第3話 戦争と封印と散華
「ミナ、ミラーカ、まずは雑兵どもを倒すぞ。ジュリオとの戦闘前に腹ごしらえだ」
「はい」
「わかったわ」
返事をした瞬間、盾にしていたテーブルを蹴り飛ばし、一気に城の外へ走った。城の外に出ると、しんしんと雪が降り積もるホワイトクリスマス。その雪の陰からおびただしい数の銃口を向けられているのが見える。それでも、私達は進撃した。
「インフェルノ・ヴェーダ第一 インドラジット、第二 シヴァ!」
シヴァを構築して、残りの影でインドラジットの雲を作る。シヴァに炎を吐かせると同時に、矢の雨を降らせると目前の敵はもがき苦しみ始める。
だけど、敵の数は2000人。こちらが攻撃している間も無数の銀弾を体に浴びる。アンジェロが使用しているような大口径の銃ではないにしても、厄介すぎる。
2000発の砲撃ならまだしもすべてが銀弾だ。一つ一つの威力は小さくても、既に何十発も撃ちこまれてしまっている。銀弾のせいで、傷が回復しない。痛い。立っているのが辛い。血が、止まらない。
でも、それでも死ぬわけにはいかない。ふと思いついて敵陣の中に入り込むと、あっという間に被弾数は減少した。
機関員たちを盾にしながら斬り殺していくと、陣形を破壊されたために統率がとれなくなっていく。2000対3。この圧倒的な戦力差を覆すには、卑怯な手段でも何でもとってやる。
すると、私を呼ぶ声が聞こえた。
「ミナ様! 俺たちも殺す気なんですか!」
見知った顔。屋敷の使用人たち。彼らも、私を殺すのね。
「あなた達が私に銃を向けると言うのなら、殺すわ」
今更私が情に流されるとでも本気で思っていたのか、私の言葉を聞いた使用人はみるみる顔を歪めた。
「この人でなし! 化け物!」
「そうよ。あなた達が殺さないでと嘆いて、武器を捨てて逃げるなら、聖書を捨てて逃げるなら見逃しもしよう。でも、私に殺意を向けるのなら許しはしない」
「じゃぁ、俺は逃げる! 殺さないでくれ!」
叫んだ使用人は、他の人の顔色を窺うように周囲を眺めて、顔を見合わせている。
「そんなことしたって無駄だよ」
「な・・・?」
「ヴァチカンにはあなた達以外に有効な戦力は存在しない。ヴァチカンの憲兵団なんか役に立たない。私達の餌になるだけ。今更スイスの傭兵部隊やイタリア軍に増援を要請したとしても、到着する頃にはみんな死んでる。なにをしても、無駄よ」
「くっ・・・いやだ! 死にたくない! 殺さないでくれ!」
使用人が泣きながら跪いて縋り付いてきた瞬間、その背後にいた別の使用人が発砲し、右目を撃たれた。
「あなた達は殺すんでしょ。泣くだけじゃ、見逃してあげられない」
縋り付き泣き叫ぶ使用人を一刀両断に切り裂いた。血しぶきをあげて倒れ行く使用人の返り血を浴びながら、畏怖の目を向ける周囲の人間たちに剣を向けた。
「私を殺すんでしょう? かかってきなさい。私は吸血鬼なのよ。人間じゃないわ。全身全霊を以て、命を懸けて攻撃しなさい。それができない者に、私を倒すことなんかできない」
そう言葉を発した瞬間に、一斉に銃口が向けられ銀弾が発射された。それを見計らって大きくジャンプすると、銃弾は対角線上にいた人間に命中し、相打ちとなりその場に倒れこんでいった。
「意外とやるじゃないか」
「バカな人達」
「戦いをなめてるからこうなるんですよ」
着地点にいたミラーカさんとアルカードさんと背中合わせに立つ。私もそうだけど、二人とも全身に被弾して、服を赤く染め上げて、痛みに耐えるように肩で息をしている。
「アルカードさん、ミラーカさん、大丈夫ですか?」
「お前に心配されるようでは私も終わりだな」
「私は辛うじて。でも、さっさとやらなきゃこっちが危ないわ。ミナちゃんこそ大丈夫?」
「あんだけ大口叩いといてなんだけど、実際ヤバいですね。血は止まらないし、本気で痛いです。でも、死ぬ覚悟できてないから、死ぬ気で頑張らなきゃ」
「フフ、そうね。じゃぁ、私も死ぬ気で行くわ」
そう言うと、ミラーカさんはその白く細い指をカリッと噛み、それを見たアルカードさんは顔色を変えた。
「ミラーカ! やめろ!」
「アニマ・コントラクトゥス・オムニス・リヴェラティオ」
「イノンダシオン・デ・ラ・ファン」
