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最後の三十二人

作者: 長谷川誠
掲載日:2026/05/19

 四月の終わり頃からだった。

クラスの人数が、少しずつ減り始めたのは。


最初は誰も気にしていなかった。

一人休んだくらいなら、よくあることだったからだ。


「佐藤、また休みか」  朝のホームルーム。担任は出席簿を閉じながらそう言った。  誰かが「サボりだろ」と笑う。  それだけだった。  


だが翌日。  佐藤の机が消えていた。  教室の後ろ側。  昨日まで確かに置かれていた机と椅子が、綺麗になくなっている。  

まるで最初から存在しなかったみたいに。


祐一は思わず周囲を見回した。 「……あれ?」  隣の席の宮本が振り返る。 「どうした?」 「佐藤の机……」 「佐藤?」  宮本は怪訝そうな顔をした。 「誰だよ、それ」  冗談には見えなかった。


その日の帰り。  祐一は嫌な胸騒ぎを抱えたまま、自室で去年のクラス写真を探した。


いた。  後列の端。眠そうな顔で写っている佐藤。 「ほら、いるじゃねぇか……」  安堵しかけた、その時だった。


写真から佐藤の姿が消えた。  祐一は息を止める。  何度見返しても、後列には不自然な空白しかない。  手が震えた。


それからだった。


人数が減る速度が急に早くなったのは。  三十一人。  二十九人。  二十六人。  減る度に、皆の記憶から存在が消えていく。  誰も違和感を持たない。  祐一だけだった。


「前の席に女子いたよな?」

「最初から空いてるだろ」

「吹奏楽部の奴いたじゃん!」

「お前、大丈夫か?」  そんな会話ばかりになった。  


やがて祐一は眠れなくなった。  夜中、誰もいない廊下を歩く足音が聞こえる。  


教室の夢を見る。


誰もいない教室。  黒板には白い字で、 《次はお前》  とだけ書かれている。  


目覚めても、耳の奥で笑い声が残っていた。  昼休み。  ふと窓ガラスを見る。  自分の後ろに、知らない女子生徒が立っていた。  


長い黒髪。  


青白い顔。


祐一は振り返る。  誰もいない。  だが窓には、まだ映っている。


椅子を倒す音が教室に響いた。  クラス中の視線が集まる。 「どうした?」  担任が近づいてくる。  


祐一は窓を指差した。 「あ、あそこ……!」  誰もいなかった。  


その夜。  リビングで、母親が静かに口を開いた。 「最近、学校で何かあった?」  祐一は黙ったまま、俯いていた。 「ちゃんと眠れてる?」  返事はない。  母親は少し迷うような顔をした後、慎重に言った。


「……一回、相談してみない?」


「は?」


「最近、学校にもそういう相談室あるでしょう。話を聞いてもらうだけでも違うかもしれないし……」  祐一は苛立ったように立ち上がる。


「俺がおかしいって言いたいのかよ」


「そうじゃない!」  母親は慌てたように首を振った。 「でも最近のあんた、ほんとに様子が変なのよ……」  


眠れていない。  頭の奥で、ずっと誰かが喋っている。  教室で減っていく人数。  窓に映る知らない女子生徒。  誰もいない廊下の足音。  全部、自分がおかしくなっているだけなのかもしれなかった。  


そう思うほど、怖かった。  夕方。  駅前へ向かう途中だった。


薄暗い路地に、その女は立っていた。  白いマスク。  黒いコート。  最初からそこにいたみたいに、静かに。


女は祐一を見ると、小さく笑った。 「見え始めたんですね」  祐一は立ち止まる。 「……誰だよ」  女は答えず、小さな銀色のケースを差し出した。  中には白い錠剤が並んでいる。


「飲んでください」


「なんなんだよ、それ」


「これ以上、近づかないためです」  

祐一の背中に冷たい汗が流れる。

「意味わかんねぇよ……」  女は静かな声で言った。


「学校の人数、減っているでしょう?」  呼吸が止まりそうになる。


「消えているんじゃありません」  細い指が、祐一の胸元を指した。

「あなたの世界が、ずれていってるんです」  祐一は逃げるように路地を出た。


頭がおかしくなりそうだった。  いや、もうおかしくなっているのかもしれない。  


駅前へ出る。  夕方の人混み。  いつも通りの街。  いつも通りの信号。  いつも通りの雑踏。  だが。  祐一は立ち止まった。  道を歩く人々。  コンビニから出てくる会社員。  自転車に乗る高校生。  ベビーカーを押す母親。


全員が。  白いマスクをつけている。


その瞬間。  街中の人間が、一斉に祐一を見た。(終)



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