第三章 第一節 晴天の日には、影は濃くなり
“ハルカちゃん、元気?
怪我の具合はどうかな?
無理せずゆっくり休むんだよ!
こっちは、新しい仲間がやってきました。
育成施設から来た、しっかりした子だよ。
ちょっとハルカちゃんに似てるかも。
橘先輩と水野先輩は相変わらず不愛想です。”
ミナモからの手紙。
簡素な白い封筒に、不似合いな猫のシールが貼られている。
軍施設の中には売っていなそうな、この可愛いシール。
…どこで手に入れているんだろう。
びっしり書かれた自身の近況報告に、頬が緩む。
少し肌寒かった日が減り、日差しの強い日が増えた。
あの日から1か月。
宮崎市内の病院で過ごしている。
「お変わりはありませんか?」
九州対策室の吉川さんが、私たちの様子を見に来た。
「順調です。ありがとうございます」
「そうですか、対応隊の再編が進んでいます。おそらく関西に戻ることになるでしょう」
「…わかりました。あの…一ついいでしょうか」
「なんでしょうか」
「加藤君は…。あの後、彼の遺品は、どうなったのでしょうか」
「すべて処分しております」
「…そうですか」
吉川さんはバツが悪そうに眼を伏せる。
「…規則ですので。それでは失礼します。お体に気を付けて」
吉川さんは会釈して病室を後にした。
あの日、水野先輩は関西から助けに来てくれた。
間に合わせの九州部隊。
いざというときは、関西から応援を送るという判断になったらしい。
4人だった九州部隊は、あの戦闘で3人が離脱。
宮野さん一人になってしまった部隊には、今度は北海道からベテランが来たらしい。
育成施設上がりの子達と一緒に、何とか再建を進めているようだ。
私は読みかけの本に手を取る。
適合者。私たちはそう呼ばれる。
世間的には僅かしかいない、Λ粒子高濃度汚染者。
その中でも、かぐや姫と戦えるだけの健康的な身体能力を持つ人は、とても限られている。
そういった人達に育成施設で訓練を施す。
Λ粒子適合者と名をつけて。
パラっとページをめくる。
Z.A.Λ.での正確な観測ができるようになったのが30年前。
機械を通して、粒子の濃度を見ることが出来るようになったのにも関わらず、
Λ粒子はまだまだ謎が多い。
空間崩壊や、かぐや姫。
これらの原理はいまだに未解明。
高濃度のΛ粒子が引き起こす、大規模な自然現象とされているが、詳細はわかっていない。
私はページをめくる。
最初の空間崩壊が起きたのは、50年前の、2138年。
バルセロナ崩壊。
予兆無く百万人以上の命を奪った原因不明の大災害。
それから続く空間崩壊の歴史。
発生頻度は一年に一、二度程度だったが、年々増え続け今では世界中で年間100件を超えている。
過去になかった大災害は、なぜ起き始めたか。
それは私たちの太陽系が、Λ粒子の高濃度帯に突入したことが原因とされている。
宇宙を漂う未解明の粒子雲。理解不能な死の世界。
空間崩壊の直前には、高濃度のΛ粒子が検出されることがわかり、
各国で協力体勢を整え、Z.A.Λ.観測システムを整備。
今では適合者による、かぐや姫討伐の流れが整えられている。
パタン。
本を閉じ窓に目をやる。
高濃度汚染者の隔離政策がはじまる前。
偶然にもかぐや姫との接触が可能だと知った一部の汚染者が、空間崩壊を止めた事例は幾度かあるらしい。
彼らは何を思っていたのだろうか。
そして、それを見ていた人は、彼らをどう見ていたのだろう。
今も続く高濃度汚染者の隔離。
恐らく…、考えても気が重くなるだけだろう。
屋上で葉山先輩と日向ぼっこをする。
最近の日課だ。
「九州部隊、再編が進んでるみたいですね」
「ああ」
「またジョギングしてるんでしょうか」
「どうだかな」
「私たちって、これからどうなるんですかね」
「さあな」
「葉山先輩。覚えてますか?」
「何が?」
「あの…ポーカー。葉山先輩が勝っていたら、あんなことは起きなかったんでしょうか」
「…さあな。わからねえ」
そういって缶コーヒーに口をつける。
「葉山先輩も、本当は逃げ出したいと思ってますか?」
「だったらなんだよ」
「…そうなのかなって」
葉山先輩が私を見る。
「逃げねえよ。今はな」
「今は…?」
「あー、もう、この話は止めだ」
葉山先輩がポリポリと頭をかく。
ポカポカとした午後の日差し。
私たちの傷は、少しずつ治っている。
退院は近いのだろう。
「ご苦労様でした。本日付けで、お二人は関西対策室へ異動となります」
退院して吉川さんから異動を言い渡される。
私たちは関西に戻る。
「ありがとうございました」
「慣れない部隊での作戦。ご無理をお掛けいたしました。お礼を申し上げます」
吉川さんが頭を下げた。
葉山先輩は無言で頭をポリポリ。
私はなんだか恐縮していた。
「二人とも! 退院おめでとう!」
「ああ」
「宮野さんはいつもお元気ですね」
「暗い表情だと、チームのみんなに迷惑が掛かるだろ?」
警戒室には北海道から来たという、早瀬さんという壮年の男性。
それと育成施設から来た、二人の男女。三国さん、遠山さん。
私と同じぐらいの歳に思えるけど、初めて見る。
この地方の育成施設出身だろう。
「関西に戻るんだってね。寂しくなるよ」
「お役御免だとよ。俺らがいない間に順調そうじゃん」
「みんなのおかげさ。大ベテランも来てくれたしね」