アルカードさんの制止を無視してミラーカさんがそう呟くと、ミラーカさんの影が川の様にざわざわと地面を這って広がっていく。黒い影が地を這う様は静かに、不気味で、その様相に人間たちは恐怖した。
「リヤン」
その言葉とともに、影は大きく渦を為し始め、影に触れていた人間たちはその渦にのみこまれていく。
イノンダシオン・デ・ラ・ファン、まさしく終末の大洪水。ノアの方舟の大洪水のように、全てを飲み込まんと荒れ狂う影。
「ミラーカ! お前、やめろと言っただろう!」
「今がそうなのよ。今使わないでいつ使うの?」
勢い込んで掴み掛るアルカードさんにミラーカさんは寂しそうにふっと笑いかける。ミラーカさんが使い魔を持っていたなんて知らなかったけど、何故これほどアルカードさんが怒っているのかわからない。
「あの、ミラーカさんも、使い魔使えたんですね。ずっと不思議に思ってました。ミラーカさんほどの人に使い魔がいないなんておかしいなって。あれはどういうものなんですか?」
「私は封じていたから。今日の日のために。今日で最後にするために。クリシュナを見てわかると思うけど、ノスフェラトゥの血族は影を操るのよ。あの影の川に飲み込まれたら、すべてが無に帰す」
「すべてが無に・・・すごい。でも、今日で最後ってどういうことですか? 封印ってアルカードさんと同じものですか?」
「術者は同じよ。でも、払った代価が違う。アルカードは「時間」と「血」を懸けた。私は、「魂」を」
「え・・・!? じゃぁ、術を発動したら!」
ミラーカさんの言葉と、悲しげに微笑んだその沈黙ですべてを察した。今まで使い魔を出さなかった理由も、アルカードさんが激昂した理由も。
「そんな! やめて、やめてください!」
「もう、遅いわ。発動して、私の命が尽きるまでこの術式は解除されない。そういう、契約よ」
「そんな・・・」
「でも、こんな大がかりな発動は初めてだから勝手がつかめないわ。私の命は、いつまで持つかしら」
「ミラーカさん! ヤダ! お願い、やめてよ!」
平然と言い放つミラーカさんに泣きながら縋り付くと、ミラーカさんは私の頭を撫でて優しく微笑んだ。
「・・・ミナちゃん、あなたを守れるなら私はなんだっていいわ。これが、私の使命なのよ。あなたを命がけで守ることが私の生きる理由であり、死ぬ理由。140年前から決めていた。次に命の選択を迫られた時、死ぬのは私だと。あなたを守って死ぬのが、私の使命なのよ」
「そんなの・・・わかんない! わかんないよ!」
ミラーカさんと問答している間にも、川は私達の周りから城を覆い尽くすほどに広がり、ほとんどの人間は渦に飲み込まれていった。そして徐々に影が引き潮の様に戻ってくるのが見えて、その瞬間、隣からピシッと音が聞こえた。
「あぁ、思ったより早かったわね。もう、お別れよ」
影を引き寄せるとともに、ミラーカさんのその白く滑らかな肌は石化していく。微笑んでそう呟いたミラーカさんの瞳には、大粒の涙が輝いた。
「ミラーカ、逝くな、逝くな!」
今にも泣きだしてしまいそうな顔でそう叫んだアルカードさんに、ミラーカさんは優しく微笑んだ。
「アルカード、ミナちゃん。あなた達に出会えて、私本当に幸せだったわ。ボニーとクライドにお別れを言えないのは悔やまれるけど、ありがとうって伝えておいて」
「や、待って! ミラーカさん、私が血を飲むから、一緒に・・・」
「無理よ、私は魂を捧げたの。今更血を飲んでも無駄なのよ」
「そんな、ミラーカさん、やだ! やだ!」
「ミラーカ・・・何故こんな無茶をした! 私はそうしてほしくはないと言った筈だ!」
アルカードさんは知っていたんだ。ミラーカさんの封印の事を。そして、封印を解放しないように言っていた。それなのに、ミラーカさんは発動してしまった。私達を守る為に。
ミラーカさんはまた微笑んで、大粒の涙をこぼした。
「アルカード、ごめんなさい。ミナちゃん、ありがとう。あなた達は私の大事な家族。あなた達を守って死ねるのなら悔いはないわ。それが私の使命だから。二人が生きていてくれるなら、それでいい。あなた達の事大好きよ。私、本当に楽しくて、幸せだった。ありがとう、本当に、幸せだった。使命を果たせてよかった。あなた達に出会えて本当に良かった。あなた達の傍に居られて、本当によかっ――――――・・・」
