶対言わない!」
「自分でなんとかすればいいだろ! 本当アルカード酷い! 最低! 陰険! 卑怯者!エロオヤジ!」
ていうか、なんで喧嘩してんのこの人達…意味わかんないんだけど。少しすると、3人の喧嘩を見ていたジュリオさんとアンジェロさんはニヤニヤしだした。
「お前ら! ミナを取り戻したくないのか!? お前らに掛かってるんだぞ!?」
「だとしても嫌だね。アルカードにやるくらいならジュリオの方がまし!」
「だよねー。いっそのこと、あの後の兄ちゃんでもいいくらいだよ」
「馬鹿を言うな! 私だ!」
「ナイナイ、絶対ナイ」
とうとうジュリオさんとアンジェロさんはクスクス笑い出す。ていうか、意味わかんないんだけど。なんで私だけ置き去りなの? 私当事者だよね?
「え、ていうか、なんで2人は笑ってるんですか? 意味わかんないんですけど」
「お前わかんねーの?」
「アンジェロはわかるよね?」
「ええ、わかります」
「いや、私わかんないんですけど…」
そう言うと二人はゲラゲラ笑いだした。なんだろうバカにされてるのかな、これ。
「はー、おっかし! 伯爵、もういいですよ。十分わかりましたから」
ヒーハー笑いながら、アルカードさんに手をパタパタさせるジュリオさん。いや、私は全然わかんないんだけど。
「はい、ミナ、アンジェロ、集合」
ジュリオさんが手招きするので、傍に寄るように近づくと、ヒソヒソと話し始める。
「これ、どうしたらいいかな」
「いや、ていうか私意味わかんないんですけど」
「とりあえず、伯爵が「ミナ」の呪縛から解放されたのは間違いない」
「えー? 本当に? なんでわかるんですか?」
「むしろお前がわけわかんねーよ」
「えぇ!?」
「とりあえず、伯爵が今後ミナを人形扱いすることはないね。これは信じていい」
「そうなんですか?」
「そうそう」
「わかりました…」
微妙に納得いかないんだけど、二人が口をそろえてそうだというのでとりあえず納得しておくことにした。
「でさぁ、これ、どうしようね?」
「猊下、私ミナ様に聞いてみたいことがあるんですが」
「ウソ! 聞いちゃう!? それ聞いちゃう!?」
「是非聞きたいですね。きっと抱腹絶倒ですよ」
「・・・なにが?」
「でもちょっと可哀想じゃないかな?」
「いいんじゃないですか。伯爵ムカつきますし」
「だから、なにが?」
「はー、めくるめく笑いの予感が…じゃ、解散」
「だからなにが!?」
結局最後まで二人だけで盛り上がって、私は無視されっぱなしで解散し、渋々ソファに座りなおすと、アンジェロさんが近くまで来た。
「ミナ、ここにいるメンバーを今、お前が好きな順番に言え」
「は?」
「いいから、答えろ。誰にも気を遣わなくていいから、正直に」
「えー? 意味わかんないんですけど」
「さっさと答えろ、バカ」
「もう! わかりましたよぅ!」
意味わかんねーし! と、若干憤慨しながら、アルカードさんの方に目を向ける。
「一番は勿論――――――――――――――――
アルカードさんと目が合うと、あまりにも強烈な視線に少し身がすくんだけど、言葉をつづけた。
「クリシュナですよ」
そう言った瞬間、北都とクリシュナは万歳して、ジュリオさんとアンジェロさんは爆笑しだした。
「え? なに?」
「お前ホンット、さすがだな!」
「は?」
「じゃぁ、次。2番は?」
「北都ですけど」
再び二人は笑い出してクリシュナと北都も再び万歳。
「あーこの辺から怪しいな」
「いや、だからなにが?」
「じゃ、次3番」
「えぇ!? えーと、3番はジュリオさん」
ジュリオさんは大喜びしながらアンジェロさんとハイタッチしている。
「はー笑った笑った」
「なんなんですか、本当…」
「聞いちゃう?」
「一応聞いてみましょうか」
「だからなんなの?」
「じゃぁ4番は?」
「えぇ? 4番? うーん、今でしょ? ・・・・・・・・・・・じゃぁ、アンジェロさん」
そう言うとアンジェロさんとジュリオさんは机をバンバン叩きながら大爆笑し始めた。クリシュナと北都も爆笑して「ミナ最高!」「さすがお姉ちゃん!」と賛辞を送ってきた。
対照的に、アルカードさんは怒っているのか、何なのか。なにその酸っぱい表情。まぁ、アルカードさんの事だから怒ってるんだろうけど。
「くっくっくっ…なんで俺が4番なの?」
「さっき怒ってくれたから」
「あー、なるほど!」
イェーイ! とジュリオさんとアンジェロさんはまたもハイタッチしている。本当なんなの? なんでそんなこと聞くの? ていうか笑いすぎじゃない?
