最後の三十二人
四月の終わり頃からだった。
クラスの人数が、少しずつ減り始めたのは。
最初は誰も気にしていなかった。
一人休んだくらいなら、よくあることだったからだ。
「佐藤、また休みか」 朝のホームルーム。担任は出席簿を閉じながらそう言った。 誰かが「サボりだろ」と笑う。 それだけだった。
だが翌日。 佐藤の机が消えていた。 教室の後ろ側。 昨日まで確かに置かれていた机と椅子が、綺麗になくなっている。
まるで最初から存在しなかったみたいに。
祐一は思わず周囲を見回した。 「……あれ?」 隣の席の宮本が振り返る。 「どうした?」 「佐藤の机……」 「佐藤?」 宮本は怪訝そうな顔をした。 「誰だよ、それ」 冗談には見えなかった。
その日の帰り。 祐一は嫌な胸騒ぎを抱えたまま、自室で去年のクラス写真を探した。
いた。 後列の端。眠そうな顔で写っている佐藤。 「ほら、いるじゃねぇか……」 安堵しかけた、その時だった。
写真から佐藤の姿が消えた。 祐一は息を止める。 何度見返しても、後列には不自然な空白しかない。 手が震えた。
それからだった。
人数が減る速度が急に早くなったのは。 三十一人。 二十九人。 二十六人。 減る度に、皆の記憶から存在が消えていく。 誰も違和感を持たない。 祐一だけだった。
「前の席に女子いたよな?」
「最初から空いてるだろ」
「吹奏楽部の奴いたじゃん!」
「お前、大丈夫か?」 そんな会話ばかりになった。
やがて祐一は眠れなくなった。 夜中、誰もいない廊下を歩く足音が聞こえる。
教室の夢を見る。
誰もいない教室。 黒板には白い字で、 《次はお前》 とだけ書かれている。
目覚めても、耳の奥で笑い声が残っていた。 昼休み。 ふと窓ガラスを見る。 自分の後ろに、知らない女子生徒が立っていた。
長い黒髪。
青白い顔。
祐一は振り返る。 誰もいない。 だが窓には、まだ映っている。
椅子を倒す音が教室に響いた。 クラス中の視線が集まる。 「どうした?」 担任が近づいてくる。
祐一は窓を指差した。 「あ、あそこ……!」 誰もいなかった。
その夜。 リビングで、母親が静かに口を開いた。 「最近、学校で何かあった?」 祐一は黙ったまま、俯いていた。 「ちゃんと眠れてる?」 返事はない。 母親は少し迷うような顔をした後、慎重に言った。
「……一回、相談してみない?」
「は?」
「最近、学校にもそういう相談室あるでしょう。話を聞いてもらうだけでも違うかもしれないし……」 祐一は苛立ったように立ち上がる。
「俺がおかしいって言いたいのかよ」
「そうじゃない!」 母親は慌てたように首を振った。 「でも最近のあんた、ほんとに様子が変なのよ……」
眠れていない。 頭の奥で、ずっと誰かが喋っている。 教室で減っていく人数。 窓に映る知らない女子生徒。 誰もいない廊下の足音。 全部、自分がおかしくなっているだけなのかもしれなかった。
そう思うほど、怖かった。 夕方。 駅前へ向かう途中だった。
薄暗い路地に、その女は立っていた。 白いマスク。 黒いコート。 最初からそこにいたみたいに、静かに。
女は祐一を見ると、小さく笑った。 「見え始めたんですね」 祐一は立ち止まる。 「……誰だよ」 女は答えず、小さな銀色のケースを差し出した。 中には白い錠剤が並んでいる。
「飲んでください」
「なんなんだよ、それ」
「これ以上、近づかないためです」
祐一の背中に冷たい汗が流れる。
「意味わかんねぇよ……」 女は静かな声で言った。
「学校の人数、減っているでしょう?」 呼吸が止まりそうになる。
「消えているんじゃありません」 細い指が、祐一の胸元を指した。
「あなたの世界が、ずれていってるんです」 祐一は逃げるように路地を出た。
頭がおかしくなりそうだった。 いや、もうおかしくなっているのかもしれない。
駅前へ出る。 夕方の人混み。 いつも通りの街。 いつも通りの信号。 いつも通りの雑踏。 だが。 祐一は立ち止まった。 道を歩く人々。 コンビニから出てくる会社員。 自転車に乗る高校生。 ベビーカーを押す母親。
全員が。 白いマスクをつけている。
その瞬間。 街中の人間が、一斉に祐一を見た。(終)