ミラーカさんの石化してひび割れた頬を、輝く雫が伝った瞬間、ミラーカさんは石化によって言葉を失い、瓦解した。
「・・・っ、ミラーカ! ミラーカ!!」
アルカードさんが名前を呼んでも、あの美しい声で返事は帰ってこない。
「ミラ、カさん・・・ミラーカさん・・・」
私が名前を呼んでも、あの美しい顔で微笑みは帰ってこない。
「うっ・・・ミラーカさん、ミラーカさん・・・うっ、うっ・・・うぅ・・・」
どんなに名前を呼んでも、その髪に触れても、石化した体はただ、崩れ落ちる。零れ落ちる涙を微笑んで拭ってくれる柔らかい指先はもう、なかった。
ミラーカさんは死んだ。使命を果たす為に。私とアルカードさんを守るために、その身命を賭して、全身全霊をかけて、使命を果たした。果たして、果てた。
しかし、神は私達が悲しみに暮れる事すらも許してはくれなかった。ミラーカさんの砂を囲んで座り込む私とアルカードさんに向けて、再びおびただしい数の銃口を向ける音が響いた。
「はーぁ、あれだけ人員使って倒せたのはミラーカ一人とはね。我ながら随分レバレッジの効かない投資をしちゃったなぁ」
そう言いながらも私達の背後に佇むジュリオさんはニヤニヤと笑っていて、その背後にはアンジェロと何人もの戦闘員の姿があった。
「増援!? そんな・・・」
「エヴァンゲリウム・ディアボルスが全員で2000人しかいないなんて俺は言った覚えはないけどね。ちなみに正解は5000人でした」
そうだ、ジュリオさんは最初から私達に嘘を吐いていた。良く考えればわかったはずだ。そんな人が私達に手の内をさらすはずがない。それほど計略的な人が、全戦力を一度に投入するはずがない。
「ミラーカは二人を守って死んだと思ったみたいだけど、残念。無駄死にだ。お前たち二人も死ぬ。彼女は使命を果たせてなんかいない。ただの犬死だ。ざまぁみろ」
ジュリオさんは高らかに笑い声をあげて私達に視線を向けて言った。
「あぁ、可哀想なミラーカ、こんな男についてきたばっかりに死んでしまった。あぁ、可哀想なミナ、こんな男についてきたばっかりに死んでしまう。あぁ、可哀想な伯爵、またしても自分のせいで愛する者を失う」
「ジュリオさん・・・?」
何が言いたいのかよくわからずに言葉をかけると、私の声を聴いた瞬間ジュリオさんは笑うのをやめた。
「でも、しょうがないよね。俺の方が可哀想だ。そうでなくても、吸血鬼および伯爵に与する者はそれだけで万死に値する。それだけならまだいいとしても、俺は伯爵に殺された上に“ミナ”まで奪われ、挙句の果てに死なれてしまった。伯爵のせいで何もかも失った。更には俺は100年間ずっと苛まれてきたのに、伯爵は新しいミナを手に入れて自分だけさっさと呪いから解放されてるし。そりゃお前たちは哀れだよ。でも俺の方が可哀想だ。そうだろう? そうだよなぁ?」
ジュリオさんの言う事は、もっともだ。本来彼は被害者と言ってもいい。この戦いの発端は、この呪いの種を蒔いたのはアルカードさんだ。でも、このやり方は酷過ぎる。
大体こっちだってクリシュナを殺されてるんだ。それにアルカードさんを殺す為に、私達だけでなくアンジェロやみんなを騙して裏切って、裏切らせる。そんなやり方に甘んじて、死んであげることなんか出来ない。
「ジュリオさん、確かにジュリオさんには復讐する権利はあるかもしれません。でも・・・」
「でも、何? 俺にはお前たちを殺す義務も権利もある。それがすべて、全てだ。ミナの言葉なんか聞く価値もない。これから死ぬ奴が喋るな。質疑応答は終わりだ。総員、攻撃用意」
ミラーカさんが敵を掃討してから少しは時間が経った。だけど、傷は未だに治らない。それなのにさっきよりも大勢の敵に包囲され、銃口を向けられる。今度こそ、死ぬんだろう、そう思った。でも、ニヤニヤと笑って右手を振り上げるジュリオさんを見て思った。
犬死ににはさせない。無駄死ににはさせない。ミラーカさんの死を、使命を無駄にしてはいけない。生きなきゃ!
「攻撃開始!」
私が生きる覚悟を決めたのと同時に、ジュリオさんの声と共に右腕が振り降ろされ、再び戦端が開いた。