「あの、この質問には何の意味があるんですか?」
「別に? おもしれーから」
「はぁ?」
「ちなみになんで伯爵が最下位?」
「いや、だって、アルカードさん最低だし、ヒドイもん」
「あーあ、伯爵、日頃の行いが悪かったんだな。ドンマイ! せいぜいこれから頑張れよ!」
アンジェロさんになぜか励まされてしまったアルカードさんは黒いオーラが目に見えるんじゃないかってほどお怒りだ。
「・・・貴様らその内殺してやる。特に小僧、貴様を真っ先に殺してやる」
「アハハハハ! 怒ってるしー。こえぇー」
「ていうか、なんなの?」
「はい、じゃぁもう一回集合」
また招集がかかって、ジュリオさんの傍に身を寄せる。
「もー! ていうか、なんなんですか?」
「もういい、お前めんどくさい。喋んな」
「えぇ!? ヒドーイ!」
なんなの? と意味わかんない! を連発していたせいか、アンジェロさんには呆れられてしまったようだ。でも、説明くらいしてくれたっていいのに! 私当事者なのに! 内心プリプリ怒っていたら、隣でジュリオさんがくすくす笑いながら口を開いた。
「とりあえず、ミナ、伯爵はもう君を身代りにしたりはしないと思うけど、それを聞いてもここに残るって言う意思は変わらない?それとも伯爵の元に帰りたい?」
「いえ、約束したし、ここにいます。」
「そう。伯爵のこと嫌いになった?」
「いや・・・嫌いにはなりませんけど・・・ジュリオさんと約束したから」
「了解。じゃぁ、解散。」
ジュリオさんの合図で解散して、再びソファに座りなおす。
「伯爵、とりあえずあなたにもう「ミナ」が必要ないという事はわかりました。ミナを取り戻したいのが、代理の為でないという事も。ですが、それは俺にも同様です。結果的には、今度は俺と伯爵の間で、このミナを再び取り合わなきゃいけないわけですが。この際、恨みっこなしで決めたいんですが、どうでしょう?」
ジュリオさんの提案に、アルカードさんは少し考え込むと、顔を上げた。
「いいだろう。その方法は?」
その返事にジュリオはにこっと笑って、答えを言った。
「ミナはさっきの話を聞いてもここに残ると言っていますが、伯爵はミナを取り戻したい。勿論俺もミナを手元に置いておきたい。伯爵は信頼を回復しなければならないし、俺はミナに愛される努力をしなきゃいけない。ならば方法は一つしかありません。これから時間をかけてミナに選んでもらしかありません。これが一番公平でしょ?」
「ですから、ミナを城へ返しましょう」
「えぇぇぇぇ!?」
ジュリオさんのまさかの提案に、その場にいたジュリオさん以外のメンバー全員が声を上げた。
「ちょちょちょっと、ジュリオさん!? 私ここに残るって言ったんですよ!?」
「そうですよ! ミナ様を城へ返すなど、私は反対です!」
「え? なんでアンジェロさんが反対なんですか?」
「うるさい! バカ! お前ちょっと黙ってろ!」
「なんでですか! 私の事なのに!」
「あーうるせぇって! 黙れっつってんだろバカ!」
「アンジェロさんの方がうるさいでしょ!」
「お前の方がうるさい!」
「いや、二人ともうるさいから、ちょっと黙っててくれない?」
「すいません…」
ジュリオさんは私達を見て、はぁ、と溜息を吐いて改めて口を開いた。
「ミナを城に返すことに関しては、3つ条件があります」
「だろうな。なんだ?」
「まず1つ。こちらからそちらに攻撃はしません。なので、そちらも攻撃してこないでください。それと2つ目、邪魔者を暗殺したり、ミナを監禁したり、卑怯な手を使わないこと」
「わかった。3つ目は?」
「俺達、この屋敷の全員も、ミナと共に城に引っ越します。この条件を飲んでいただけないならミナをお返しする事は出来ません。どうでしょう?」
「・・・わかった」
え? じゃぁこの屋敷のヴァンパイアハンターと吸血鬼が同居するの? 私を城へ返すなら、みんなが城に来るのも頷けるけど、それってヴァチカン的にどうなの?