早瀬さんが会釈する。いかつい身体に、アンバランスな、ふわっと優しそうな顔。
宮野さんよりも年上かもしれない。
「宮野さん」
「なんだい?」
「あのトランプって、どなたのですか?」
ソファの横に置かれた、トランプのケースを見る。
「そういえば、誰のだろうね。来た時からあったよね」
トランプのケースを開けてみる。
葉山先輩がちょっと心配そうに見る。
「そのトランプに何かあったのかい?」
「…加藤君が、トランプをやっていた印象が強くて」
「…そうか。持っていくかい?」
「それは…。備品かもしれませんし」
宮野さんが私の手からトランプを取ると、一枚を探して渡してくれる。
ジョーカーのカード。
「これならどうかな?一枚ぐらいなら、バレはしないよ。ジョーカーは一枚あればいいしね」
「…。はい。ありがとうございます」
モノクロのジョーカーのカード。
私も、葉山先輩も、黙って見つめていた。
私たちは九州を後にする。
みんなで走った道。
大きなノックが響き渡る廊下。
私を見守ってくれた、熊のぬいぐるみ。
そして、白いアヴァロン。
水色の丸い鳥みたいな輸送機が、私たちを迎えに来ている。
「二人の名前はきっと忘れられないよ。いつかまた、会えるといいね」
「ああ、あんたのこともな」
見送りの宮野さんと、葉山先輩が握手を交わす。
私も宮野さんと握手をする。
「いつか、また、必ず」
優しそうな宮野さんの顔。握手の力が強くて、ちょっと痛い。
九州を飛び立つ。
また会えるかな。
小さくなる九州の基地をずっと眺めていた。
「高濃度汚染者を解放せよ!」
「解放せよ!!!」
「軍は隔離政策をやめろ!」
「やめろ!!!」
関西の基地に降り立つと、手持ちスピーカーの大きな声が響き渡る。
私と葉山先輩は顔を見合わせる。
「なんだか騒がしいですね」
「小倉が崩壊した後、高濃度汚染者として隔離された奴が多かったんだろ、メディアがうるせーからな」
「そうなんですね」
遠いフェンスの向こうに並ぶ沢山の人達。
家族を返せと大きく書かれたプラカードが目に入る。
「ハルカちゃん! お帰り!」
警戒室に入ると、ミナモが駆け寄ってくる。
「有瀬ハルカ。本日をもって原隊に復帰致します」
「おかえり」
「戻ったな」
「おお、おっさんも元気そうだな」
「はっ! 減らず口は治ってねーな」
懐かしい関西の警戒室。
不愛想な人達。ミナモの明るい笑顔。
なんだか懐かしい。
「ハルカちゃん! 紹介するね」
「あの、初めまして」
ミナモの横に立つ、背の高い女の子。
「柳原カナタです。ミナモちゃんから、ご活躍を伺ってます」
ふふーんとミナモが鼻高々にドヤ顔をしている。
なんだか可笑しい。
「そんなことは…。よろしくね、柳原さん」
久しぶりの自室。
ボストンバッグから、熊のぬいぐるみを取り出し、
窓辺にそっと置く。
「帰ってきたね」
お昼過ぎの暑いぐらいの日差しは、夏が近づいていると教えてくれているようだ。
胸のポケットにある、硬い感覚を取り出す。
宮野さんからもらったジョーカーのカード。
ピエロのような絵柄を見つめる。
「水野先輩。少しよろしいでしょうか」
「ああ」
警戒室の入口に戻り、水野先輩を廊下に呼び出す。
「どうした?」
「はい。先日の宮崎では、ありがとうございました。お礼を言えていなかったので」
「ああ。ここからでは距離的にギリギリだ。間に合ってよかった」
「助けに来てくれるとは思いませんでした」
「橘先輩がな、二藤陸佐に詰め寄ったらしい。間に合わせ部隊で任務失敗となれば、貴重な人員の使い捨てじゃないかとな」
「そうですか。おかげで助かりました」
「ああ」
「…あの先輩」
「なんだ?」
「一つお聞きしてもよろしいでしょうか」
「ああ」
「前に見せて頂いたお墓に、入れたいものがあるのですが、いいでしょうか」
水野先輩は私から目線をそらし、廊下の窓から外を見る。
庁舎の周りには、緑が高く茂り始めている。
「…ああ。好きにすればいい」
「ありがとうございます」
私は水野先輩に会釈をして、庁舎の裏へと速足で駆けて行った。
庁舎の裏の大きな木の根元。
私は膝をついて、土を掘り返す。
硬くなっている土を、何とか指でかき分けていく。
爪の間に挟まる砂が少し痛い。
強い日差しのなか、一人で黙々と掘っていく。
じんわりと汗ばむ体。
額にもふつふつと汗がにじみだす。
かき分けた土の下に、金色に輝くものが見える。
ガサガサと土をかき分けて掘り出す。
手のひらよりも少し大きいブリキの缶。
カコッと蓋を開けると、いくつかの雑多な物がカサっと音を立てる。
泥だらけの指で、胸のポケットからジョーカーを取り出し、
鬼塚先輩の写真の上に、重ねるようにそっと置く。
「…葉山先輩にも伝えた方がよかったかな」
ここに、このカードを入れてもいいか、少し不安になる。
カコッと蓋をし、土に埋めなおす。
見えなくなっていく、金色の缶。
膝をついたまま、手を合わせ、目を閉じる。
「加藤君。地元じゃなくてごめんね。でも、九州よりも近いから、ここでもいいよね?」
目をそっと開ける。
「だめかな…?」
返事は帰ってこない。
暑い日差し。サーと吹く強い風が気持ちいい。
私の頬を一滴、汗が流れ落ちる。
※ありがとうございました。
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