「あの、ジュリオさんは枢機卿じゃないですか。ヴァチカン離れていいんですか?」
「問題ないよ。どんだけ離れようと移動できるし、枢機卿としての権限はあまりないし」
「でも、お屋敷のみんなが嫌がるんじゃないですか?天敵じゃないですか」
「身近で敵の生態研究ができるんだから、かえって喜ぶと思うよ」
「そうかなぁ・・・」
微妙に納得できないんだけど、ジュリオさんが「大丈夫だよ!」と笑うのできっと口手八丁で何とかしてしまうんだろうな、という事にして諦めた。
「じゃ、そういうわけなんで、今月中にはそちらに引っ越したいと思います。その時までちゃんと大事にミナを預かっておきますので、今日の所はお引き取り下さい」
ジュリオさんはニコニコ微笑んでそう言うと、アルカードさんは床に視線を落として立ち上がった。そのまま立ち去ろうとするアルカードさんの背中を見て急に思い立ち、慌てて追いかけた。
「アルカードさん! ちょっと待ってください!」
応接室から出ようとするアルカードさんに駆け寄って声をかけると、すぐに振り向いてくれた。
「どうした?」
あぁ、よかった。声は優しい。もう怒ってないみたいだ。
「あの、クリシュナと北都、返してください!」
そう言って返せ! と手を差し出すと、アルカードさんはチッと言う顔をしてシャツのボタンをはずし始めた。
「勝手に飲め」
「ありがとうございます!」
背伸びしてアルカードさんにしがみついて噛みついた。クリシュナァァ北都ォォ帰ってこーい! と念じながらごくごく飲んで、もうそろそろいいか、と口を離し、アルカードさんから離れようとすると、離れられない。ガッチリホールドされている。
「え? あれ? アルカードさん? どうしたんですか?」
声をかけると、より一層ぎゅぅっと締め付けられて、だんだん苦しくなってきた。
「アルカードさ…くるし、です」
ジタバタしながらそう言ってやっと離してくれた。全く急にどうしたっていうんだ、この人は。あぁ、変なのは今に始まったことじゃないか。
ふぅーと息を整えて、改めてアルカードさんに向き直った。
「ありがとうございました。帰り、お気をつけて」
そう言ってにこっと笑いかけると、急に腕が伸びてきて思わずビクッとしてしまった。アルカードさんの手は、私の顔まで伸びてくると、優しく頬を撫でた。
「アルカードさん?」
「ミナ、お前に辛い思いをさせて、本当にすまなかった。償いは、必ずする」
少し悲しそうな目で、それだけ言うと、アルカードさんは手を離してその場を立ち去ってしまった。その後ろ姿を見送っていたら、途端に郷愁に襲われた。
私はなんて単純なんだろう。
アルカードさんの「すまなかった」この一言だけで全てを許してしまいそう。私はあんなに傷ついたのに、怒ってたし、少しだけだけど憎いとすら思ったのに。あれほどひどい人なのに、やっぱりアルカードさんの傍にいたい。
結局私はアルカードさんが大好きなんだなぁ。あの人から離れられないんだな。
そう思ったら、自分の単純さとか、色々腹が立ってきて、気付いたら壁を思い切り殴って穴をあけてしまっていた。
「ヤバッ! やっちゃった!」
「ちょっとミナ!? 何してんの!?」
「お前何やってんだよ・・・」
「あわわ、ご、ごめんなさいぃ・・・」
ジュリオさんとアンジェロさんにめちゃくちゃ怒られた。
「クリシュナー! 北都ー! 出てこぉぉぉい!・・・・・・・ダメだぁ」
折角アルカードさんに二人を返して貰ったので、早速出そうと試みて、失敗ばかり。どういうわけか、会話はできるけど、二人の影が出てこない。
なんでぇ?アルカードさんは出してたのに…
あれ、でも城に別れのあいさつに行った時、北都がやっと出られたって言ってたな。もしかして、この屋敷の結界のせいかな? 良く考えてみたら、この屋敷に来てから力が押さえつけられてる感じがするし、それが結界のせいだとしたら、二人を出せないのも納得できるなぁ。
アルカードさんが二人を出せたのは、これは、アルカードさんと私の力の差って事かな。むむ!? だとしたら、あの人結界破ったの!? やっぱ半端ないな…
「あーあ、・・・・・変わっちゃったかなぁ」
影出しに奮闘する私を見て、ジュリオさんがボソッと呟いた。
「え? 変わったって、何がですか?」
尋ねると、ジュリオさんは何故か驚いた顔をしている。
「え? あれ? もしかして俺、口に出してた?」
「はい、普通に聞こえましたけど…」
「あいたたたー…はぁ…もう本当、伯爵最悪だよ」
ジュリオさんは額を抑えて、あちゃーと言う顔をして、アンジェロさんは苦笑いしている。
「どうしたんですか?」
「なーんでもない。気にしないで」
「はぁ・・・」